第5話 姫にもいろいろな姫がある

 希星の住む木造アパートは、窓から飛び移れる距離に電車が通るので、朝はゆっくりと寝ていられない。

 いわゆる訳あり格安物件というやつだ。

 電車が通る度に地震が起こる八畳間で、希星は布団に入ったまま昨日のことを思い出していた。


「なんで小学生なんだよ……」


 もう少しで初めての彼女ができるところだったのに。

 希星はどんな不幸が起ころうとも、いつまでもぐだぐだ悩んでいるような性格ではなかったが、こればかりは納得がいかなかった。

 すずなが高校一年になるのですら後五年も掛かってしまう。そのときの希星は二十二歳だ。いつか恋人になれたらとは言ったものの、実際に想像してみると絶望的な気分になってしまう。

 

 すずなは人気沸騰中のモデルだ。

 周囲には一般人が想像もつかないようなかっこよくてお金持ちの男たちがひしめいているはずだ。

 五年も経てばすずなにも他に好きな人が・・・・・・。


 だめだ、だめだ。変なこと考えるな。

 

 希星はすずなを信じて待つつもりだった。そして待っているだけではすずなとは恋人にはなれない。この不幸の吹き溜まりから脱出しなければ、希星の願いは何も叶わないのだ。

 その脱出のための第一歩が今日から始まる。

 

 悩み続けてろくに寝ていなかったが、希星は布団から体を起こした。

 来客の時間が迫っていたので急いで身支度をととのえる。

 ほどなく玄関からノックする音が聞こえてきた。

 昨日の夜、スーパーで半額で買ったジャムパンを口の中に押し込みながら、希星はドアを開ける。


「せんせー、おはよー」


 すずなが挨拶した。

 初めて好きな男子の家を訪れたすずなは、少し緊張した面持ちだった。


「おはよー。その恰好、何?」

「天使の正装」


 夜の海のような色をした修道服を来たすずなは、もともと清楚な顔立ちをしていることもあって、本当に天使みたいだった。

 休日の今日、希星は幸運を取り戻すために神様のところに連れていってもらう予定だった。

 だからこそこの恰好なのだろう。


「初めまして、すずな姐さんの舎弟のメルクールでーす」

 

 すずなの隣に、女の子が一人立っていた。

 すずなと同じデザインの修道服を着ていたが、色が白とピンクで目がちかちかする。クレーンゲームの景品で取ったようなキーホルダーやバッジを体のあちこち付けていて、とにかく派手だった。


「どうも。初めまして……」


 すずなもかなり胸が大きな方だったが、メルクールはその二倍くらいはあった。


「外国の人かな?」


 メルクールの青い目を見て、希星は聞いた。


「メルは地球人ですらない」


 すずなが疑問に答える。


「宇宙人?」

「そうなると思う」

「そういう設定じゃなく?」


「私から見たら、あなたたちの方が宇宙人だわ」

 

 目を丸くする希星に、メルクールは親善大使のように笑顔で手を振る。


「メルも元、主人公だったんだ。私が捕まえる前は、とある星のお姫様だった」

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないって言ったら、すずな姐さんに逮捕されちゃって……てへへ」


 メルクールは体中のキーホルダーをじゃらじゃらさせながら、頭を掻いた。


「お姫様か……」


 希星は疑いの目をメルクールに向ける。

 地球で最も恵まれた小学生というのはすずなを見れば簡単に信じられたが、メルクールに関しては納得いかなかった。元お姫様で宇宙人なんて、痛い女の子がよく自称する設定としか思えない。キーホルダーやバッジを付けまくった服を見ると、余計にそう思えた。


