第2話

 広い部屋の真ん中に椅子がひとつ。入ってきたドアを背にして座る先には四人のかなり大柄な男性が長机に椅子を四つ並べて座っている。それぞれがタブレットのような携帯端末を操作している。

 椅子に座ってからというもの誰も何も言葉を発しない。ただただ変な緊張感だけが張り詰めていくようだった。

 これが何かの面接かなにかであればいい緊張感のもと頑張ろうとも思えるのだけど。自分から口を開いていいものかと落ち着かない気分でいると、ようやくひとりが口を開いた。

 「さて、いろいろと聞かねばならないことがある。」

 この雰囲気はなんとかならないのだろうか。なんで私はこんな窓もない電気もしっかり点けない薄暗い部屋で尋問されなきゃいけないのか。おそらく私に対するプレッシャーのつもりだろうけど、私は何も悪いことをしたつもりはないし、聞かれたことはなんでも話すつもりでもあった。もっと楽しげにお菓子でも食べながらとはいかないまでももう少し年頃の女の子に配慮した場は用意できないものだろうか。

 私は自分がした事の大きさをよくわかっていない。でもどうやらけっこうまずいことになっているのかもしれない。

 ここに来るまでに目にした光景から推測するに、私はとある国に不法入国したようなものだと思う。だからこそ銃を突きつけられて連行された。とはいえここに国があるなんて知らなかったし、国境を越えても問題ないように世界すべてに共通する通行許可書も持っている。自家用飛行機に乗るときは必ずその通行許可書を持つ。私はつい当てもなく飛びすぎていろんな国の領空に入ってしまうからだ。許可書がなければそれは国際法にも触れる大問題だが、正式な審査の元に発行される許可書があれば他国に入ることも問題はない。

 この国には私の暮らす世界での理など通用しないのかもしれない。許可書などただの紙切れ同然でなんの効力もないとか。私の答え次第ではこのまま拘留される可能性もあるのかもしれない。

 あの山で出会った男の子には、好きなことして死ぬなら全然言いでしょみたいなことを偉そうに言ったものの、この展開はあまり芳しくない。素直に無実を訴えるしかないな。

 「まず君の名前を聞いておこうか」

 最初に口を開いた男が質問を始めた。向かって一番左に座るこの男はこの中でも特に威厳があるふうに見える。なにがそうさせるのかはわからないが身にまとう雰囲気というか、ただ者じゃない感じはする。体は四人の中では一番小さいか。それでもプロレスラー並みの体をしている。歳はまだ若めだが40くらいだろうか。切れ長の目が怖い。

 「はい。ミア・パニーニです」

 「単刀直入に聞こう。あそこで何をしていた?」

 声のトーンが先程よりも低い。部屋は決して暑くはないのに変に汗が出る。

 「何もしていません。本当です。たまたま飛行中に飛び降りた先があそこだったんです」

 私は正直に話すしかない。それでダメならもう運がなかったと諦めるしかないのだろう。私の答えを受けて今度は一番右に座るたくさんの髭を生やしたやや清潔感に欠ける男が口を開いた。

 「偶然だとしても、とりあえずこの国に来た経緯をすべて話してもらおう」

 「わかりました。お話します」

 そして私はここに来るまでの事を語ることとなった。


 一面はどこまでも澄み渡るスカイブルーが広がっている。周囲を見回しても私しかいない。この世界には私しかいないと幻想を抱かせる。

 世界中の誰よりも太陽に近い位置にいる。そんな気がした。事実、私は今まさに雲の上にいる。高校生のときから乗りこなしている自家用飛行機に乗り、空を駆け巡る。これが私の趣味のひとつだった。

 雲の上は当然のように晴れ渡り、太陽からの日差しがとても眩しい。光を遮る特殊なヘルメットを装着していてもなお太陽を肌に感じる心地がある。

 レーダーに目を向ける。今日は目的地がある。いつもなら当てもなくひたすら思うままに飛び回ることのが多い。雲の上に出て太陽を間近で感じるのが大好きで、行き先などその過程で生じるおまけみたいなものだった。

 でも今日は行くと決めている場所がある。かねてから行きたいと思っていた場所だ。何があるわけでもない、むしろ何もない場所で、いわゆる未開の土地のはず。地図を見てもあるのは険しい山々で、天候が乱れやすく近くを飛ぶことも危険とされている。着陸できるところなんてないが、空からのアクセス以外にこの地域に踏み込むことは不可能だ。子どものころからずっとこの地域のことが気になっていた。なぜかはわからない。ただ興味関心がずっとあった。

 大学に入り文化人類学を専攻していることもあり、フィールドワークと称して飛行機で飛び、よくいろんな地に赴いていた。それでも既存の土地で調査をしているだけで未開やら未踏といった土地に行ったことはなかった。

 一年間必死に一通りの方法論を勉強し、まだ見ぬ世界への憧れが増したことも影響しているかもしれない。急にあの場所を調べたいと思ってしまった。家族友人には反対された。あの辺りは上空を飛ぶだけで精一杯だ、下に降りるなど自殺行為だと。

 根っからの負けず嫌いで一度気になったらとことん追求しなきゃ気がすまない質だったためだと思う、反対されればされるほどやってやるといきり立ってしまう。結果、思い切ってしまった。大学は半年休学し、家族には手紙だけを残して空に飛び立った。

 目的地のある空の上は開放感にも解放感にも満ちていて、私はドキドキが止まらない。ずっと不思議な緊張感があった。飛行機の操縦に緊張することなんてない。これは未知なる世界への想い。私はただただ楽しみだった。もちろん難しい行為だと理解しているし、無事に着陸できたところでなんの成果も上がらない可能性も十分に考慮している。それでも行きたいという想いが勝った。

 目的地の天候は磁場の影響と言われているがかなり変わりやすく、レーダーが狂ったり操作も難しくなることで有名だった。でも今日は完璧に晴れ渡っていると確信していた。なんの根拠もない。ただそう感じるのだ。

 近づくにつれてレーダーや高度計など徐々に不具合を示してきている。今はまだ雲の上にいるために下の天気はわからないが、雲の切れ目らしき部分が目に入った。

 目的地の上空に到達し、私はレーダーを切った。狂う恐れがあるなら最初から使わなきゃいい。私にはレーダーなどなくとも正確に空と地上の距離を測ることや方向を特定する自信があった。ギリギリまで降下してパラシュートで飛び降りるというかなりの無茶を試みようというのに怖いとは思わない。むしろ早く飛び降りてまだ見ぬ地を見たいという衝動に駆られている。

 飛行機を設定し、私が飛び降りる瞬間に自動操縦に切り替えるようにする。これで飛び降りた飛行機は自動で私の家に帰る。行動履歴は残らないように細工もしてあるので誰も私のことを追ってこれないだろう。放浪癖があるため数ヶ月くらいいなくなっても両親は心配しなくなっているので生きてさえいれば大丈夫とよくわからない理屈を決め込んで飛行機をゆっくり旋回させながら降下していく。

