黒い影
粗方の説明を終えるとミランダは十分後に授業再開するよ、といって教室を出ていった。彼女が扉を閉めた途端に教室内は話し声で満ちる。
香坂は隣の白人女性と話している。年は二十代であろう。すらりと伸びている背中が印象的だ。横顔は利発そうであった。
トニーが心細げにつばきにすり寄る。
「ねえつばき、僕もこっちに座ろうかな」
トニーは離れた席にいたのだが、そこには居づらいと見える。人と接するのが苦手な多くの人間は、既にできたグループの輪の中に溶け込めない傾向にある。そこから勧誘があったとしても親しくできないのでは話にならない。
「良いですよ」
彼女は来るもの拒まず去るもの追わずの精神で応対しただけである。彼と一緒にいたい、という理由でそうしたのではない。
一人ではない安心感からか、トニーは気持ちが大きくなった。ついつい、いつもなら黙っておくことを口にする。
「つばきは畏まりすぎだよ。今日から同級生だし、それだと余所余所しい感じするから、普通に話してよ」
彼女はきょとんと首を傾げた。数秒後、敬語をやめろという意味だと気づくと、小さく頷いた。
「わかった」
つばきの目の前に座っているテオは、クラスメイトと話すタイプではないらしい。一人表情無く、じっとしている。彼の服は少し変わったデザインだった。上着は地面につきそうなくらいの丈で、黒の半ズボンがそこに組み合わせられている。つばきの知識上、そのような服の民族は地球にいなかった。よくよく見ると、その布はきらきらと光っている。
(この世界の服かもしれない)
つばきが観察していると、テオは我慢できなくなったのだろう、つばきの方に勢いよく振り返った。彼の瞳は冷たい空気を纏っている。
「何?」
口調は突き放すようだった。
つばきは気づかれていたとは知らず、突然テオが振り向いたように見えたため心底驚いた。
「服、ここの?」
反射的に口から出たのは、直球の言葉だった。テオが拍子ぬけしたように口を開けた。
「はあ? そうだけど。それでじろじろ見てたの?」
つばきにはそれ以外の理由がわからない。彼の観察をするとすれば、服装以外には何もないと思ったのだ。
「うん」
「なんだ。そっか」
彼は小さく笑った。
テオはふと、つばきの首に巻きつくようにある古い痣を見つけた。強く締め付けられたのだろうが、今では薄く見える程度にまで治っている。
つばき自身はそれには気づいていなかった。他の痣――自分で見える範囲の位置にある――には気づいていたのだが。
「お前にもあるから? だから気にしなかったのか?」
テオの言葉に、わけがわからないとつばきは戸惑う。
(何が、私にもあるの?)
本当に何のことかわかっていないつばきに、テオは苛立ちを隠しきれない。
「だから、痣のことだよ!」
きつく言い放たれたそれは、教室内に響いた。生徒たちの話し声がぴたっと止まる。
「痣? これのこと?」
そんな空気を気にもせずに、つばきはマントの下から白い腕を出して見せた。数カ所に殴られたような歪な丸い痣が点々とある。
それを遠目に見た香坂は息を飲んだ。
「つばき! それどうしたの」
トニーが悲鳴に近い声を上げる。
「お前……それ、どういう意味かわかってんのか」
テオはその痛々しい腕から目を背けた。
「意味って? 誰かに殴られてたってこと?」
彼女の態度に、テオはいよいよ唖然だ。
そのとき教室のスピーカーからチリンチリンと、古い乗り物、自転車のベルみたいな軽い音が鳴った。生徒たちが慌てて席に戻っていく。トニーはつばきの横で体を縮込めた。
そのすぐ後にミランダが現れる。
「はい、じゃあ二時間目の授業を始めまーす」
相変わらずのテンションで、踊るようにパネルの前まで歩いていく。そして、ふと気づいたように判子を取り出した。
「さっき判帳――判子を押す手帳――を配ったよね。早速だけど、判子が貰える生徒がいます」
ミランダがちょいちょいっと人差し指でつばきを呼ぶ。彼女はキョロキョロと周囲を見回して自分のことだとやっと気づき、マントから判帳を慌てて取り出した。彼女がミランダに差し出すと、そこの一升目にぽんっと押される。その瞬間にプクプクとインクが膨らんでシールのようになった。
前の席に座る香坂の顔は疑問符でいっぱいだ。もちろん、つばきも。
「えーっと、校長が言うには光をうまく操れていたとのことで。あ、テオと一緒だね」
