第6話 初めての旅行は宇宙旅行

 昨日、すずなから告白された場所。

 坂の上にある桜の木で円形に囲まれた休憩所に希星、すずな、メルクールはいた。

 休日の午前中だったが相変わらず人通りはなく、たまに車が通りすぎる程度だ。


「またブシツにつれて行ってね。せっかくオタサーの姫になったんですもの」

 メルクールが名残惜しそうに言った。

「また来るんだ……」

 と、希星はあまり嬉しくなさそうに呟いた。


「これから惑星n3に飛ぶ」

 すずなが言った。


「惑星n3?」

「神が住まう惑星。こっから十億光年ぐらいの距離にあるけれどテレポートするので一瞬なのだ」


 すずなは長方形の板を取り出した。スマホを思わせる形だったが、光を反射しないほど真っ黒な物質でできていた。


「これはラックフローと言って、幸運を溜めたり、使ったりできる装置なのだ。これを使えば宝くじも簡単に当てることができるし、誰かを心臓発作で死なせることもできる。つまり、どんな奇跡も起こせるってわけ」


 すずなはスマホと同じように、指でタッチしながら操作する。すずなが触れる度、真っ黒な表面にわずかばかり緑色の光が浮かび上がっていた。


「最強じゃないか。それで、僕の不幸も治せないの?」

「主人公と逆主人公には効かない。焼け石を水滴で冷やすようなものだから。これで、主人公を倒したりもできない。ほとんど効果はない」

「残念だね……」

「これからこのラックフローを使って、惑星n3にテレポートする」

「僕みたいな不幸な人間には効かないんじゃないの?」

「効かない。だけど、応急処置はできる。メル、先生に聖水を渡してあげて」

「うい」


 メルクールはピンポン球のような物体を取り出して希星に渡した。


「何これ?」

 風邪薬のカプセルみたいにぶよぶよしていた。中にはエメラルドグリーンの液体が入っている。


「その聖水を飲んだ者には神と同じ血が流れる」

「うえっ、血?」

「本物の血ではない。神と擬似的な家族になれるという意味。聖水が体内に留まっている間は、神の加護が受けられる。つまり、少しの間だけ先生は不幸から解き放たれる」

「これを飲むの? 大きくない?」


 ピンポン球程度の大きさのそれは、口の小さな希星がひと飲みするには大きすぎた。


「噛めばいいよー」

「僕、薬とか苦手なんだよなあ。聖水って美味しいの?」


 不安そうにカプセルを眺める希星に、メルクールが笑顔で言った。


「恋の味がするわよ。私はメルティキッスって呼んでるわ」

「……どんな味だよ……危ない薬とかじゃないよね……」

「早く飲んで。不幸な人生を終わりにしよう?」


 すずなはラックフローの画面をタッチして座標入力をしながら急かした。


「不幸な人生か……」


 これを飲めばまた漫画家として復活できるのだろうか。

 幸運を取り戻して、さっさと売れっ子漫画家になってしまえば、月園についた嘘も嘘ではなくなるのでは。そう思うと、希星は恐怖心がなくなってきた。


「私を信じて」

 

 座標入力を終えたすずなは、あとワンタッチでテレポートできる状態になってから、言った。

 すずなの表情は自信に満ちあふれている。貫禄のある顔はやっぱり小学生には見えない。


「じゃあ、飲むよ」


 どうせどん底人生だった。何が起こってもそう変わらないだろう。

 希星はエメラルドグリーンのカプセルを口に含み、奥歯で潰した。

 電気ショックかと思わせるくらいの激しい苦みが口の中に広がり、喉の奥へと流れ込んだ。

 液体がお腹の中で燃えるように熱くなっている。


「どこが恋の味だよ。まずすぎる!」


 ふと気付いたときには、視界がガラリと変わっていた。

 すずながラックフローの画面をタッチした瞬間に、テレポートは完了したらしい。


「ここが神様の住む星?」

 

 天使達が虹の架かる空をふわふわ飛んでいそうなメルヘンな世界を想像していた希星は面食らってしまった。

 空を覆う真っ黒な雲、土砂降りでも小雨でもないうっとうしい雨粒、レインコートや傘を差して地上を往来する人々、幾何学模様の刻まれた立方体ブロックを重ねて作られた高層ビル群、なんだか雰囲気の暗い都市だった。