 天候は私を応援してくれた。雲などまったくない。視界は良好。自分の感覚にすべてを委ね少しずつ飛行機を下に向けていく。広がるのはミラノの大聖堂の尖塔を思わせるほどの恐ろしくとげとげの絶壁。確かに降り立つことができる場所は見当たらない。

 怖くない。なんの迷いもない。正確に距離を測り私は飛び降りた。

 飛行機がオートに切り替わり急上昇していくのを確認しすぐにパラシュートを開く。山肌にぶつかる瞬間にエアバッグをすべて開いて衝撃を吸収させどこかに引っかかるようにするつもりだった。でもやはり物事は万事順調などというわけにはいかない。

 リュックが変に絡まってエアバッグの操作が思うようにできない。この勢いを直接体に叩き込まれたらさすがに死ぬかもしれない。やばいと思った。方向を変えるのももはや不可能。このままではぶつかる。なんの抵抗か手足をばたつかせる。少しでも勢いが殺せればチャンスはあると考えての行動で理性が飛んだわけではない。

 ぶつかる。ぶつかる瞬間まで目を開けていられるほどの度胸はさすがにない。そこは女の子らしくぎゅっと目をつむり衝撃に備える。

 何か柔らかいものに触れた気がした。

 

 ほんの数秒だろう、恐怖からかはわからないが意識を失っていたらしい。気がつくと大きな男の子の上にいた。状況の理解に苦しんだのはいうまでもない。崖に激突したはずなのにここはどこなのだろう。

 私の安否を心配してか男の子は声をかけてくれる。言葉は通じるみたいだ。うめき、よろめきながらなんとか立ち上がると、洞窟の中のような場所にいることがわかった。むき出しの電球が等間隔に点いた暗くはないその洞窟には空を見渡せるほど大きな穴が空いている。どうやら奇跡的にこの穴に入って、これまた奇跡的に人間エアバッグの彼が受け止めてくれたみたいだ。でもすぐに違和感に気がついた。あの時にこんな大きな穴なんてなかった。ぶつかるギリギリまで私は目を開けていた。間違いなく崖にぶつかるはずだった。

 思考を切り替える。考えても仕方ない。

 「どこなのここ?こんな穴なんて絶対になかったのに」

 彼は何者なのだろうか。ここに人がいるなんて。まさか妖精か何かなのかな。それにしては体が大きすぎるか。頭が冷静なのかそうじゃないのかわからない。気持ちは昂ぶっている。未知なる世界に来たかもしれないという期待があった。

 聞くとここはチッチョという国だというが、聞いたこともない。確かに世界中のすべての国の名前を把握しているわけではないと思うが、この辺りに関していえばいつも地図を見ていた。少なくとも地図には載ってない国ということだ。

 正式な国として認められていないために地図には載らないが存在するという国はないことはない。私もそれらの国をいくつか知っていたりする。そう。そういう国は逆に有名だったりする。私はつい人があまり手を付けないようなこと、知らないようなことに興味を持つ癖もあって、いわゆるトリビア的な知識はけっこうあると自負している。そんな私の知識をかいくぐって存在する国があるなんて。勉強が足りないと思う一方で新しい世界との出会いに心ときめく思いを隠すのが難しい。変な人と思われないように慎重に行動しないと。

 すでに変な人と思われているのか。彼の視線がそう物語っている。このヘルメットのせいかもしれない。私はヘルメットをとり、改めて彼と正面から向き合う。身長は特別高いわけではないけど横にはだいぶ大きい男の子だ。私と同じか少し年下くらいだろうか。ほんのり茶色みがかったつんつんの直毛は男らしい印象があるのに、つぶらな瞳と顔の外側に向かって垂れ下がるはっきりとした眉毛のせいで肉食系のイメージは薄れている。きっと草食系だ。たぶん優しく温和な性格なんだろうなと思う。

 ヘルメットを外して向き合うも彼は私を珍しいものでも見るように眺めている。この国に訪れる人が珍しいのだろうか。それとも私がなにか変なのか。彼は逆に私の視線に気がついたようで、じろじろ見てごめんなさいと謝ると気まずい空気を払拭するためかすぐ話題を変えてきた。

 私が飛び降りてきたことに彼はかなり驚いている様子だ。まあそれも当然だろう。女の子がするべき行動じゃないのは自分でもよくわかっている。でも後悔だけはしたくないし、その結果で命を落としても私はそれでいいと思っている。かっこよく言い放ったが言っててちょっと恥ずかしくなってしまった。照れ隠しなごまかし笑いでその場をしのごうとしていた時だ。

 大きな彼の後ろで何か人影のようなものが二つほど動いた気がした。

 「そこで何をしている?」

 気のせいじゃなく二人の大男が近づいてきた。目の前の彼と比べてもふた回りほど大きいんじゃないかというくらいに巨大な二人だった。警察官や警備員のような制服を着ている。この国の治安を守る任務に就いている人たちなのだろうか。にしても私か私たちかはわからないけど対抗心をむき出しにしすぎなのではないか。二人とも手に持つ銃をこちらに向けている。いつでも発砲すると暗に言っている。

 「少し話を聞きたい。一緒に来てもらおうか」

 どうやら私だけじゃなく彼もその保護対象らしい。私たちに拒否権などないと小銃が言っている。いや、近くで見るとまったく小銃じゃない。彼らが持っているから小さく見えているだけでたぶん私じゃ両手でもしっかり持つことは難しそうなくらいに大きな銃だ。私はとっさに通行許可書を見せようと思ったが場の空気はそんな緩いものではなかった。勝手に動くとその瞬間に撃たれるんじゃないかという殺気じみた緊張感が一帯を覆っている。

 「抵抗するな。話の内容次第ではすぐに帰らせる」

前を行く男の子が私を気にかけたのか、私の方を見ようとしたときに牽制の声が響いた。私たちは素直に従うしかなく、言われるままに洞窟をでる。出たところには大きなスクーターのような乗り物が二台止めてあった。各スクーターの後ろには人ひとりが乗れるほどの席が取り付けられている。何も言われないがここに乗ることは明らかで自然と私たちはその席に乗り込んだ。

 すぐにスクーターは動き出した。ここは山の頂上に近いところのようで、自然豊かな木々の中を下っていく。途中見晴らしの良い場所に出た時、街が一望できた。それは確かにひとつの街だった。空からはまったく確認できなかったはずの街がそこには確かに存在している。洞窟から続くことから地底都市のようなものを一瞬想像したが、上を見上げればちゃんとそこには空があり、段々と夕焼けで空が朱くなっていく時間のようだった。

 山を降りるとすぐにトンネルに入った。そこからはずっと仄暗いトンネルの中をひたすら走り続け、目的地に着くまでの間は無機質なコンクリートの壁を見ているしかなかった。


 「これですべてです。何か目的があってこの国に来たわけではないことがわかってもらえましたか」

 正確にいえば目的は合った。まだ見ぬ世界を調べたいという目的だ。でもここに国があるなんてことがわかったうえで行動していたわけではないし、危害を加えるなどと悪意を持っているなんてことはさらさらない。

