第4話 告白は犯罪
都心まで電車で四十分の閑静な住宅街だから、芸能人が住んでいるのは珍しくもないのだろうけれど、運命的なものを感じずにはいられなかった。
汗だくで会いたくないなと思いながら、希星は長い坂道を走っていた。待ち合わせ場所は坂の上にある桜の木で円形に仕切られた小さな休憩所だった。東西南北から延びる坂道が一つに交わる場所で、道路が円形になっていることから地元の人からはロータリーと呼ばれている。
坂の上に辿り着き、ロータリーの外周にある公民館の壁の時計を見て間に合ったと希星は安心する。待ち合わせの午後七時だった。
外灯に照らされ、桜の花びらが輝きながら舞い落ちるその休憩所を見て、希星は息を呑んだ。
いままでついていなかった分、ここで一気に幸運がやってきたのかもしれない。
金色の髪と真っ白な肌が眩しくて、一瞬で彼女が本物の波遊すずなだとわかった。
純白のブラウスにミニスカートとロングブーツというまるでデートみたいな恰好だった。
貧しいあまりろくな私服を持っていなかった希星は制服でやってきたのだが、それでも彼女に対しては失礼な気がした。
希星が現れたのに気付いて、すずなは顔を赤くしながら一瞬だけ目をそらした。 希星も恥ずかしくなって目をそらしてしまう。
すずなが照れている理由はわからなかったが、希星が照れた理由は明白だった。 すずなの画像を集めまくってやましい妄想に耽っていたら、実際にその人物が現れたので、恥ずかしくなったのだ。
「希星先生、来てくれてありがとう。私が波遊すずなです」
「こ、こちらこそ、ありがとう、ございます……」
「ごめん……嬉しくて、何から話したらいいかわからない……ずっと前からファンだったから」
両手の指先で口元を押さえて目を伏せるすずなに、希星はすっかり惚れてしまう。
「僕の方こそすずなさんのファンですよ」
「えっ?」
「コマーシャルとかモデル活動の写真とか拝見しました。とてもお綺麗ですね」
「ああ、あれ……ありがとう。私のこと知ってくれてたとは思わなかった。嬉しい……」
「僕も、すずなさんにファンになってもらえて光栄です。どうお礼を申していいのやら」
「希星先生、私は年上でもないし、偉い人でもないんだから、敬語はやめてほしい」
「あっ、そうですよね」
すずなは大人っぽかったし、ヒールの高いブーツを履いているとはいえ身長も高く見えたので、つい年上のお姉さんと接している気分になっていた。同じ高校生とは思えないような色気だった。
スタイルも一般人離れしているうえに金髪も目立つので、周囲に波遊すずながいるとバレてしまうのではと思いきや、その心配はなさそうだった。
長い坂の上にあるロータリーは、わざわざ歩いてくるような場所でもないし、車もただ通りすぎるだけなので、どんな有名人がいても見つかることはないだろう。
標高が高いせいか風が吹き抜け、二人を包み込むように桜の花びらが舞っている。坂の下を見下ろせば、夜空の星を反射したように街の光が広がっている。
「綺麗だね」
希星は隣で同じように夜景を見下ろしていたすすずなに言った。
長い沈黙も気にならないくらい、景色は最高だった。
すずなが何も言わないので顔を横に向けてみると、すずなは夜景など見ていなかった。
熱があるみたいにとろんとした目をして、頬を赤くしながら、ブーツのつま先を見ていた。
すずなは胸に両手を当てて、深呼吸をしてから言った。
「希星先生、私、あなたのことが好き」
これ以上ないシチュエーションでの告白に、希星は不安になってしまった。
最高の景色の中で、最高の美少女からの告白。不幸が当たり前の自分が、こんな幸運に巡り会えることがあるのだろうか。それとも、不幸が続いたからこそ、ようやく幸運が巡ってきたとでもいうのだろうか。
「人を好きになったのは初めてで、毎日苦しくて、どうすればいいかわからなくて、告白することしか思いつかなかった。迷惑だったらごめんなさい」
モデルとかアイドルみたいな人たちに真面目な人なんていないと希星は思っていた。
でも、すずなは間違いなく真面目だった。
女の子の真剣な告白に、こっちも真剣に答えなければ失礼だ。
付き合おうか、断ろうか、希星は悩んだ。
ルックスも性格も、どストライクだった。断る理由はない。でも、月園がさっき言った言葉が頭の中で再生される。
『ファンの子食っちゃったら炎上どころじゃ済まないっすよ』
希星すでに漫画家ではないので月園の想像した炎上は起こらないが、ファンの子を食ったことになるのは事実だ。
