4-5 闖入

 ブラックノディが巣を作るのはピソニアの木だ。

 その葉をムシャムシャと喰い荒らし、自分たちが喰い散らかしたり、あるいは喰われずに枯れ落ちた葉が巣の材料に使われる。

 だから、この島のピソニアたちが緑に染まり切るとはない。

 どの季節でも適当に緑で適当に茶色。

 それでも木自体、まったく枯れる気配がない。

 よほど強い生命力。

 ヒトよりもずっと強靭だ。

 深夜から天候が雨に変わったようだ。

 昼を過ぎても降り続けている。

 だから、ダイビングは行われない。

 観光客は海洋研究所内の博物館に出向いたり、ホテルの食堂でお茶かお酒を飲んでいる。

 あるいは、本を読んでいる。

 あるいは、退屈と戯れている。

 孤独を愉しむ者もいる。

 それ以外にボードゲームをしている者もいるはずだ。

 が、携帯ゲームをしている者はいない。

 もちろん、やろうと思えば電波的には可能。

 ただ、それをしないだけ。

 あたしのバンガローの屋根を雨の雫が伝い落ちる。

 F分の一ゆらぎの細い紐の流れとなり……。

 地面に落ちて砂に吸われ、ピソニアに木の根に貪欲に吸い上げられる。

 幻想の音を立てながら……。

 この島にはピソニアの他にマングローブ――といって語弊があれば、メヒルギ、オヒルギ、ヒルギダマシなどの群生と言い換えても良いが――やヤシやアダンも生えている。

 数量的に勝るのはピソニアだが……。

 ピソニアはオシロイバナ科の植物で、日本語ばウドとなる。

 だから、なあーんだ、あの柔らかくて何の役に立たないモノの代表か、と一般常識は囁くけれど、どうやらそれはヒトにとってだけのことらしい。

 強靭な根から水を吸い、あっという間に上下左右に大きく育つ。

 若葉をつけて新芽を出す。

 殆どがブラックノディに啄ばまれる。

 けれども、我知らずと同じ生態を繰り返す。

 だから、いつの間にかブラックノディとピソニアの木が共生体に変わっている。

 木と鳥の巣のゲシタルト。

 一本一本のピソニアの枝にいったい幾つの巣があるのだろう、

 ピソニアの林はブラックノディの鳴き声渦巻く異界となる。

 ちなみに、この島に生えるピソニアはグランディスという種類。

 和名をサラダノキというらしい。

 若葉と新芽が食用だ。

 その味はホウレンソウに似ているとDPから聞いたが、あたしの舌はレタスかルッコラに近いと感じたようだ。

 どちらにしても曖昧なのだが……。

 気配は消えないが、実態はやってこない。

 それであたしの頭の中も騒然とはせず、且つうろたえない。

 それでも、距離が近づいている感じがする。

 その距離というのが、現実世界の長さなのか、それとも心の世界の揺れなのか、あたしには良くわからないし、判断がつかない。

 それであたしは雨の筋をじっと追う。

 前より細くなり、ゆらぎの種類もF分の一からF二乗分の一に移り変わったように思える。

 そのとき――

 コツコツとバンガローのドアを叩く音が聞こえる。

 こんな時間に誰?