 ビルはすべて同じデザインで、低い建物は一切存在しない。効率的で無駄が一切ないといえば聞こえはいいが、何とも味気ない風景だった。


「地球とは違うんだろうけど、地球っぽい気もするね」

 と、希星は感想を漏らす。


「住んでいる知的生命体の脳の大きさや構造が変わらなければ、街並はどこも大差ない。八足歩行の蜘蛛みたいな化け物が住む星なら、かなり違ってはくるのだけれど」


 行ったことがあるのか、すすなは気持ち悪そうに目を細める。


「僕も見られるかな」

「せんせーには見せたくないかな。見渡す限り蜘蛛の巣が広がっているようなものだからおすすめしない。それに、人間は人間のことしか理解できないから、蜘蛛の街を見ても何が何だかよくわからないよ」


 すずなは修道服の襟元からフードを引っぱり出して、頭に被った。メルクールも同じようにフードを被る。


「きらりんはこれをどうぞ?」


 メルクールは胸の谷間から折り畳み傘を取り出した。

 まるでドラえもんのポケットだった。 


「なっ、そんなところに挟まないでよ!」


 希星の受け取った折り畳み傘は生暖かかった。


「胸に何を挟もうと私の勝手でしょ」

「そうかもしれないけど、受け取った方は反応に困るよ……」


 生暖かい折り畳み傘を、希星は指先で恐る恐る展開する。

 傘をさすと、不快な雨粒をようやく避けることができたが、そのとき希星の体に異変が起こった。

 急に気分が悪くなって、希星は傘を差したままうずくまってしまう。


「き、気持ち悪い」


 風邪をひいたときのように寒気が止まらず、おまけに吐き気も酷かった。


「テレポート酔いかしら?」

 

 メルクールが心配そうに見つめる。


「こっちの空気が合わないのかも。せんせー、私がおんぶしてあげる」


 すずなが背中を向けて、おんぶしようとしたが、希星は断った。


「大丈夫、歩けないほどじゃないから」


 さすがに小学生に背負われるわけにはいかなかったので、希星は強がりを言った。


「聖水を飲んでもツいてないのね」


 メルクールが希星の不幸っぷりに驚いている。


「遠足とか行くと、酔い止め飲んでも吐いちゃうんだ。それで、バスの中にいた生徒のほとんどがもらいゲロしちゃって……」


 いまにも吐きそうな青ざめた顔で希星が言うので、メルクールは少し離れた。


「メルは先に帰って刑務作業の監視を頼む。また主人公が暴れているらしい」


 すずなは耳に当てていたラックフローをいったん離して、メルクールに言った。ラックフローはスマホと同じように通信機能もあるらしい。


「私も久々にサラ様にお会いしたかったわ」

「サラ様は御所に不在らしい。しばらく探すことになる」

「そう……じゃあ、私はお先に失礼するわね」


 メルクールはすずなに一礼して、希星には笑顔で手を振ると、雨で滲むネオンの中に消えていった。


「本当に大丈夫?」


 すずなは希星を心配する。


「大丈夫、大丈夫」


 希星の弱々しい声は雨音にほとんど掻き消されていた。


「これから神に挨拶に行くけれど、どこにいるのかわからない。しばらく歩くと思うけど辛抱してほしい」


 希星に気を使っているのか、すずなは若干スピードを落として歩いていた。

 すずなはロングブーツを履いていたが、スニーカーだった希星は靴下まで濡れてしまっていた。ビルの壁面や鳥を模した石像が絵の具をぶちまけられたみたいに黒ずんでいるのを見ると、現在降り続けているのはあまり綺麗な雨ではなさそうだった。

