第5話

 大学が始まるとすぐに学長室を訪ねた。エレベーターを降りるとすぐに重厚な扉が立ちふさがる。相変わらずラスボス仕様には相応しい雰囲気を醸し出していた。

 あいにくと学長は留守とのことを中から出てきた秘書らしきお姉さんに告げられたが、出来すぎていると感じるのは良く出来た設定の物語に耽る私だからだろうか。私が訪ねたこのタイミングで出払っているというのは本当に偶然なのだろうか。

 翌日も翌々日も時間を変えて訪ねたのだが、ちょうど学長室にはいなかった。すると見かねたのか秘書らしきお姉さんさんが要件を聞いてきた。

 「それでは学長本人からアポイントメントに関する通達をさせます」

 淡々と事務的口調でそれだけ言うとすぐに扉は閉められた。どうやら私から逃げているというわけでもないらしい。最初からそうしておけばよかったとも思ったが、とりあえず道が開けた。

 学長からはすぐにセリムを通して連絡がきた。私の知りたいことを伝えてもらうと土曜日に学長室に来るようにとのことだった。ここにきて案外あっさりと物事が進むのは少し気になったがせっかく時間をとってもらえたのだし徹底的に話を聞こう。


 土曜日の朝、いくらかの興奮のせいかいつもより寝付きも悪く早く目を覚ましてしまった。約束の時間は午前9時。随分早い時間だなとも思うが長い話になるのかもしれない。

 外はすでに日差しがたっぷりとして、初夏のように少し汗ばむ熱を帯びてそうな感じがした。セリムのお父さんが額の汗を拭いながら小走りで出ていく姿が見え、季節は確かに夏に向かっていることがわかる。

 学長と話をするとはいっても特別かしこまった格好をする必要はないと思うが派手すぎてもと思い控え目な服を選ぶ。この国に来てから普段着ない女の子らしい服装ばかりしていた。落ち着いた服を選ぶのに迷うことになるなんて驚きだ。

 心がそわそわとするのは会う約束が決まってからずっとだ。昨晩にいたってはそれが特に強く出た。今はそのピークこそ過ぎた感じだが緊張感は残り変なドキドキ感がある。

 家にいても落ち着かなかったので早いのも承知の上で大学に向かった。強い日差しを浴びることでいくらか気持ちも紛れたが、大学に着くとまた少し落ち着きがなくなってきてしまった。

 講義塔の入り口に立つ一人の大男の姿に気づいたのはかなり近づいてからだった。意識がぼーっとしていたのだろう、学長自らがこんな早い時間に出迎えてくれた。私がこの時間に来ることがわかっていたかのように。

 学長は淑女をもてなすかのように紳士的な振る舞いを徹底し、私を学長室まで案内した。部屋に入ると空気はひんやりとして、私の体はこわばってしまった。だが学長はすぐそれを見抜いて空調を調整し、温かい飲み物を自ら用意してくれた。今日は秘書らしき人もいない完全二人きりの時間をセッティングしてくれたようだ。

 「君が話を聞きに来るのは予想していた。一日かけての長い話になるが大丈夫かな?」

 その目は真剣そのもの。場の空気がさらに張り詰めていく。

 「そんなに緊張しなくても。お茶菓子でも片手に気楽に聞いてほしい。話を始める前に何か聞いておきたいことはあるかな?」

 「私が来ることを予想していたとは?」

 「外から来た人間がこの国のことを不思議に思うのは当然だ。そしてその謎を解く鍵はこの国の歴史にあることも自明だろう。だがこの国には創世記なる歴史を伝える者はいないしその書物もない。歴史を調べていればいつかは必ず私に辿り着く。遅かれ早かれ来ると思っていたよ」

 「学長はすべて知っているのですね。でもどうして?誰もが歴史に興味すら示さないのに」

 「それも今から話すことを聞けばわかるだろう。君が疑問に思うことのすべてがここにある」

 とても気楽に聞けるような雰囲気ではなかった。それでも一言でも聞き漏らさないように全神経を集中させた。

 学長はゆっくりと思い出話をするかのようにどこか懐かしそうに話を始めた。


 窓の外から入ってくる風がひんやりと冷たく感じられた。気づけばもう外は暗くなり始めていた。合間に軽食などを挟みながらとはいえ10時間近くもずっと話を聞いていたことになる。

 この国の夕焼けは綺麗だ。文字通り茜色の空が目の高さに広がっていたが、どんなに目を凝らしていてもその姿が徐々に黒に移り行く様を捉えることはできない。そして気づけばあっという間に夜のとばりがそこには下りていた。

 この美しい自然の営みとも思える現象もまた、この国では人の手によって成されているという事実が学長の話を聞いた後では些細なことと片付けられなくなっていた。

 とある二人の愛から始まり、万人の幸せを願ってこの国のすべてはできている。この国の至るところに創始者の二人の愛が散りばめられている。もし天国で今この国の在り方を見ていたならば、二人はさぞかし幸せに手を取り合って微笑んでいることだろう。

 「長い時間ありがとうございました」

 私は心から学長にお礼を言った。

 この国で過ごした時間が私を変えた。この国で過ごすことなく今の話を聞いていたら私はこの物語を異常と思ったに違いない。外の世界の人間が聞いたならどれだけの人間が受け入れることだろうか。いや、今なおこの物語はマイノリティとならざるをえないかもしれない。それでもこの国で短いながらもセリムやその家族、友達と知り合い、国の様々な面を見せてもらったおかげで私の安い価値観は大きく揺らいだ。その揺らぎは良い方向に向かったと思う。だからこの物語がとても素敵で愛おしいとまで感じるんだと思う。

 「ご満足いただけたのならこちらこそ光栄に思います」

 学長に別れを告げ大学を後にする。外はもうすっかり夜になっていて空には数え切れないくらいの星が輝いていた。

 少し距離があるがセリムの家まで歩いて帰ることにした。今はぼんやりと余韻に浸っていろいろと考えたかったからだ。

 学長はこの話について他言無用などの忠告を一切しなかった。もとより国民にその手の話に関心がないことは明らかなのだろうけど私のことをよく見抜いていたのだと思う。

 それでもセリムはどうだろう。彼は学長が言うところの歴史に選ばれた人間なのではないだろうか。それはいずれ時が教えてくれると学長は言っていたが、私がセリムにこの話をしたならば彼はどういった選択をするのか。

 そこまで考えてやはり私にはこの話をセリムにすることはできないと思った。自分の主観や価値観をまったく交えずにこの話を展開できるとは思えなかった。それはきっとセリムの正しい選択の妨げになる。彼は自分で来たるべき時にそれを知るしかないのだ。

