陰謀
巨大なドーム状の町を淡い水源の光が照らしている。木輪状に並ぶ球形の固まりがテラテラとその光を反射した。
その球形には一つ、扉がついていた。その中から度々誰かが出て行き、そこへ戻る、を繰り返している。数多くの球形から出てきた誰もが、ドームの中心部へと足を運んでいる。
天井にぶら下がるシャンデリアを見あげて、黒マントの男は溜息をついた。今しがたそこに到着したばかりで、光の強度に慣れないのである。男の住む町には地球のように電気が通っているため、水源が必要ないのだ。その不安定な光は時々ふっと消え、その町を暗闇の中に落とす。男はそれを煩わしく思い、光を一定の強度に保たせた。
そして、男は汚らわしい物でも見るように、球形から出てくる者らに顔を向ける。素早く視線を走らせて彼らの目的地を見定めると、男は迷わずにその方向へと歩いていった。
球形の合間を縫い、中心部が見えてくると男は足を止めた。彼の靴音が止み、町はシンと静まりかえる。
男の目前で、鉄の壁が道を塞いでいる。その壁はぐるりと中心部を囲い、関係者以外が入れない仕組みになっている。分厚い壁の向こうから、微かに声が聞こえてくる。
「ここか」
男は確信の声をあげた。
と、そのとき背後から男に近づく者がいた。カランコロンと響く下駄の音が彼女の存在を強調している。
「シツ! 久しぶりね」
男――シツが振り返って、面倒そうに顔をしかめた。
「お前も来たんだね」
お前と呼ばれたのは、小さな女の子だった。長い黒髪をアップにして纏め、水色の浴衣を着ている。
彼女はシツの不機嫌な声に身を縮め、しかし気丈に胸を張った。
「ええ。シツがやることをお手伝いできると思って。あたしは新入りだけど……東町の一員としてできることがあるはずよ」
その言葉に、シツは感心したように目を細めた。彼らのうち、ほとんどが自分を崇高な存在だと思っている。その中でも自らを人間と同等に扱うのは気持ち的にも至難であった。
「東町の一員? 本当にそう思っているのか」
厳しい口調だった。彼女は間髪を入れず、当然だと笑う。
「そうよ。あたしは神入りしてからもずっとそう思っているわ。だって、あたしには神様みたいに凄いことはできないから。あ、でもシツは違うわ。あなたは神に一番近いもの」
シツは首を振った。
「私は神ではない。人間でもなくなってしまったけれど……ウル、お前はこの町で起こっていることを」
シツの言葉を遮って、ウルは言う。
「知っていますとも。この町の神々が……いえ、なりぞこないが何をしているのか。この壁の向こうで何が行われているのか」
彼は苦笑した。ウルの口調から激しい怒りが感じ取れたからである。彼女は本気で内から町を変えるつもりだ。
「町に行って、私が指示する人間を守ってほしい。お前は確か、癒しの力を授かっていたな」
「それが私にできる事なら、引き受けるわ。もしも手傷を負わせてしまったらそのときは迷わず力を使う」
シツは満足げに頷いた。そして、壁に手を当てると瞼を下ろした。
「お前の正体は狭い範囲でならば発覚されてもかまわない。いや、そうなることは必然だ。次のターゲットの近くには香坂とつばきがいるからな」
ウルの方眉がぴくりと動く。
「つばきがターゲットじゃないのね」
「彼女は守られなくとも十分に強い。デビとかいう悪魔が動き出さない限り、彼女は安全だ」
シツは確信していた。四年間、彼女が時空の狭間を彷徨い続けたことが良い方向へと転がったからだ。
「ふーん。まあついでに世話でも焼いてくるわ」
彼女は踵を返し、後ろ手にシツへ別れを告げた。下駄の音が遠ざかっていき、聞こえなくなると、球形の陰に隠れていた男が顔を出した。
「失礼な女です。シツ様、彼女に任せてもよろしいので?」
現れた男はスーツにきっちりと身を包み、青い眼鏡をかけた若い男だった。金の髪が水源の光を受けて、輝いて見える。男はウルの去った方角を忌々しげに見つめた。