 すずなは非常階段が入り組むビルの隙間やごみの臭いが漂う裏路地など、人気のないところばかり探していた。


「あの……神様を探しているんでしょ? そんな変なところにいるの?」

「サラ様は気まぐれだから。御所から動かないでほしいとお願いしているのだけれど、聞き入れてくれない」

「へぇ。その神様だったら、僕の不幸もどうにかしてくれるのかな?」

「先生の助けがあれば」

「万能の神様じゃないんだね」

「だがサラ様を見くびらないでほしい。偉大なお方であることには変わりないから。粗相のないようにお願いだよ。先生」

「その先生って言うのやめてくれないかなあ。僕、もう漫画家じゃないんだよ」


 すずなに先生と呼ばれる度、干されているという現状の悲惨さを希星は思い出してしまう。


「理不尽な不幸さえなければ先生はまだ漫画家だったはず。先生はやはり先生だから」

「それはどうも」


 地球で一番可愛いであろう小学生に先生と呼んでもらえているのだと思えば、悪い気はしない希星だった。


 ビルの谷間の開けた場所に出た。

 サッカーが同時に五試合くらいできそうな巨大な緑地が広がっていた。雨が降っているので遠くに何があるかは見えない。側に噴水や遊具らしき物があるところを見るとどうやら公園のようだった。

 しばらく進むとトタンやベニヤ板などで作られた粗末な小屋が乱立していたが、何のためにあるのかよくわからない。ゴミ置き場だろうか?

 公園の中ほどまで進んだところにあったベンチにすずなは座り、フードを更に深く被り直した。


「先生、ごめんなさい。二十分ほど昼寝をするから待っていてほしい」


 急に鳴りだしたラックフローのアラームを操作して止めたすずなだった。


「えっ、こんなときに昼寝?」


 屋根のないベンチは雨で濡れていた。


「この国には子供のための法律がある。どんなに厳しい世の中でも子供が昼寝をできる時間くらいは作ろうよ、ということで、お昼寝の時間が制定されているの。サラ様の粋な計らいってわけ」

「えー、場所を考えようよ」

「法律だから」

「いや、いくら法律でも、せめて雨が降らない場所で寝ようよ」

「法律を破れば、サラ様に申し訳が立たない。おやすみなさい」


 すずなはカクンと頭を垂れて、寝息をたて始めた。


「まるで子供だな……子供か……」


 さっきまで希星の体を心配してくれていたのに、ころっと寝てしまうところは子供といえば子供だった。

 気分が悪かった希星も休めるのは正直嬉しく、しばらくベンチに座っていたが、濡れたそこでは余計に悪くなってしまいそうだった。

 希星は立ち上がって、近くを散策した。歩いていた方が体が温まって楽だった。


 遊歩道の途中には大きな公衆便所があった。

 幾何学模様の刻まれた立方体ブロックを積み重ねて作られた建物だ。

 別に用を足したかったわけではなかったが、好奇心で入ってみた。ちょうど出てきた人と目が合った。


「こんにちは」


 と希星が言うと、男も挨拶らしき言葉を話したが、途中で背中を丸めて咳き込み始めた。

 汚れた服を着た痩せた男は、体がよくないらしかった。

 男の目には光がなかった。全身に不幸がまとわりついているように見える。男と同じ状況の希星にはそれがわかった。


 男は咳き込みながらトイレを出て行った。

 希星はなんとなく気になって、男の背中を追いかけた。

 トイレの先には、バラック小屋やテントがたくさん並んでいた。

 無数にあったテントの一つに、男は入っていった。

 テントの中が少し見えた。布団と簡易照明具ぐらいしかなかった。男は布団にくるまりながら、咳を繰り返している。

 他のテントにも、同じように人が入っていた。

 身を寄せ合って震えている子供の姉妹、涙を流しながら丸いパンを少しずつ千切って食べる少年、テントの裏に詰まれたゴミとしか思えない古い紙の山を漁っている髭の長い老人、杖を突きながら片足を引き摺って公衆便所に向かう水筒を持った少女。

 皆揃って暗い顔をしている。観光用のキャンプ場といった雰囲気ではない。

 ここにあるのは住む場所を失った者たちの街だった。

 希星の想い描いていた神の国は天国のような世界だった。汚い雨の降りしきる真っ暗な街や不幸な人々が苦しんでいる世界を見たかったわけではなかった。


 希星のすぐ近くにあったテントから人が出てきた。自分よりだいぶ背の低い人が出てきたので希星は驚いた。百六十一センチしかなかった希星より遙か下の身長など、女の子でもなかなかいなかった。