ファンと付き合うって、倫理的にどうなんだろう。
しかも、相手は大人気モデルの波遊すずなだ。すずなに彼氏ができたとなれば世間が黙っているはずがない。だけど。
「迷惑なんて思わないよ。告白してくれて、嬉しかった」
世間を敵に回しても、ここは告白を受け入れるべきだ。
「僕も、君のことが……」
希星が告白しようとしたとき、強い風が吹いた。
金色の髪が舞い、桜の花びらが舞い、スカートが舞った。
「えっ?」
「えっ?」
パンツを見てしまった希星は青ざめ、パンツを見られてしまったすずなも青ざめた。
すずなは咄嗟に舞い上がったスカートを押さえたが、ブチ壊れた雰囲気はどうにもならなかった。
「最悪だ……先生が……運が悪いせいだ……」
すずなは涙目でそう言った。
「僕のせい?」
環状道路に停まっていた黒い高級車のドアが開いた。
窓も黒かったので、中に人がいたとは希星も気付いていなかった。
車から出てきたのは、スーツを着てサングラスを掛けた、怖そうな大男だった。 男はスーツの内ポケットから拳銃を取り出しながら走ってくると、希星に照準を合わせた。
「この変態野郎! ぶっ殺してやる!」
不幸に慣れていた希星は、突然の出来事にもそこまで驚かなかった。
幸運な展開がいつまでも続くとは信じていなかった。
すずなは釣り餌で、この怖そうな男は高価な絵でも売りつけにきたのだろう。
やっぱりこうなったか。
運の悪い僕に、彼女なんてできるわけないよな。
「おら、クソガギ、ついてこい!」
強面の男がいかつい怒鳴り声をあげた。
りんごも潰せそうな握力で腕を握られながら、希星は車の方に引き摺られていく。
このままボコボコにされるのかと思ったそのとき、希星は信じられない光景を目にした。
すずなが拳銃を構えて鋭い目つきで睨んでいた。
告白をしてきたすずなとは、人格がまるで違って見えた。
「パパ、私に付きまとわないでと言ったはずだ」
すずなの構えている銃は、立方体を繋ぎ合わせたような奇妙なデザインだった。 希星にはSF映画の小道具にしか見えなかった。
「しかし、こいつはお前の下着を見たんだぞ。けじめを取らせてやる」
「その人は、私の大切な人だから。これ以上失礼なことをしたら、私はパパを許さない」
「そんなおもちゃの銃じゃ俺には勝てないぞ」
「パパと絶交する。親子の縁を切る」
すずなの父親は希星を突き飛ばすと、その場に跪いて、頭を垂れた。
「縁を切るなんて嘘だろ!」
「ほんとだよ、パパ」
「それだけはやめてくれ。父さん、お前がそんなに真剣だとは知らなかった。変な男に騙されていたんだろうと思ってたんだ」
「じゃあ、謝って。希星先生に失礼なことをしたことを」
すずなの父親はサングラスを取って、引きつった笑いを浮かべ、希星の制服の汚れを払った。
「とんだ早とちりをした。この通りだ。申し訳ない」
すずなの父親は眉間に皺を寄せて、凄い迫力で謝る。
「いいですって、こういう勘違いとか慣れっこなので」
「懐の深い兄ちゃんだ。あんたならうちの娘を預けても安心だ」
すずなの父親は、名刺を取り出して、希星に渡した。
「チンピラにでもからまれたらここに連絡ください。きっと力になりますよ」
すずなの父親は不気味な笑みを浮かべて、車へと歩きはじめた。
「すずな、たまには家に帰ってきてくれないか」
すずなの父親は振り返ってそう言った。
「パパがヤクザをやめたら考える」
すずなの父親は少し立ち止まってから車に乗り込んだ。
重いエンジン音を響かせながら高級車が走り去っていく。
希星は渡された名刺を読み上げる。
「東亜会、若頭、波遊竜司……若頭?」
「次期会長候補、パパはとあるヤクザ組織の幹部なの」
すずなは希星から名刺を取り上げると、細かく破いて側のゴミ箱に捨ててしまった。
「怖い思いをさせてしまってごめんなさい」
すずな深くため息をついた。
「気にしてないから」
「よかった。でも、私はもうだめだ。好きな人の前で、自分の一番見られなくないものを見られてしまった」
「お父さんのこと、嫌いなの?」
「パパとは一緒に暮らしてないし、自分の生活費は全部自分で稼いでる。ヤクザのシノギで暮らすなんて嫌だから、年齢を偽ってモデルの仕事をしていたの」
最初は大学生だと偽ってモデル活動をしていたと、月園から聞いた話を希星は思い出した。
「私とパパはもう他人だから。さっきのことは見なかったことにしてほしい」
父親がヤクザであることは絶対に見られたくなかったらしく、すずなの大きな瞳には涙がうっすら浮かんでいる。
