第2話 勇者、主人公を辞める
気付いたときには、勇者はどこか遠い場所まで連行されていた。
先端が雲を突き抜けるほど高い建物はまたしても立方体を重ね合わせた奇妙なデザインだった。魔法か何かで作ったとしか思えない、巨大な建築物を見上げて、勇者は口をずっと開けていた。
生ぬるい雨が降り続いていたのに、建物の中に入るとからっとしていてしかも涼しい。これも魔法としか思えない。
彼らは勇者の脚の痛みをほんの数秒で取り除いてくれたし、よく冷えたフルーツジュースと見た目も味も上品な砂糖菓子まで振る舞ってくれた。こうなってくると彼らは敵なのか味方なのかよくわからなかった。ここはどこなんだと勇者が聞くと、謎の襲撃者は神の住まう星だと答えた。
広い部屋では勇者以外にもたくさんの人間が取り調べを受けていた。全員、どこかしこから捕まえられてきたのだろう。
テーブルを挟んで謎の襲撃者と対面していた勇者はふと左の仕切りの向こうを覗いてみた。
鎧を纏った精悍な顔つきをした男が、勇者と同じように取り調べを受けている。
「こちらのお方は……」
ただならぬ雰囲気に気圧され、勇者は思わず畏まりながら聞いた。
「ダーサー王だ」
「王? そんなやつがなぜここに」
「貴様の右にいるのは新大陸を発見した冒険者ドロンブス、貴様の後ろにいるのは月の姫、かくや姫、その隣が天才作曲家のヘートーヘン。ここにいるのは全員
酷く落ち込んでいた勇者はそれを聞いてほくそ笑んだ。負けたからここに連れて来られたわけではなく、英雄だからここに呼ばれたのだ。謎の襲撃者はここが神の星だと言っていたが、もしかすると英雄たちを集めて表彰でもしてくれるのかもしれない。
「申し遅れた。私は
勇者はそこで初めて謎の襲撃者が女性だと気付いた。息をつく暇もなくここへと連れて来られたので、相手の顔を確認する余裕がなかった。
遠く離れた故郷で待つ幼馴染みのエアリスのことを一瞬忘れるほどすずなは美しかった。薄暗い取り調べ室でも輝いて見える金色の髪、純粋そうな透き通った瞳、傷一つないなめらかな肌、銃を持つよりかは花を愛でているほうがが似合いそうな可憐な容姿だった。
この女もまたこの俺に惚れてしまうのだろうか。
どうしよう。
エアリスを救うために戦いに身を投じてきた勇者はいかんいかんと首を振る。
夜の海のような色をした修道服を着ているすずなは、言われてみれば確かに天使のようにも見えてくる。
俺ほどの英雄となれば絶世の美女が応対するのは当然だなと思いながら、勇者は鼻の下を伸ばして訊ねる。
「それで俺はなぜここへ連れて来られた。世界を救ってくれと言うのなら、聞いてやらないでもないぜ」
「そうか、ならば話しは早い。難しいことじゃない、私たちがお願いしたいのはただ一つだけ――」
すずなはさらりと言った。
「勇者よ。主人公を辞めてほしい」
勇者がぽかんとしているのを見て、すずなは続けざまに説明した。
「この宇宙に存在する幸運の九十九パーセントを独占している一パーセントの人間を主人公と我々は呼んでいる。もう気付いているとは思うが、貴様は幸運のおかげでいままで成功してこられた。なぜか敵に負けたことがないし、なぜか女にモテる。村人のタンスの中身や宝箱を盗んでもお咎めなしだし、魔王の国に住む民間人を一万人殺しても誰も虐殺だとは思わない。むしろ世界中の人から感謝される。それらは貴様が独占していた幸運のおかげだ。その幸運を手放してもらう」
「ちょっと待て、待て。俺は結構努力してるし、運だけでここまで来たわけじゃねえ」
「じゃあ、話は決まり。これからは幸運なしで頑張ってほしい」
「ちょっ、ちょっと待て。主人公を辞めたら、俺は負けたり、女にモテなくなったりするのか?」
「心配しないで。一般人程度の幸運は残す。ただ、いままでのように誰にでもちやほやされたり、誰にでも好意を抱かれたりすることはなくなるだろう」