 家に帰ると門の外にまで出てセリムが立っていた。

 「ミア、どこに行ってたの?朝からずっといなくて心配したよ」

 珍しくセリムが感情を大きく露わにしていた。

 「ごめん、言ってなかったかな?大学の図書館に用があって」

 セリムは少し怒ってる風にも見えたがすぐに優しい顔に戻った。安堵の表情というやつだろうか、そんなに私がいないことを心配してくれたのかと思うと少し申し訳なくなった。

 「無事でよかった。道に迷って困ってるんじゃないかとか、とにかく何かあったんじゃないかって大騒ぎしてた」

 「そんな、子どもじゃないんだし。この国で事件なんて起きようがないのはセリムが一番よくわかってるんじゃないの?」

 セリムは何か言いたそうにしていたが言葉が出てこないようだった。取り乱したことを恥ずかしく思うのか少し顔が赤い気がする。

 その夜に食べたセリム家の食事は不思議と特に美味しく感じた。


 学長と話をしてからというもの、もうこの国のことを詮索することを止めた。もうその必要もないし、知るべきことはすべて知った気がしていたからだ。でもアポロにふと言われた言葉が気にかかった。

 「ミアが来てもう一ヶ月半も経つんだね。このまますぐお別れになっちゃうのか」

 つい居心地が良すぎてずっといられるような気分になっていた。だが私は三ヶ月しかこの国にいられないのだった。いられないというわけでもないのだろうが、最初に三ヶ月という期間が提示されていたのだった。

 考えてみればその三ヶ月というのはなんなのだろう。期間が終わったとき私は何事もなく外の世界に帰れるのだろうか。ここまでの流れで常識で考えてもそれはない。私が外の世界にこの国のことを漏らさない保証などどこにもないのだから。では、私はどうなる?三ヶ月経ったときいきなり何かしらの選択肢を与えられても困る。すぐに決められるとは思えない。

 急に不安になってしまった。この国に来た当初に感じてた不安よりも強い、異質な何かに怯える気持ちだ。それくらいに今のこの生活が当たり前のものになってきていた。

 帰り道セリムは私の異変に気がついた。

 「ミア、何かあった?顔色が優れないように思えるんだけど」

 どうしてセリムは私のことをこんなにもわかってしまうのだろう。わかりやすいのは自覚しているがなんでもお見通しな気がする。

 「僕にできることなら手を貸すよ。話ならいつだって聞くし」

 そしてなぜこんなにも優しいのか。気分が落ちているときに優しくされると甘えたくなる。この国に来てからいつだってセリムはそばにいてくれた。私のことをなんら変な目で見ることなく常に応援してくれていた。

 このままお別れは嫌だな。かといって彼や彼の家族に迷惑がかかることもできれば避けたい。

 大きな温かい両手が私の小さな右手をそっと包み込んだ。

 時間がゆっくり流れていく。

 「一人で抱え込まないで。僕に話せないようなら母さんやクレアだっている。元気なさそうにしているミアを見ているのは辛いんだ」

 久しく男の子にこんな風に言われたりされたりしてなかったせいか免疫がない。こうゆう気持ちってなんていうんだっけと思う。セリムにはなんでも話せて一緒にいるのがすごく楽だった。でも急に一人の男の子として見てしまった。

 「え、あ、うん」

 セリムの恋愛経験が少ないことは誰かから聞いた気がした。セリムはきっと私のことを恋愛対象として見ているのではないんだと思う。もしそうならもっとおどおどチェリーボーイっぷりを発揮してるはずだ。たぶん根っからのお人好しなんだろう。

 でも私はそんなセリムのことを前からかわいいと思っていた。そして今その気持ちが少し違ったベクトルをもってしまった。自分の気持ちに素直になれたらどんなにいいかと思うも、私はこの世界から去っていく身だ。変に思い入れを強くして身動きがとれなくなるのは辛い。

 私にもこんなふうに思う気持ちがまだ残っていたんだなと思った。セリムのことが好きなのかどうかははっきりとは自分でもまだ言えないが、気になっているのはわかる。あれだけイケメンだなんだと面食い体質だったのにやっぱり私は変わったんだ。

 私は帰ろうと先を行くセリムの腕を強く掴んで引っ張った。ビクっとしたセリムの腕の筋肉の緊張が伝わった。そして振り返るセリムに思いっきり抱きついた。

 「ありがとう、セリム」

 セリムの柔らかい弾力のある体が完全に固まってしまった。思ってた通りセリムは女の子に対しての免疫がまったくない。その反応がかわいくてさらにぎゅっと抱きついてしまった。

 「これは今日まで優しくしてくれたお礼」

 そう言って自分の頬を伝う涙に気がついた。泣いているなんて感覚はまったくなかったのにどんどんと涙がこぼれ落ちていった。一度泣いていると自覚するともう歯止めがきかなかった。悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのかもわからず私はただセリムの胸の中で声に出して泣き叫んでいた。

 夕食後、今なお腫れた目をした私のもとにセリムがやってきた。

 「ミア、ちょっといいかな」

 律儀にノックをし声をかける。セリムはいつだって紳士だ。

 私は思っていることを話すことに決めた。

 部屋に入ってもらおうと促すもセリムはためらっていた。女の子としてしっかり意識でもしてしまったのだろうか、きっと女の子の部屋に入ることをはばかっているのだろう。

 「セリムの部屋に行っていい?そっちのが話しやすい」

 私はセリムの部屋に行った。何度となく足を踏み入れた部屋なのに今日はいつもと違って見える。テーブル、椅子、筆記用具などに男の子らしさが見えてくる。今まではまるで気にしてなかったのに少し汗の匂いが混じった男の子の匂いがする。意識一つで世界はこうも変わることを知った。

 私は自分があと一ヶ月ちょっとでこの国を出なければならないことが気がかりだとセリムに告げた。

 「ミアはどうしたい?ミアは外の世界の人間だ。帰る場所がある。それでもここにいたいというなら僕たちは歓迎する。そのために国にも訴え出るよ、ずっとここにいられるようにね」

 私は自分でもどうしたいのかわからなかった。ずっとこの国で生活することは可能か不可能かで言えば可能だ。でも残してきた両親や数少ない友達に何も言わずにここに留まることはできない。

 「セリムは?セリムはどうしてほしい?」

 私の声は震えていた。今にもまた泣き出してしまうんじゃないかと思った。

 「僕はずっとここにいてほしい。それが僕の本心だよ。でも帰るべきなんだとも思う。前に言ってたよね、ここで家族や友達のつながりの大切さを改めて学んだって。なら帰るべきだよ。本当のお父さんお母さんと向き合うべきだと思うんだ。その後でもしまたこの国に来ることが許されるなら、その時はより成長した姿で胸はって戻ってきたらいい」

 もう私は泣いていた。嗚咽のせいで言葉がうまく出てこない。

 「私も同じことを考えてた。一度帰るべきなんだって。でも一度この国を出たらもう戻って来られないんじゃない?そもそも私は三ヶ月経って無事にいられるのかな?」

  三ヶ月経ったあと何が起こるのかまったくわからなかった。この三ヶ月の意味するものを考えてもまるで思い浮かばない。

 「ミアになにか危害が加えられるなんてことはないと思う。何があるにせよ僕が立ち会うよ」

 こういうセリフを聞くとやはりセリムも立派な男の子なんだと思う。考える前にもう口から言葉が出ているのだろう。彼はいつも言葉を発した後に少し照れた表情をする。

 「ミア、今日はもう時間的に無理だけど明日にでも本当の空の星を見にいかない?」

 励ましてくれているのが伝わってくる。私はセリムが好きかもしれない。この気持ちがこのタイミングで芽生えてくるのはちょっと酷なんじゃないかと神様に言いたくなった。残りの時間、セリムとの思い出はそっくりそのまま別れの辛さを増幅する。かと言って今この場でさよならなんてのも嫌だ。