 「私たちからは三つ」

 一番左の男が三本の指を立てて私に示した。

 「この国に三ヶ月間滞在してもらうこと。その間は山で出会った青年の家で暮らすこと。そして、滞在期間中は大学に通うこと」

 一番左の男が前フリだけしてその隣の男がいきなり喋った。前もって各自が言うセリフの打ち合わせでもしてたのかっていうくらい息ピッタリのやり取りだ。

 「あの。迷惑ならすぐにこの国を出ますけど」

 彼らの言うことがいまいちよくわからなかった。すぐに追い出されるとばかり思っていたからだ。

 「この国から出ることは出来ない。三ヶ月経てば帰らせるが、それまでにここを出ようとすれば命の保証はない」

 さらっと何かとんでもないことを言ってる。

 「え、あの」

 「質問は受け付けない。外で彼を待て。あとはすべて彼から聞くことだ」

 突然部屋が真っ暗になった。完全な闇で視界が一瞬何も捉えられなくなる。元に戻るとそこにはもう四人の男の姿は何処にもなかった。なんなんだよこの演出は。しかも右から二番目の男は一言も喋ってないじゃん、なんのためにいたんだよ。すぐにどうこう処分がないとわかりほっとしてついそんなくだらないツッコミをしてしまう。

 とりあえず部屋の外に出てみると、待てと言われていたのにすでにあの男の子が待っていた。

 「あ、ごめん。私のせいでなんか面倒に巻き込まれたよね」

 「僕もまだいまいち状況が飲み込めてないや。とりあえず僕が言われたことを説明するね」

 あれ?いままで敬語使ってなかったっけか。なんで急に砕けた話し方になったんだろう。

 まあ同い年くらいだろうし別にいいけど。彼はそんな私の疑問に気がついたようだ。

 「いきなりごめん。敬語を使うなと言われて。なんの意味があるかはわからないけど」

 「うううん。いいの。たぶん同い年くらいでしょ?私二十歳」

 「あ、ほんとだ。同じだね、よかった」

 私も見た目は童顔とよく言われる方だから人のことは言えたもんではないが、笑った彼の顔は幼い少年そのものだ。その笑顔を見て一気に力が抜けてしまった。

 「どうしたの、大丈夫?」

 「へへ、ちょっと疲れちゃったかな」

 「僕の家に帰ろう。詳しい話はそれからにしよ」

 部屋の外には誘導の矢印がわざとらしくついてあり迷うことなく出ることが出来た。彼も初めて訪れる場所だったらしく現在地の把握に少々戸惑うも、携帯端末を操作してすぐに近くに地下鉄を見つけた。

 外はすっかり暗くなっていた。でもそんなに時間も経ってない気がする。

 駅のホームにある時計には8時と表示されている。時間の概念は同じなんだと安心するものの、ホームに電車を待つ人がいないことに不安を覚える。

 「どうして誰もいないか気になってる?ここに来る人は滅多にいないからだと思うよ」

 「あ、うん」

 なんとも気の抜けた返事しか出来ない。

 私は未だにこの街、いや国なのだろうか、ここの存在が信じられないでいた。険しい山々の中に国がある。そして地下鉄まである。地下鉄に乗って私はさらなる衝撃を受けた。

 乗っている人たちが老若男女を問わずみな太っている。

 彼もかなり大きいが、その彼が普通に見えるくらい周りの人たちは大きい。女の子などは彼に比べれば小さいものの、私の感覚からしたらだいぶ大きい肥満体型に見える。

 「どうして乗客の全員がこんなに大きいの?」

 うっかり聞いてしまった。これはかなり失礼だ。

 「大きくないよ。この国には僕くらいの体型の人しかいない。むしろ君が特殊なんだ」

 耳を疑った。国民すべてがこの体型をしているなんて。そんなことがあるのだろうか。

 駅に止まるたびに乗り降りする人に目を向けてしまう。例外なくみんな太っている。

 すごいところに来てしまった。ファンタジーの世界にでも迷い込んだかのようだ。聞きたいことは山ほどあるががっついてはいけないと思い深呼吸をする。

 「ごめん、いろいろと私が暮らしてたところとは違うことが多くてびっくりしちゃった」

 「やっぱりこの国は外の国々とは違うんだね。僕は外の世界にすごく興味があるんだ。だから聞きたいことがたくさんある」

 「私はこの国のことが気になってしょうがないよ。色々教えて欲しい」

 お互いの国のことを知りたがっているのはなにかと都合がいい。その都度比較しながら話もできるし話が尽きることはない。そこでようやく私は彼の名前も知らないことに気がついた。彼も私の名前をまだ知らないかもしれない。

 「今更だけど自己紹介全くしてなかったよね。私はミア」

 「劇的な出会いからの怒涛の展開だったもんね。僕はセリム」

 確かに劇的な出会いだ。ラブコメやファンタジーの王道ならば私たちは恋に落ちる。でも出会う男の子はイケメンのはずなんだけどな。みんな太っているということはこの国には私の目に適うイケメンはいないのだろうか。そして彼の名前はセリムだという。名前の響きだけはなんとも痩せてそうだ。スリムっぽいからかな。つらつらと馬鹿な考えを巡らし吹き出してしまった。

 「どうしたの?」

 いけない。変な子だと思われちゃう。

 「ごめんごめん、ちょっといろいろ刺激が強すぎて面白可笑しくなっちゃった。よろしくね、セリム」

 「うん。こちらこそよろしく、ミア」

 太っている国民に驚いて、お互いの名前だけをやり取りしただけでもうセリムの家の最寄り駅に着いてしまったようだ。

 地上に出るとそこは本当に普通の住宅街が広がっていた。だが目に入る物一つ一つが規格外の大きさで造られている。通行人はもちろんみな大きい。道に設えられた花壇、なんとなく置かれている黄色いベンチ、止めてある自転車、郵便ポストまでもが大きい。

 建物も大きいのだろうが、入り口がそもそもすごく大きく造られている。この国の人たちのサイズに合わせて造られているのだから彼らが利用するぶんには至って普通に見えてしまうが、どれもこれもでかい。ここは巨人の国かと思うくらいだ。

 「私の国ではさ、セリムの体型はかなりの大型なの。みんな私くらいのサイズ」

 「うん。ミアの顔に書いてあるよ。巨人の国に来ちゃったって」

 「え、ごめん」

 セリムは意外と鋭いところがあるのかもしれない。いや、私がわかりやすいだけか。

 さっきから露骨なまでのリアクションばかりしてしまっている自分が恥ずかしい。

 「別に気にしないで。僕が逆にミアの国に行ったりしたら全く同じリアクションをしてると思うし」

 セリムは子どもみたいにコロコロ笑っている。太っている人は温和で優しいイメージがあるけど国民みんなそうなのかなと安易な考えに走る。さすがに性格までがみんな太ってるなんてことはないかと思うも、性格が太ってるってなんだろうと自分で考えておいてツッコんでしまう。

