第7話 ロリな彼女はヤクザな彼女

 神が住まう御所は、一年中桜の花が咲き誇る谷にあった。

 そこは神の国で唯一、穢れた雨の降らない場所で、どこを見ても赤やピンクの花で色付いている。


「極楽、極楽」


 希星は御所の中にある小さな滝に打たれながら、朗らかに微笑んでいた。

 滝は湯煙が立つほど暖かく、仄かに硫黄の匂いがした。雨に濡れた体もさっきまでの気分の悪さも一瞬で吹き飛んでいくほどの心地よさだった。

 滝から離れて、岩石で囲まれた湯船の中を歩いていると、突然現れたすずなに裸を見られてしまって、希星は思わず叫んだ。


「うわっ!」


 希星は股間を押さえながら湯船に沈んだ。

 着替えを抱えて歩いてきたすずなは、びっくりしたのか一瞬全身が固まっていた。


「……先生の制服、洗って乾かしておいたから」

「ありがとー。その辺に置いておいて」


 すずなは赤くなった顔を希星の着替えで隠して恥ずかしそうにしていたが、しばらくすると何かを決意したようにぎゅっと拳を握った。

 すずなは希星の側までやってきて、大きくて無垢な目で湯船の中をじっと覗いた。


「ちょっと、覗かないでよ」


 希星は湯船の中で丸くなった。


「いつまでも子供のままは嫌だから、がんばる」


 すずなは両膝に両手をついて前屈みになっているので、修道服の胸元からバストの谷間が見えていた。

 脚が長いので、お尻がもの凄い角度で突き出されている。

 まったく小学生とは思えなかった。


「いったい何を頑張るのさ……」

「神の国では、子供の好奇心を邪魔するようなことはやめようという――」

「また子供のための変な法律?」

「そんな法律があったらいいなと思う」

「なんで嘘ついた」

「だって、見たかったから。同級生は銭湯に行ったとき、男湯に入っても止められなかったけれど、私だけなぜか止められる。何も知らない私は、いつまでも子供だ」

「そのルックスなんだから諦めなよ」

 

 もっとも幸運に恵まれた主人公。

 地球で最も色っぽい小学生。


「女子が男湯に突入できる力、男子が女湯に突入できる力のことを銭湯力というのだけれど、私にはそれが足りないらしい」

「戦闘力みたいに言わないでよ」

「銭湯力は歳と共に衰える」

「普通の女の子でも、小五はアウトなラインだと思うよ。だから君はなおさら覗いたらダメ!」

「むむ」


 すずなは不満そうに唸ると、ようやく希星に背中を向けて離れていった。

 希星は小学生の胸の谷間を見て、変な気持ちになってしまった。

 もう少し、湯船に浸かっていることにした。



 御所はとても広かった。

 窓や扉はどこも開け放たれていて、暖かい風と柔らかな光に満たされている。吹き抜けになっている高い塔には、螺旋階段の壁沿いの棚にぎっしりと本が詰め込まれていた。この世にあるすべての文学と楽譜がそこにあった。小さな動物が室内や庭を自由に駆けていく。様々な果実を実らせた木々から、甘い匂いが漂っている。雨の降りしきる都市と比べたら、ここはまさに地上の楽園だった。


