第22話 せめて、ラブコメらしく

 希星とメルクールは西館に辿り着いた。

 東館から西館へと通路ですずなに追いついて引き留めたかったところだが、結局追いつけなかった。

 着飾った大人たちが激しく行き交うロビーを抜けて、希星たちは日本漫画大賞受賞式会場の前まで辿り着いた。

 受賞式はすでに終わっていた。開いた扉からたくさんの人が出てくる。希星が名刺をもらったことのある編集の顔が見えて気まずかったが、いまは隠れている場合ではなかった。月園かすずなの姿を見つけなければ。


 ここにいるたくさんの人たちは、みんな月園月見を祝福するために集まっていた。

 希星も二年前、同じように受賞式を開いて貰ったことがあったが、そんなものとは格が違う。

 希星が行ったのは、これから売れるか売れないかまだわからないデビューしたての漫画家が集まる新人賞の受賞式。

 いま開催されていた授賞式は、昨年最も売れた漫画を表彰するためのものだった。

 希星は受付の台に大量に陳列されていた月園が描いた漫画を手にした。


「ペンネーム、つきこか……どうして気付かなかったんだろう」

「きらりんもこの漫画持ってたの?」

「当たり前だよ、一巻単独で四百万部売り上げてるんだよ。漫画好きならみんな持ってるよ」


 再会した月園の絵を見たとき、希星はどこかで見た絵だなと思った。

 先輩の絵柄をパクったという月園の言葉を聞いて、そのせいかと納得したがそれは間違いだった。

 買ったことのある漫画だったから既視感があったのだ。

 たぶん月園も、バレないようにわざと下手っぽく描いていたのだろう。

 まさか、自分より絵が下手だと思っていた後輩が、累計千五百万部も売り上げている大御所少女漫画家だとは想像すらできなかった。

 希星は展示されていた一巻をパラパラと捲る。

 こうして読んでみると、月園が描いたとすぐにわかった。

 単純明快なストーリー、子供が読んでも、老人が読んでも笑えるような、月園らしいギャグ漫画だった。希星は自分のデビュー作が恥ずかしくなった。ただ絵が無駄に細かいだけの難解話だったのだ。月園の漫画の読みやすさに比べたら、自分の漫画など読めたものじゃない。


「きらりん、いたわ、月園さん」


 メルクールが指差した先を希星は見る。

 最初、それが月園だと希星は気付けなかった。

 見違えている。

 黒のワンピースドレスに身を包み、高いヒールを履き、美容院で髪型をセットした月園は美しかった。ダサイ黒縁眼鏡を外した月園の目はきらきら輝いている。

 眼鏡を外したら美人だなんて、少女漫画の主人公かよ、と希星は思った。

 

「確かに、C級主人公かもな……」


 日本一の売れっ子漫画家でしかもまだ高校一年生。本人は自分の絵柄に負けず劣らずの美人。

 そんなフィクションでしか見ないような人物は、主人公と呼ばれても無理なかった。


 希星は月園の姿を見つけると同時に、すずなの姿も見つけた。

 すずなは受賞式が終わるまで機会を待っていたのだろうか。

 月園はまだ捕まっていなかった。

 希星が見たのは、月園がちょうど狙われようとしていた瞬間だった。

 取り囲むスーツ姿の編集たちに別れを告げて歩き出す月園に、すずなはPB銃で狙いをつけていた。


「月園! 逃げろ!」


 出口に向かって歩いてくる月園に向かって希星は叫んだ。

 すずなが驚いて一瞬、希星を見た。

 手元が狂ったのか、レーザーはテーブルの白いクロスを焼いた。

 突如発生した火炎のせいで、会場に悲鳴が沸き起こる。

 希星はその間に月園に近づいた。


「先輩?」


 月園はコンタクトをした大きな目をしばたいた。


「月園、逃げよう」


 希星は月園の頭を押さえて姿勢を低くしながら走った。

 すずなはなんとかPB銃で狙いを定めようとしていたが、逃げ惑う人々が邪魔だと思ったのか、眉をしかめ唇を噛んで銃を下ろし、月園に向かって走り出した。


「先輩、嘘ついてごめんなさいっす。ほんと、ごめんなさい――」


 月園は走りながら希星の腕にしがみつくようにして泣いていた。


「何度も話そうと思ったんです。先輩と同じ漫画家になれたって。でも、先輩が業界で干されてるって噂聞いて、でも先輩はそんなことは話してくれないし」

「僕の方こそごめん、ほんとうは漫画家辞めてたんだ。嘘だったの気付いてた?」

「初めは私の勘違いだと思っていました。でも、どれだけ探しても、先輩の連載している漫画見つからなくて。やっぱり先輩は運が悪かったんだなって。先輩が漫画売れなくて苦しんでるのに、私だけバカみたいに売れてて、言い出せる勇気なかったっす。しかも私、先輩の絵柄のパクリだし――パクリなんすよ」