 地上に出て数回ほど道を曲がると、一面真っ白な花で埋め尽くされた庭が見えた。

 「あれが僕の家」

 「へえ、綺麗な庭。あれはなんていう花なの?」

 「アネモネ。外の世界にはないの?母さんがアネモネ大好きでさ」

 「アネモネなんだ。花のこと全然わからなくて、でもアネモネは私の国にもあるよ」

 暗い中でもわずかに家々から漏れてくる灯りに照らされてアネモネは真っ白に光って見えた。昼間見たらまた違った印象を受けるんだろう。

 大きな玄関の扉を開けると開放的なホテルのエントランスホールを思わせる広い空間がそこにはあった。すぐに向かって右側のドアが開いた。

 「あら、セリム、おかえりなさい」

 お母さんさんだろうか。うちの近所のおばちゃんレベルじゃきかないくらいにやはり肥えている。

 「あらあら、お友達?」

 「紹介する、留学生のミア。今日からこの家に泊めてあげたいんだけどいいかな?」

 「あらあら、よろしくねミアちゃん。セリムの隣の部屋を使ってもらおうかしら。明日二人が大学に言っている間に片付けておくから、今夜だけはクレアの部屋で寝てもらおうね。ご飯まだ食べてないでしょ?もう少しでできるからそれまで家を案内してあげて」

 「え?母さん、それだけ?」

 「なあに?何かある?」

 「いや、なんでもない。わかったよ」

 セリムのお母さんは出てきた部屋に戻った。そんなあっさりと他人をしかも異性を泊めることを許すなんて。

 「ねえ、この国には留学生とか多く来るの?日頃からホストファミリーとしての準備が整っているとか?」

 私は気になったことは聞かないといられない質だ。そのためによく空気が読めないと言われることもあるけど、気になることが多すぎる。ひとつずつ消化していかなければ。

 「やっぱ母さんのあっさりとした態度気になったよね。うーん、何から説明したらいいのかな、とりあえず留学生が来ることはありえない」

 「ありえない?」

 「そう。この国は他国との外交を一切してないんだ。他の国に隠れて存在していると言ってもいい」

 これまた衝撃的な内容だ。外交してないなんて。現在の技術を持ってすればそりゃあ他の国との接触などなくとも問題はないかもしれない。でもそんな鎖国まがいな事をする必要性などあるのだろうか。

 「そもそもこの国を発見することなんて出来ないはずなんだよ。この国は外の世界から見えないように造られている。この国の人々は文献なんかで外の世界のことを知ることはできる。でも逆に外の世界の人はこの国の情報を得ることができないようになってるらしい」

 聞くに徹底した鎖国政策だ。でも見えないように造られているとはどういうことだろう。確かに上空を飛んでいるときには発見できなかったけど、今でもそれは不思議でならない。

 「ごめん、立ち話しちゃってるね。とりあえず上の部屋に行こうか。妹のクレアの紹介もしたいし。ご飯を食べたらまた改めていろいろ説明するよ」

 私たちは玄関にずっと立ちっぱなしでいた。お互いに交わすべき情報が多すぎてつい焦ってしまう。

 「そうだね。妹いるんだ。かわいい?」

 「うん、お兄ちゃんっ子だよ」

 まさかセリムはシスコンなのかなとちょっぴり思ってみたけど純粋に妹思いの優しいお兄ちゃんのイメージのがしっくりくるかなと自己完結。

 玄関正面突き当りになにやらエレベーターのようなものがある。近づくとそれはやはりエレベーターで、それに乗って私たちは三階まで行く。

 「家にエレベーターがあるなんてすごいお金持ちなの?」

 「え?どこの家にも普通はあるよ。僕たちは滅多に階段は使わない。効率が悪いし危ないからね」

 セリムは当たり前のように言いのける。

 だからみんな太るんだよと言ってやりたいが、この国の常識じゃ何を言っても私に分はない。この巨体がたくさん階段を登り降りしている姿は確かに危なっかしいかもしれない。

 三階に着くとクレアと書かれた表札を付けた部屋の前に立ちセリムはノックして妹を呼んだ。

 出てきた妹は、やはり肥えている。身長こそ低いもののセリムと横幅はそんなに変わらないんじゃないかと思う。

 兄が女の子を連れてきたことがよほどの衝撃だったのか、彼女は私を見るや絶叫した。

 「クレア、落ち着いて。留学生のミアだよ。今日からこの家に住むことになったから仲良くしてあげて。三階の一部屋を使ってもらうつもりだけど今日だけはクレアの部屋に寝かせてあげてほしいんだ」

 彼女はものすごく興奮している。私たちの関係をもうすでに何かしら誤解しているような気さえする。

 「ええー、ミアお姉ちゃんね、よろしく」

 満面の笑みだ。これが嘘偽りのある笑顔なら人間不信になりそうだ。

 「うん。いきなりごめんね。クレアよろしく」

 それにしてもお姉ちゃんとは。この一瞬で私を兄セリムのお嫁さん候補にでも認定したのだろうか。それともセリムの女友達みんなにこういう対応をしているのか。次から次へと解決したい疑問が湧いてくる。目下まず優先すべきことはなんだっけか。

 「よかったね、お兄ちゃん。頭が良さそうだしなんかお似合い」

 「いや、クレア、僕もまだ知り合ったばかりで」

 「ニアお姉ちゃんは彼氏いる?お兄ちゃんとかどうなの?」

 展開が早すぎないかい?何を考えていたか忘れてしまった。なんともどストレートな質問だ。

 「彼氏はいないけど、ねえ、クレア、その手のガールズトークは寝るときにたっぷりしましょ」

 「わかった、また後でね」

 なんとその場はしのいだものの、今夜はなかなか眠りにつけないだろう。そのまままだ片付いてないとはいうものの私が使う部屋を見せてもらった。いろんな荷物が置かれてはいるがこのままでも十分に使えそうなのに。というか、とにかく広い。なぜかダブルベッドが置かれているが、これがあと10個は置けるくらいの広さだった。

 「広い。セリムの部屋もこんなに広いの?」

 「三階の部屋の広さは全部同じだけど、これは全然広くないよ」

 またまたとんでも発言だ。他の家の部屋はもっともっと広いんだよとか言うのだろう。あらゆるところが彼らのサイズに合わせて造られているんだからいちいちその大きさに驚いてたきりがない。きっと大学も大きい物だらけなのだ。

 そうこうしてると通路に掛かっている小型のスピーカーのようなものからお母さんの声がした。どこにいても家中連絡が取れる仕組みらしい。

 セリムの部屋は後で見せてもらうことにして私たちは再びエレベーターを使って一階に降りる。

 「結局まだほとんど何も話せてないね」

 セリムが苦笑いを浮かべながら申し訳なさそうに言う。

 私もただ苦笑いで返してしまった。

 エレベーターを出て左手にすぐのところがダイニングキッチンとリビングが一緒になっている部屋だった。テニスコート二面分くらいある広々とした空間にはあれだけもう驚くまいと決めていたのに驚いてしまった。

