第3話 主人公じゃないけど主人公

 漫画業界を干されて一年以上経つのに、自分は売れっ子漫画家だと嘘をついてしまった。

 山田希星きららは中学三年のときに、最大手の週刊少年漫画誌でデビューした。

 当時、希星は美術部に所属していて、デビューが決まったときは部員全員が盛大に祝福してくれた。もちろんサインを望んでくれた部員には、イラストまで添えてプレゼントしてあげた。その中に、月園月見つきぞの つきみという一つ年下の後輩がいて、彼女は希星きららのデビュー作が載った雑誌を十冊も買って、そのすべてにサインをせがんだ。月園は希星の熱烈なファンだった。その後、希星は中学を卒業して月園とは疎遠になっていたのだが、希星が高校二年になった現在、月園は希星の後を追いかけるようにして、同じ高校、同じ漫画研究部に入ってきた。


「先輩、お久しぶりです。最近連載見かけないんですけど、別の雑誌に移動でもしたんすか? 先輩の漫画読みたくてしょうがなかったんすよー」


 自分を追いかけて入学してきた後輩を落胆させたくなかった希星はつい嘘をついてしまった。


「高校行きながらだと週刊連載はきついから辞めたんだ。いまは別の出版社の月刊誌で連載してるんだよ。そのついでに本名からペンネームに変えてさ……」


 本当は漫画の仕事なんて一つもないし、ペンネームなんてなかった。

 嘘をついた瞬間、しまったと後悔したが、もう後には引けなかった。


「その漫画、部室にないんですか? いますぐ読みたいっす」

 

 月園は首を一周させて漫研部室を見渡す。

 狭い部室の壁に沿って置かれたスチールの本棚には、コミックスや漫画雑誌が隙間なく並べられていた。


「ここにはないかな」

「じゃあ、ペンネーム教えてください。いますぐ買ってくるっす」

 

 月園は勢いよく立ち上がって、全力疾走の構えをする。


「教えられない……」

 

 希星は気まずくて月園の目を見られない。月園は戦前の学生が掛けているような時代錯誤の分厚い眼鏡をかけていたので視線が合うことなんてないのだが、それでも見られない。


「あっ、すいません、久しぶりに会ったばかりなのに、いろんなことづけづけ聞いて。うざかったっすよね……」

 

 月園はしょんぼりしながらパイプ椅子に座った。


「違う違う、うざくない……ちょっと事情があって……」

「言えない事情なんすか?」

 

 本当は漫画家クビになったんだけど後輩の前でかっこつけたかったから嘘をついた、と言ってしまえばよかったのだが、希星にそんな勇気はなかった。


「その……エロい絵が結構あって、月園に見られるのが恥ずかしいんだよ」

「せ、先輩のエロい絵? 絶対見たいっす!」

 

 月園は舌なめずりをして身を乗り出す。

 中学時代、BL同人誌だけでなく男性向けの薄い本も買い漁っていた月園にとってはこの嘘は逆効果だったようだ。


「恥ずかしいからダメって言ったでしょ?」

「先輩の漫画、人気あるんですよね?」

「うん、まあ、結構……」

「月刊誌っすよね? 私、大体の雑誌に目を通してるんすけど、先輩の絵を私が見逃すはずないんだよなぁ。月刊エリートかな……先輩の絵柄、あの雑誌に合いそうだし……」

「こらこら、探ろうとするなー」

「人気があるってことは巻頭カラーにもなってるはずっすよねえ。先輩の絵あったかなあ」

「この話はもうやめよう。やめやめ」

 

 もうすべてが嘘だとばれているような気もしたが、後には引き返せない。


「そういえば、相変わらず変な眼鏡掛けてるんだね。コンタクトに変えて高校デビューでもすればよかったのに」

「高校デビューどころかリアルの人生はすでに引退してるっす」

「諦めはやっ」

「私はBL漫画さえあれば幸せっすよ」


 月園は両手を頬の横で組んでときめいているが、乙女という感じではなくただ不気味だった。

 美容院とは無縁のぼさぼさの長い髪と変な眼鏡のせいで、中学のときについたあだ名はジョンレノンだった。周囲は軽く冷やかしているつもりでも、月園にとってはやはり苛めだったのだろう。苛められているとたまに相談に来る月園に、髪型や眼鏡を変えろとアドバイスしたことを希星はいまでも覚えている。

 希星は久しぶりにアドバイスする。


「イメチェンしたら?」

「面倒くさいっす。別にリアルの生活をよくしたいなんて思わないっすからね。先輩こそどうなんですか? 漫画以外は? 運が悪いの直りました?」


 希星は生まれたときから運が悪い。男なのに女みたいなキラキラネームをつけられるし、両親は仲が悪くて離婚するし、両親の再婚相手は最悪な人だし、漫画家デビューを機に一人暮らしを始めれば漫画家をクビになるし、バイト先はことごとく潰れた。

 来月の家賃も払えるかどうかわからないほど、ついてなかった。


「あんまり変わってない……」

 