 月園は泣きながら必死に言い訳をしていた。

 西館のロビーを出て、希星は左右を見回す。

 どっちに逃げよう。

 人通りの多い正面出口に行けば、自分たちは逃げられるかもしれないが、万が一、すずなが武器を使ってしまうと死傷者が出るかもしれない。

 普段のすずななら、無関係な人を巻き込むことはしないだろうが、いまのすずなは気が動転していて何をしてくるかわからない。

 

 希星は人通りの少ない裏口に向かって、月園の手を引いて走りだした。



「先輩、パクりで売れてごめんなさい」


 月園は走りながらもまだ泣いている。


「僕が教えたんだから似ててもしょうがないだろ。それに、月園は僕より断然うまいよ。僕よりうまいから売れたんだ」


 裏口から飛び出すと広い駐車場に出た。

 まばらに止めてある車を縫うように、希星と月園は走る。

 背後からは、すずなのブーツの甲高い靴音が近づいてくる。 


「同人売ってたら少女漫画雑誌の編集さんにスカウトされたんです。先輩に追いつけるチャンスだと思ってたら、信じられないくらい売れちゃって……最初は嬉しかったけど、先輩が漫画家辞めてるの知ったら全然嬉しくなくなったっす。先輩の絵のパクリなのに、なんで私だけ売れるんすか。先輩も売れていてくれたらいいのにってずっと願っていました。でも、出版社の人に聞いて回ったら、やっぱり先輩は業界からいなくなってるぽくて、先輩は運がなくて苦しんでて、私は運がよかっただけで……」

「もういいよ。月園は優しいから本当のこと言えなかっただけだよ。もし、最初に会ったときに、月園が売れまくってるってわかったら、僕、耐えられなかったと思う。売れなかったからって、自分のデビュー作を破り捨てちゃうような人間なんだよ。僕は」

「たぶん、本気で漫画やってたら、みんなそうっすよ」

「でも、月園が活躍してくれて嬉しいよ。僕がそばにいるせいで月園まで不幸になってるんじゃないかって思ってたから」


 駐車場を抜けると東京湾に面した長くて細い一本道に出た。

 失敗してしまった。

 見晴らしが良すぎて、隠れる場所がない。

 足の速さの勝負で、すずなに勝てる気がしなかった。


「先輩、それでも、私、罪悪感半端ないです」

「じゃあ、一つだけ僕のお願いを聞いてくれないかな」


 希星は息を切らしながら言った。

 体力のない希星はここらが限界だった。


「振り向かずに走って。それでチャラだ」

「先輩……」

「早く」

「どうして?」

「お願い」

「さっきの爆発、何だったんですか?」

「サプライズショーか何かだよ。早く、時間がない」

「よくわかんないけど。先輩、私、走ればいいんすね?」

「うん、また学校で話そう。僕はやることがあるんだ」

「変な先輩……でも、わかりました。走ります!」


 月園は涙を拭き、ヒールを脱ぎ捨てて、裸足で走った。

 月園が盲目的な希星ファンでよかったと、希星は思った。

 月園はわけがわからないまま、何も考えずに走り続けている。

 すぐに後ろからすずなが追いついてきた。

 すずなは希星をチラリと見ただけで、通り過ぎようとする。

 希星はすずなの腕を掴んだ。


「先生、離してほしい。気持ちはわかるけれど、主人公を見過ごすわけにはいかない」


 すずなは冷たい目をしていた。

 主人公を見れば迷うことなく引き金を引ける冷酷な目だ。

 もしも一瞬でも躊躇うようだったら、あの天使の一団の頂点には立てないだろう。

 それでも、希星は引かなかった。


「月園は僕の大事な後輩なんだ。月園は誰よりも真剣に漫画を描いてきたんだ。大事な後輩に、僕みたいな思いはさせたくない」


 常に人気に左右される不安定な職業である漫画家が、一端運を失えば次の日には仕事を失っている、なんてことは日常茶飯事だ。月園には干された漫画家の苦しみなんて味わってほしくなかった。