 キッチンもリビングも綺麗に片付いていて、白を基調とした部屋のコーディネートはセンスが光る。お母さんの趣味だろうか。

 キッチンそのものはもちろんのこと揃えれた家具はどれも規格外の大きさで、テーブルに並ぶ料理の量もさることながら食器類も桁外れに大きい。ご飯が盛られているお椀なんて私の世界ではラーメンを食べるときに使うものだ。

 「ようこそミアちゃん。遠慮せずにたくさん食べてね」

 一日三回に分けて食べてもお釣りがくる料理の量だ。これが一回の食事の量とは。だから太るんだよ、とはもちろん言わないが心でまた思ってしまう。

 でもその内容は褒め称えるべきもの。有名店のシェフをしていてもおかしくないほど家庭料理とは程遠い本格的な品々がところ狭しと並んでいる。

 「すごい。どれもレストランなんかで出てきそう」

 お世辞抜きの素直な率直な感想だ。お母さんは照れはしてもまんざらでもなさそうにしている。料理には自信があるだろう。

 「美味しい」

 普段ジャンクフードばかり食べてる私には久々にしっかりと用意された料理とあって味わって食べた。私の母も料理はするし、それなりの家庭の味を出してはくるものの比べるに及ばずだ。量はおいておくにしても毎日この料理が食べられるセリムやクレアが羨ましい。

 「ママの料理美味しいでしょ?」

 クレアはさも自分で作ったかのように自慢げだ。その姿はなんとも微笑ましくかわいらしい。なんでもない当たり前の日常。これこそが本当の幸せの形なんだと思う。とても暖かくて心地よい。

 「ミアお姉ちゃんはなんでこの国に留学しに来たの?」

 クレアはいつも直球を投げてくる。

 「私ね、文化人類学っていうのを勉強してるの。そのフィールドワークでこの国のことを詳しく調べるのがテーマのひとつなの」

 今言ったことは本当だ。ただこの国に来れたのは偶然だ。

 「でもこの国って他国と関わり持たないし出入りはできないんだよね?」

 そうだった。セリムもそんなこと言ってた。

 「ミアは交換留学生だよ。でもそれももちろん特例中の特例だけどね。僕の大学の生徒が外の大学に行く代わりにミアがここに来たってわけ」

 セリムはなんのためらいもなく言う。あの夕方の四人組にそう吹き込まれたんだろうか。でも助かった。危うくボロがでるとこだった。セリムからはキッチンに来る前に、偶然この国に来たってことは隠しておいてほしいと言われていた。

「え?そんなことあるの?これからは他の国との関わりも増えてくるってこと?」

 当然に思い浮かぶ疑問だ。今までずっと閉じこもった社会であったのに急に留学生を受け入れるなんて聞いたら誰でもそう思う。

 「いや、そんなことはないと思うよ。僕も詳しくは知らない。でも今回の件は今までの政策を変えてまで行うメリットというか国益に関わる何かがあるんだと思う」

 「ふうん。難しいことはわかんないけど、でもなんか嬉しい。お姉ちゃんができたみたい」

 クレアはあまり物事を考えない性格なのだと思う。でもそのおかげで余計な詮索もされずに仲良くできそうな気がする。お母さんのほうも最初のやり取りをみるにあまり私についてどうこうといったものはなさそうだ。

 「あ、この家にはあと一応パパもいるよ。あんまり家にいないから滅多に会わないと思うけど」

 一応いる。年頃の娘と父親の典型的な構図はどこの世界も変わらない。そのことがおかしく思わず声に出して笑ってしまった。

 「あれ、お姉ちゃんどうしたの?」

 「うううん、なんでもない。なんか幸せな感じがいいなぁって」

 「父さんは朝早く夜遅いから休日くらいしか顔を合わさないと思う。休みでも仕事に行っちゃうこともあるし。ちゃんと時間とって紹介するよ」

 「うん。ありがとう」

 私も別に自分の家族と仲が悪いということはない。ただ私がすぐふらふらとどこかに飛び出してしまうために自然と両親との間にも距離ができてしまっていた。そのせいか今この瞬間が懐かしくも感じられてやっぱり家族っていいものなんだなと急にホームシックじみた感傷に浸ってしまった。


 お母さんの料理のうんちくをたくさん聞きながらお腹を満たす。一時間くらいかけてゆっくり食事をとり、お風呂に入らせてもらう。予想はしていたが、プールのような浴槽が目に飛び込んだ。ちょっとした銭湯だ。

 お風呂を出るとお母さんが服を用意していてくれた。お母さんとクレアが使ってない服を集めてくれたようだが、サイズがひどい。

 「今日は寝間着として我慢してもらえる?明日までにサイズ合わせて何着かしつらえておくから」

 本当に優しいお母さんだ。料理に加えて裁縫もできるみたいだし理想の母親像そのものだ。

 着替えてセリムの部屋に行く。彼は寝る直前にお風呂に行くからそれまで話そうとのことだった。セリムの部屋は広いわりにあまり物がなく、それが余計に広さを引き立てていた。ただ本棚は外の世界の文献でびっしり埋まっている。どんな内容が書かれているか興味があるが今はセリムと話をするほうが先だろう。

 「さて、やっと落ち着いて話せるね。何から話そうか」

 「留学生が来ることがないのは外交してないからまで聞いた。この国が隠れて存在してるみたいな話から聞きたいかな」

 「うん。この国は隠れている。外からは絶対に発見できないんだ」

 「それがどうしても不思議でならないの。何度上空から見ても街のようなものはなかった。それなのに今ここからはこんなに綺麗な星空が見えるんだもん」

 そう言って私はセリムの部屋の窓を開けて夜空を指差した。どこが隠れているのと暗にほのめかすように。

 「それなんだけど、この国から見える空は本物じゃない。すべて高い技術で造られた液晶なんだ」

 「は?」

 あまりに突飛な事を言うもんだからバランスを崩して窓から落ちそうになった。空が液晶でできているって言った?

 「やっぱり普通は驚くんだよね。僕はほんのり違和感を感じるだけだけど。この国は山々の地下に存在している。空なんて本当は見えないんだ。あれは外の世界の空を映し出した偽物の空なんだよ」

 信じられない。あの山から下りるときに見た夕日や今目の前に広がる星のきらめきなどが造られた映像なんてことがあるだろうか。

 「外からこの世界を見るにしても違う映像が映されてカモフラージュされてるわけ?」

 「すべてではないと思う。実際にこの辺りはかなり険しい山や崖でできてるみたいだし。でも部分的には何かしら本来見えないものが見えるようになってると思う。例えば僕たちが初めて出会ったあの場所」

 そうだ。思い出した。私はあのとき崖にぶつかるはずだったんだ。それなのに素通りしてセリムに受け止められた。

 「この国にはあの場所のように本当の空を見るためのポイントがいくつかあるんだ。中からは外が見えているのに外からはそうじゃない。でも僕もあのときは驚いた。だって外の世界に違う映像を見せてるって教えられてたからさ、特殊な液晶がはめ込まれてると思ってた。ミアがぶつかるって慌ててたらそのまま素通りで僕にぶつかってきたでしょ。仕組みは全然わからないけどね」