 「ミア、何考えてる?思うんだ。何が起こるかはわからない。でも今この時を精一杯に楽しむほうが絶対にいいって。別れの時が来たとしても、たくさんの思い出のせいで辛いんじゃなくて、たくさんの思い出があるからこそいい別れもできる」

 今日はずっとセリムに自分の気持ちをことごとく当てられている。もちろん彼にそんな自覚はないのだろうけど、私の気持ちのはけ口まで提供してくれるのはとてもありがたかった。

 「うん。セリム、本当にありがとう」

 今日は泣いてばかりだ。言葉が思うように続かないことを理由に自分の部屋に戻った。一人暗い部屋の中ベッドに横たわると、また大粒の涙が頬を伝って耳に入った。フリルのたっぷりついた天蓋は涙で霞んで海の中で横になっているかのように錯覚した。無理に感情を制御することを止めて心の思うままにただただ泣いた。ひと晩中泣いた。

 翌日大学を終えると私とセリムはその足で山に登った。初めて私たちが出会った場所に向かっていた。地下鉄の最寄り駅を降りるとそこからは歩いていくしかない。あの時はスクーターの後ろに乗っていたためあまりわからなかったが、けっこうな距離を登らなければいけないようだった。

 もともと自然が豊かな国との印象はあったが、山はセリムの家や大学の周りではあまり目にしない植物や木々が生い茂り歩いているだけでも十分に目を楽しめることができた。

 ゆっくりと歩き、一時間ほど登っただろうか。視界が一気に開けた場所に出た。そこからは街を、いや国を一望できた。

 初めてこの国に来た時にも同じ光景を目にはしたが、夕暮れ時であり捕まった身分であり落ち着いて外の景色に意識を集中できるような状況ではなかった。

 今こうして見る景色は初めて見るといってもいいくらいだった。

 本当にちょうどよく真ん丸な形の中心に目立つが目立たない奇妙な印象を与える建物が見える。その北にあるのは大学や学校施設だ。

 南に目を向けるとあのとてつもなく豪奢な造りの商業施設が煌々とその姿を誇張していた。一日遊んでもまったく全部見ることができなかったあの場所での買い物はこの国の日常風景が垣間見れて印象的だった。

 その奥には海が広がっていた。西日を受けてきらきらと光る海には真っ白な船舶がスローモーションのように浮かんでいた。

 セリムの家のほうに目を向けると、そこには多くの住宅があった。ここから見るぶんには普通の住居にしか見えないが、きっとそのすべてが住人の個性を反映させたスペシャルな家なんだと思う。もっともっと不思議な造りの家はまだいくらでもあるかもしれない。

 ここまでの道のり、セリムは私の体を気遣って声をかけてくれることはあってもそれ以上余計な会話をしてこなかった。今の私が静かに歩きたい気分であることを察したのか、はたまたこの辺りは自然が織りなす風景とその静寂を楽しむものと自身のルールを貫いているのかはわからなかったが、歩いていて言葉は必要なかった。

 初夏の汗ばむ陽気に体中が火照るのを感じて目的地まで体力が持つか心配だったが、途中から日差しが絶妙な具合に遮られる木のトンネルが私たちを迎えた。汗ばむ肌にはその木陰の空気は心地よく、森林浴は体力を奪うのではなく癒やし回復させた。

 日が伸びたこともあり傾きつつある太陽もまだその輝きを強く保っていた。そのため私が落ちてきた洞窟も入り口はまだ明るかった。それでもなぜか洞窟に近づくと緊張感なのか不思議な空気が肌を覆うような、足が少し重たくなった。

 「ミア、大丈夫。今日は何も起こらないよ」

 セリムの一声でいくらか気持ちが和らいだ。それでも万が一外の世界に出ていく人間がいないか監視の目をどこかで光らせてはいるんだろう。なんとなく見られてるような気がする。

 セリムにより一歩近づいて洞窟を進むと行き止まりの上の部分がぽっかりと開いたおかしなあの場所にすぐ到着した。

 傾く太陽は角度の関係でちょうど見えず、見えるのはほんのり朱みがかった空だった。雲ひとつなく、鳥も飛んでいないまっさらな空。でも急に懐かしさを感じてしまった。見た目だけなら真偽の判断はつかない精巧さを誇っていたこの国の空だが、いざ本物を目の前にすると違ったものを感じる心地がした。

 あまりに静かで呼吸をするのさえその静寂を破るようだ。近くにいるとお互いの鼓動の音まで聞こえてきそうな気がした。

 私は目を閉じ瞑想にも似た心境でただじっとその場に溶け込んだ。眠ったわけではないがどのくらいそうしていたのかわからなかった。ふと目を開けると空はもうその姿を完全な漆黒に変え、小さな豆電球しかない薄暗いこの場所からは作り物のプラネタリウムでも見ているのではないかと思うほど、隙間なくびっしりと、まさに星の数ほど星が輝いていた。

 「すごい。全部星なんだよね」

 「すごいよね。本来はこんなに星が輝いてるんだよ」

 田舎町の夜でもこれほどまではっきりと星をみることはできない。この先、生きていてここまでの星空を見る機会が訪れるだろうか。


 残りの時間はあっという間に過ぎていった。特別なことをする必要はなかったため、当たり前の毎日を一日一日と大事に噛みしめて過ごした。

 余命宣告を受けた人間とは今の私のような気持ちに近いのだろうか。

 大切な物や時間を失う瞬間が刻々と近づいてくる。けれどもその瞬間から逃れることができない。抗えない運命を受け入れることしかできない。

 私は死ぬわけではない。それでもかけがえのないものを失うという点においては死と等価かもしれない。

 大好きだった祖母との思い出が浮かんできた。

 「おばあちゃんね、長い旅に行く切符をもらったの。しばらくミアちゃんとは会えなくなっちゃうけど、いつだって同じ空を見ているからね」

 幼いながらも私は祖母が余命宣告を受けて死を迎えるのを待つしかないことをなんとなく理解していた。祖母の病気は少しずつ脳が収縮していくという奇病ではあったが、幸いなことに痛みという痛みは一切感じずにゆっくりと老衰のように死に至るそうだった。だが痛みがないとはいえ死が待ち構えているという事実に変わりはない。その恐怖は壮絶なものだったと思う。

 祖母は最期まで私には笑顔しか見せなかった。けっして悲しそうな顔をしたことがなかった。もし祖母が悲しそうな表情を見せていたならば、残された私はもっと悲しい思いをしたことだろう。

 でも私にそれができるだろうか。最期まで笑顔でいることが自分にはできるのだろうか。

 もうすでに私は浮かない顔をしていたみたいだった。

 「ミアちゃん、大丈夫?なんか考え事?」

 カーラにも少なくなった残り時間について話してみた。

 「そっか。せっかく仲良くなれたのに別れは辛いよね。外の世界に出たら戻ってこれないなんてのは確かによく言われてるもんね」

 私はそのことと合わせて今しがた亡くなった祖母のことを思い出していたことも告げた。

 「素敵なおばあちゃんだね。でもミアちゃんとおばあちゃんじゃ違うところもあるよ。ミアちゃんにはずっと記憶がある。外の世界に帰って戻ってこられないとしてもここで過ごした記憶はずっと残る。私たちもミアちゃんのことはずっと覚えてるし」