「でも、心配してくれていたみたいだし、いいお父さんだね」
「全然。暴力とか脅しとか、そういうのはダメだと思う」
「すずなさんは優しいんだね」
「先生も優しい……」
すずなは希星の顔をチラリと見ては、赤くなった顔を両手で覆っている。
「わかった。さっきのは見なかったことにするよ」
とは言ったものの、すずなの父親がヤクザだと知って、希星はおいそれと告白できなくなってしまった。やっぱり怖いものは怖い。
「ありがとう。先生……たぶんあなたの運が悪くなければ、あそこでパパが現れることはなかったはず。私もパパと会うのは半年ぶりくらいだったのに」
「さっきから、僕の運が悪いことを知ってるみたいだけど、どうやって知ったの?」
「あんなに面白い先生の漫画が打ち切りになったのはおかしいと思ったから、調べられることは全部調べた。先生がパトカーに轢かれて怪我したこと、救急車に轢かれて怪我したこと、同期の漫画家が全員アニメ化したのに、先生だけまったく人気がでなかったこと。家庭環境は最悪だし、貧乏だし、身長が百六十一センチで完全に伸びなくなったのも知ってる」
「ちょ、なんでそんなことまで」
「私は解決策を求めて、いろんな人に相談した。教師、学者、占い師、除霊師、宗教の教祖、誰も先生を救ってくれなかった。ただ一人、神様を除いては」
「段々危ない話になってきてない?」
「神様は宇宙のすべてを教えてくれた。考えてもみてほしい。生まれたときから超がつく大金持ちもいれば、先生みたいに生まれつき貧乏でやることすべて失敗してしまう人もいる。人間が持っている幸運にはとてつもない格差がある。格差は何もしなければ広がるばかり。だから、先生を救うためには、幸運を独占している主人公達を倒すしかないの」
「主人公って?」
「この宇宙には何の努力もなしに世界の頂点まで上り詰める主人公としか思えない人間がいる。お金持ちほど税金を払いたがらないのと同じように、彼ら主人公も幸運を手放そうとはしない。だから倒す」
「倒したら、どうなるの?」
「たくさんの不幸な人が救われる。でも先生の不幸は酷いから、たくさん倒さないとダメだった。幸運の吹き溜まりの中で生まれたのが主人公だとすれば、不幸の吹き溜まりで生まれた先生は逆主人公といったところかな」
「なるほど……」
希星の周りには美少女はいないし、希星の人生にはぱっとしたカタルシスも起こらない。どうしてこうもうまくいかないんだろうと疑問に思っていた希星は、逆主人公という言葉を聞いて、謎が解けたように思えた。
「本当に、なるほどだよ」
希星はベンチに腰掛けて、ほっとため息をついた。
「先生はもっと拒絶反応を示すかと思ってた……信じられない、とか、そんなわけないだろ、とか、頭おかしいんじゃないの、とか」
落ち着いてベンチに座る希星を、すずなは驚きの表情で見つめる。
「救急車に轢かれたり、強盗に何度も出会ったり、そういうのばっかりだと何でも受け入れちゃうんだ。びっくりはするけどね。それに、すずなさんは真面目だから、嘘をついてるとも思えないし」
すずなは希星の隣に座って、熱があるみたいにとろんとした目をして言った。
「やっぱり、私は先生が好きだ」
「僕も、好きだよ」
ベンチに隣り合って座る二人は、舞い散る桜と同じ色に頬を染めて照れた。
人気モデルであるとか、漫画家であることなどとは関係なく、二人は純粋に両思いだった。
「普通なら、付き合ってって言えば恋人になれるんだろうけど、僕の場合そうもいかないんだろうね」
幸福を信じない希星は常に最悪の状況を覚悟していた。
「私も思いを伝えられれば十分で、恋人になることは諦めていた。だからその先は言わないでほしい」
地震や雷が起こったら付き合うどころじゃ済まなくなりそうだ。
「僕のためにいろいろしてくれてありがとう。でも、これからは僕も何かするよ。僕にできることはない?」
「じゃあ、主人公を倒すのを手伝ってほしい」
「よくわかんないけど、僕にできることなの?」
「先生にしかできないと言ってもいい。神様も喜ぶと思う」
「神様ね……」
もしも神様がいるなら、すずなと出会わせてくれたことを感謝したいと希星は思った。
すずなと出会えただけで、いままでの不幸なんて帳消しだ。
「ねえ、すずなさん、やっぱり告白してもいいかな」
失敗することがわかっていても、希星は自分の気持ちを伝えたかった。
こんなに人を好きになることは二度とないような気がした。
いま、この瞬間に告白しておかなければ、絶対に後悔する。