 希星とすずなは洗い立ての服に着替えて、テラスの椅子に座って庭を眺めていた。


「姐さん、失礼します」


 黒い三角帽子とマントを着たいかにも魔法使い風の女の子が、すずなと希星に頭を下げて、テーブルに紅茶の入ったティーカップを置いた。


「姐さん、今回は全部私の責任です。部下たちのことは許してやってください。けじめは私がとります」


 魔法使いの女の子は強気に言いながらも、すずなに怯えきった目をしていた。


「どうせ、お前たちの気付かぬうちにサラ様が抜け出したのだろう。お前たちを出し抜くくらいサラ様なら造作もない。見くびるな」


 すずなは表情を変えずに淡々と話した。


「はいっ、すいません」

「だからと言って気を抜くなよ。サラ様に何かあればどうなるかわかっているな?」

「心得ておきます……」

「もういい下がれ。お前たちもだ」


 すずなが言うと、魔法使いの後ろにいた三人も頭を下げて、テラスから去り始めた。

 ここでのすずなは、希星の知っている可愛いすずなとは別人のようだった。

 希星も気軽に話し掛けられないくらいの威厳があった。


「あの……頭に耳の生えた女の子とか、牙の生えた青ざめた顔の男とか、杖を持ったいまにも死にそうな老人とかいましたけど……」


 希星は恐る恐る聞いた。


「獣人、ドラキュラ、仙人、全員元主人公だ。いまは神から血を分け与えられた兄弟だ。つまり神に仕える天使というわけ」

「みんなすずなに頭を下げてたけどどうして?」

「私が一番偉いから」

「すごい肩書きばかりなのに、小学生が一番偉いってすごいね」

「年齢や肩書きが天使の地位を決めるわけではない。大事なのは度胸と腕っぷしだ」

 

 すずなは太もものホルスターに収められた銃をトントンと叩く。


「先生もさっき洗礼を済ませたのだから、形式的には天使になったのだけど」


 すずなは湯煙が立つ方向を指差す。


「あれ、温泉じゃなかったんだ……」

「洗礼程度じゃ先生の不幸は浄化できるわけがないけれど、テレポートに耐えられるくらいの体にはなったはず」

「それはありがたいかな」


 移動する度に吐き気を催すのは勘弁してほしかった。


「先生は、この星に来て、どう思った?」


 すずなは紅茶を啜りながら、色とりどりの果実が実る木々を眺めている。

 湯上がりの火照った体を爽やかな風が撫でていくのを感じながら、希星は言った。


「ここは素敵だけど、公園のテントにいた人たちは可愛そうだったな。この場所を貸してあげられたらいいのに」

「サラ様もそう言っていたけれど無理な話だ。サラ様の安全の問題もあるし、なによりここは聖域だ。御所の神性さえも失われたら、大変なことになる」

「どういうこと?」

「よく幸運な人間のことを、神に選ばれたとしか思えないなどと言うことがあるけれど、今現在、神は何も選んでいない。選べなくなったと言うべきかな」

「選べなくなった……」

「昔は神が人の幸と不幸を調整できる時代があった。不幸な人間が神に祈れば、神は救いを授けることができた。だけどいまは違う。この世界の幸と不幸は神の意志にまったく関係がない。神は世界のバランスを保つことができなくなった」

「神様の力が衰えたってこと?」

「そうとも言える。だが微妙に違う。全知全能の力は、元々神に備わっていたものではなかった。神が全知全能でいられたのは、世の人々がそうあってほしいと望んだから。神が人を作ったのではなく、人が神を作った。民衆の信仰がなければ神の力は存続できない。先生は神を信じていた? もちろん実際に神に会う前の話だけど」

「信じてたよ。いつか不幸が終わるように、神様お願いしますって祈ってたもん」

「先生みたいな不幸な人間は神への信仰を失っていない。でも、普通に暮らしている人々はどう?」

「神様を必要としていないのかもね」

「うん。現実を支えているのは信仰。大昔の呪術や魔法もそうだし、宗教、科学だって、信仰がなくなれば現実から消えていく。神の力が失われたこの世界は幸運のバランスが崩れてしまった。超幸運な一パーセントの人間、主人公が出てくるようなったのもそのせい。先生はその煽りを受けたというわけ。テント村の難民たちも」

「それで、あの神様は不幸な人たちにパンを配ってたんだね」

「サラ様は力を失ったけれど、不幸な人々を救いたいという気持ちは失ってはいない。私たちはそんなサラ様を全力で盛り上げていく。この御所は神がまだ健在であると世に示すための象徴だ」


 果実が実り、小動物が走り回り、柔らかな光が差し込む地上の楽園をゆっくりと首を回して眺めながら、すずなは決意の炎を瞳に宿して言った。


「先生をここに連れてきたのは、主人公を倒すことで、自分だけではなく多くの人を救えることをわかって欲しかったから」

「主人公を倒すのはそんなに大変なの?」

「大変というか、先生はもしかしたら嫌がるかも……」


 すずなは難しそうな顔でうーんと唸った。


「どうしたの?」

「先生には才能がある。だから嫌がらないでほしい」

「何の才能なんだろ」


 漫画の才能はなさそうだし。


「…………」


 すずなが言いにくそうにしていると、テラスに神がやってきた。

 すぐさま立ち上がって深々と頭を下げるすずなを見て、希星も思わずマネしてしまった。


「お体のほうはよくなりました?」


 サラは質素な白い服を着ていた。飾りといえばセーラー服のような襟と胸にある黒いリボンくらいだ。背が小さくて可憐なサラは、飾り気のない黒髪を風に舞わせながら、微かに微笑んだ。