がっくりと香坂の肩が落ちる。
彼女は指を一本立てて、くるくる回した。何かを思い出そうとしているのか、天井を見上げて目を閉じた。ちょっとして、ぱっと見開いた。
「テオはあとで校長室に来るようにね。あー言うこと忘れるところだったわ」
焦った焦ったとミランダが頭を撫でる。どうやったらそんな重要なことを忘れられるんだと、そこにいる全員が思った。
「さっきは判子とかの説明で終わっちゃったんだよね。じゃあ、次は就職のことを話すよ」
つばきが席に戻ると、テオがふんっと鼻を鳴らす。彼女が判子を貰ったのがよほど不服らしい。
「仕事場には二種類、いえ、三種類あるのね。まず、町を取り締まる町役人。二つ目は、国を取り締まる国家員。三つ目は町のあらゆる施設で働く町人」
パネルに大きくその三つが表示される。
「さて、実際にどんな仕事なのか教えるよ。例として町役人。全部教えるのは面倒だから……んー。主要なのを例に挙げるね。一つ目は治安部。この町をカメラで監視して犯罪を発見するのが監視局で、それを捕まえたり現場に駆けつけるのが出動局。もしも犯罪がその場で解決されなかったら、事件の調査を行う事件調査局の出番ね。で、その調査員について行って犯人を捕まえるのが、捕縛局よ。事件調査局が動くのは重罪、殺人関連が多いわ」
生徒たちは静かに聞いている。ミランダは軽快に続けた。
「二つ目は新人部。森などを調査して誰かいないか探すのは森林調査局。そこで発見された人は案内人によって森から連れ出されるの。それを待って迎えに行き、町案内などをするのが管理局。町の説明、寮の手続きをするのが送別局。ここまではオッケー?」
数人がちらほらと頷いた。
「そんな感じで色々部があるの。そこの責任者は総監督って呼ばれていて、例えば、治安部総監督って感じ」
アレックスは迎えに行くのも町案内するのも、寮の手続きなどもしている。そうすると、彼があの若さで新人部総監督ということになってしまう。
「じゃあその職業にはどうやってつくのか。これは簡単よ。高等部になると、まず自分がどの種類の職業に就くのか選ぶの。そしてそこで見習い訓練をする。認められたらはい、卒業と同時に就職決定よ」
やりきった感を醸し出しながら、ミランダは両手を上に広げた。彼女はこういう長ったらしい説明をするのが苦手、というより性に合わないのだ。
「ついでにいうと、職員は町役人に入るわよ。学校部ってやつね。ここまでで質問ある人、挙手!」
香坂の手がすっと挙がる。
「給料の基準ってありますか?」
彼女の質問に生徒たちが僅かだが身を乗り出した。
「ええ、もちろん。基準はあたしが思うに、人が嫌がる仕事であればあるほど、高い日給が得られるって感じなのよ。例えば国家員の仕分け局は、赤ちゃんを北か南に送るっていう親子を引き裂くような仕事なのよ。だから日給高いわよ」
彼女の表情が陰る。しかし、それは一瞬のことであった。
「あたしがやってる先生は日給二十枚くらいかな。そこそこよね。あ、言い忘れてたけどお金十枚で判子に両替できるわ。その方が持ち運びも簡単だし、十枚貯まったら時計塔の銀行に行ってみるといいわよ。子供でも口座は作れるから」
香坂の隣に座っている白人の女性が手を挙げた。彼女の長い金の髪はひとまとめにされ、左肩を通って胸に垂らされている。つばきから彼女の首に掛かるネックレスのチェーンが見えた。
「はい、レイチェル」
「この世界には科学者とかはいないのかしら?」
柔らかい声がおっとりと訊ねた。
「ないわ。残念だけど、研究を行う権限は北町の人間にしか与えられていないの」
レイチェルは見るからに落ち込んでいた。
教室内が静まりかえり、誰も何も言わないのを見ると、ミランダは疲れたように腰に手を当てた。
「質問は以上ね? 他の職業についてはプリントを配るので自分で見てね。明日も九時からだから遅刻しないように! じゃあ、帰る前に判子押しまーす。判帳開いてね」
薔薇模様の判子をポンポン押していって、プリントを配り終わると、彼女は逃げるように教室を出ていった。
テオが彼女を追うように立ち上がる。校長室に行くのだ。
香坂とレイチェルはつばきに手を振り、早々に帰ってしまった。トニーはつばきと帰りたかったのだが、彼女がじっと座ったままで動こうともしないのを見て諦めた。誘えばいいものを、彼にはその勇気がないらしい。