 セリムも記憶やら思い出やらと大切そうに考えていたっけ。

 「ここで過ごした時間という記憶は確かに宝物だよ。でもそれってあまりに生き地獄すぎない?それならまだ死別とかのがいいって思っちゃう。お互いに生きてて健康そのものなのに、会いたいのに会えないなんて」

 「ここで会えたのは縁があったから。将来ミアちゃんみたいな待遇の人がまたこの国に来るかもしれない。そうやって少しずつこの国が外の世界に対して開かれていくかもしれないよ。その時まで忘れないでまた会えるって信じてみようよ。なんかもう帰る前提で言っちゃってるけど帰っちゃうんだよね?」

 カーラは寂しそうに声をひそめた。あまり社交的ではないカーラにとって私は数少ない気軽に話せる友達の一人だと本人から聞いていた。私にとっても気の合う友達だ。

 「うん。この国で学んだんだ。私には育ててくれた両親に感謝をする務めがある。別にホームシックとかじゃないよ、ただ生まれ育った環境に対しても改めてきちんと感謝の念を残していきたいんだ。それこそそれも縁なんだよね。そうだよね、初めからダメと決めつけてたらできるものもできなくなる。絶対にまた戻ると信じていなきゃだ。決めつけることをしないって決めてたのに悲しい気持ちにあっさり打ち破られてた」

 そうだ。思い込みが悲しい結末しか生まないことを、色眼鏡を捨てたところに輝く世界が見えることをこの国で学んだんだ。

 「ありがとう、カーラ、助かった。なんかちょっとすっきりした」

 「私は何も。人は一人で勝手に助かるだけだよ」

 「え?カーラ、その言葉どうして?」

 「ん?何?」

 「いや、人は一人で勝手に助かるだけって」

 私が好きなライトノベルの名言の一つであるその言葉をカーラが知っていた。私は今までにそのセリフをあのライトノベルのなか以外に聞いたことなどなかった。

 「だってそう思わない?結局決めるのは自分自身でしょ?手を貸してもらったって、アドバイスをもらったって、こうやりなさいって強制されたとしたって自分の意思でもって動いてることにほかならないんだから」

 そのとおりだ。的を得すぎたこの言葉は本当に深く私の心に突き刺さっていた。まさかここでそのセリフを聞けるとは思わなかったが、今一番相応しい言葉だった。


 毎日いつ訪れるかもわからない別れの恐怖にただ震えているのは嫌だった。私はひとり学長室を訪ねた。

 重々しい学長室の扉の前に立つと、その重厚さとは裏腹に自動で扉が開けられた。いや、秘書らしき女性が開けてくれたようだ。中に入ると横で扉の開閉ボタンらしきものを操作する姿が見て取れた。

 学長は自分の机に座り書類に目を落としていた。彼は私の方に顔を向けることをしないまま口を開いた。

 「君の期間終了に伴う処置に関しては私は一切関与していない。私から言えることは何もない」

 まだ何も話していないのに私が聞きたかったことをなんの感情も交えず学長は淡白に言ってのけた。

 「本当に何も知らないんですか?私はそればかりが気がかりで残りの時間を有意義に過ごせていません。私は一体どうなるのでしょう?」

 真剣な眼差しで書類を読んでいた学長が顔を上げた。強い眼差しをそのまま私に向けてきた。有無を言わせない力がみなぎる目をしていた。外界の音がまったく届かない静かな部屋が無言のプレッシャーを与える。何か言わなければ。そう思うも学長にきつく見つめられて催眠術でもかけられたかのように体が硬直してしまった。口の筋肉も思うように動かず、内なる自分の声に耳を傾けることしかできなかった。

 「時期がくればわかる」

 私の返事を聞くこともせず学長はもう出ていけと目で訴えていた。同時に秘書らしき女性が入り口の扉を開けた。ただ無言で追い出されるこの状況に対しても抗えない自分の力のなさが憎かった。

 外は珍しく雨が降っていて、晴れ間も見える中で降るお天気雨のようなもので落ちてくる滴は雲間から時折届く光に反射してささやかで優しい印象を与えていた。

 誰もが傘など使わずに歩いていた。地上に落ちるまでに滴はミスト状に変化していたため、霧吹きを浴びている程度でしかなかった。夏の到来を待ちかねたかのような暑さが顔を出していたが、雨がちょうどよく気温を調整してくれていた。

 泣きたい気分だった。いっそ本格的に雨が振ってくれれば雨に紛れて大泣きもできたのにと思う。天候にまで見放されたようで寂しさが募った。

 精神が安定してないのがわかる。今度は自嘲気味に笑ってしまいそうだった。そんなとき行く手を塞ぐのは大きな男の子。すべてを受け止めてくれそうなセリムがそこに立っていた。

 「この国ではお天気雨に遭遇するのは幸運の証とされているんだ。ほら、見て」

 丸々太い彼の指が指すその先に見えたのは色鮮やかな虹だった。それもその色のグラデーションがはっきりと七色見て取れる。七色と名ばかりの三原色の虹ではない本物の虹がそこには存在していた。

 「さらに虹が見えると幸せ度はアップだよ」

 気づけば大粒の涙がまたしても頬をつたっていた。

 「ミア、考えても仕方ないよ。一日一日楽しく過ごそうよ。こんな風に自然がミアをおもてなししてくれるんだから」

 アポロとカーラが後ろから走って追いかけてきた。

 「わあ、綺麗だね」

 カーラがその光景にうっとりと見入っていた。その隣でアポロも記念にとばかり携帯端末で写真を撮ろうとしていた。

 「あれ、俺のだとうまく撮れないや」

 それぞれが持つ端末にも当然ながら機能差はあるらしい。セリムがポケットから自分の端末を取り出しアポロと同様に写真を撮ってみた。

 「うわ、カメラの性能の差かな?それとも腕がいいのかな?」

 後ろからセリムが撮った写真を覗き込んだアポロはちょっぴり悔しそうにしていた。

 「こんないい日は真っ直ぐ家に帰るなんてもったいない。どこかでお茶でもしていこうよ」

 アポロに言われみんなと仲良く歩き始めたその通りはこの国の自然が作ってくれた特別な神秘に包まれて美しかった。


 この国での生活に関して言えば、前半の密度の濃さといったらそれはとてつもないものだった。何から何まで初めて見るものばかりで、そのすべてに驚いていた。一日がとても長く感じられ、自分が子どもに戻ったときのような気分を味わった。

 段々と慣れていくに従って一日の長さは相応になり、そして気づけば短いと感じるようにもなっていた。

 三ヶ月という短い期間ではあるが、私の20年をぎゅっと詰め込んだもののようで、子どもから大人までの通過儀礼を受けてきた感覚があった。

 暦の上ではあと10日間でちょうど三ヶ月ということになる。

 そんな日の朝のことだ。

 セリムのお母さんから一通の手紙を渡された。今朝ポストに投函されていたものらしく私宛だが差出人は書かれていなかった。けれども私にはそれが私のこの国での最後を決める何かしらの通達に関するものであるとはっきりわかっていた。