「先生が、そう言ってくれるなら……」
すずなもそれを望んでいたような口ぶりだった。
希星がベンチに座ったまま横を向くと、すずなも受け入れるように向き合った。
希星は人生初の告白を行った。
「すずなさん、僕と付き合ってください」
すずはな大きな瞳を瞬かせると、涙をこぼした。細い指先でそれを拭うと、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。でも、付き合えません」
「うん、わかってたから気にしないで」
フられてしまったけれど、希星は清々しい気持ちだった。
ヤクザも来なかった。地震も雷も来なかった。すずなが無事であったら、それだけで十分だ。
「ちなみに、理由を聞いてもいいのかな」
両思いなのに、付き合えない理由。
「いいけど、理由を言ったら先生は私のことを嫌いになるかもしれない」
すずなは不安そうだった。
「僕はすずなさんのすべてが好きだよ。何があっても嫌いになんてならない」
希星は安心させるように強く言った。どんな障害だろうと、乗り越えていってみせる気概だった。
「ありがとう。じゃあ、言う。私は……実は高校二年生ではないの……さっきも言ったけど、私は生活費を稼ぐために年齢を偽ってモデルの仕事をしている」
「やっぱりね。高校生にしては大人っぽすぎるよね。でも、僕、すずなさんが年上でも全然気にしないよ」
「いや、先生は勘違いをしている。私は年上じゃない」
「年上じゃない?」
「年上だったら、私も先生の告白を断る理由はないから……」
「確かに……」
希星は背筋がぞくっとした。
年上でないのなら、その逆ということだろう。
そっちの方向はさすがにヤバい。
法律的にヤバい。
「私は、小学五年生なの。付き合ってしまったら、先生が逮捕されてしまう」
希星は腐った野菜を口に入れてしまったような顔でしばらく固まってしまった。
「ほ、ほんとう?」
「嘘だったら先生と付き合えるのに」
小学生に告白されて有頂天になり、小学生と両思いになって一人前の恋をした気分になり、小学生にマジな交際を申し込んでいた自分は、ただの犯罪者じゃないか。
「嘘だ、どうみても小五の体と顔じゃないし、金髪で小学校に通えるわけないし、波遊すずなが小学校に通っていたら、大騒ぎになるに決まってる」
「芸能人がよく通う学校なので秘密は守ってくれる。髪型も自由だから」
「いくら最近の子供は発育が早いからって、これはないよ……」
「先生、何が起きても受け入れるって言った……」
「いや、これはありえない。ありえないよ」
希星は頭を抱えてうずくまる。運が悪いからいけないんだろうか。運が良ければ、すずなは高校二年生だったのだろうか。
「私のこと、嫌いになった?」
「好きだよ! でも、好きって言ったら僕、ロリコンになっちゃうんだよ。いま、世間はロリコンに厳しいんだよ」
「知ってる。だから、付き合うことは初めから諦めていた。先生の不幸が終わって、私が大きくなったら、今度は恋人になれたらいいなと思う」
すずなは未来に期待するように遠くの景色を見つめていた。
「僕もそう思うけど、僕の不幸、終わるのかな?」
「大丈夫。主人公をたくさん倒せば終わる」
「主人公ってどこにいるの?」
「宇宙のあちこちに。たとえばこの星でいうなら、私も主人公だった」
「言われてみれば、その歳でそれだけ美人だなんて、すごく運がよくないと無理だよね」
「宇宙で一番恵まれた小学生だった。容姿も運動も勉強も何でもできた。パパはあんなだけど、お金持ちには違いないし。モデルの仕事も成功の連続だった」
「チート小学生ってわけか」
「本当はこの幸運は手放さなければならないのだけれど、主人公を倒す主人公になることで見逃してもらっている。犯罪者が政府に協力する代わりに無罪にしてもらう、恩赦みたいなものかな」
「主人公って言うくらいだから、敵も強いんでしょ? 僕、背も小さいし運動もできないし、何もできないかもだよ?」
「さっき私のパパがなぜか現れてしまったみたいに、先生の不幸は他人にまで影響を及ぼす。主人公と逆主人公がぶつかれば、プラスマイナスゼロになるの」
「嫌な才能だなあ……」
「私の部下が言ってたのだけど、そういう能力のことをこう言うらしい」
まだ汚れを知らない無垢な口で、すずなはとんでもないことを言った。
「さげちん」
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