「おかげさまですっかり元気になりました」


 希星はぺこぺこ頭を下げる。


「希星さんにお会いすることができて嬉しいです。ずっと助けを求めていらしたのに、何もできずにすみません」


 サラは悲哀の表情を浮かべながら、ゆっくりと頭を下げる。


「とんでもないです。どうか頭を上げてください」

「その上、希星さんに助けを求めるしかないなんて、情けない限りです」

「いえ、事情はお聞きしました。僕、神様のために頑張ってみようと思います」


 こんなにも小さくて儚い女の子は、守られるより守ってあげるべきだった。


「よく決断してくださいました。ありがとうございます」


 サラは自分のためというより、不幸な人々のためにお礼を言っているようだった。


「すずなさん、希星さんの不幸を改善するにはどれほどの運が必要なのです?」


 神はすずなに言った。


「B級主人公をいくら殺っても焼け石に水です。ここはA級主人公に手を出すときかと」


 すずなはやや前のめりになって険しい表情で話した。


「できますか?」


 サラは不安そうだった。


「希星先生の助力があれば可能です」

「希星さんも巻き込むのであれば。失敗はできませんよ?」

「私が全責任を負います。任せてください」

「信じています」


 神は向き直ると、希星の手を両手で優しく包むように握った。


「この通り、私は無力です。ですが、すずなさんはとても頼りになる人です。きっと希星さんを救ってくれると思いますよ」


 サラは希星の手を優しく握った。


「あの……神様はどうしてそんなにすずなを頼ってるんですか? 他にも強い人はいるわけでしょ? すずなはまだ小学五年生ですよ?」


 吸血鬼とか、魔法使いとか、そっちの方が断然強そうなのに、小学生を矢面に立たせなければならない理由が希星にはわからなかった。


「以前は、神も天使もまったくの無力でした。強すぎる主人公に対して、私たちは何もすることができなかった。凋落していた天使の一団に、希望をもたらしてくれたのがすずなさんでした。すずなさんはたった一人で、バラバラだった天使をまとめ上げ、一大組織を編成しました。私を組長、すずなさんを若頭に据えた新しい階級制度を敷き、組織に確固たる上下関係と規律をもたらしてくれました。暴力的な組織になってしまったのは、私はあまり好きではないのですが、実際世の中がよくなっていくのを見ると、私が甘かっただけなのかもしれませんね」


 サラは自省するように少し俯いた。

 希星は隣にいたすずなを責めるように睨んだ。


「すずなってヤクザが嫌いなんじゃなかったの?」

「うん、ヤクザもパパも嫌い。どんな理由があっても暴力や脅しで問題を解決するのはダメだと思う」


 すずなはけしからんとばかりに鼻息を鳴らす。


「お父さんのこと、すずなは非難できないんじゃない?」

「どうして? 先生も嫌だったでしょ。パパのあの怖いやり方」

「いや……すずながここでやってることって、お父さんと一緒でしょ。お父さんもやくざの若頭で、すずなもここでは若頭なんだよね?」

「…………」

「天使の人たち、すずなに怯えてたよ? メルクールもすずなのこと姐さんとか呼んでたし」

「…………」

「ヤクザが嫌いなのに、自分はヤクザみたいな組織を作るって矛盾してない?」


 自分でも気付いていなかったのか、すずなは呆然としていた。


「本当はお父さんのこと、嫌いじゃないんじゃないの?」


 サラはすずなと希星を交互に見つめて、首を傾げた。

 すずなは急に希星を睨んで叫んだ。


「先生、それ以上言ったら絶交だから!」


 すずなは金髪を激しく舞わせてそっぽを向き、頬を膨らませて腕を組んだ。


「えー、何、そのごまかし方」


 まるで子供みたいな逆ギレの仕方だった。

 見かけは大人でも中身は子供だったことを希星はまた思い出すのだった。

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