「心配ならばケンも行ってみるか? お前ならば正体も隠せるだろう」
ケンは身震いして左右に激しく首を振った。
「寒いのは苦手です。東国東町の環境の中では、僕は一分と生きられないでしょうよ」
シツは冗談だよ、と笑った。
「ウルはあの幼さでとてもしっかりしているみたいだ。つばきと喧嘩にならないといいけれど」
「つばき様と? あのウルとかいうやつは餓鬼でしょうが、つばき様はそうではありません。喧嘩というものは同じレベルの者同士でしか発生しないもの。心配ご無用では」
ケンの、つばきとシツへの忠誠心と尊敬は強い。特にシツに対しては下僕のように扱ってほしいとさえ思っている。そして、反対にそれ以外の生物全てを見下している。ウルのことも下等生物くらいにしか見えていない。
「初対面では他人の気持ちなど見えない。そいつがどんな性格で、どんな信念を持っているのか。話していくうちにそれは明確になる。ケン、お前だって最初は私のことを嫌っていた。しかし今ではこんなにも気が置けない相手となっている。話が逸れたけれど、つまりは、ウルは見た目より大人で、つばきは見た目と同じくらいに子供だということだ」
「そう、でしょうか」
シツは薄く微笑んだ。森の中で見た、年相応の彼女の姿は心に残っている。不安に揺れる瞳も、心細く震える体も、彼女がまだ十四の子供であると、彼に思わせた。
「つばき様は、話してみると大人びていました。あの空間にいながらもすぐに冷静さを取り戻し、状況把握も早かったです」
ケンは首を傾げた。彼の目にはつばきという人間が子供には見えなかったのだ。
シツが右耳に手を当てた。何事か呟き、手をどける。
「帰ろうか。中央本局から戻れとの指令だ」
「そんな指令を出すのは……
ケンが苦虫を噛み潰したような顔で唸った。
「それでは紹介します。左から順にどうぞ」
つばきたち三人は、電子パネルのボードの前に立たされていた。彼女たちの目の前には、十一人の生徒がいる。全員が最近この町にやってきたのだという。
隣で笑っている焦げ茶色の髪の女がミランダである。つばきたちは廊下で偶然遭遇した担任のミランダに教室まで引っ張られてきたのだ。
教室はさほど広くなく、入って二十人というところだ。ローテーブルが十個二列に並び、各机に二人ずつ座らされている。
「香坂美空です。二十六歳」
大儀そうな彼女の挨拶に、ミランダはうんうんと頷く。
「川野つばき、十四歳です」
「アンソニーです。トニーって呼ばれてます。えっと、十五歳です」
つばきの右隣のトニーはびくびくと震え、視線が落ち着かない。手汗がすごいのか、何度もズボンに手のひらを擦り付けている。
「はいはい。ありがとう。私は十一の一組担任のミランダよ。なんと、美空と同い年の二十六歳! よろしくね」
つばきは肘でトニーを小突いて、小声で大丈夫ですか、と聞いた。彼は小刻みに頷いた。
「席はどこでもいいんだけど。目が悪いとかあったら前の席の人に代わってもらってね」
教室の天井では、蛍光灯の中の水源がギラギラと光っている。つばきは一心にそれを見つめた。光を弱めるイメージで念じてみる。すぐに光は丁度良い明るさになった。満足して視線を前に戻すと、彼女の方を睨みつけている生徒がいた。まだ幼い子供だった。彼は上を見てから、つばきを見た。彼が教室の水源を強めていたらしい。それを急に弱められ、怒っているのだ。
「つばき? 座らないの?」
ミランダの声でつばきは自分だけがまだ座っていないことに気がついた。キョロキョロと視線が彷徨い、一番後ろの席で止まった。そこには誰も座っていない。
つばきがやっと席に着くと、ミランダは電子パネルに手を翳した。彼女の手が動く度に、パネルも次々と映像を切り替えて映していく。時計塔や空を歩く人の写真などがぱっと映されては消えていった。
ミランダの手は二分ほどして止まった。目当ての写真を見つけたのだ。それは川を背にして寮を見たものだった。