 たぶん上空から見える光景にも細工はある。かなり危険な場所であると誇張して認識させているはず。そうじゃなきゃ私以外にも誰かしら探検しに来るはずだ。徹底的に鎖国をしているわけか。でもだとしても外の世界に出ていきたがる人はいないのだろうか。

 「外から発見できないのはわかった。それじゃ外からこの国と外交をしようともできないよね。でも中の人が外に出ていくことはないの?」

 「誰も外の世界には行かない。興味も関心もないんだ。さっきも言ったけど外の世界を見るポイントはあっても誰もそこにいかない。なぜかはわからないけど外の世界に出たいと考える人は一人もいないんだ。だからこの国の空が本物じゃないと知ってても誰も気にしない」

 「そんな。だってセリムは?」

 「僕はこの国の例外だと思う。僕も外の世界に積極的に出たいとはあまり思わないんだ。でも興味関心はすごくある。だからいろんな文献で調べたりもするけど他の人はそんなこと絶対にしない」

 「これだけ閉鎖的な生活してたら外に出たいって思う人がいると思うんだけど」

 二人とも沈黙してしまった。セリムもきっと何か引っかかるところがあるのかもしれない。

 「僕はミアと出会って、こうして話をしてみてより一層と外の世界には興味が湧いてきているよ。この国を飛び出したいっていう気持ちを押さえつけている何かをミアが外してくれるような気がする」

 「ひとまずは、この国は完全に孤立した国で、国民は国外に出れないし出たいとも思っていない。外から来た私に対してお母さんやクレアがあまり余計な関心を示さないのも国民性の表れであると。ただなぜかセリムは少し特別な思考の持ち主」

 「うん。特別か。まあそうなのかの。あ、重要な事があったね、あの四人に言われたことを伝えなきゃ」

 そこにせリムの部屋を叩くノックが聞こえた。クレアが私を待ちくたびれて催促に来たようだ。

 「ありがとう、セリム。気になるけど続きはまた明日にしましょ。おやすみ」

 話はなかなか進まない。でも三ヶ月はこの国にいなければならないわけだしゆっくりいこう。


 「ごめんね、クレア。お待たせしました」

 「ぶーぶー、待ちくたびれちゃったぁ。早く寝ながらガールズトークに花を咲かせようよ」

 クレアは高校二年生だという。受験のこともまだそこまで気にしないでいい時期でもあるだろうし一番高校生を楽しめるときなのかもしれない。受験?この国の学業事情はどうなっているのだろうか。

 「ねえ、クレアは大学受験するの?」

 「大学?この国には大学受験なんてないよ。高校で成績の良かった人が大学に入る権利がもらえて行きたいなら行く。そんな感じ。だから私はどうかな、ぎりぎり行く権利はもらえるかもってくらい」

 「え?じゃあ、後から大学に行きたいって思っても通えないの?」

 「うーんとね、その場合は大学で学びたい明確な目的を書いて提出とかじゃなかったかな。で、面接とかもあるんだと思ったよ」

 「質問ばかりごめんね。じゃあ高校生でずっと勉強してなかったけど急に行きたくなったみたいな子がいたとしたら?成績はもちろん悪いの」

 「あ、そのパターンは高校生をやり直す感じ。成績悪くても卒業はできるけど大学に行くために留年するみたいな感じ」

 なるほど。変に試験でふるい落とすよりも本当にやる気のある人間だけが大学に進む仕組み。これなら大学は勉学に励む場としてはかなり引き締まったものになる。親の金で大学行って勉強もしないで遊んでるような奴らがいないのは真面目な子にはプラスだろう。

 「あれ?もしかして高校や大学も学費なかったりするの?」

 「ないよ。高校はちょっとかかるの。でも大学は学費とかないよ」

 やっぱり。真剣に勉学に取り組む生徒しかいないなら国側が投資としてバックアップするのもうなずける。

 「そーんなことより、好きな男の子にはどんなアプローチする?」

 話のテーマが極端に変わりすぎではないか。今時の女の子なんだな。

 「私はあんまり積極的には行かないかな。そういうの苦手。遠くでかっこいい人見ながらただニヤニヤしてるようなね」

 「えー、それじゃ実る恋も実らないよ」

 「そうだね。すごい面食いで理想が高いの。でもそんな理想じゃ自分とは不釣り合いになるからって前に進めないという悪循環」

 なんでこんなところで自分の恋愛観を語ってるんだろう。自分の身近にいる人に知られる可能性がほぼないからかクレアにはなんでも話してしまいそうになる。

 「もしかしてクレア、恋してるの?」

 気がつくと私のがガールズトークにめり込んでいる。クレアの恋愛話を延々と聞かせれクレアが寝落ちしたのはもう午前二時を回ったところだった。

 私も眠くないわけではなかったが、いろいろと考えをまとめておきたかったのでクレアからもらったペンとノートを開く。

 私には日記をつける習慣がある。プライベート用とフィールドワークの研究用の二つ。とはいっても毎日ではない。書きたいときだけ書く。

 書こうとして今日の日付がわからなかった。カレンダーがこの部屋には見当たらない。まさか月日の概念が違うのかとも思ったが、日付など些細なことだと思考から消してみた。


 第一日目

 私の予想が正しかったことが証明された。一見何もないように見えた山岳地帯に飛び降りたところ、小さな国を発見

 名前はチッチョ

 人口や歴史は未だ不明

 地底国家で他国との関わりを持たない

 文明レベルはかなり高度

 国の内外を液晶パネルのような技術でカモフラージュして見せている

 外からの発見は不可能

 内からは本物と見間違えるほど精巧な空模様が再現

 国民全員が太っている

 誰も閉鎖的な国の政策に疑問を持たない

 外の世界に興味関心を示さない


 今後の調査すべき点

 国の成り立ちとその歴史

 社会の仕組み

 文化的営み 


 第一日目

 念願の未開の土地に辿り着くことができた。多少なりとも強引で偶然が重なった結果とはいえ、恐らく私たちが暮らす世界においてまだ誰も発見、到達をしていない国を見つけた。

 セリムという同い年の男の子との出会いから始まる。かなりの肥満体質だが温和で優しく気の利いた誰からも愛される性格の持ち主で話がしやすい。残念ながらイケメンではない。

 出会いは劇的だが現実はやはりこんなものだとちょっぴりがっかり。

 早々と警察官らしき男たちに拉致られ変な施設に。そこで謎の四人の男との質疑応答。ほぼ私が喋ってただけだけど。奇妙なことにその四人も先の警察官らしき二人も肥満体質。デブしかいないのかと。

 経緯は不明だけど三ヶ月間はこの国に拘束される。

 セリムの家に住むこととなり、明日から大学に通うはめに。せっかく休学して自由にやってるのに。

 地下鉄に乗り乗客が全員デブ。衝撃だ。セリムによると国民は例外なく全員デブだという。まさにファンタジーの世界のようだ。

 セリムの家は大きい。巨人規格に造られた国だから当然だけど見るものすべてに驚かされる。

 妹と母親はとても親切で人懐っこくて可愛らしい。家族の温かみっていいななんて少しセンチメンタルになった。

 妹のクレアとのガールズトークは楽しかった。

 明日は大学に行く。さらなるこの国の秘密に触れるかも。

 イケメンとの出会いもあるかな?