 運の悪いやつが人気商売である漫画で成功しているわけがない。

 いままでの話は全部嘘でしたと告白しているも同然だったが、こればかりは嘘をつけなかった。


「人生なんてそうそう変わらないっすよ。先輩が漫画にすべてをかけたように、私も漫画以外は捨てる覚悟っす」


 見た目は暗いが、月園は昔から明るい女の子だった。

 実は漫画もだめだったんだけど、と打ち明けるチャンスだと思ったが、月園の方から話題を変えてきた。


「久しぶりに先輩に絵を教えてもらいたかったっすけど、バイトがあるんで帰りますね」


 嘘がバレなくてほっとした希星だった。


「そっか。頑張ってね。というか、僕もこの後予定があるんだけどね」

「放課後デートとかですか?」

「まあ、そんな感じ」

「えっ? 先輩ともあろうお方が、まさか彼女を?」


 尊敬する先輩に対してその言い方は失礼だろと思いながら希星は否定する。


「今日初めて会うんだよ。ずっと前からファンレターくれていた人で、何度か断ったんだけど、どうしても会いたいって言うから」

「ひゃー、売れっ子漫画家自慢キター」

「そんなんじゃないよ……」


 三週打ち切りの漫画家についた、唯一のファンといってもよかった。

 打ち切られてもさすがは最大手少年誌といったところだろうか。

 希星自身はデビュー作は失敗だったと思っていたが、それでも自分の漫画を好きになってくれるファンがいたことは嬉しかった。


「気をつけてくださいよ。ファンの子食っちゃったら炎上どころじゃ済まないっすよ」

「女の子と決まったわけじゃないから。ペンネームは女の子っぽいけど」

「なんて名前っすか?」

「波遊すずなさん」

「…………」


 月園は眉間にしわを寄せて、押し黙った。


「どうしたの? 有名な人?」

「先輩、マジっすか」

「何が?」

「いまめちゃくちゃ売れてるモデルの名前っすよ」

「ファッション誌とか見ないから知るわけないでしょ」

「いま話題になってるCMの人っすよ」


 月園はスマホを取り出して、動画サイトで波遊すずなを検索した。

 動画が流れ始める。

 スタイル抜群の水着姿の女の人が、沖縄かどこかの綺麗な砂浜を走っている。ビーチバレーをしたり、スイカ割りをしたり、爽やかな曲をバックに次々とカットが切り替わっていく。最後に汗を拭いながら商品のスポーツドリンクを飲み干して、微笑む。


「何このお姉さん、すごい美人」


 希星は月園のスマホに食らいついた。

 色白で清純そうな顔をしているのに、髪型はど派手な金色のショートカットだった。見た目だけでは大人しいのかギャルなのかわからず、何だか好奇心をくすぐられる。


「何歳くらいなのかな。大学生?」

「最初は大学生って設定だったけど、後で高校二年だってことがバレて大騒ぎになったんすよ。おっぱい大きいし、未成年にしてはおとなっぽすぎますよねえ」

「僕と同い年かー。すごいなー」

「先輩、よだれよだれ」

「よだれなんて出てないよっ! でも、こんな綺麗なモデルさんが僕のファンなわけないよね。ファンレターに書いたのは偽名かな」

「だとしたら先輩を惑わそうとした酷い人かもしれませんね」

「文面では真面目な人っぽかったよ?」

「そんな名前使ってブスだったら先輩が落胆するのはわかりきってるじゃないですか。わざわざハードル上げて会いに来るってことは、波遊すずなくらい美人だから会ってくださいって言ってるようなもんです。むかつく女っす」


 月園が怒っている理由が希星にはよくわからなかった。


「適当に有名な人の名前をつけただけかもしれないでしょ。もしかしたら、すずなファンの男の人かもしれないし」

「私もついていって確かめたかったですが、残念です。バイトの時間なので今日の部活はここまでということで」


 気をつけてくださいっす、と何度も言い残して、ようやく月園は部室を出て行った。

 まだ待ち合わせまでには少し時間があったので、希星はデジタル作画に使うために置いてある部室のデスクトップパソコンで、波遊すずなのことを調べてみた。

 ブログもツイッターもやっていないし、ウィキペディアにも仕事履歴しか掲載されておらず、ざっと検索しただけでは何もわからなかった。ただ、画像だけはやたらと多かった。

 手足が長く、痩せていて、しかも胸が大きい。絵で描こうとしても、ここまで完璧な体のラインは作れないんじゃないかと思いながら、希星は右クリックして保存を繰り返していた。


 日が暮れたのに照明をつけるのも忘れてひたすら画面に向かい続けた希星。

 一人しかいない暗い部室に響くカチカチと鳴るマウスのクリック音、そして希星の激しい鼻息。


「やばっ」


 気づけば約束の時間が迫っていた。

 素早くスクロールしたら表示が間に合わないくらい、フォルダは波遊すずなの画像で溢れていた。


「何やってるんだろ、僕……」


 本物が待っているわけないよな。運が悪い僕に限って。

 

 すずなフォルダをごみ箱に移動させたが、迷ったあげく結局“ゴミ箱を空にする”をクリックすることはできなかった。

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