一人、つばきは教室に残っていた。渡されたプリントを隅々まで熟読する。何度も読み返しながら、彼女の心には一つの目標が生まれていた。
国家員になれば北町に行けるのだ。ならばそれになろう、と。単純ではあるが、それしか前に進む道はない。
(ここにいても、ただ生きて死ぬだけ……)
シツの放った言葉を彼女は思いだした。人として静かに生きていく――それが彼の望みなのかもしれない。
理屈ではない。彼女の意識は自然と広がり、町を、国を飛び越えて世界の中枢まで行き着いた。思考が勝手に走り出し、彼女を駆り立てる。北に行くべきだ、と。
集中していたのか、気がつくと空が薄暗くなっていた。窓から寮とその向こうの川が見通せる。彼女はその光景を懐かしいような寂しいような、そんな気持ちで眺めた。
突然、教室の扉が乱暴に開けられた。ごんっという振動が校舎内に波紋を起こす。廊下から、まだ残っているのであろう生徒たちの声が漏れてくる。
しばらく経った。しかし一向に誰も入ってこない。不思議に思って、つばきはたまらず声をかけた。
「誰?」
返事がない。開けるだけ開けて、帰ったのかもしれない。教室に誰もいないと思ったのか。誰かを捜していたのか。とにかく、扉を開けた主はそのまま姿を現さなかった。内心とても驚いていた彼女は、少し苛立ちを覚えた。無意味なサプライズをうけたかのような気持ちだ。
全神経を教室に向け、つばきは目を閉じた。腑に落ちなかったので、確かめてみることにしたのだ。
(聞こえる。これは、下駄の音?)
下駄らしき音がつばきの目の前で止まった。目を開ければそこには誰もいないのだが、確かに気配があった。うっすらとしていて捉えにくい。
「誰?」
今度は、はっきりと聞く。目を閉じながらだと透明な存在を敏感に捉えることができた。
「わかるんだ」
耳元でふっと息づかいを感じる。幼い女の声が残念そうな響きを帯びている。そして、つばきの問いかけには一切答えずに教室を出ていった。
下駄の音が遠ざかり、気配が追えなくなる。諦めて目を開けた。
(さっきのは、一体……)
空は暗く消灯されて、代わりに水源の光が町中に満ち始めている。時刻は十八時であった。
そろそろ帰ろうと、教室の光を消した。
ぐうっとつばきのお腹が鳴る。朝にホットクを食べたきり、何も口にしていないのを思い出した。
学校を出てすぐの通りにある食べ物屋で、りんごを一つ買った。
十分の一枚という値段だった。そういう細かい数値は記録に残しておいて、後々支払うという方式らしい。一枚分の買い物をする前にお客が逃げてしまうのではないかと質問すると、店主は大丈夫さ、と笑った。町にある店の数は少ないし、そこで買える商品にも限りがある。店限定のおいしい物が一つでもあれば、商売が成り立つのだ。
次に、靴屋に入った。白いスニーカー一つと靴下三足で三分の一枚。これは専用のナイフで判子をカットしてもらい、支払った。
買い物を終えて寮に帰る頃にはくたくたであった。しかし、新しい靴を見るとその疲れもどこへやら。気分は晴れやかになった。
部屋に入った途端に、ロゼットとヴァイオラが出迎えてくれた。二匹はアレックスが持ってきてくれたご飯の周りでくるくると歩き回る。
「これ、アレックスが?」
キャットフードとドッグフードの大袋が玄関にどんと置いてある。それを軽々と片手に一つずつ持って、つばきは室内に上がった。
つばきの選んだ部屋は、外から見ると煉瓦造りのシンプルな家だ。中は昔ながらの畳とタンス、小さな台所とお風呂にトイレがついている落ち着いた空間である。壁紙が紫色というのを除けば居心地の良い部屋だ。
「お皿無いから、今は手で我慢してね」
両手にご飯を持って、二匹に差し出した。
「トイレは……あとで外に連れてってあげるからそこでね」
二匹が食べ終わると、買ってきたスニーカーに付属している紐を通し始めた。
つばきはふと、自分の足に傷がついていないことに疑問を持った。彼女は森で目覚めてからずっと裸足で歩いていた。森で踏んだ刺々しい葉っぱや木の枝でつくられているはずの傷痕が一切無いというのは些かおかしい。それに、二匹のご飯は二袋で結構な重さになる。それは袋の膨らみを見れば明確であった。それを軽々と持ち上げるだなんて、細身のつばきにできるはずがない。
(地球人がそういう体質、とか?)