 日記を書き終え、私も寝ようと枕元の電気を消す。

 クレアが寝返りをうつ姿が暗闇の中、影となってほんのり動く。まるでトドが転がっているみたいでかわいい。

 みんな太っているということは自分が太っているとは思わないということだろうか。思い返してみれば私を見ても誰も痩せていると言ってない。言わないだけで思ってるかもしれないけど。そのあたりの生態事情も詳しく調べてみる必要がある。

 さすがに今日はいろいろありすぎて身も心も疲れ切っているようだ。目を閉じるだけで睡魔が一気に広がり脳がゆらゆらする。数分もあれば眠りにつくことができそうだ。


 大きな何かが近くで動いている。

 熊か何かでもいるのだろうか。体に緊張が走り目が一瞬で覚めた。

 失礼極まりない勘違いとはすぐに気がついた。すでに着替えて出発の準備を終えたクレアが私を起こさないように静かに部屋を出ようとするところだった。

 「あ、お姉ちゃん起こしちゃったか、ごめん。まだ全然寝てて平気だよ」

 「うううん。大丈夫。私もいつも朝は早いほうだから」

 「そっか。私は朝練があるからもう行くね。朝食はすでにママがなにかしら用意しているから」

 そう言うとのさのさとクレアは去っていった。

 時計を見ると七時前だ。

 クレアはスポーツかなにかをしているのかな。まさか相撲?あまりに安易な発想をした自分が恥ずかしくなる。寝間着の他に着るものがないことを思い出し、そのままの格好で下の階に下りる。

 エレベーターが一階に着くとそこはコーヒーの香りで満ちていた。その香りに惹き込まれるようにキッチンに入ると、お母さんが朝食を用意しているところだった。

 「あら、ミアちゃんおはよう。早いのね」

 「おはようございます」

 「この家はみんな起きる時間がバラバラだから」

 おそらくすでにお父さんと妹のクレアが食べていったのだろう。それでもテーブルにあるその種類と量を見ると食べる前からお腹いっぱいになる。

 「ミアちゃんの服の準備できてるから安心して。とりあえず四日間は大丈夫よ。その間に買い物にでもいってらっしゃい」

 昨日の今日で上下四パターンの服の仕立てをしたらしい。これほどの朝食まで用意して、かなり働かせてしまったに違いない。それでもお母さんは疲れてる様子を一切見せない。

 「いろいろとしてもらってすみません。なんてお礼を言ったら」

 私は完全な居候。対価として何か支払うべきなのだが。

 「いいのいいの。ミアちゃんはお勉強頑張って。あとはセリムやクレアと仲良くしてくれればいいから。あ、たまにお手伝いしてくれたら喜んじゃう」

 そうだ。怒涛の展開でセリムの家に世話になることになってはいたが、何がどうなっているのかまだ何もせリムから聞いてない。あの場で出会ったのがセリムではなかったら違う家に住むことになったのだろうか。私の生活費はどうすべきなのだろうか。

 「ほら、とりあえず考えるのはあとにして食べて食べて。コーヒーでいいかな?」

 世の母親はどうにも人の考えを見抜く力に長けていることが多い。母親になると千里眼のような異能が発現するのだろうか。

 「はい、すみません。いただきます」

 朝からこんなにがっつりと食べるのはいつ以来か思い出せない。

 大概はヨーグルトとバナナ、コップ一杯のフルーツジュース程度で済ませている。

 朝は三食のうちでももっとも重要と言われている。頭では理解していても朝から食欲が存分に働いてくれない。これを機会に朝食をしっかり摂ることを習慣にできればと思う。

 のんびりゆっくりと食べていると、セリムが入ってきた。

 「おはよう、ミア。早いんだね」

 「おはよう。お母さんやクレアのがもっと早くてびっくり」

 セリムはさすがと言うべきか、あっという間に残された料理を次々と食べていく。きっとこの国の人々の胃袋はみな宇宙だ。

 「ねえ、いきなり悪いんだけど今日から大学に行くでしょ。どうしたらいいの?」

 私は正直なところ今の状況を心から楽しめていない。あんな尋問まがいなことがあったわけだし、身の安全が確実に保証されているわけではない。お母さんが一瞬キッチンを出たところを見計らってセリムに核心にあることを尋ねる。

 「私ってどうなるの?また身柄拘束とかされるの?」

 セリムは待ってましたとばかりに口を開く。

 「昨日からずっとそのことを言いたかったんだけど話すことが多かったし邪魔も多かったからね。結論から言えば、今後ミアの身に何か危険なことが起きることは絶対にない。あの四人からはそう言われている。でも無理に国を出るのだけはしないでほしい。」

 「それは私も言われた。国を出るのは命の保証をしないって」

 「うん。法律なんだ。黙って国を出るのは法律違反になる」

 隠れてやりくりしている小国であっても国には違いない。秩序を維持するために法律があるのも当然だ。そんなことまで頭が回ってなかった。

 「三ヶ月って期間がどういうことなのかは言われてない。でもその期間中にミアは自由にして大丈夫だよ。守るべきことは、最低限の法律と、この国に偶然来たってことを秘密にすることって言われた」

 あくまで正式な留学生としての身分を演じろとは昨日もセリムから聞いてはいるものの、誰しも外の世界の人間に興味関心などないのだからその必要性はどこにあるのか。

 「他には?というかあの四人と話した内容を全部教えてほしい」

 タイミング悪くお母さんが私のために仕立てた洋服を持ってきた。サイズを直しただけでなく、複数の服を組み合わせたりしてオリジナルのものをわざわざ作ってくれたみたいだ。しかも私の好みを見抜いているのか、がっちがちの女の子しいデザインのものもなくはないが、シックな落ち着いたものが多い。

 「買い物するまでとはいえ気に入ってもらえればいいんだけど」

 お店でお金を出して買うレベルのクオリティだと思った。この国のファッションも文化のひとつとして興味あるため買い物にはぜひ行きたいが、お金の当てもないことを思うとこのセンスある服をもらえるのは本当にありがたい。

 「そんな。すごくいいです。ありがとうございます」

 お母さんにお礼をして私はすぐに着替えに一度クレアの部屋に戻る。

 全身が映る鏡を前に立つ。

 特別スタイルがいいわけではない。特別美人というわけでもない。でも自分でもそこまで悪くもないと思う。中の上。あわよくば上の下か。勉強やサブカルチャーに集中してしまうためにいまいち恋愛や流行のファッションなどには疎い。かわいい服を着たらいいのになんて言ってくれる友達もいるにはいるが、フェミニン全開よりもできるエリート風のスタイルを私は好む。悪く言えばただ地味なものが好きというだけかもしれない。

