ひし形

 つばきたちは一泊だけできるという宿に入った。アレックスはそのままカウンターまで歩いて行って、強面の受付の人と話し始める。

 ロビーには商人たちが居て、つばきの心地はあまり良いものではなかった。しきりに見られているような気がしたのだ。

「最近の新入りたちは、みーんな守護されてんだって、聞いたか」

 ロビー中央の長机を囲んでいる商人たちが、人目も気にせずに大声で話している。周囲にいる商人たちも、そちらを気にしてそわそわしている。その話題は彼らにとって重要なものらしく、皆一様に深刻な表情だ。

「うちらの家族は過密気味だが、他は過疎化が進んでるってのに、困ったね」

「いやいや、守護されてんのは良いことなんだけど」

「こんなこと言うと町の連中は怒るだろうけど、やっぱ少しくらい不幸な奴がいてくれねえとさあ」

 髭面の男がそう言ったとき、アレックスがちょうど戻ってきてその男を睨んだ。

「商人にやるような人材はいないね!」

 声を荒げ、アレックスはつばきの手を強く掴んだ。そのままぐいぐいと階段の方に引っ張っていく。彼の瞳には強い憎悪が抱かれている。過去に商人との揉め事でもあったのかもしれない。

「ちっ」

 誰かが、短く舌打ちした。


「ここを使って良いって。右隣は商人、左には今日の昼間に来た新人がいるから、挨拶しておくと良いよ。明日は時計塔の鐘が鳴ったときに、ロビーに出てきて。もちろん、朝の鐘だからね! そこで今後のことについての説明会があるから」

 それだけを早口で言うと、アレックスはすぐに帰ってしまった。

 案内された部屋は、人一人がくつろいで寝られるくらいの広さがあり、中央にはすでに布団が用意されていた。少し黄ばんでいるが、きちんと洗われている。

 とりあえず、つばきは一息つく。しばらくそうしていたがあることに気がついて、はっと立ち上がる。ロゼットとヴァイオラの姿がないのだ。

 小さな小窓から外を覗くと、東から西の方へ伸びる川が光っている。水源の光だ。それは町全体を照らしている。つばきは迷わずに宿の廊下へ出た。シツにもらったマントをしっかりと体に巻き付けると、一階へと駆け下りた。

 ロビーにいる商人たちは、階段から飛び出すように現れたつばきを見て、肩を揺らして驚いた。彼女はどうやら、十一段上から飛び降りたらしい。その割には着地音は静かなものだった。

 きょろきょろと視線をさまよわせる少女に、痺れを切らしたようにカウンターのいかつい男が声をかける。

「なにか探しているのか」

 つばきはカウンターに駆け寄り、そのいかつい男に大きく頷いた。

「ロゼットとヴァイオラ、犬と猫です。猫は黒猫なんですが、見かけませんでしたか」

「アレックスが持ってった二匹のことか。ここはペット禁止なんだ。明日には会えるだろうよ」

 男は溜息をついて、つばきに部屋に戻るように促した。

(明日アレックスに聞いてみよう)

 

 部屋の天井に、豆電球の形をしたガラスがぶら下げてある。その中には水源と思われる液状のものが入っていて、それがここで言う電気の代わりをしている。念じると明かりが灯り、意識を反らすと光は消える。つばきはそれで遊びながら、長い夜の時間を潰した。



 気がつくと、つばきは見知らぬ、けれどとても嫌な感じのする部屋にいた。紺のソファーと小さなテレビ、その周りに可愛らしい人形やぬいぐるみが散乱している。その中の二つ、犬と猫がつばきの元へ駆け寄ってくる。

「ロゼット、ヴァイオラ、また事件があったのよ。ほら、テレビを見て」

 小さなつばきは、二匹に話しかけている。本当に言葉が通じるかのように、話し続ける。

「もう、ずっと同じ事件が続いてて。私が生まれる前から、200年くらい前よ」

 突然部屋のドアが乱暴に開けられた。立っていたのは二十代後半の女性だ。背が高く、つばきの前に仁王立ちになると、さながら巨人のようだった。小さなつばきは、じーっとその女性を見つめる。

「つばき、お友達と遊ばないの?」

 厳しい声音で女性は言う。少女は首を横に振った。

「お母さん寂しいでしょ」

 その言葉を聞くと、怒りに顔を赤くして、女は怒鳴る。

「子供はいらない心配なんかしないで、もっとまともに友達とつきあいなさい。あなたのせいで、お母さんまで冷たい目で見られるじゃないの!」

 少女は、悲しそうに目を伏せた。つばきが二匹の頭を撫でると、ロゼットはくーんと鳴き、ヴァイオラは喉を鳴らした。


 つばきの目が覚めたのと、塔の鐘が鳴ったのはほぼ同時だった。何度目かの鐘がゴーンと鳴る。遠くに見える天を貫くような塔の先端近くに、大きな銀の鐘が左右に揺れている。

 つばきは、アレックスの言葉を思い出して、慌てて布団を畳み、マントを羽織った。朝の鐘が鳴ったとき、ロビーに集合である。

 窓の外はすっかり明るい。外を見て、空を見上げても太陽らしきものは見えない。雲もなく、ただ果てしなく青空が広がっている。

 つばきのいる宿は町の隅にあるようで、左には関所、その向こうには門が見える。右には水源の川が流れ、目の前には交易所だ。

 遠くを見ると、果樹園があった。昨晩漂っていた甘い香りの正体はあれだろう。リンゴの木だ。

 廊下には人気が無く、誰もいないようだった。昨日までいた商人たちは寝ているのだろうか、それとももう出かけているのだろうか。時刻がわからないとなると、つばきにはもう今が朝なのか昼なのかわからなくなっていた。太陽もここではあてにならないのだ。