違う。つばきはすぐに否定する。普通の人間ならば傷の治りは遅い。そして、体格通りの力しか発揮できない。ガリガリで筋肉があまりない人間がゾウを持ち上げるのは無謀である。
彼女は何度も自身の足を擦りながら、それが人間の肌であることを確認した。間違いなく、人肌である……。
「近年、守護されている子供以外にも被害者が出始めている。しかし、やはり守護者のいない君がとても危険な状況にあることは知っていてほしかったのだ」
狭い個室の奥、校長用のデスクに座る無精ひげの男が重々しく口を開いた。眼光が鋭く、その目で睨まれれば、蛇と対峙するカエルのごとく固まってしまいそうだ。
「俺は別に……」
テオは続けて、死んでもいいと言おうとした。しかし、言えなかった。校長から今朝の事件を聞かされたためである。川の中で発見された牧場主アランの氷付けされた死体。あんな惨い死に方はしたくない。
歯を食いしばるテオに、校長は優しく声をかける。
「心配はいらない。君を全力で守るように北町の治安部捕縛局員のボディーガードに指令を出したからね。テオ、明日からは彼らと行動をともにしなさい。君を商人の手から救い、この町に残してくれたアレックスの気持ちを無駄にしないように、生きるんだ」
アレックス。彼は恩人だ。森でさまよっていたとき、商人たちに捕まっていたテオを救い出した。
(彼のために生きる?)
彼は死にたいわけでも生きたいわけでもなかった。学校に入学したが、全身に広がる醜い痣のせいでクラスに馴染めず、また激しい気性が災いして、彼らの親切を全てはねのけてしまう。気遣いの声をかけられる度にイライラして、どうしようもなく相手を殴りたくなった。その感情がどこから湧いてくるかもわからない。こんな自分はいっそ死んだ方がいいのかもしれない、そう思ってさえいる。
「君には生きる価値がある。だからこそ、アレックスは手を差し伸べた」
校長は穏やかに笑った。彼の瞳は鋭く、けれど弱者を包み込む情愛で溢れていた。
段々と空が翳り、デスクから伸びる影が闇に溶けていく。それと同時に、机上に置かれたランプから発せられる水源の光が強くなっていった。影は濃さを取り戻した。
「俺はシャルール校長の言うことに従います」
台詞を読み上げるような話し方に、シャルールは眉を寄せる。
「君は……嬉しくないのかな」
彼の落胆がテオに伝わってきた。良かれと思ってしたことがあまり喜ばれなかったのだ。そうなるのも無理はない。
「いえ、とても嬉しいです」
口ではそう言うものの、テオの顔は浮かばれない。悲惨な死に方を避けられるのならば避けたい。でも、生きることに抵抗を感じながら生き続けるのは嫌だ。彼はそういう矛盾した気持ちにどう収拾をつければよいのか、答えを見つけられないでいるのだ。
「そうか……。では明日、君の部屋にボディーガードを送っておく」
校長室からテオが去ると、シャルールは深い溜息をついた。そして、ぶつぶつと誰かに向かって言葉を放つ。
「可哀想な子だ。地球では監禁され、敵軍の暴行をその幼き体に受け続けた。そんな不遇な状況からこの世界に来て幸せになっただろうに、記憶喪失のせいで生きる有り難みを実感できないとは」
彼の隣には誰もいない。だが、そこから低く野蛮な響きを持つ声が聞こえてきた。
「シャルールよテオを守りたいか」
「もちろんだ。無責任な神々の好きにはさせない。テオのことは北町の人たちが守ってくれるだろう。……しかし、ただの町役人が東町の時計塔からここへ入れるのだろうか。デビがそうしろと言うから病院関係者に取り入ってはみたが……」
デビの興奮を抑えきれない声が、漏れる。彼は血が沸騰しそうなくらい、喜びを隠しきれないのだ。