 まだセリムは部屋から下の階に下りてきていなかったため、私はその手紙をそっと自分のかばんの中にしまった。

 基本的に朝食からずっとセリムとは一緒にいるので手紙を読むタイミングは夜ご飯が用意されるまでの時間か、夜ご飯の後しかない。手紙が気になって落ち着かないため、セリムに正直に相談しようかとも思ったが、まずは自分の力だけで向き合うこともしなければと弱気を振り払った。

 万が一夕食前に手紙を読んで取り乱した姿を見せてもいけないので手紙は寝る前に気持ちを十分に落ち着かせてから読んだ。

 そこに書かれていたのは、いつでも構わないから近日中にこの国に来て最初に連れて行かれたあの謎の建物に来いとの内容だった。あまりにシンプルなその内容に気を張って力が入っていた体が急に脱力し重く感じられた。手紙でくどくどと書き連ねる内容ではないことはわかっていたつもりではあったが、問題が先送りされ安心したのかより不安になったのかよくわからなかった。

 翌日私は大学を終えすぐに元老院と呼ばれる重苦しい雰囲気をまとった建物に足を向けた。

 一度しか来たことがなかったにもかかわらず、しかもあの時は行きも帰りも連れていかれていただけだったのに私は迷うことなく、まるで体が勝手にその場に引き寄せられていくかのように目的の建物の入り口までたどり着いていた。

 不気味なほどに真っ黒なその建物は国の中枢となる機関とは思えぬほど悪の組織の居城のようだった。

 自然と足が向かっていたためにすぐに気がついたが、よく見なければ入り口すら見落としてしまいそうなほどで、他には窓一つない。みなどこから出入りしているのか辺りにはまったく人気がなく聞こえるのは遠くからの工場かなにかの微かな金属音だけ。明るい日差しもなぜか無色に見える気がする。それくらい周囲は無機質で生の躍動みたいなものが一切感じられなかった。

 モンスターの出るダンジョンに入るわけではないのだが、身構えてしまう。恐怖というより並々ならぬ緊張感に押しつぶされてしまいそうな感じが強く、ここまでスムーズに運んできたはずの足が急に動かなくなった。

 呼吸を整え入り口を通ると、入ってきた入り口がいきなり閉じられた。

 中は一本道でただ前に進むしかない。電球はあるのにまばらに点けられた今にも消えそうな光は私の心を表すかのように儚げに思えた。

 突き当りはエレベーターになっていて私はその冷たい金属の箱の中に入った。ボタンはなく自動で地上と目的地を行き来するだけの作りらしい。

 背中が不安で壁に背を預けた。昇っていく感覚はジェットコースターがかたかたと頂上にゆっくりと近づいていくあの感覚に似ていた。

 幸い落下することなく目的地に到着したのかスローで再生された映像のようにエレベーターの扉が開いていく。

 窓もないその部屋には見覚えのある四人の大男が横並びに長机を共有してこちらを覗っていた。

 

 空調は効いてないのかかなり暑い。私の感覚で暑いのだからあの巨体の四人には灼熱の砂漠の上さながらの暑さではないかと思えど彼らは汗一つかかず涼しい顔をしていた。

 暑さもそうだが酸素が薄い。実際に本当に薄いわけではないのかもしれないが私の精神状態がそう感じさせていた。

 窓もなく電気もない、光源がないのに真っ暗ではない奇妙な空間がすでに私を完全に支配していた。このままではまともな会話などできる気がしなかった。

 「この国を出る準備が整った」

 開口一番に放たれたその言葉に私はただ顔をしかめることしかできなかった。

 彼らの前にはパイプ椅子が用意されてはいたが座ることを促すでもなく結論を突きつけてきた。

 長い沈黙が続いた。

 そこでようやく最初に口を開いた向かって一番左の男が手で座れと合図をした。彼らの座っている位置が前に来た時と違うような気もしたが余計なことをかんがえている余裕などなかった。

 「準備が整ったというのは?」

 かろうじて絞り出した声は震えていた。

 「文字通りの意味だが。いつでも国を出ることが可能だ」

 「私はなんの制約もなくこの国を出れるのでしょうか?」

 一言言葉が放たれるたびにその軌跡が目視できそうなくらいゆっくりと会話がなされた。

 「君に与えられる選択肢は大きく二つ。この国を出るか、この国に残るかだ。この国に残ることを選択した場合、生活に必要なありとあらゆるものはこちらで要望通りに用意する。その後は他の国民同様の生活をしてもらう。もちろんこの場合、二度と外の世界に帰ることはできない」

 具体的な話が出てきて私は息を飲んだ。ひとつは永住権の獲得。生きるか死ぬかの観点だけでみればこの国で生活できる権利がもらえることは悪い話ではない。でも私には外の世界に残された家族や友人がいる。私一人の一存で彼らとの繋がりを簡単に断つことなどできるはずもない。

 「この国を出ることを選択した場合」

 私が気になるのはこちらの選択肢だ。無事に帰れても二度とこの国には戻れないとの条件が述べられるのか。

 「速やかに我々が用意した乗り物にて外の世界に帰ってもらう。それが自動で君の国まで送り届けてくれる」

 私は吹き出す汗を手で拭いながら頭を冷静にと努力した。

 「それだけですか?またこの国に来ることはできるのですか?」

 私のその質問に対する彼らの答えは非情なるものだった。

 「結論から言えば、来ることはできないだろう。乗り物に乗っている間に君のこの国での記憶はすべて消去される。その他にもこの国に結びつきそうなこの国に来る以前の過去の記憶も取り出して消去する。つまり君は外の世界に帰るときにはもうこの国のことは何も覚えていないしこの国に近づいていた過去の記憶も持ち合わせない」

 人間の記憶までも操作するなんてことが本当にできるのだろうか。しかし学長から聞いたこの国の話を考えるに恐ろしく科学を発達させているのも事実だった。

 それは少し考えれば思いつきそうなことでもあった。恐らくこの国には外から迷い込む人間が歴史を紐解けば何人かはいたはずだ。私だけなんてことはないだろう。その人たちが外に出てこの世界になんの干渉もしなくなる方法なんて記憶を消すかその存在を消すくらいしかない。もしかしたらこの国に残る選択をしたら外の世界の記憶が消されるのかもしれない。だとしたらすでにこの世界には外から来た人間が暮らしている可能性もあるわけだ。

 でもその場合中で関わりをもった人の記憶はどうなるのだろう。この国に残った人間がいたとしても誰からもそんな話は聞いたことなどないことを考えると都合よく国民の記憶をすべて書き換えたりしているのかもしれない。

 汗が一気に引いた。背筋がぞっとし鳥肌が立った。

 そしてさらなる追い打ちの言葉が容赦なく私に撃ち落とされた。

 「この国に残るを選択した場合に関してひとつ言っておかねばならないことがあった。セリムとの関係だが、彼の一部の記憶と彼との間のやり取りの双方の記憶は消させてもらう。彼はいろいろと知りすぎた」

