第2話

アンドレアが気づいたとき、手首を縛られ馬に乗せられていた。

状況を把握できないアンドレアは思わず、意味不明な言葉を口にしたので、

馬を引いていた騎士からとうとう頭をやられたかと聞かれ、いや、違うと思わず冷静に答えてしまった。


はたと周囲を見渡せば大草原である。思えばアンドレアはあのスラムから一歩も出たことはなかった。

外に出ればこんな大きな世界が広がっているのだ、その世界の美しさに思わずため息を吐き、このような世界があったことをアンドレアは初めて知った。如何に知っていた世界が狭くて、汚らしかったことだろう。

しかし疑問が残った、なぜアンドレアは手首を縛られ馬に乗せられているのか。

暴れだすと、騎士は軽快にケタケタ笑った。


「なに、あんなところにいるようにはとても見えない面だったので、奴隷商人にでも売ってやろうと思ってね」

騎士はあっさりそう答えて、その非人道な言葉さえ、彼が言うとアンドレアには爽やかに聞こえる。

「おい、おろせ!」怒って暴れだすと馬が辛そうにする。


「冗談だ」


それだけ言って騎士は笑い転げた。屈託のない笑い方をするその男は名前をグレイプニルと言った。

槍を持ち、馬を持ち、高価な服に身を包む彼はどこからどう見ても立派な騎士の一人だ。

姿は精悍で逞しく、女子に間違われることもある細身のアンドレアとは雲泥の違いがあった、おまけにアンドレアの髪の毛は長い。その自慢の髪の毛が切られ、金髪が服の中に入り込んでアンドレアの背中はザラザラした。


「グレイプニル、あんたは何が目的で」


何も答えず、ぽつぽつ遠くに明かりが見えはじめる頃、グレイプニルはチラと顔を覗いてアンドレアに話しかけた。


「おい、乞食、お前が逃げないと約束すれば俺が特別な待遇を与えてやろう」


「なんで……?」


「なんで?そうだな理由などない。ちょうどいい召使いを探していたところだとでも言えば?」


立派な騎士の召使いになるのだったら、これから待遇がよくなるに違いない。だけどこの男は変わっている、あんな場所で自分を襲った少年などを、召使いにするというのだから。

一体どういうわけだかわからない。アンドレアが返事をする前にグレイプニルは縄をほどいた。


「おや、旦那様、男の子なら多少安くなりますが……」


奴隷商人らしき男が手をこすり合わせながら近づいてきて商談を始めたので、アンドレアは顔を伏せた。


「こいつは違うんだ、ちょっと気に入ってね」即座にグレイプニルが反応する。


「あんな小汚い奴隷よりもっとうちにはいい子が沢山いますよ」


「俺が気に入ったというのだから気に入ったのだよ」グレイプニルは少し怒った素振りで乱暴に馬を繋げた。アンドレアは奴隷などではない。少なくともひどいあのスラムは自分の力で生きているやつばかりだ。

ふと、アンドレアは自分の荷物を確認した。あのナイフはたった一つだけ持っていた宝物だったのだ。


「お前!返せよ!」そう言ってアンドレアは詰め寄る。


「これは前金ってやつかな、俺様の言うことをちゃんと聞くって言うんなら返してやるよ」


ケラケラ笑いながらそのナイフを右手でつかんで投げて左手で掴む。

それを繰り返しながらふとアンドレアの方向を振り返った。

グレイプニルは何か思うようにその姿をジッと見つめ、物憂げな表情をしてまた振り返った。


「アンドレア、今日から俺はお前のあるじだ、何でも言うことを聞いてもらう。ただしただではないよ、

きちんと賃金くらい払うさ、まっとうな人間の生活くらいさせてやるさ」


その言葉を聞いたアンドレアは耳を疑った、まっとうな人間の生活だって?今までそうじゃなかったことにはちっとも気付かなかった、青天の霹靂のようなその言葉をアンドレアは軽く受け流すことはできなかった。良い香りのする部屋に案内され、日向の匂いのする布団に包まれて、これから始まる主従生活を想像していた、あいつは良い奴なのだろうか、それとも悪い奴なのだろうか、それを見極める材料はまだまだ少なかった。グレイプニルの思惑は何一つアンドレアには見抜くことはできなかった。ただ、食事が美味しかったことと、やつは鞭でぶつような真似はしない。もしかしたらあんな低賃金で働く母を楽させてやることができるかもしれない。自分もこれからの将来、ゴロツキなどではなくて一人前の仕事に就くことができるかもしれない。それは、突然スラムに差した輝く光だった。2度とこんな好機は訪れないかもしれない。

その夜、アンドレアは素直にその方向へ向かうことを決めた。光が差した方向にもう、進むしかなくなっていたのだから。

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