「とりあえず、ここじゃ何なので中に入ります?」


 希星が部屋に上がるように促すと、すずなは部屋の中を少し覗いて回れ右し、頬を赤くしながら気をつけの姿勢になった。


「恥ずかしいから今日はやめとく」

「私も遠慮するわ。靴底が汚れるもの」


 すずなは可愛かったが、メルクールの言動にはイラっとする希星だった。

 築四十年の木造とはいえ、中は綺麗にしているつもりだったが、お姫様にとっては犬小屋以下なのだろうか。


「神様のところに行く前に、ちょっとお願いがあるのだけど」


 すずなが言った。


「いいよ」

「先生の漫画研究部をメルクールに見せてあげてほしいんだけど。地球の文化に興味があるらしい」

「えー、この人が」


 先輩達が卒業してしまったので、部室は貸し切り状態だったが、部室に辿り着くまでが大変そうだった。


「お願いっ! どうしても行かなきゃいけないの」


 メルクールは必死に頼んでくるし、すずなの頼みでもあるし、了承することにした。

 漫研部室なんかにお姫様がいったい何の用事なのだろう。



   ※



 休日の朝の高校は閑散としたものだった。賑やかなのは、朝練する陸上部がいる運動場くらいだった。

 希星は月園がいてくれるなと願いながら部室の扉を開けた。

 狭い部室に置かれた長テーブルに、居てほしくない人物がちゃっかり居座っていた。

 小型の液晶ペンタブレットで絵を描いていた月園が、顔を上げて眼鏡のフレームを指で持ち上げた。


「先輩ともあろうお方が美女を引き連れて登場!」


 褒めているのか貶しているのかよくわからない台詞を月園は吐いた。


「えっ、波遊すずなっ! 本物っすか?」


 希星は事の顛末を月園に話した。彼女達が天使であることや主人公であることは伏せて。


「なるほど、有名人がファンにつくなんて、さすが売れっ子漫画家っすね」


 そう言った月園に、すずなが反論した。


「売れっ子なわけない。先生はずっと売れずに苦しんできたのに」


 希星の運の悪さや苦労をすべて知っていたすずなは、月園が許せなかったらしい。


「いくら有名なモデルだからって、先輩を小物扱いするのはむかつくっす。先輩は売れっ子漫画家なんですよ」


 まずい。まずい。

 ダイナマイトを持っていたら、なりふり構わず爆発させたかった希星だった。


「売れっ子なわけがない!」

「売れっ子っすよ!」

「あなたは何も知らずによくそんなことが言える。業界を干されて、仕事を失った漫画家の苦しみがどれだけつらいか」

「えっ、ホサレタ?」

「はいっ、はいっ、もうこの話終わり! 喧嘩しないで」


 希星は変な汗をかきながらすずなと月園の間に入る。

 希星が月園に嘘をついていることをすずなは知らないし、月園は希星が漫画家をクビになったことを知らない。このままだと、すずなにも月園にも嫌われてしまう。


「先輩に謝ってくださいっす!」

「先生に謝れ!」


 磁石のようにくっつきそうになっていたすずなと月園の額を、希星は無理矢理引き離した。


「今日はそっちのメルクールっていう人のために来たんでしょ。喧嘩してる場合じゃないよ」


 さっさと用事を済ませて、すずなと月園を引き離さなければ。


「可愛いからって調子に乗りやがって……」

「後輩だからって調子に乗りやがって……」


 捨て台詞を吐きながら離れていく二人をよそに、メルクールは探し物をしていた。

 スカートの裾を持ち上げながら狭い部室をうろちょろして、窓を開けたり、ロッカーを開けたりしている。


「王子様どこ? 私の王子様!」

「庭球の王子様ならここに……」


 月園はテーブルに置いてあったお気に入りのBL同人誌を差し出した。


「違うわ。私が探しているのは本物の王子様よ」


 メルクールは同人誌を手で払ってから、急に月園の顔を睨み始めた。


「もしかしてあなたが姫の座にいるから、王子様が現れないんじゃない?」

「えっ、私っすか?」


 戸惑う月園。


「私は姫になりたくて漫画研究部に来たのよ。もう姫がいたなんて、聞いてないわ」


 長い髪をぶわっと舞わせて、メルクールが希星を振り向く。


「そんなに睨まれても僕には何のことかわからないよ。姫になりたいって言うけど、姫は辞めさせられたんじゃないの?」


 パンがなければお菓子を食べればいいじゃないと言った直後に。


「私は生まれたときからお姫様なのよ。返り咲くチャンスがあったら、飛びつくに決まっているじゃない。この人に譲るよう言ってくれるかしら」

「いや、譲るも何も意味がわからないよ。漫研に来たら姫になれるってどういうこと?」

「この惑星では、オタクが集まるサークルに入れば姫になれるって聞いたのよ。私はそれが楽しみでわざわざここに来たのに」

「それってオタサーの姫じゃ……」


 希星はしばらく絶句した。

 希星はメルクールの誤解を解こうと説明を始める。


「オタサーの姫はメルクールのなりたい姫じゃないと思うよ。オタクが集まるサークルに入れば、モテない女の子でもお姫様のように祭り上げられちゃうからオタサーの姫って言うんだ。だからここで待っていても、現れるのは王子様じゃなくて、オタサーのオタだからね」