 「そんな」

 セリムの外の世界に関する興味関心は学長が言うところの歴史に選ばれた人間ではないのだろうか。

 「彼の思考は我々が許容できる範囲を逸脱しつつある」

 記憶の消去なんて彼の人格を変えてしまうことになる。それは絶対に嫌だ。彼のままで彼の自由な思考のままでいてほしい。

 「君が外の世界に帰るならばセリムの記憶は改ざんしない方向ではあるが、それでも彼の行動次第になる」

 セリムは外の世界に興味関心が強い。私が帰れば後を追う方法を考えたり外に出るアプローチをとる可能性もある。どちらにしてもセリムは記憶を消されてしまう危険性がある。

 「私はいつも彼と一緒に行動していました。でもこの国のことをあれこれと詮索するようなことはしてませんでした。私から手伝ってほしいとお願いしたことはあるし、本人も少しは気になることがあるようだった。それでも自分から進んで何かをしているようには思えない」

 私は必死だった。自分のせいでセリムにあらぬ疑いが向けられている。セリムは無実だ。何も悪いことはしてないはずだった。

 「君は学長の話を聞いたのだろう。歴史に選ばれた人間とそうじゃない人間の紙一重の差の末路を。現段階ではまだ判断を確定できるところではないが監視が必要なことに変わりない」

 監視という言葉が引っかかった。思えばセリムに初めて会ったときにも不自然に素早く警察官らしき男たちが現れた。そしてセリムの動向を把握してるともとれる発言の数々。ずっとセリムのことを監視していた?だから私はセリムと共にいる?

 「彼は私に黙って何か調べていたのですか?」

 「そのことに関しては君が知る必要はない」

 ぴしゃりと音が聞こえてきそうな威圧を持った強い拒否があった。

 「我々はただこの国の幸せの在り方を変えず維持していくことに努めているだけ」

 そう言った男の声が微かに乱れたように感じた。その控え目な優しそうな声はどこかで聞いたことがあるような嫌な響きのないものだった。髭をたくさん生やしていて清潔感がない男は最初もいた。だがなにかひっかかるものがある。どこかで会っている?

 「君は選ばなければならない。残された時間は少ない。そしてここで話された内容は他言無用だ。残りの間は君に完全なる監視が付く。こちらに反抗的な態度と思われる動きがあればすぐに対処する」

 隣の男が口を挟んだせいで思考が遮られた。

 「時間となれば君に再びここに来てもらい、最終判断を問う」

 次の瞬間視界が途切れた。部屋が何も見えない闇に包まれてたのだ。最初のときと同じだった。視界が戻る頃にはやはり四人の姿はどこにもなかった。なんの音もなく、人が動いたような空気の流れも感じなかったことからそもそもあの四人の実体はここにはなかったのではないかとも思った。

 しかし考えたところでどうにもならない。私が今もっとも考えなければいけないことは自身の処遇とそれに伴うセリムのこと。

 ここに来るまでに私自身紆余曲折を経て随分強くなったと思っていた。流した涙に比例するように図太くなったんだと。本気でそう思っていたのに。結局振り出しに戻ってしまった。どうしたらいいのかわからない。監視の目がある以上誰にも相談はできない。

 後ろのエレベーターの扉が開いた。帰れと暗に言っているのだろう。

 外はまだ明るかった。明るすぎた。仄暗い部屋にいて目が暗がりに慣れていたためにその激しい太陽の光に目を開けていられなかった。

 熱く真っ直ぐな光を届ける太陽をもってしても私の心の中の闇までは明るく照らすことはできなかった。


 家に帰るとセリムが迎えてくれた。私がなにかしらの選択を強いられていることを感じ取っているかのように彼は優しく私をエスコートした。私が話さなければ彼から話しかけてくることはせず、ただ黙ってふらふらな私を部屋まで連れて行ってくれた。

 「セリム」

 喋ると涙が出そうだった。奥歯をきつく噛みしめて懸命に涙をこらえた。

 「大丈夫だから。心配いらないよ。ありがとう」

 セリムは夕ご飯をどうするか聞いたが私はただいらないという素振りだけしてその夜は一人にしてもらった。

 窓の外は静かで星は山で見たものに比べるとだいぶ数は少ないが、目に見える星はその輝きを惜しみなく放っていた。私の身に起きていることが現実とは思えない街の落ち着きだった。私の他にも私と同じように外からこの国に来て葛藤した人がいるのだろうか。そしていたとするならばその人たちはどのような選択をしたのだろう。

 残された時間は一週間ちょっとしかない。

 私は外の世界に帰る決意をある程度固めたうえで話を聞きにいった。だが記憶を消される事実に突き当たりうろたえてしまった。ここで過ごした思い出を宝物としてずっと大事にしていれば、離れていてもいつかきっと会えるときがくるなんてのは幻想だと現実を押し付けられた。

 でもそう思えるのはここでの生活が私にとってかけがえのない素敵なものだったからだ。別れを偲ぶ気持ちが強ければ強いほどこの国を、この国の文化を、この国の人たちを愛した証拠だ。その軌跡が露と残らず消え果ててしまうのはあまりに残酷だ。抗えない運命を受け入れるしかない人たちのことを再び思い出してしまった。体は死なないが、私の心は死ぬ。外に出てそのことすら覚えていないだろうことが余計につらい。

 この国の朝はいつもかなり静かだ。車など走ってはいないし、朝から騒ぐ人たちもいない。聞こえてくるのはせいぜい小鳥の囀りと家の中から放たれる生活感のある僅かな物音だけ。

 不思議と三階のこの部屋までコーヒーの香りが届いてきているかのように条件反射で朝のコーヒーが体に染み付いていた。鼻の奥底にコーヒーの豆の香りが残っていて朝になるとそれが広がるのかもしれない。

 私の心の中とは反対にこの国は今朝も穏やかそのものだ。誰も私に起きていることなど気にかける様子はない。もちろん私だってなにか不穏な騒ぎを起こしたいわけではない。できるなら静かにことを運びたいと思っている。

 大学に向かう途中もつい無口になってしまう。いつもならみんなと会話が自然にできるのにそれができない。

 私の異変にはセリムはもちろんのこと、アポロやカーラも気がついているようだった。けれども彼らは深く聞くようなことはしてこなかった。それでいて頼ってくれたらいくらでも協力するという態度を示してくれていた。

 授業は当たり前のようになにも変わらず淡々と行われていくものの、まったく集中できないでいた。セリムたちに相談したい。でもそれはできない。間接的にでもアドバイスを仰げないかとも考えたが、彼らはすぐにそれが私自身のことだと気がついてしまうだろう。

 昼休みについにアポロが口を開いた。

 「ミア、もう時間ないんだよね。俺たちが口出すことじゃないかもしれないけどさ、気になってしょうがないんだ。どうするつもりか教えてほしい」

 いかにもアポロらしい聞き方だと思った。そうはっきりと聞いてくれるとこちらもいくらか話しやすい。一見チャラチャラした感じにも見えるこの男の子は見かけ通りの部分もあるが、見かけとはまったく違う面もまた多く持っていた。

 「うん。外の世界に帰るつもりだよ。それはもう決めた」

 みんなわかってはいただろうけどどこか重たい空気になった。

 「そっか。でも何か引っかかってるんじゃない?帰るって決めてるわりにはすっきりしてないように見える。寂しいとかいろいろあるだろうけどさ、そういうことじゃなくなんか抱えてない?」