「先生は私より、あの後輩を選ぶの?」


 地面に向けた銃口を震わせ、すずなは気をつけの姿勢のまま俯きながら言った。


「違うよ。僕が好きなのは、月園ではなく、すずなだから」

「じゃあ、どうしてあっちを助けるの?」

「友達だから」

「嘘だ。先生はあの後輩をもう好きになってる。そんなの嫌だから、私はあの後輩を主人公から引き摺りおろす」


 子供のわがままのような物言いに、希星は少し苛立った。

 いくら権力を持っているからといって、自分の好き嫌いで他人の不幸を奪ったり奪わなかったりしていいわけがない。

 希星はすずなの誠実なところが、好きだったのだが、こういうわがままな子だとは知らなかった。

 何とかして、すずなの暴走を止めなければ。


「C級主人公は捕まえないって決まってるんでしょ。じゃあ、すずなもそれを守らないとだめだよ」

「私は先生が好きだから、この仕事をやっていたのに。それが叶わないのは嫌だ」

「嫌だ、嫌だって、それじゃあ、シオンみたいな主人公とやってること変わらないじゃないか」

「だって、先生は私と恋人になってくれるって約束してくれたもん。なのに、あの後輩と付き合うんだもん」

「なんで、僕が月園と付き合うんだよ」

「私、子供だから勝てないもん。おとなはおとな同士で付き合ったほうがいいに決まってる」


 PB銃がアスファルトに落ちて跳ねた。

 すずなは気をつけの姿勢のまま、鼻を啜った。

 次の瞬間、すずなは声もあげずに、たくさんの涙を流し始めた。


「あんなに綺麗なおとなの女の人に、勝てるわけがないもん」


 希星は後悔した。

 あまりにも年下だから、大きくなったらいつかすずなの気持ちが自分から離れてしまうと希星は恐怖していた。

 だが、年の差に引け目を感じていたのはすずなも同じだった。

 むしろ、小学五年生のすずなの方が気苦労が多かったはずだ。

 小学生から見れば、高校生は大人とそう変わりなく見えるのは当然だ。

 子供のすずなが、大人同士の恋愛に勝てないと思うのは自然な感情だった。

 すずなの見た目が大人びているせいで、希星は同級生と話している気分になってしまっていたのだ。


「すずな、ごめん。自分勝手だったのは、僕のほうだった」


 すずなの艶やかな金髪を、希星はそっと撫でた。


「確かに、アヒルから白鳥になった月園は魅力的だったよ。女子高生で売れっ子漫画家の月園に言い寄られて、嬉しくないわけがなかった。ラブコメを知り尽くしている月園だから、フラグの立て方もすごくうまい。もしも先にすずなから告白されていなかったら、どうなっていたか正直わからない。でも、僕はすずなが好きなんだ。あの日、桜の木の下で告白してくれた、すずなに勝てる女の子なんてこの世にいるわけがないよ」


「すごく、年下だけど、いいの?」


 すずなは涙を拭って、赤くなった目で希星を見つめる。


「すごく、年下だから、いいんだよ」


 第三者が聞いたら危ない発言だったけれど、すずなはその言葉に安心したようで、修道服の袖で涙を拭い取ると、ぺこりとお辞儀をした。


「じゃあ、これからも、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 ここで抱きしめたり、キスをしたりしない、節度を保った関係。

 すずなが大きくなるまで、希星はこれを続けていこうと思った。

 年の差のある男女にできることは、これしかなかった。


 港に入ろうとする貨物船の汽笛が響いたとき、急に一人の女の子がふっと現れた。

 走ってきたとか、元々そこにいたとかではなく、テレポートしてきたような現れ方だった。


「希星さん、いままでご苦労さまでした」


 希星より小さな女の子だった。

 自分の体より大きなリュックサックのベルトを、小さな両手でぎゅっと握りしめている。セーラー服のような大きな襟のついた白い服を着た姿が、可憐で清楚だった。

 黒髪のショートボブを揺らしながら、彼女は希星に頭を下げた。


「神様、お久しぶりです」

「お久しぶりです。A級主人公を捕まえてくださり、本当に感謝しています。お約束していたとおり、希星さんに幸運をお返ししますね」


 神様はリュックサックの中からラックフローを取り出すと、それを希星に向けた。

 希星は光を反射しない真っ黒な画面を見つめる。

 緑色の光が花火のように何度も瞬いた。


「はい、終わりです。希星さんの不幸はこれで終わりました。おつらい思いをさせてしまい、いままですみませんでした」

「えっ、本当に運が悪いの治ったんですか?」


 あまりにもあっけない結末だった。


「念のために、かなり幸運よりにしておきました。問題があれば、またすずなさんやメルクールさんにお申し付けください。調整いたしますので」


 神様は上目遣いで儚げな笑顔を見せる。

 希星が驚いて何も言えないでいると、今度は神様はすずなに話し掛けた。

 笑顔ではなく、真顔になって。


「すずなさん、自分のしたことをわかっていますか?」

「はい、どうかしてました、すみません」

「天使の権力の私的利用、いくら若頭といえども、許されません。このけじめはしっかり取らせます。覚悟してください」

「はい、わかりました」


 神様の前で、膝をついて頭を垂れるすずな。


「あの……すずなはまだ子供なので、どうか許してあげてください」


 希星は神様に頼み込んだ。


「子供だからこそけじめが必要なんです」

 神様は儚げに微笑みながら、

「これは彼女が大人になるための儀式ですから」



 希星はなるほどと頷いた。

 見た目は子供の少女だけれど、神様はしっかりと大人としての役割を果たしていた。

 いい大人に恵まれて、すずなも早く大人になってほしい。

 すずなの見た目は完全に大人だけど。

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