第8話 再び勇者の話

 一般人の基準で計算すればもう一生分の幸運を使い果たしたのだと波遊すずなに言われた。

 だからといって、勇者は勇者を諦められなかった。

 千人の魔王の手先を倒せたのも、村人の家に入ってアイテムを拝借したときに誰も文句を言わなかったのも、幼馴染みのエアリスをはじめとして言い寄ってくる女が美女ばかりなのも、全部幸運のせいだったという。


 まったく納得ができない。

 

 勇者は刑務作業をこなしながら、波遊すずなへの憎悪を募らせていた。

 工場の中には受刑者がたくさん働いている。全員灰色の作業服を着て、マスクと頭巾を装着し、ベルトコンベアの前で黙々と仕事をこなしている。

 すずなは大切な仕事だと言っていたが、勇者には理解ができなかった。

 次から次へと流れてくるパックに入った刺身の横に、タンポポの花を載せる。

 ただそれだけの作業を一日八時間続ける。

 

 タンポポの花を摘んでは、サーモンの刺身の横に置く。

 タンポポの花を摘んでは、サーモンの刺身の横に置く。

 タンポポの花を摘んでは、サーモンの刺身の横に置く。

 タンポポの花を摘んでは、サーモンの刺身の横に置く。

 

 さて、一時間ぐらい経っただろうかと壁の時計を見上げてみると、大抵五分しか経過していない。

 たった一ヶ月の刑期だと聞かされていたが、出所する頃には老人になっているのではないかと勇者は本気で感じていた。

 本当はこんなことをしている場合ではなかった。

 世界を救うために、魔王討伐の旅に出発しなければならない。


「タンポポの花など載せてる場合ではないだろ!」


 勇者が叫ぶと、別のラインで働いていた受刑者たちが迷惑そうな目で睨んできた。


「何だその目は。お前は世界を股に掛けた冒険者だったのではないか? お前は世界一の名曲を産んだ作曲家だと聞いたぞ。そっちのあんたは百人の女を妊娠させたらしいじゃないか。すごいじゃないか。俺たちは刺身の上にタンポポなんか載せている場合じゃないんだ。選ばれた人間なんだぞ!」


 遠くにいた刑務官が勇者を指差しながら、白とピンクの修道服の女に話し掛けている。確かメルクールという名前だったと勇者は思い出した。その辺の刑務官ならぶっ飛ばせる自信があったが、メルクールは強いのでやっかいだった。一昨日逃げだそうとしたら、素手での殴り合いで負けてしまった。また負けてしまうのは勇者として示しが付かない。


 勇者は叫ぶのをやめて、仕事に戻った。

 世界を救う仕事より、タンポポを載せる仕事の方が大事だなんてあるだろうか。

 休憩時間にはまかないとして、刺身一パックと白いご飯が支給される。

 確かに刺身はうまかった。

 黄色いタンポポが載っていれば、刺身も華やぐ。


 たけど、このタンポポは本当に必要か?

 

 箸でタンポポを取ってみたり、戻してみたりした。


 むしろタンポポはない方が食べやすいのではないか?


 いつもは剣を持って戦っていた手にゴム手袋をはめて、勇者はタンポポの花を載せ続ける。仕事自体はきつくはないが、自分と向き合い続けていると、精神がすり減ってくる。

 一ヶ月後には脱主人公化されると聞いていた。過剰に幸運だった人生は終わり、普通の人間として生まれ変わるらしい。


 ふざけるな。俺は選ばれた人間なんだ。

 不幸な人間が増え続けるのは俺のせいだと言っていたが、そんなの知ったことではない。

 刺身工場内にいた刑務官たちが全員恭しく頭を下げていた。


 何事かと勇者が目をこらしてみると、波遊すずなの姿があった。

 陰気な工場が一気に明るくなるようなすごい美人だった。

 やっぱり付き合えるなら付き合いたいと勇者は思う。

 だが、すずなの冷酷な目を見ていると、勇者は憎しみを堪えきれなくなった。

 すずなは勇者を初めてフった女だし、あの女のせいで勇者を辞めなければならないのだ。


「先生、ここが脱主人公化施設だ。主人公たちの幸運を標準値に戻すための」

「どんな酷いところかと思ってたけど、ただのバイトだね。スーパーのお刺身?」

「こんな好待遇でも文句を言い出すから主人公は救いようがない。本当は独房に閉じ込めたいところだけれど、サラ様の慈悲でこうなった。給料もそれなりだし、まかないまでついているのに」

「いいなー。僕もここでバイトしたい……」

「先生は漫画家として復帰するのだから。悲しいことを言わないでほしい」


 すずなはラックフローを取り出して、画面に何かを入力していた。

 勇者はタンポポの仕事をしながら、すずなのラックフローを見つめる。


「そろそろn85へ飛ぶぞ。A級主人公のいる惑星だ」


 ここに連れてこられたときも、たしかあの黒い板をいじっていたなと、勇者は魔王城での記憶を思い起こした。


「すずな、覚えていろよ……」


 他の受刑者が自分の身分を忘れたように仕事に没頭している中で、勇者だけはただ一人、異様な雰囲気を放っていた。

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