 セーラー服のような大きな襟のついた白い服を着ていたが、雨や汚れで所々茶色くなっていた。手足が細くて華奢なその女の子は巨大な布製のリュックサックを背負っている。


「お気分が悪いのですか?」


 女の子は上目遣いで希星に言った。

 黒髪のショートボブからは水が滴り落ちている。白い服もびしょびしょだ。希星は自分の傘を女の子の頭上に差してあげた。


「それではあなたが濡れてしまいますよ」


 そう言いながら、女の子はリュックサックを下ろして、中をまさぐり始める。

 女の子はハンカチの上にパンを載せて、希星に差し出した。


「どうぞ、これを食べてください」

「いえ、あなたたちの方がお腹が空いているでしょ」

「食べてください。きっと良くなりますよ」


 小さな丸いパンを差し出して、そっと優しく微笑む女の子。

 上目遣いで見上げてくるその女の子は、美人とか可愛いとかそんな言葉では言い表せない、ただ儚げとしか言うことができない顔をしていた。

 小さくて細くていまにも背負っている荷物に潰されそうなのに、彼女はすべてを包み込むように優しかった。

 ずっと差し出していたそれを、希星は受け取って一口かじった。

 小麦の甘みとほのかな塩味が口の中に広がっていく。

 全部食べ終わる頃には、吐き気も体の寒気もすっかりなくなっていた。


「いままでとてもお辛かったでしょうね」


 女の子にそう言われたとき、希星は泣いてしまった。

 いままで泣きたかったのにどうして泣かなかったのだろうと思うくらい、スッと泣いてしまった。

 女の子は背伸びして、希星の頭を撫でた。


「よくここまで来てくれました」

「ここには……不幸な人がたくさんいるんですか?」


 希星は涙を拭いながら、女の子の背後にあるテントの群れに目をやった。


「他の星から逃れてきた人たちです。宿舎の供給が追いつかず、一時的にここに寝泊まりしてもらっているのです。少し待てば、みなさんきちんとした場所に移れるはずです」

「よかった……ずっとここにいるわけじゃないんですね」

「ここを初めて見たのであればびっくりされたかもしれませんね。ご心配いりませんよ?」


 女の子は希星を元気づけるように微笑む。


「ところで、あなたはここにいるみんなにパンを配っているんですか?」

「そうです」

「すごいですね」

「いえ、これくらいしかできない自分は愚か者です。あなたの方がきっとたくさんの人たちを救えますよ」

「僕は自分一人ですら救えない人間ですよ。何もできませんよ」

「あなただからこそできることがあります。とても素晴らしい才能をお持ちですよ」

「僕には何もないんです。唯一得意だと思っていた絵もダメだったし……」

「ここにいる人たちを、あなたが救えるとしたらどうします?」


 女の子はテントで雨を凌ぐ人たちに目をやった。


「僕にできることがあったらやりたいですよ。でも……」

「ここ以外にも、たくさんの不幸な人たちがいます。あなたには多くの人を救う力があります」


 どれだけ自分を過大評価しても、希星は自分の持っている力とやらを見つけることができなかった。むしろ普通の人より劣っていることばかりなのに、人より優れていることがあるわけがない。


「あっ……」


 希星はすずなに言われたことを思い出した。

 力といえば力だが、まったく嬉しくない力だ。


「もしかしてさげちん……」


 もっと早く口を閉ざしたかったが間に合わなかった。女の子の前で、なんてことを言うのだろうと希星は後悔した。


「せんせー、ごめんなさい」


 修道服のフードを外しながら、すずなが近づいてきた。お昼寝から目覚めたようだった。


「サラ様、こんなところにいらしたのですね」


 すずなは金色の髪を雨に濡らしながら、神に深く頭を下げた。


「この子が神様?」


 希星は驚いて飛び退いた。すずなが希星の落とした傘を拾って神の頭上に差した。

 白い服を着てパンを配る姿は、なるほど神と言えなくもなかったが、幼児のように背が小さく華奢で儚げな姿は、神としては頼りなかった。


「申し遅れました。私はサラといいます。みなさんには神様と呼ばれています。一応……」


 巨大なリュックを背負い、小さな手でショルダーベルトをぎゅっと握りながら、サラは自信なさそうに名乗った。

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