ふじょ☆ゆり
玉置こさめ
プロローグ
プロローグ
その日曜日、
アーケードの商店街にある
時刻は十時。目当てのタイトルは一般向けの推理小説。あしほにすれば聖典と言える特別なシリーズだ。開店と同時に、あしほは勇んで店に入った。一般書籍の山をハンターの眼差しで射抜く。
あった。
山と積まれた宝物を確認する。本命に手を伸ばす。
ぱらぱらとその場で頁をめくる。
このとき、あしほの眼差しは餌に飢えた猛禽類の鋭さを有していた。
「何読んでるん? 会長」
思わず、はいと返事をしそうになった。
豊田あしほは、生徒会長であるからだ。即ち他の生徒たちに対して模範的態度を示すべき立場だ。彼女は学校に於いて妖精に例えられている。その手足が病的なまでに細く、黒髪は腰まで届くために。実のところ痩せている理由は小遣いの大半をその趣味に費やしてしまうためで、髪が長いのは美容院へ行く暇も金も惜しくて延びきった結果にすぎない。清潔感を損なわないよう梳いてみつあみにしているが。
一人の少女が、あしほの脇に並んで立っていた。
鳶色の瞳。
肩のあたりまでの巻き毛はきれいに色が抜かれた金色だ。
スカートは短い。通学用鞄には無数の飾りをつけている。
耳にピアス。唇は桜色のリップクリーム。
日曜でも制服を身に纏っている。
あしほの頬が引き締まる。
近所の書店でその聖典のような書籍を手に目を血走らせている――そのような
痴態を決して見られてはならない相手。
クラスメイトだった。
「みつるぎ…さん…」
一言であらわせば、『同族』だ。
あしほとは出身の中学校も同じ生徒だ。
そして――同じ趣味を有する。
御剣蘭はギャルそのものの外見と相反する趣味をもつ女子なのだ。
平生なら中年男性が読むような一般推理小説。それを女子高生のあしほが掲げていることについて、一般の人間なら『文学少女なのかな』で済ませるだろう。しかし、相手は同族――それはまるで街中の雑踏で自分と同じカルマを背負う能力者に遭遇したような共感と洞察と驚愕とを互いにもたらす。そして、どう対応するべきかを互いに迫る特殊な事態なのだった。
彼女たちには共通の記号がある。
御剣蘭の目からは逃れようがない。彼女は周囲に公言するだけあって生半可なレベルでの趣味人ではない。アニメだろうと漫画だろうとラノベだろうと彼女の餌食となる。あらゆるジャンルを恐るべき悪食を以って網羅している。そしてあしほが今手にしている書籍はまさに少女たちの間では人気のタイトルとして定着しているシリーズだ。同世代の少女がそれを所有しているのなら、十中八九『その視点』で注視しているとみなして相違ないとされている。
あしほは悟る。蘭は必ず気付いたはずだ。
このタイトルから、自分の内なるものに、その視点の共通性に!
だが、退却の道筋が閉ざされたわけではない。
ここで引いてはならない!
あしほは相手を見据えた。異能力者同士の腹のさぐりあいが、今ここに開始される。生徒会長はまず自衛手段を展開した。
「こ、これは…勘違いしないで! わ、私が好きなのは、す、推理小説で…きゃ、キャラを注視する、さ、寒い読書じゃないんだから!」
悲しいかな、噛みまくりだ。
「会長…日曜朝からBL書籍がっちり持っちゃってるって、相当好きでそ?」
時すでに遅し。骨付き肉を見つけた犬のように蘭は食らいついてきた。
そう。共通の記号。BとL。それはBLである。
BLとはボーイズラブの略称だ。男性同士の恋愛を取り扱った漫画や小説の総称でもある。
優秀なる生徒会長は本を背後に隠した。
「な。な、なあに? びーえるって? わ、私は、ただ…面白そうな小説だなって思っただけで、そ、その、そういう目で、見たことは…あなたとは、ちがっ…やめなさい! にやにやしながら人の頬を人差し指でぐいぐいするのはやめなさい!」
これだからギャルは苦手だ。にやにやしながら人の頬を人差し指でぐいぐいしてくる。会長は劣勢に陥る。
「確かにい、原作ではあ? そういう関係じゃないよ? でも、めっちゃBL好きに人気高い作品だね? 隠すことないお、会長! 『
次々と人気の登場人物の名をあげてきた。手強い。
ここで釣られてはならない。
「ううう」
「探偵
「ち、ち、違う…っ、違うっ! 何で茨刑事が好きってことになってるの?」
つい声をあげたのが命取りだった。
「茨の後輩の若手刑事、眼鏡男子な
「違う!」
あしほは声を振り絞って叫んだ。
見当違いなキャラを好きだと思われることは許容しがたい由々しき問題。しかしそのために恐ろしい罠にかかってしまった。
「私が好きなのは竜胆探偵の助手の菊田こうい……! あ!」
「ああ、探偵助手
「ちちち違うの! 今のは違うの!」
若手刑事か探偵助手かといったことは問題ではない。
話にのってしまったことが問題だ。
にやりと蘭の唇の端がつりあがる。
あしほの中で理性の箍が決壊した。
許してしまった。夢中になっているキャラの『特定』を…!