「大丈夫さ。国家員といえど、もとは東町の住人。そこで世話になった校長からの頼みごとだ。そして、我の力で北町の神々にお触れを出させた。一時的に北と東は繋がるのだ」
嬉しそうなデビの声に、シャルールは安心とともに奇妙な不快感を覚えた。虫の知らせ、というのだろうか。彼の暴力的な口調や、たまに顔を出す凶悪な一面には薄々気づいていた。人を人とも思わないような非情さが垣間見えるのだ。しかし、それと反対にこうしてシャルールの願いを叶えようとしてくれている。
(信じるしかないのだろう)
胸に過ぎる針のような痛みを紛らわして、再度決意する。神々の所行を見逃すわけにはいかないのだ。
そのとき、コンコンと校長室の扉が叩かれた。
「どうぞ、入って」
シャルールの許可を得て、ミランダが扉を開けた。彼女の表情は険しかった。
肩で風を切るようにシャルールに歩み寄ると、机に手を叩きつけた。ばんっと大きな音がする。
「北町の人間が来ると聞きました。本当ですか? あの野蛮人……北町の役人の方々を動かしたのはあなたですか?」
ミランダの憎悪がシャルールに向けられる。ぴりぴりとした空気が漂った。
「本当だ。役人を動かしたのは私だが、間接的に、だ」
彼の毅然とした言い方にミランダは激情する。
「なぜですか。役人ならばこの町にもいるでしょう。東が誇るボディーガード侍をテオにつかせれば良いではないですか」
ボディーガード侍――アホっぽいが正式名称だ――とは、剣の達人五名からなる組織である。国家員や、町外へ調査に赴く仕事などに付き添い、あらゆる危険から対象を守ることを目的としている。しかし、そういった仕事は少ない。あくまで副職という位置づけだ。
「ミランダ、落ち着くんだ。君には言っていなかったが……ボディーガード侍は出張中なのだ。新人部調査局員と共に森の中に籠もって出てこない。それに、不明確な証拠だけでテオを守ってくれる役人などこの町にはいない。私の言葉は、ここでは妄言とされるからだ」
「不明確? 事件の被害にあった者たちの共通点があるじゃないですか。守護を受けていないと」
そこで彼女の口が開いたまま動かなくなった。
「わかったか。守護を受けていない者は原則商人に明け渡すのが町の、いや国の規則だ。それを公にしては動くも何も、テオは町から追放されるだろう。新人部と学校部、一部の人間にしか知らされていないことを今、公言するのは得策ではないと思うが」
シャルールの考えはぐうの音も出ないものだった。しかし、そこには大きな疑問が残る。学校の校長という小さな存在が、はたして北町の人間を動かせるのかどうか、だ。答えは是である。実際に事は動き出しているのだから。ただ、それをシャルールがやったとは信じ難いが。
「ミランダよ、お前が北町を恨むのもわかる。だが、お前だけではない。それはわかっているな」
彼女の瞳には、シャルールという存在が大きく映った。こんな小さなデスクにただ毎日座って生徒たちを観察し、評価するだけのつまらない仕事。実際に触れ合うこともせずに人を見極めるなんて出来ない。
だからミランダは校長が嫌いだった。学生時代は大人顔負けの指揮でクラスを纏め、ボディーガード侍に凄いと言わせるほど剣術にも優れる彼はまさにスターであったから。薄暗い部屋に閉じこもって一日中モニターを眺めるシャルールを見ると、憤りを隠せなかった。
しかし今の彼はどうだろう。北の人間を動かせるほどの力をいつ、身につけたというのだ。シャルールは以前よりも、ミランダから遠い存在に思えた。
「さあ、そろそろ日が暮れる。帰ると良い」
拳を握りしめて、ミランダは一礼する。
「失礼しました」
彼女の後ろ姿は少し寂しげであった。
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