「それでもいいわ。オリ姫よりはよさそうだし」

「オリ姫って、織姫と彦星の?」

「野球っていう変なスポーツを見る女の子ってことらしくて、ちょっと姫とは違う感じだったの。カープ女子や虎子とも言うわね」

「そのオリ姫って、オリックスファンの女の子のことでしょ! 何でそんなこと知ってるんだよ」

「それだわ。オリ姫は嫌だから、私、オタサーの姫になる。いいかしら?」


 メルクールは月園に言ったつもりだったが、月園は再びすずなと喧嘩を始めていた。


「いいのは顔だけで性格は最悪って波遊すずなスレに書き込んでやるっす」

「そんなこと書き込むほうが性格最悪だから!」


 希星は二人から目をそらしながらため息をつき、メルクールに言った。


「いいんじゃない? オタサーの姫になって」


 月園は腐女子だけど、別にオタサーの姫にはなりたそうではないし。


「本当? またここに来ていいのね」

「どうしてそんなに姫になりたいの?」

「姫だった私は王子様と運命的な出会いをして結婚する予定だったの。でも、主人公を辞めて、幸運を手放したせいで、運命の出会いができなくなってしまった。もう昔のような姫に戻るつもりはないけど、せめて素敵な王子様だけは見つけたい。だから、オタサーの姫になりたいの。で、オタサーにやってくるオタって素敵な人?」

「これから入部してくるかもしれないけど、あんまり期待しない方がいいと思うよ。てゆうか、オタサーの姫より、オリ姫の方が出会いは多いんじゃない? 男の人多いし、野球選手にはハンカチ王子もいるし」


「ハンカチ王子!」


 メルクールは両手を胸の前で組んで天井を見上げ、ハンカチ王子という言葉にときめいた。


 希星はメルクールの話しを聞きながらも、心はずっとすずなと月園の会話に向いていた。嘘がバレたらドミノ倒しのようにいろんな信頼が崩れ去ってしまう。


「でも、まずはオタサーの姫になるわ。私、結構アキバとか好きなの。最近ゲームも始めたのよ」

「へー、そうなんだー」

「アキバには可愛いものがたくさんあるけど、野球には可愛いものがないわ。やっぱりお姫様は可愛いものに囲まれてなくちゃ」

「そうだね……」


 すずなと月園の会話が、また嫌な方向に向かいはじめていた。


「先輩はいまとある月刊誌でちょっとえっちな漫画を描いてるんす。売れすぎてもうアニメ化待ったなしなんですから」

「え、ほんとに? 先生はネームすら見てくれる編集もいない状態のはずだけど」


 冷や汗をかきながら唇を青くした希星は、すずなの手を引くと、部室の出口に引っ張っていった。


「メルクールの用事は終わったみたいだよ。ほら、早く行こうよ」

「先生、この後輩は先生の苦労を何も知らないみたいだ。放ってはおけない」

「大丈夫、大丈夫、僕、何も気にしてないから。ほら、メルクールも早く行こうよ」

「先輩、美人が相手だからって、小物扱いされたままでいいんすか?」


 月園が怒りながら希星を呼び止める。


「僕なんて、まだまだ小物だし、売れてないよぉ。大御所の先生とかに比べたらさ」


 希星が取り繕うと、すずなが痛いところをついてきた。


「売れてるも何も、先生はコミックスを一冊も出したことな――」

「あぁぁぁぁぁ、あぁぁぁぁ、ほら、もう時間だー」


 月園とすずな、両方の顔色を伺いながら、きららは大声を出してすずなの声を掻き消した。


「先輩、どこ行くんすか。今日こそは、私に絵を教えてくださいよ」


 月園は腰に手を当てて、部活をサボろうとする先輩をたしなめた。


「また今度ね。今日は用事があるんだ」


 すずなとメルクールの背中を押して部室から追い出す希星。


「私も波遊すずなみたいに可愛かったら、ちょっとは悩んでくれますか?」

「何言ってるんだよ」

「いまの先輩、私よりもすずなを選んだってことっすよね?」

「違うよっ! 先にすずなと約束しただけだよ」

「よ、呼び捨て? 一晩でいろいろあったみたいっすね」

「これにはわけが……」


 小学五年生相手に敬称を付けるわけにもいかないだけで、月園はとんだ勘違いをしていた。


「あはは……ちょっと意地悪言ってみただけっす」


 月園は笑っているように見せていたが、分厚い眼鏡のせいで本当に笑っているのかわからない。


「次、部活来たときは、絶対絵を教えてくださいね」


 月園は諦めたように椅子に座り、ペンを握って液晶タブレットと向かい合った。


「ごめん、次は必ず」


 何とか難を逃れた希星は、部室の扉を閉めると、深くため息をついて額の汗を拭った。

 運の悪い希星がここまで嘘を突き通せたのは奇跡と言ってよかった。

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