第3話

どこかでけたたましくベルが鳴っていた。

急速かつ強制的に眠りから引きはがされつつあった俺は、朦朧とした頭で、今日は土曜日で会社は休みのはずなのに、何故目覚まし時計が鳴っているのだろうと思った。俺は枕元の目覚まし時計のベルを止めようとして、それが時計ではなく、電話のベルであることに気が付いた。時計の針は真夜中の3時を指していた。

俺は頭を一振りして、頭の中を覆う忌々しい薄靄を振り払うと、掛布団ごとベッドから転がり落ちた。そして、掛布団にくるまったまま、腕を伸ばして鳴り続ける固定電話の受話器を取った。

「もしもし」

まだ完全に眠りから覚めきっていない俺の間抜けな声にかぶせるように、受話器の向こうから加治の声が聞こえて来た。その声は、何かに怯えるようにうわずって、微かに震えていた。

「川村か。俺だ、加治だ。」

「どうした、こんな真夜中に。」

「音が、音が聞こえるんだ。」

「ああ、この前の電話で言ってたやつか。引きずる音が聞こえるんだろ。」

「なにかが、寝室のドアを引っ掻いているんだ。ドアの下の方から、がりがりがりがり音が聞こえるんだ。」

俺は耳を澄ました。確かに、加治の声の後ろから、なにかを引っ掻くような耳障りな音が聞こえて来る。

俺の神経が急速に覚醒して行くのが分かった。この耳障りな音は、まるで俺の神経が覚醒して行く音のようだった。

「落ち着け、加治。いいか、落ち着くんだ。」

「あ、ああ、大丈夫だ。落ち着いてる。」

加治のこんな取り乱した様子を見るのは、初めてだった。俺は深呼吸して加治に話しかけた。

「ドアを開けるな。ぜったいにドアを開けちゃいけない。」

「わかってる。開けないさ。」

「そうだ、そして朝を待つんだ。」

「わかった。」

加治の声がやや落ち着いた。

「そうさ、わかってる。」

自分に言い聞かせるような加治の声にかぶって、ドアを引っ掻く音が聞こえて来る。

「でもな、川村。」

「なんだ。」

「開けたいんだ。あの音を聞いていると、ドアを開けたくて堪らなくなるんだ。頭では開けちゃいけないってわかってるのに、勝手に体が動いてしまいそうになるんだ。」

「だめだ、加治、いいか、なにか別のことを考えろ。iPodで音楽でも聴け!」

「大丈夫だ、我慢できるって。ドアを開けたりしない。大丈夫だ。ああ、でも腕が勝手に動きそうだ。」

「加治、耐えるんだ。いつかおまえが言っていたシステムカットオーバー前のデスマーチに比べれば、どうってことないだろ!」

「そうだよな、月に220時間の残業に比べれば、どうってことないさ。でもな、俺は確かめたいんだ。ドアの外に何がいて、何が起こっているのか。」

「加治、今のおまえにとって、そんなことどうでもいいことだ、冷静になれ!」

「だめだ、川村、もう俺は我慢できそうにない。川村、助けてくれ、俺には止められない!」

「やめろ、加治っ!!」

俺は受話器に向かって叫んだ。受話器の向こうから、ドアノブを回す音が聞こえた。とたんに、あれほど聞こえていたドアを引っ掻く耳障りな音が、ふっと途絶えた。

「加治っ!!」

俺がもう一度叫んだ瞬間、電話が切れた。

俺は慌ててリダイヤルボタンを押した。けれど、呼び出し音が鳴るだけで、二度と電話に加治が出ることはなかった。

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