 寄る辺なくあたしが雨の流れを見ているうち、辺りに夕闇が迫っている。

 けれども、DPの仕事時間はまだ終わらない。

 もっとも夜中にウミガメの産卵を観察したりもするので、海洋研究所の就業規則は有って無きが如しだが……と、あたしはDPから聞いている。

「誰? まさかワイル爺さんじゃないでしょうね」

 ドアを見つめて、あたしが誰何。

 すると――

「誰よ、それ? あたしよ、メアリ」

 ドアの向こうから。はっきりした声が応じてくる。

「遊びに来たのよ。メイ、中に入れて……」

 と続けるので、

「わかったわ。今開ける」

 あたしがドアの錠を外す。

 迫り来る夕闇の中にメアリがポツンと立っている。

 だから――

「さあ、入って……。何もないけど歓迎するわ」

 あたしがメアリをバンガロー内に招き入れ、メアリが黙ってそれに従う。

 腕に何かを抱えているで、

「何を持ってきたの?」

 問うと、

「ボードゲームよ。人生ゲーム(The Game of Life)。メイ、あなたとやりたくてさ。日本でもわりとポピュラーなんでしょ?」

 メアリが説明する。

「あたしはてっきり日本のオリジナル商品だと思っていたわ」

 あたしはメアリに応えるが、どうやらそうではなかったようだ。

 もっともメアリも、ボードゲームの詳しい来歴は知らないらしい。

 彼女の体躯に比し、小さな雨傘を傘入れに挿し、メアリがバンガロー内で伸びをする。

 既に霧雨に代わった雨が煙る中、メアリ自身が宿泊する数軒先のバンガローから運んで来たボードゲームを旧い木製のテーブルに置く。

 それからバンガロー内を一瞥し、太い首をあたしに向け、

「本当に何もない部屋なのね。ベッド以外……」

 と続け、独りで笑う。

「だって、あたしはここの居候だもん。扇風機が毀れた部屋の……」

 だから、あたしが付け加える。

 するとメアリが、

「ええと、それから……」

 南国仕様の色彩豊かな薄地のワンピースの上に羽織った、見た目がごついデニムのジャケットの胸ポケットから、今度はオレンジ表紙の小さな手帳を取り出して、

「俳句を作ったんだけど、見てくれない?」

 予想外の言葉を口にする。

 あたしが思わず目を見開き、彼女の顔をじっと見る。

 呆気に取られた表情を浮かべつつ、恐る恐るメアリに探りを入れる。

 いったい、彼女は何をあたしに求めているのだろう?

「あたしに見せてもわからないわよ」

「まあ、いいから、いいから……」

 メアリが半ば強引にあたしに手帳を押し付ける。

 あたしがメアリの開いた手帳のページをじっと見る。

 英語で三行分かち書きにされた俳句がある。

 メアリの体躯に良く似合う、太くて逞しい、頑丈そうな文字で綴られている。


 波頭 光弾けて 夏の落つ

(crest of a wave -- / the bursting light / summer falls)


「あたしには良くわからないけど、たぶん、素敵なんじゃないの?」

 戸惑いながら、あたしが口にする。

 感想にもならない感想を述べる。

 何故って?

 そもそもあたしは文学少女じゃないし、なかったし、おそらくこれからも、ない、からだ。

 すると――

「次のページも見て欲しいな」

 メアリが甘えるようにあたしにせがむ。

 それで、あたしには益々彼女の心中が計れなくなる。

 戸惑いの感覚が大きくなる。

 仕方なくページを捲ると、またしても頑丈そうな文字が現れ、


 冬空の 星々去りて 奇蹟降る

(winter sky / away the stars -- / all miracles will fall)


 そんな英語俳句が現れる。

「ねえ、メアリ。悪いんだけどさ、あたしにはさっぱり……」

 さすがのあたしも根を上げると、

「あのさ、わたし結婚してるんだ」

 唐突にメアリがあたしに宣言。

「えっ?」

「それに子供もいるのよ。でも、もうじき取られちゃうかもしれない」

「それって……」

「だから、メイは気にしなくていいのよ」

「わざわざそれを言うために、ここまで来たわけ?」

「そりゃ、デイヴィッドのことは好きだけれど、でも、彼とわたしとは住む世界が違うのよ。彼はここを離れない。わたしは、もうすぐ故郷に帰る。帰って、たぶん闘うわ。離婚に関して嫌がらせがあって、わたしはこの島に逃げて来たの。最愛の娘を置いて……。いえ、強引に向こうに取られて。わたしさ、ドロシーを産むまで子供なんてちっとも好きじゃなかったのよ。まして、自分が子供を産むことになるなんて思ってもみなかった。でも違った。実際に産んでみると……。メイ、あなたは、この島にずっといればいい。あなたが望むだけ長い間、いつまでも……。あなたの事情をわたしはまったく知らないけれど、この島の可愛いマーメイドでいいじゃない。王子様はデイヴィッドで、あなたは彼の子供を産むの。そうして、幸せな家庭を築く。ねえ、メイ。あなたがそうしていけない理由はどこにもないのよ。それを知って! もちろん、わたしもあなたを応援するわ。あなたが知らない遠くの空の下でだけど。きっと……」

 そこまでを一気に口にし、メアリがあたしを見つめ、思い出したように付け加える。

「それにデイヴィッドがメイを愛していることは誰の目から見ても明らかよ。一目瞭然。だからメイ、幸せになりなさい!」

 けれども、そんなことを言われても、あたしは不死身の死神なんだぞ!

