ゆみちーと


「おい、お前この後暇だな?」


入寮から1週間が過ぎ、『変人篠崎』のルームメイトとして寮内だけではなく学校内でも遠巻きに見られる日々に困惑していたその日の放課後、珍しく声をかけてきたかと思えば。


「暇だろ。何も言わずついてこい」


おおよそ女性に、否普通の人間にかける言葉とは到底思えない誘いを断ろうとするが。

それができる術を持ち合わせていない悠は、仕方なくついて行くしかないのだった。




***



着いたのは、外見からでもそれとわかるような研究所。


気にせず白い枠のついたガラス扉を開けて中に入る篠崎とは対照に、困惑を隠しきれない悠。


「なにしてんだ。さっさと来い」


そう促されてやっと入っていく彼女に、連れてきた張本人は無表情で慣れた通路を歩いていく。


訳もわからず歩かされ続けた悠が不安になって泣きそうになった、その時だった。


おもむろに部屋の扉を開けて、ここだ、と篠崎に言われて中に入ると、まるで診察室のような造りのそこに白衣を纏った女性がそこにいた。


「あら、あらあらあら、ゆみちーのカノジョ?」


嬉しそうに近づいてくる黒のショートヘアに、ゆみちーと呼ばれた篠崎は冷たく返した。


「違う。俺の『ルームメイト』だ」


その言葉にさっきまでのによによした笑みを凍らせ、そう。とつぶやいた。


「貴女、お名前は?」


椅子に腰かけ、すらりとした左脚を手前にして組む冷ややかな視線がとらえたのは、悠。


「わ、私は蘭悠と申します」


恐縮し、それでも一礼する悠。


「そう、あららぎさんね。私ははるか。遥 朋奈ともな。ここで研究員兼医者のようなことをしているわ」


遥朋奈と名乗った女性は、礼儀正しさに表情を和らげ、ふ、と微笑んだ。


「それで、ゆm・・・篠崎君のことをどこまで知ったの?」


さっきみたいにゆみちーとは呼べなかったのであろう、朋奈は尋ねる。


「えっと、彼が猫から人に変わったところを見てしまっただけです」


正直に話すと、朋奈はカルテのようなものに文字を書いてゆく。


「そう。彼がなぜ1人部屋を希望していたか、わかったわよね?」


はい、と悠が頷くと、視線を再度悠に向ける。


「一応これは機密事項なの。貴女が見てしまったのが事故であっても、本当なら貴女の記憶を消さないといけなくなるところなんだけど・・・」


そこでちらりと篠崎を見ると、首を横に振る。


「残念ながら、篠崎君と同室である以上、また見つからないとも限らないわ。だから、貴女にはこれを書いてもらうわ」


す、と机の引き出しから取り出したのは、『契約書』と書かれた一枚の紙。


「これ・・・?」


意味を理解しきれていない悠はどうしたらいいか朋奈の指示を仰ぐ。


「まずはそれを読んで頂戴」


言われて目を通す悠。


『対象(この場合篠崎のネコ化)のことを誰にも口外しない事』


『週1度はここに通い、被験者(篠崎)の様子を報告する義務を全うすること』


等と書いてあった。


了承してサインを書き終わって返す様子に特に何も感じていない様子で朋奈は受け取ると、伏せて白紙の方を表にした状態で机に置き、これからよろしくね。と微笑んで手を差し出してきた。


つられて笑顔で握手する悠は見逃していたのだ。


『守りきれなかった場合は被験者や研究の安全のため、関わった記憶すべてを消した後、無償で研究のいしずえ(つまり《被験者》)となることとします』と書いてあったことに・・・。

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