 お母さんが私に仕立ててくれた服はまさに絶妙だった。上下四パターンはTシャツとシャツを二枚ずつ、カーディガン、スプリングコートの二つ。パンツとスカートが二着ずつ。パンツはカジュアルなデニムとオフィスカジュアル風の黒のチノパン風のもの。スカートはかわいくも大人の雰囲気を演出する赤いロングと黒のドット柄のワンピースだ。 

 ワンピースは私の中ではややチャレンジものだが知っている人が誰もいない世界だし華々しく大学デビューを決めるのもありかも。

 普段はどこかの大手SNSの社長を真似て、着る服に悩む時間を割くために一週間分の同じ服を用意していたこともある。でもそれは女の子としてさすがにストイックすぎるし女子力低いと見られてモテないよとアドバイスをされた。

 そのくらいファッションなんて外見を取り繕うだけの偽りのアイテムだと頑なだった時があったことを思い出す。中身で勝負よなんて言ってたっけか。そのくせ面食いでイケメンばかり求めてるって非難もされたっけ。

 そんな私が鏡の前で着る服を悩んでいる。

 セリムに言われた言葉が頭をよぎる。私の身の安全は間違いなく保証されていると。それを聞いてかなり楽になった。緊張がいくらかほぐれた。

 いい機会だしいろいろと初めてなことに挑戦してみようかなと思う。

 黒のワンピースに薄いピンクのロングカーディガンに決めた。

 鏡に映る私はまったく違って見えた。こんな格好したことないのだから当然だ。周りからはどう見られるのだろう。

 その格好で下に行くと、お母さんが嬉しそうに褒めてくれた。そして軽く化粧までしてくれた。ファッションに疎いということは化粧やヘアスタイルもあんまりということだ。普段は本当に薄くファンデーションを塗るくらいだ。

 「若い女の子なんだから。今日は軽くで我慢してね。買い物に行く時に一通り揃えましょうね」

 お母さんはなんだかものすごく楽しそうだ。新しい娘でもできた感覚でいるのだろうか。

 そこに準備を終えたセリムも現れた。

 「え、ミア?すごく似合ってるよ」

 なんだその女の子慣れをしてないチェリーボーイみたいな反応は。セリムは真っ直ぐに私を見れないでいる。この反応は私に魅了されつつあるな。調子に乗って馬鹿な妄想を巡らしかけて正気に戻る。

 「ありがとう。大学行かなきゃだね」

危ない危ない。せっかくだから少しでも女らしく振る舞おう。猫をかぶるわけではないけど普段の私じゃがさつすぎてセリムにすら見向きもされないかもしれない。いや、セリムにすらなんて失礼か。

 玄関に向かう途中で靴をお母さんが持ってきた。

 「そのスニーカーじゃね。履いてないのいっぱいあるの」

 お母さんは何種類か新品を玄関に並べる。足のサイズは不思議なことにあまり変わらないようだ。バランスは大丈夫なのかと思ってしまう。

 「若い頃に買ってたのに一度も履かなくて」

 女ならば誰しもそういう経験はありそうなものだが、私にはあまり理解できない感覚だ。もったいないが先行してしまう。

 だがどれもオシャレな靴ばかりで驚いた。このお母さんはかなり女子力が高い。この際だしいろいろと見習おうと思う。

 「なにからなにまでごめんなさい」

 謝ってばかりだ。それでもお母さんはずっと笑顔だ。

 結局自分で選べずお母さんに選んでもらった。白というかシルバーに近い色のミュールでより全体が華やいでしまった。大学に行くという目的に合った服装か少し戸惑う。

 「うん。かわいい」

 お母さんだけは嬉しそうだ。

 ついでにと筆記用具の入ったトートバッグも持たせてくれた。

 いってきますと外に出る。

 夜に見た光景とは違った趣きでアネモネが真っ白く咲き誇っている。

 今の私にぴったりな気がして気分がよかった。

 セリムは奥手なんだろう。私に対してあまり気の利いたコメントができないでいる。気まずい雰囲気を変えようと思いあぐねている様子が微笑ましい。

 「そういえばミアの荷物って?」

 「荷物なんて何もないよ。来た時のスウェットとこの汚いスニーカー。あとは携帯端末を持ってたんだけど取られたっぽいね。まあどうせ電波とか遮断されて通信機能は使えないだろうからいいっちゃいんだけど、メモがわりには使い道あったからな」

 「え?だって一人で飛び降りてどうやって生活するつもりだったの?そんな装備じゃすぐ死ぬじゃんか」

 これだから温室育ちのお坊っちゃんはと思ってしまうが口には出さない。

 「全然余裕よー。なんとかなるもんだよ。むしろあれこれ持ち歩くのは疲れるし邪魔なの。最低限でいいんだよ。食料なんかも大自然の恵があるからね。ノープロブレム」

 セリムはあからさまに驚いている。そんなサバイバルな生活をしたこともない人にしてみれば当然なのかもしれない。

 「セリムは無人島に行ったらすぐ死ぬね」

 私はなぜかツボにはいって大爆笑してしまった。セリムは苦笑い。

 場が和んだところで話をややシリアスに戻す。

 「大学に着くまでにざっとでいいからさっきの続きを教えて。あの四人との話のこと」

 「うん。僕があの場にいたのは偶然だ。だから最初は僕の素性とかもいろいろ聞かれた。でもこの国に住む人の情報はすべてデータベースとしてあるから身元がすぐに証明されたんだ。とはいえあんなところで何をしてたのか無実を証明するのには骨が折れた。ミアとつながりがあったんじゃないかとか、国家に反逆するかのような言われようだったよ」

 「セリムが反逆者ね」

 思わず笑ってしまう。

 「え。笑うところ?」

 「ごめんごめん、かわいい反逆者だなって。ごめん、続けて」

 セリムが言うには、私がセリムの家にいるのは監視の意味もあるとのことだった。セリムが積極的に監視をするというのではなく、何かあったときに共同責任となると。私が暴れたり罪を犯せばその責任はセリムやその家族にいく。大学に行くのもあまり余計な詮索をする時間を与えたくないからじゃないかと。そして私の生活費は国からセリムの家に支給されるそうだ。だから私はお金の心配もしなくていいそうだ。

 「そっか。でもおとなしくしてるぶんにはほんとに問題なさそうだね。観光気分で楽しんじゃっていいのかな」

 「うん。僕自身もわからないことだらけだし、今回の件でこの国についてさらに気になることは増えたけど悪いことにはならなそうだよ」

 安全は間違いなさそうだ。おとなしくはしているつもりだがそれは騒ぎを起こさないレベルでの意味だ。がっつり水面下からこの国のことを調べてやるという想いは高ぶっている。

 聞くところセリムも同じ考えを持っているように思える。でもセリムがあの四人とつながっていないとの確信はない。大々的に暗部にまで首を突っ込むのはまだ早い。

 まずはこの国に溶け込むことから始めよう。

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