第2話
加治から電話がかかって来たのは、二人で会って飲んだ翌週の金曜日の夜だった。
夜の9時頃に鳴った自宅の固定電話に出てみると、受話器の向こうから加治の声が聞こえて来た。
「よお、元気か。」
そう言う加治の声は、いつものような元気が無かった。
「どうした、なんか元気ないな。体調でも崩したか、それとも彼女に振られたか。」
「振られたくても彼女はいねえ。」
「ハハ、そうだったな。でも、ホントに元気ないぞ。どうした。」
受話器からの声がしばし途絶えた。
「そうだな、おまえには話しておくか。」
「なんだ、もったいぶらずに言えよ。」
加治は少しだけ躊躇うように、単語と単語の間隔を空けながら話始めた。
「始まったのは、この前の日曜日の真夜中だ。」
「俺たちが飲んだ日だな。何か始まったんだ?」
「いいから聞けよ。」
加治が少しだけ声を荒げた。
「わかった。黙って聞くよ。」
俺はそう言うと、黙って先を促した。
「おまえと飲んでそのまま家に帰って、俺は風呂に入ってそのまま寝たんだ。そして夜中、そう2時半頃だったな。ふと目が覚めたんだ。目を覚ましてみると、何か、いつもと違う感覚がした。なんだろうと思って、辺りを窺っていると、遠くから妙な音が聞こえて来るのに気が付いた。何か、重たいものを引きずるような音が微かに聞こえて来るんだ。そのときは、気のせいかと思って、また布団に潜りこんで眠ったんだ。」
「アルコールのせいで血圧でも上がってたんじゃないか。」
加治は俺の言葉に反応せずに、話を続けた。
「次の日、また真夜中に目が覚めた。やっぱり2時半頃だ。そしたら、また同じ音が聞こえるんだ。さすがに不審に思って、寝室から出てみた。」
加治は、俺が住んでいるマンションとよく似た間取りの1LDKのマンションに住んでいた。違うのは、俺の部屋は1階で加治の部屋が5階ということだった。加治も俺も玄関脇の洋間を寝室にして、その奥にLDKという間取りだった。
「俺は寝室のドアを開けて廊下に出てみた。音はリビングの方から聴こえて来る。リビングのドアを開けてリビングに入ると、音が大きくなった。でもリビングの中じゃない。その音がベランダから聞こえてくるのがわかった。俺はリビングからサッシのガラス越しにベランダを覗いてみた。」
「何かいたのか。」
「いや、暗くてよく判らなかった。俺はそのまま寝室に戻って、ベッドに潜りこんだ。」
「ふーん・・・」
「だけど、火曜日の夜もまた2時半頃に目が覚めた。やっぱりベランダから音が聞こえる。俺は犬か猫でもいるんじゃないかと思って、思い切ってベランダのサッシを開けてみた。」
「どうだった?」
「なにもいなかった。」
「おまえの部屋は5階だから、外から何かが入り込むことは無いだろ。怪奇現象ってやつか。」
俺は重たい会話の雰囲気を和らげようと、軽い調子でつっこんでみた。でも、加治は俺のつっこみをあっさりとスルーした。
「その夜はそのまま寝たんだけれど、水曜日の夜、やっぱり2時半に目が覚めた。」
「また音が聞こえたのか。」
「ああ。だけど今度は音が少し大きくなっていた。寝室から廊下に出てみると、音はベランダじゃなくてリビングから聞こえてた。」
「その音って、どんな感じ?」
「ずりっ、ずりっ、て感じで、何か重いものを引きずってる感じかな。」
「うーん、これはちょっと怖いかも。で、どうした?」
「俺はリビングのドアを開けてみようとして、少し躊躇った。なにか、いやなものを見てしまいそうで、このドアを開けてはいけないんじゃないかって思ったんだ。」
「なんだか、おまえらしくないな。」
「そうなんだ。だけど、頭の中ではこのドアを開けない方がいいって思うんだけれど、体がドアノブを引いてしまいそうになるんだ。なんて言うんだろ、怖いもの見たさの好奇心とでも言うのかな。俺はしばらくドアの前で葛藤していたんだけど、ついに好奇心に負けてドアを開けてしまった。」
「どうだったんだ?」
「なにもいなかった。リビングの隅から隅まで見てみたが、なにもいなかったんだ。」
「一大決心をしてドアを開けた割には、拍子抜けだな。」
「ああ、そのときは俺もそう思った。」
「違ったのか? 何かあったのか。」
「昨夜のことだ。また2時半に目が覚めた。」
「音が聞こえたのか。」
「ああ。今度は、廊下から聞こえて来た。寝室のすぐそばから。」
俺は思わず受話器を握りしめた。
「ドアを開けるたびに、ドアを越えて少しずつ近づいて来ているってことか。」
「ああ。さすがに、今度はドアを開けてみようとは思わなかった。」
「なんか、やばいんじゃないか。いったんホテルにでも移ったらどうだ?」
「まさか。怪奇現象だとか、心霊現象なんてものがあるわけない。なにか、音の原因があるはずだ。」
「確かにそうだとは思う。例えば、エアコンを切ったせいで、マンションの建材が伸縮しているとか、排水管かなにかの振動が部屋に伝わってるとか。」
「それ、いわゆるラップ音とかポルターガイスト現象の一般的な原因だよな。」
「ああ、そうさ。似たようなもんだろ。」
「うーん、でもこれは少し音の感じが違うかな。」
「今夜は大丈夫か。今夜も音が聞こえても、原因が分かるまではドアを開けない方がいいんじゃないか。」
「わかってるって。大丈夫だよ。じゃ、なにかわかったらまた電話するよ。ちょっと面白い体験かも知れないし。」
「無理するなよ。」
俺がそう言うと、加治からの電話は途切れた。
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