あしほにとってその趣味は秘密であったものを。
あしほにとっては致命的だ。
少女は頭を振りながら膝から崩れ落ちた。
「やめて! 好きじゃない! あんな善良そうなお人よしなのに陰でねちねち何
考えてるのかわからない奴好きじゃない!」
「おっ?」
「あんな自分の立場も実績も人望も投げ捨てて探偵のために助手を買って出るような奴興味ないもの! 何でわざわざエリート街道歩いていた刑事なのに事件をきっかけに出会った探偵の後を追って弟子入りしたりするの! おかしいでしょ!」
いけない、口を閉じなければ。
そうわかっていながら好きなキャラの名前をふられただけで公式設定への語りがとまらない。オタクにとって愛好するキャラの名前は魔女や吸血鬼が真の名を隠すように滅多に引っ張り出されたくない呪いのようなもの。誰がよだれ垂らして興奮し饒舌になる姿をやすやすと他人に晒せるだろう?
これでは自らがBLファンだと認めているようなものだ。
この醜態を導くからこそ、推しキャラの『特定』を許したことは――手痛い失敗であった。
「会長……大好きなんだ?」
蘭はただ静かに微笑んでいる。完全に勝利者の笑みだ。
「い、いや! そんな目で見ないで!」
窮したあしほはついに物理的な逃亡を図る。
一階から二階への階段を駆け上がる。上へ、上へと。
しかし、あしほはまだ知らない。その属性を有する者としての習性を。
その習性には、更なる罠がある。
「会長! 待つお!」
あしほの肩は揺れた。踊り場に立ち尽くす。
蘭がゆっくりと階段を昇る。階段の欄干を叩く。かあんかあんと靴音が響く。それに重なるマシンガントーク。
「その口調、菊田を受け扱いしてないでそ? 一般に受け扱いのキャラを攻めっ
て思っちゃうとつらいよね。王道のカップリングに比べちゃうでそ? マイナーカプの支持…つらかったでそ? 会長のツボはずばり下克上カプ…『菊田攻めの竜胆受け』!」
「もうやめて! 許して! 公共の場で『受け』とか『攻め』とか言わないの!