 セリムとカーラの二人もアポロの今の言葉に大きく頷いた。この三人に隠し事はできないなと思わず頬が緩んでしまったもののどこまでなら話せるのだろうか。

 「うん。実はね」

 冷たい視線が私の方に注がれている気がした。まるで私が余計なことを話せないよう牽制するかのように。どこから、誰がそうしているかはわからなかったが、私を取り巻くその場の空気が一変した。

 「実はさ、やっぱり外の世界に出たらもうこの国には戻ってくることはできないみたいなんだ。連絡を取り合うのも難しいかも。今回の私の訪問のようなケースは特例中の特例みたい。帰る決意はできてたんだけどそれを聞いたらちょっと考えちゃってさ」

 冷たい視線のようなものは今なお残っているが何か起きる様子はない。私の今の発言はかろうじてセーフということだろうか。

 「いつの間にそんな話をつけたの?僕も立ち会わせてくれればよかったのに」

 セリムが納得いかないといった表情で珍しく少し取り乱している。

 「必ず一人で来いって言われてたから、ごめんね」

 親身に私のことを考えてくれていただけあってセリムには自分がここぞで何もできなかったのが悔しいのだろう。

 だが私の言ったことにみんな納得してくれたようだった。戻ってこれないのは事実には違いないわけだしそのことで後ろ髪を強く引かれているというのは理由としては十分だ。実際に記憶のことがなかったとしても今ほどじゃないにせよ私は帰るのをためらってはいただろう。

 「そっか。俺たちも国の出入りはできないからな。国の政策が変わるなりの奇蹟を期待するしかないのかな」

 「奇蹟なんかじゃないよ。絶対にまた会えるって」

 カーラが大声を出した。セリムと同様に感情の起伏をほとんど見せてこなかった彼女が私のために感情を露わにしてくれた。

 絶対にまた会えると信じてくれている人のことを思うと胸が苦しくなる。また会いたいと願えど私は外の世界に着くころにはもう誰のことも覚えていない。それでもそうすべきだ。私がここに残ればセリムの記憶は書き換えられてしまう。どのみちそのリスクはあったとしても私が出ていくほうがまだそのリスクは避けられる可能性は高い。

 「なんとか文通だけでもできないかお願いしてるところなの。せっかく仲良くなれたんだし」

 ふと思いついて言ってしまったが、文通を頼めばいいんだと思った。請け負ってくれるかはわからないが、セリムに私から手紙が届く形が作れればセリムは無茶をすることも少なくなるのではないだろうか。代筆でセリムをごまかすことができるかは難しいところだがなにもしないよりは絶対にいいはずだ。

 「個人宛でやり取りまでは許してもらえないかもしれないけど国宛であれば内容次第ではなんとかなるかもしれないと思ってさ」

 嘘を付くことは辛かった。でも私なんかのためにこれ以上みんなに迷惑をかけたくなかった。

 「うん。いいアイデアだ。それならなんとかなるかもしれないね。やり取りが続けばまた国に招待もあるかもしれないし」

 アポロを筆頭にみんなの顔に明るさが戻った。

 そのすぐ二日後に再びあの四人からと思われる手紙が私の元に届いた。

 内容はまたもシンプルでXデーとなる日付と決断のときは必ず一人であの場所に来るようとの旨が書いてあるだけであった。

 時間すらも記されてないのは監視のために私の行動が読めるからか、単純にいつでも対応できるということか。

 いずれにしてもあと4日になった。

 その日の夕飯の場にて私はセリム、クレア、お母さんを前に三ヶ月にわたりお世話になったことにお礼を言った。あいにくとやはりお父さんはこの日の夜も不在のため挨拶をお母さんに頼むかたちになってしまったのは残念だが仕方がない。

 「残念ね。本当にあっという間だった。もしまた来る機会があるなら絶対にうちに泊まりにきてね」

 お母さんは言いながら目にうっすらと涙を浮かべていた。

 「ちょっとママ、そういうしんみりしたのはダメだって」

 クレアが割り込んできたが、当の彼女もお母さんにつられてか目が潤んでしまっていた。

 「悲しい気持ちは僕も同じだよ。泣きたいのもわかる。でも笑顔で見送ってあげようよ」

 セリムも同様に今にも泣き出しそうな声と顔で一家をまとめた。

 そんな三人を見て私が普通でいられるはずはなく一瞬でもらい泣きをしてしまった。

 私に家族の有り難みを教えてくれたセリム家は間違いなく私の第二の家族だ。滅多にやらない家事をして、滅多にしないガールズトークをして、滅多にしない恋までしてしまった。私に新しい多くの刺激をもたらしたこの家での思い出は一生忘れない。

 一生忘れない。

 そう頭の中で思った瞬間になにか心の奥底にある堰が壊れた。

 今までにないほどの大粒の涙が脳の指揮系統を無視するかのように延々と流れ出ていった。勝手に声帯は震え、家中に響き渡るくらいの嗚咽が続いた。

 その晩はクレアがずっと付き添ってくれた。眠れるまでずっと手を握っていてくれると約束し私は少しずつ落ち着きを取り戻し眠りにつくことができた。

 朝目が覚めてなおクレアは私の手をしっかりと握っていてくれた。私はクレアを起こさないようにそっとベッドから抜け自分の部屋に戻り、また少し静かに泣いた。

 最後の日は土曜日だった。

 朝から強い日差しがカーテンをものともせず部屋を暑くしていた。気候がコントロールされているとはいえ四季があり、今はもう夏だった。ここに来た頃は春だったわけだから月日が流れたということだ。

 空には雲ひとつなく、どこまでも爽快な青が続いていた。この素晴らしい天気はこの国を出る決意をした私に対するせめてものはなむけのようなものなのだろうか。

 家を出るギリギリまでお母さんとクレアは本当によくしてくれた。オシャレなどしてもしょうがないのに二人でメイクをしてくれた。髪もかわいくセットしてくれた。洋服は最高のコーディネートを考えてくれた。

 どんなに華やかに飾ろうともおそらく着替えることになりそうだとはわかっていた。それでも二人の気持ちに応えたかった。

 午前零時で魔法が解けるシンデレラみたいだなと場違いな微笑ましさがそこにはあった。おかげで程よく緊張感が和らいだ。

 玄関を出るとセリム、アポロ、カーラの三人が真っ白なアネモネをバックに立ち、青春映画のワンシーンのような画だった。彼らは私がダメだと言うのも聞かず、元老院の入り口まで付いていくと意固地になっていた。

 クレアとお母さんと最後のハグを丁寧に交わし、笑顔で二人を残し私たちは出発した。

 午前中とはいえじりじりと照りつける太陽は私たちをすぐに汗びっしょりにした。厳密には私はあまり汗をかいていなかったが、他の三人はすごい汗をかいていた。

 「いっぱい汗をかいておけばさ、体の水分がなくなって涙も出なくなるから。最高の笑顔でバイバイできるよ」

 アポロらしい冗談だったが、三人は本気のようだった。

 そんな彼らの提案で大学に寄り道をしていくことになった。私のために時間を作ってお別れをしに待ってくれている学生たちがいるらしい。

 大学ではこの三人以外ほとんど交流がなかったがそんな私のために集まってくれる人たちがいる。最後まで優しき国民性が表れていた。

 大学に着くと全生徒がそこにはいた。講義塔を背中に大人数が綺麗な列をなしてこちらに笑顔を投げかけていた。そして一人の合図とともに講義塔の上から大きな白い幕が降ってきた。そこには、ミア、ありがとう、と様々な色で染められたバラの花で文字が描かれていた。