「これは見ての通り寮よ。新人の三人に説明するね。まず寮のルールね。これは送別局の生徒か新人部総監督の人に聞いたと思うけど、学年によって使用できる階が定められいるの。もう部屋の登録は済んだよね。だけど、タダじゃないのよ。そこに長期滞在するためには、きちんと毎月お金を支払わなければならないの」
ミランダは教室内を歩き回りながら続ける。彼女の言う送別局、新人総監督というのはアレックスのことだろうか。
「心配しないで。お金は学校に登校することと、よい成績を修めることで得られるのよ。えーっと、じゃあテオ。お金を見せてくれる?」
彼女はつばきの横で足を止め、その目の前のテオ――つばきを睨んだ生徒――の肩に手を置いた。
テオはむすっとしたまま、懐から手帳を取り出して一ページ目を広げて見せる。そこには赤い複雑な模様の判子が三つ押してあった。お金らしきものと言えば、それだけしかない。それはふっくらと膨らんでいる。シールのようだ。
「はい、これね。この判子一枚で一ヶ月分の部屋代になるの」
香坂は一番前の席からつばきの方を振り向いて、おかしげに肩をすくめて見せた。
「この判子は凄いのよ。特殊なピンセットで剥がすことができるの! あ、それじゃあシールじゃんって思ったでしょう? 違うんだなあ。判子なんだよ」
くるくると回りながら歌うようにミランダは言った。そして、円筒型の小さな物をポケットから取り出した。判子のようだ。側面にはバラの模様が掘られている。
「これが、お金の元なの。あーでも、だからって沢山押したりしたら駄目よ。町中にあるカメラでしっかりと見られちゃうからね。もちろん、この教室にもカメラはあるのよ。どこにあるかは言えないけどね」
つばきは右手を軽く挙げた。質問があるときにはこうしろ、と誰かに教えてもらったことがあるような気がした。
「はい、つばき。発言を許すわ」
「出席日数が何日で何枚もらえるのでしょうか。それともう一つ。優秀な成績の判断基準って何でしょう」
「うんうん。気になるよねえ。最初の質問には一枚、と答えるわ。一日で一枚もらえるのね。次の質問にはわからない、としか言えないわ。ここではテストがないし、成績表なんて物もないの。ただ、校長が優秀だと思えば、その度合いによって彼の独断と偏見で枚数が決まるのよ」
学校の頂点に立つ校長の存在は、まさに王様だ。校長室から学校内をカメラ越しに観察し、気が向けば生徒に判子を与えるように命じる。機嫌が悪いときはどんなに優秀な生徒がいようと無視してしまうに違いない、とつばきは勝手に思った。彼女には校長が国を腐らせる悪い政治家のように感じられたのだ。
「じゃあ例を挙げてください。実際に判子がもらえた生徒がいるはずですよね?」
香坂が立ち上がった。気怠そうな雰囲気はかき消え、必死さが窺える。生活がかかっているのだから当然だった。
「そうねえ。このクラスで言うとテオかしら。水源の光を自在に操ったとき、これは凄いって校長から一枚貰ったわよね?」
ミランダのうろ覚えな口調に、テオは苛立ちを隠しきれない。
「はい。頂きました」
それを聞いて香坂は椅子に座り直し、ほっと息をついた。内心、どんな秀才を演じなければならなくなるのだろうかと不安だったのだ。
「あとは武芸大会で優秀だった生徒には必ずお金が与えられるわ。平均五枚だったかしら」
頬に手を当て、またもや曖昧な事をミランダが言う。
「武芸って剣術? あの道場のですか?」
「あら、つばきは興味あるのね。んーでも、道場に入るのにはお金が必要よ。月々一枚なの。お金ができてから通うのをおすすめするわ」
(通うなんて言ってない)
ミランダはおかしな先生で、脳天気に笑ってはいるが瞳の奥に冷静さがちらつく人である。穏やかな春のような微笑みと、静かで知的な冬の眼差しを併せ持っている。そのためか、彼女には不思議な雰囲気が漂っていた。
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