第19話 男前ならプリズンブレイクしなきゃ

 希星たちがシオンの脱走に気付く三時間前。


 シオンと勇者は脱主人公化施設の宿舎にいた。

 犯罪者を収容する施設の割には、清潔で新しく、住み心地のよい場所だった。

 それでもこの世の甘い汁を吸い尽くしてきた主人公たちには、牢獄と呼ぶ他なかった。


 いままでに脱走を試みた主人公はいなかったらしい。

 幸運の独占に罪悪感を覚えたとか、衣食住が充実しているというのもあるだろうが、脱走して再び捕まれば、重刑に処されるというのは恐怖だった。

 幸運の独占は本人の罪ではないが、脱走は罪。

 罪は神によって裁かれる。

 神に対する恐怖心はどの主人公も共通して持っているものだった。


 だが、神をも恐れぬ男が二人いた。

 それがシオンと勇者だった。

 独占していた幸運の量が多すぎて、シオンたちは自分が唯一絶対の力を持つべきだと信じ込んでいた。


 仕事を終えて、自分の房へと戻っていく主人公たちが行き交う廊下。

 主人公たちを監視していた看守に、シオンは近づいた。

 

「どうしたシオン? 房に戻れ」


 黒衣を纏って肌をすべて覆い隠していた女の子だった。

 鮮血を思わせる赤い目で、彼女はシオンを睨む。


「聞いたんだけど、エマさんって昔吸血鬼だったってほんと?」

「私語は慎め。それから服装を正せ。襟を閉じろ」

「俺さ、前は最強の魔法使いって言われてたんだけど、吸血鬼だけは敵にしたくないって思ったね。不死身なんだろ? 最強じゃね?」

「そ、そうか? とにかく襟を閉じろ」


 黒衣の間から真っ白な腕を出して、長い牙を覗かせながら、口の端に漏れた唾液を拭い取るエマ。

 エマの赤い目は、シオンのほどよく筋肉のついた胸元を凝視していた。


「そんなに美しくて、最強の吸血鬼が、こんなところでくすぶってるなんてらしくないな」

「きさま、他の女にもそういうことを言っているのだろう? 罪状は把握しているぞ」

「いや、マジだって。本当にマジできれいだと思ったのは、エマが初めて」

「き、きさま、吾輩を愚弄しておるな」

「俺の目見て。嘘ついてるように見える?」


 シオンがぐっと顔を近づけると、エマはたまらず顔を背けた。


「きさまの面構えもなかなかの物ではないか。さぞかし女色に溺れていたのであろう?」

「俺、全然モテないんだぜ? そんなに褒めてくれるなら付き合ってくれよ」

「吸血鬼と契りを結ぶなどと軽々しく言うな」

「何なら、俺の血、吸ってもいいんだぞ? 試してみるか」


 エマが背にしていた壁にドンっ! と手をついたシオンは、はだけた胸元を見せつけるようにした。

 エマは恍惚とした表情でそれを見てから、自省するように顔をそらした。


「身分をわきまえよ。囚人が看守を愚弄するでない」

「悪い、悪い、吸血鬼って血を吸わないと生きていけないって言うじゃん。だから俺のわけてあげようかなって思ったのさ」

「もうそれは昔の話だ。いまの吾輩は血を口にせずとも生きられる体。神の洗礼をうけて天使になったのだ」

「それって、もう最強の吸血鬼じゃないってこと? 天使って強いの?」

「いまは人間とほぼ変わらぬ。特殊な力などない」

「やばくない? 囚人が襲ってきたらどうするんだ?」

「PB銃とラックフローがあるので心配いらぬ」


 エマは片腕を外に広げて、黒衣の裏地を見せた。

 隠れていたホルスターと立方体を繋ぎ合わせた奇妙なデザインの銃が見えた。


「それが銃か。ラックフローっていうのはどれ?」

「なくしたらすずな姐さんのきつい仕置きが待っている。吾輩は二重にしたブーツの革の隙間に隠しているのだ」


 エマが長方形の黒い板を取り出したのを見て、シオンは振り返ってウインクした。


「ただの板みたいだな」

「だが侮るでない。これは運気を自在に操ることのできる――いたっ!」


 廊下を急いでいた囚人が、エマにぶつかった。

 

「何をする、馬鹿者。注意して歩かぬか」

「さーせん、さーせん」


 エマにぶつかったのは勇者だった。

 洗濯係だった勇者は、運んでいた囚人たちの汗臭い服を廊下中にぶちまけていた。


「さっさと片付けろ」

「へい、ただいま」


 勇者は囚人服をせっせと拾い集めて、カゴの中に戻した。


「大変そうだな。俺も手伝おうか?」

「わりいな、シオン。頼むぜ」


 エマは腕組みしながら、じっと二人の様子を見下ろしていた。

 シオンと勇者は彼女の視線を背中で感じながら、脱獄計画がうまくいくことを祈った。

 囚人服をすべてしまいこんだシオンと勇者は、立ち上がるとカゴを持って立ち去ろうとする。

 

「じゃあ、エマ。俺は洗濯物を運ぶのを手伝うから、行くよ。話聞かせてくれてありがとな」

「ああ、いいだろう。次は襟を閉じてこい。襟を」


 シオンは苦笑いしながら、胸のボタンを閉めた。


 エマに背を向けて二人が歩き出したそのとき、急に引き留められた。


「おい、きさまら、囚人服の中に黒い板があるはずだ。よこせ」


 シオンと勇者は青ざめた顔でエマを振り返った。


「何をしている、その中にあるはずだ」

「……」「……」


 エマは洗濯カゴを指差した。


「さっきぶつかったときに落としたのだ。たぶん、その中に紛れ込んでいる」


 エマの赤い目を見つめながら、勇者はごくりと喉をならし、シオンは白い歯を見せて引きつった笑みを浮かべた。


 シオンは洗濯カゴをまさぐって、黒い板を見つけた。


「これかな。危うくすずな姐さんとやらに怒られるところだったな」


 シオンからラックフローを受け取ったエマは、おもむろに口を開けて、細長い歯で下唇を噛んだ。

 シオンと勇者は表情を凍らせたまま動けない。

 ラックフローに視線を落としたエマは少し首を傾げた後、シオンと勇者に向かって言った。


「どうした。もう行っていいぞ」


 シオンと勇者は勝利の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」

「どうして感謝する?」


 疑問の表情を浮かべていたエマから逃げるように、シオンと勇者は歩き出し、角を曲がったところで全力疾走に切り替えた。


「シオン、お前すげえな。あの女、お前にイカれてたぜ」

「先輩こそ、勇者よりシーフが似合ってるんじゃないか?」


 勇者は走りながら洗濯カゴを投げ飛ばし、本物の方のラックフローを取り出した。


「まさかぶつかった瞬間にガラスを黒く塗っただけの偽物とすり替えたとは思わなかっただろうな。ほい、俺はカラクリは苦手だ」


 勇者が投げたラックフローを受け取り、シオンは指先で操作し始めた。


「何もしなければただの黒い板だもんな。よし、動いた動いた」


 もしかすると本物の方を渡してしまったかもしれない。

 そう思えるくらいラックフローは単純なデザインだった。

 指でなぞると、いくつものアイコンが表示されたので、とりあえず安心したシオンだった。

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