 その一帯に甘いバラの香りが立ち込めるようだった。バラの花言葉は色によって異なれどほとんどが恋愛に関するもので想い人への気持ちを伝える花だ。ここにいるみながそれを知ったうえで私にバラを用意してくれたのかどうかはわからないが確かにそこには愛があるように思えた。

 誰もが笑顔で私を送り出してくれている。私は鼻の奥がツンとする感覚を意識的にバラの香りに向けた。華やぐバラの香りに包まれた私はただ一言ありがとうと返し、盛大な拍手を背に歩きだした。

 目的地の元老院まではすぐだった。私たちはあまりの距離の短さに誰も一言も発せずにいた。

 地下から地上に出るとやはりそこには少し重苦しい空気が漂っていた。青空を独擅場とばかりに支配する太陽の強い日差しにもかかわらずどこか陰湿とした暗い雰囲気が目的地である元老院にはあった。その入り口は大きな獣の口のように中は黒く何も見えない状態で開かれていた。飲み込まれたらもう戻っては来られない。その感覚は私だけでなく一緒にいる三人も共有しているようだった。

 「ミア、大丈夫、俺たちはここでずっとミアのことを見送り続けるから」

 「うん。僕たちは最後までミアのそばにいるよ」

 「ミアちゃん、怖くない。私たちが付いてるから。離れていたって思いは届くし通じるよ」

 良き友人に恵まれたと思った。最初こそ一人で来るつもりだったが一人で来ても足がすくんで動けなくなっていただろう。別れは辛いけど最後までみんなと一緒でよかった。

 「アポロ。いつもムードを盛り上げてくれてありがとう。アポロのおかげで何をするにもやってみようと思えた。すっと大学の友達ができたのもアポロがいてくれたから。オシャレでスポーツ万能で女の子への気遣いも忘れない紳士。モテモテ街道まっしぐらだね」

 「カーラ。いつも優しく声をかけてくれてありがとう。私の考えてことを瞬時に察知して適切なアドバイスをくれるカーラはお姉ちゃんみたいで頼りがいがあったよ。控え目でおしとやかなのにここぞというときには芯の強さがあってびっくりした」

 「セリム。最初から最後まで、何から何までありがとう。一番最初にセリムがあそこに立って私を受け止めてくれてなかったら私は大怪我をしてこの国で楽しむことなんかできなかったと思う。いつもそばにいてくれてありがとう。ただそばにいてくれるだけで安心できたよ」

 三人とも各々に何かを言おうとしていたところを私は止めた。

 「何も言わないで。もう十分だよ。これ以上は脳が受け止めきれないや。本当にありがとう。最後まで笑顔でいてくれてありがとう」

 強い日差しが逆行となり三人の表情がはっきりと見えない。向こうからは私の顔がはっきり見えてるのだろうか。私は全身に力を入れて精一杯に笑った。

 「またね」

 間髪入れず三人に背を向け歩き出す。その瞬間に我慢していた涙は溢れ出した。ドラマの別れのワンシーンのように私は前を向いたまま右手を高く掲げ後ろの三人に手を振った。

 光に包まれた場所から闇に閉ざされた場所に足を踏み入れた途端に体が震えだした。もう怖くもないし何も思い残すこともないはずなのに、意識に上らないどこかの感覚が何かを叫んでいる気がした。

 結局セリムには気持ちを伝えることができなかった。思い上がりかもしれないがセリムはきっと私のことを想っていてくれた気がする。だからこそこの想いは私の心の中だけにとどめておく必要があった。晴れて両想いで結ばれましたなんてハッピーエンドはつかの間の儚い演出にしかならない。もう私たちは二度と会えないのだから。バッドエンドを盛り上げることだけを避けるしかなかった。

 足にうまく力が入らなかったが、三人に見られているような気がして懸命に力を振り絞って突き当りのエレベーターに乗った。そこでようやく三人の方を向いたが、見えるのはまばゆく光る入り口の輪郭のみでその内側は真っ白に塗りつぶされてしまっていた。

 エレベーターが上の階に到着すると例の四人がすでに待ち構えていた。今回は四人とも地に足をつけて立っていた。そして私を別の部屋に案内するところを見るにそれは間違いなくそこに実体があるものだった。

 連れて行かれた部屋に置かれていたのはカプセル型の乗り物。ボブスレーで乗るソリのようなものに底面と同じかたちの蓋がなされたまさにカプセルのような乗り物だった。中には頭に取り付けるヘッドギアがあり、これで記憶を操作しながら外の世界に自動操縦で送り出すことはすぐに理解できた。

 「外の世界に帰るということで良いのだね?」

 清潔感のない髭だらけの男が優しくそう言った。今までの高圧的な物言いではない控え目な口調。私はその口調を知っていた。やはりどこかで会っている。

 私が答えるより先に男は話を続けた。

 「わかると思うがこのマシンに乗ってもらう。このヘッドギアを装着しマシンのセッティングを行ったのち君はしばらく深い眠りにつく。目が覚めるともう君がよく知る世界に着いているだろう。マシンのその後の心配はしなくてもいい。マシンは君を降ろすと自動で引き返すようになっている」

 この場にいることがすべてを肯定するサインだ。

 誰もがそれを理解していたため、自然と私の頭にヘッドギアを取り付け操作を始めていく。

 頭の中に不思議な音が響き始めた。耳で聞くというよりも脳で音を知覚しているような感覚だろうか。

 私は最後のお願いをしてみることにした。

 「お願いがあります。私の代わりにセリムと文通をしてもらえないでしょうか。このまま外の世界に帰りなんの音沙汰もないとなるとセリムは必ずなにかしらの行動を起こしてしまうと思うんです。私はセリムの記憶を改ざんしたくない。だから、特別に国を通してセリムと文通できることにして私のふりをしてほしいんです」

 四人の男たちは意外とばかりにお互いの顔を見合わせた。

 「なるほど。確かに我々もなるべくなら記憶を操作するなんてことは極力しない方向ではいきたい。だが可能だろうか?君の代わりをしたとしても気づかれてしまうのではないか?もしそうなったら事態は逆効果に動いてしまう恐れがある」

 しばしの沈黙を破ったのは髭だらけの男だった。

 「その役、私が負いましょう。君はどのみち外の世界に出たらもうこの国の動向を探るのは不可能だ。それでも君のその気持ちに少しでも応えてあげたい。だから約束しよう。出来る限りセリムを欺き文通をすると。ミアくん、セリムを気にかけてくれてありがとう」

 段々と頭の中がまどろんできていた。意識が朦朧としてくる。その薄れゆく意識の中で私は気がついた。

 「セリムのお父さん?」

 目を開けているのが限界だった。微かに見える彼の目にだけ意識を向けるとそれはセリムの目と同じ優しさに満ちたあの目だった。

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