 不安な心持ちでロビーへと降りると、そこには誰もいなかった。いや、正確に言うと、一人だけいた。

 いかつい男は、カウンター越しにつばきをちらっと見る。男は少しばかり驚いていた。

「昨日の……。まだ朝の5時だ。集会は8時からなんだが、聞いてなかったのか?」

 つばきもそれには驚いた。朝の五時とは到底思えないくらい外が明るいからだ。季節は秋頃だと彼女は思っていたが、秋だと5時はまだ暗い。

「時間がわからないんです。時計とか、ありますか」

「それなら時計塔で買える。集会で配布もされるが、それが気に入らなかったらあとで買いに行くといい」

「出来るなら今すぐにほしいんです。時間がわからないと出掛けてもいられないので」

 つばきは我が儘過ぎるだろうかと、男の顔色を窺った。男は特に気にした様子もなく、カウンターから小さな懐中時計を取り出した。金色の蓋に、ぽっかりと中央が空いたひし形が彫られている。チェーンもしっかりついていた。

「これをやる。返さなくてもいい」

「いえ、あとでお返しします」

 つばきは、はっきりと断った。

 彼女は時計を首に掛けて、試しに時刻を確認する。白を基調に、黒の文字、至ってシンプルな時計だ。5時5分過ぎを示している。

「それは配布されるものだから、本当に返さなくていい。俺はもう自分で買った」

「じゃあ、これ頂きます。ありがとうございます、えっと……」

 つばきは男の名前を知らなかった。いくら考えても頭には浮かばない。

「あぁ、言ってなかったか。俺はウィリアム。ビルって呼ばれてる」

「私はつばきです」

 一応つばきも挨拶する。ビルはアレックスから聞いて、つばきのことは知っていたが。

「このひし形は何ですか? ちょっと変ですよね」

 気になっていたので、つばきは懐中時計をつつきながら聞いた。ビルは苦笑する。

「俺も、最初は違和感だったな。何で真ん中に穴があるんだよって思った。今じゃあ見てすぐに、これはこの国だってわかるようになっちまった」

「ひし形が?」

 信じられない思いでその絵をつばきは見つめる。その中央の円形の穴が気になってしかたがない。

「ここは東西南北に町が一個ずつあって、町と町の間には水源と資源の泉がある。ここだと、北側に水源、南側に資源だ。それがひし形の辺の部分になってる」

 シツに聞いた話と少しかぶっている。

「中央には神様の町がある。穴になってんのは、そこには人間が行けねえからだ。行ったら最後、戻って来れないらしい」

(神様の住む町……)

「信じられねえだろ。ま、他の国に行くと神様と繋がりがあったりするみたいだが、生憎ここではそういうことはない。ただ、北町の人間は案内人が神様だとか言って、変な宗教じみた団体があるらしい」

 深刻な表情になって、ビルはカウンターから身を乗り出した。彼は案外と話したがり屋みたいだった。そのまま続ける。

「この国では町ごとに、思想とか文化が違う。例えばここ、この町には神様とかの決まった概念がないが、その分、知識もない。有名なのは剣だ。道場もある。北町はさっきも言った通り、ちょっといかれてる。噂では変な力まで使うらしい。しかも、生まれも育ちもこの国って連中がほとんどだ。南町も同じくそういう奴らばっかりだが、神町を何故か忌み嫌ってる。西町は、やばんで喧嘩っぱやい連中の巣窟だ」

(意外と面倒な国だ)

 つばきはげんなりと肩を落とす。もっと楽しくて簡単な国だったら良かったのに、と思う。そんな様子の彼女に、ビルははっとして、口を閉じた。自分が話しすぎていることに気づいたのだ。

「いけねえ、噂のつばきだと思うと、ついつい話しちまって。急に色々わかると疲れるよな」

 噂の、という言葉の意味に気がついたが、つばきは聞かなかったことにした。

「いえ、その、疲れてはいないんですけど。さっきの話だと、ここの他にも国があるんですよね……構造も似通ってて、ひし形のように国がある。そしてたぶん中央にある円形の国が一番大きいでしょう」

 なんとなく、つばきは呟く。きっとこの懐中時計の模様はこの国だけを現しているのではない。この世界の略図なのだ。つまり、この中央の大きな穴は……。

「よくわかったな。ちなみにこの国は世界のひし形の、右にある。だからこの宿が世界の東端に当たるってわけだ」

 カウンターの中に引っ込んで、ビルは椅子に座る。ちょっと疲れたのか、目を閉じた。

(中央にある円形の国。なんだか嫌な感じがする)

 

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