「えーっと、それは困るというか……勇者じゃないというか……」
「貴様の思い人であるエアリスと結ばれればそれで十分だろう。気のない女にまで好かれてどうする」
「いやぁ……たまには別の美女に感謝されたいというか、いい気分になりたいというか、というか、お前にも好きな男くらいいるんだろう?」
いままでの経験上美女には漏れなくモテてきた勇者は、本音を探りだそうとする。
こいつも俺のことが好きに違いない。
すると、それまで感情を見せなかったすずなの頬が赤く染まりだした。恥ずかしそうに両手で顔を覆って俯いている。勇者や勇者の仲間を数秒の間に銃で撃ち抜いたすずなが嘘のようだった。
「どうしてわかったの? 私には、好きな人がいる……」
「やっぱりな。恥ずかしがらずに言ってみな」
「むりー」
すずなは顔を隠したまま首を振る。
勇者も照れてしまいそうなくらい、すずなは恋する乙女っぷりを見せていた。
幼馴染みのエアリスには悪いけど、こっちのほうがいいなと勇者は思ってしまう。
ドロンブスの取り調べをしていた隣の天使が、仕切りの向こうからひょこっと顔を出してすずなにちょっかいを出してきた。
「すずな
「こらー、メル。仕事さぼるなー」
「ごまかしたー」
色めき立って騒いでいる女子二人を邪魔するように、勇者はわざとらしく咳をした。
「それで、お前の好きな人っていったい誰なんだろうなー」
答えをわかりきっていた勇者はいつものように意地悪く聞いた。あえて気付かないふりをする。恋愛はこの瞬間が堪らないのだ。
「言ったら主人公辞めてくれる?」
少し潤んだ大きな瞳で上目遣いされ、勇者はエアリスの面影など頭から吹き飛んでしまった。
「しかたねえな。辞めてやるよ」
こんなにいい女は逃したら二度と会えないかもしれない。いままで言い寄ってきた女たちとはちょっとレベルが違う。
「じゃあ、言う……私の好きな人は、山田
「マンガって何? えっ、てゆうか、俺じゃないの?」
フられたことのなかった勇者は初めての失恋の衝撃に耐えられそうになかった。自分が好きになった女の子が、別の男を好きになることなんてありえるのだろうか。こっちがこんなに好きなんだから、あっちも好きに決まっている。叶わない恋愛なんて存在する意味はない。
「やっぱり、主人公辞めるの辞める!」
「せっかく好きな人言ったのに。約束が違う……」
「俺はお前と……」
「私と何なのだ。約束を守らない男の人は大嫌いだ」
顔の火照りはすっかり失せて、きりっとしたさっきまでの顔に戻るすずなだった。
「辞めてたまるか。俺一人、主人公を続けたって誰も困らないだろう」
「一人が主人公を辞めると、十億人の不幸を救える。例外は許されない」
「幸運は俺の物だ。他人になんて絶対渡さねえ」
すずなにフられたショックで不幸を思い知った勇者は、何がなんでも主人公を辞めたくなかった。
これが一般人の苦しみってやつなのか・・・・・・。
耐えられる気がしねえ。
一般人ってつれええぇぇ・・・・・・。
「まずは話し合いを、というのは慈悲深い神、サラ様の意向だ。これからは私のやり方でやらせてもらう」
横からやってきた修道服を着た女が、勇者の前に置かれていたフルーツジュースと砂糖菓子を乱暴に取り下げた。すずなは冷たい目をして、奇抜な形の銃を勇者に向ける。
「十億人を救うためだからって、一人を殺せるのかよ。お前は」
勇者は両手を挙げる。
「ちょっと違う。私は好きな人のためにこの仕事をしている。好きな人のためだったら、私は主人公を殺せる」
すずなは勇者の額に狙いをつける。
マジで殺るつもりの目だった。
すずなをこんなにまでさせる山田希星という男はいったいどんな奴なのだろう。ここにいる英雄たちよりも凄い男なのだろうか。勇者は好奇心と嫉妬心でいっぱいになった。
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