あ、当てないでよおお!」
屈辱と羞恥心から、あしほは自ら大音声を発する。耳を塞いでその場に座り込む。大正解だったがために。踊り場に蘭が到着する。あしほの二の腕に手を添える。決定的と思われる呪文を放った。
「あの変態…いいよね。蘭も好き」
この鍵はあしほの扉を解放させた。秘密の維持に執着してきたあしほにとって、それは解放だった。希望とともに、あしほの内なる萌芽は外側の世界で承認される可能性を見出し肯定に至る。滂沱の涙がその瞳から溢れ出す。全ての精気を奪いつくされたような表情ののち、その唇がきゅっと引き結ばれた。親鳥を見上げる雛の真摯な光を宿して、あしほは蘭を見上げる。真っ赤になって、
「ほ、ほんとっ…?」
と、尋ねてしまった。
――落ちた。
駅前の書店。彼女らが何を言っているのかさっぱりわからないため見て見ぬフリをしてパッキングの作業に没頭する書店員。立ち読みに没入しようと精一杯な客たち。彼らを置き去りに、異能力者バトルは決着した。
そう。その趣味には罠がある。あしほはその毒を知らずに染まりきってしまっていた。
その欲深い毒は――たまる。
蘭は、追及する姿勢をとりながら言葉の端々に作品の特徴を織り込むことであしほの趣味への共感を示した。そして、決定打だ。菊田というキャラの変態性の肯定は言い換えれば『激しく同意』という意味だった。
『激しく同意』――これはあしほの固く閉ざされた心を開く魔の呪文だった。
「やーっぱり好きなんだ?」
「あ!」
蘭がたちまち意地の悪い笑みを浮かべた。
「だ、騙したわね…!」
「そんなつもりないっ。蘭も好きだもん。でも会長は趣味がバレたら困るのかにゃ?」
「う、うう。あ、あの…御剣さん、誰にも言わない…でくれる?」
「どうしようかにゃ?」
あしほは身を強張らせ、口付けできそうなほどに近い蘭の目を見た。ブラウンの瞳。金色の髪。付け爪は派手でスカートは短い。自分がBLを愛することも隠さない。あしほは蘭の笑みが翳りを帯びるのを見た。立ち上がるのを見た。無造作にスマートフォンを取り出すのを見た。シャッターが切られる音を聞いた。
「会長、喜んで。かわいく撮影できたおっ」
撮影されたのだ。BL本をしっかりと抱きしめている姿を。
「う、あ…そんな! データ消して!」
世界が反転する。そんな感覚に突き落とされた。
同級生…いや、誰であっても第三者に見られればあしほの平穏な生活には終止符が打たれてしまう。
「まあまあ。とりあえず…蘭と連絡先を交換しよっか」
意外な言葉に、下僕は顔を上げる。
「え…え? 連絡先?」
思わず凝視すると、蘭は何故か赤くなっている。
「会長はこの先蘭の言うことをきく! 画像をばらされたくなかったらね。とりあえず連絡先教えること」
「え…」
あしほは蒼白になる。
「だめならいいお? けど、そうなったら…」
「わ、わかった! わかったから…」
嘘でも今は要求を呑まねばならない。あしほは背負っていたリュックを開く
と、四角いケースを取り出した。急いで一枚の紙片を取り出し蘭に差し出す。
蘭はその厚紙を手にしてまじまじ見つめる。
『
四角四面なフォントがあしらわれた名刺だ。少女らしさのあらわれといえば、蔦のような飾り枠が文字を四角く囲っているばかり。
「…会長は…どこの営業部長なのかにゃ?」
「連絡先が必要なんじゃないの?」
「そう…だけど…」
「こ、これ以上どんな情報を引き出そうというの?」
お互い表情をなくして束の間見つめあった。蘭は咳払いして言い募る。
「会長…おかしくない? おかしいお! 女子高生なのに名刺て!」
ぱしんぱしんと紙の表面を叩きながら蘭は会長に迫る。
「とりあえずスマホ出して。そうそう…ここ持って? ここを押して? しばらく待ってね?」
本来なら自在に相手を支配する側の立場をせしめたはずの蘭は丁寧に古風な気質の生徒会長に機械の操作を教授しはじめる。下僕と化したはずのあしほはまず眼鏡を装着する。言われるままにスマートフォンを取り出す。女王様であるところの蘭に教えられるままに操作する。画面が切り替わるとアドレス帳に蘭の名前やデータが登録されたという通知が表示された。
「な…うそ…なに…これ? 何も入力していないのにデータが…替わった…」
「今時自動同期で驚くのは会長くらい。今度は逆…はい、おわり」
「あ…わ…私、その」
あしほは俯いた。
「わからないの、よく…使い方…」
蘭は呆然となる。スマートフォンといえば女子高生にとって必需品だ。あしほの表情には羞恥心がありありと浮かんでいる。
「じゃあねえ、蘭が教えたげる」
「そ、そんな必要…」
「命令。蘭の教えることはちゃんと教わること」
命令。その二文字に支配され、あしほが硬直する。蘭は満足そうだ。
「忘れたらだめ。会長は蘭の下僕っ!」
「う、うううー…」
「また明日っ」
ひらひらっと手をふると、蘭は駆けていく。淡い色の髪が太陽のもとに透けて煌いている。その背中を見送ると、あしほはがくりと項垂れた。
本日は愛好するシリーズの最新作の発売日。あしほにとってBLの原体験に相当する貴重な作品群だ。ある種の記念日と言える一日だったのだが…別の意味での記念日となってしまった。
ふじょ☆ゆり 玉置こさめ @kurokawa
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