 究極の厄介者なんだ!

 あたしと関わった多くの人たちは死んだし、これまでずっと死んで来たし、おそらくこれからも、死ぬ、だろう。

 そんなあたしに幸せを得る権利などありえない。

 仮にあったにせよ、それは一時の快楽だ。

「運命を変えるのよ、メイ。負けてはダメ。諦めてもダメ。わたしも闘志が湧いてきた。慎重な戦略は必要だろうけど、それに時間もかかるかもしれないけれど、きっとドロシーを取り戻す。メイと出遭って、あなたを砂浜で担ぎ上げて、それに急いで付け加えれば大好きな恋の相手を奪われて、わたしは逆に運命は変えられるって思った。どうして、そう思ったのかは訊かないでね。そんなことわたしに上手く説明できるわけがないんだから……。でもわたし、そう思ったのよ!」

 そのとき、ざわめきが聞こえてくる。

 音の振動となり、伝わってくる。

 島のこちら(東)側に、住んだり、棲んだり、宿泊していたりする人間の総計は見積もってせいぜい百人だが、その中で異変に気づいた者たち全員が不審気に目を見開く。

 暮れ泥み、まるで真っ赤な血のように染まった外海を睨み付けながら息を飲む。

 自分たちが目の当たりにしているものが、本当は何だろうか、と不審がる。

「騒がしいわね?」

 メアリも気づいて声を上げ、

「外に出てみようか?」

 あたしを促す。

「うん、わかった」

 あたしも応え、ドアに向かう。

 つい今し方までの場の雰囲気が掻き消える。

 猛烈に厭な感覚があたしを襲う。

 バンガローの外に出、あたしとメアリは、雨が上がっていたことに気づく。

 外洋まで見通しが利く近くの砂浜には何人もの人たちが屯する。

 遠い洋上に浮かぶ黒い物体を見つめている。

 その人数は、この先も増えそうだ。

 そうか、遠浅の海だから近づけないんだ。

 あたしが潜水艦を見て納得する。

 推進力に――通常のディーゼルエンジンの他に――燃料電池を使用したドイツ海軍の212A型艦に似ていなくもない。

 が、ずっと大きい。

 ……ということは原子力艦?

 頭のイカレた爺さんの考えることは想像ができない。

 あたしが素直に嘆息する。

 この島に来てから、あたしが感じるようになった怪物とはまた別の気配の正体。

 それは、やはりあの謎の組織=秘密結社の幹部と思しいクルト・ワイル爺さんなのか、と首を捻る。

 それとも――

「あれがメイの事情なの?」

 あたしの傍らで息を飲み、ついで吐き出してからメアリが問う。

 メアリがあたしに驚いた様子はないが、それも怪物が現れるまでの間だろう。

 そう思うと、あたしの胸の辺りがグシャリとなる。

 何もない空虚そのものに押し潰されてぺしゃんこになる。

 が――

「他国の領海内で浮上したら攻撃されても文句が言えないのに。下手をすると戦争になるってわかってんのかな、あの爺さん……」

 が知ったふうな口調で、あたしがほざく。

 悠然と鷹揚な態度で喋っている。

 もちろん、それはメアリからほんの少しでも不死身の死神であるあたしを遠ざけようとする、あたしの側からの気遣いだ。

 けれども――

「そうではないな」

 不意にDPの声が聞こえてくる。

 あたしの背後から髪の毛に沿い、降りてくる。

「さっき上司から連絡が入ってね。海洋生物研究用の潜水艦だと説明されたよ」

「何、それ?」

「だから、そういうことなんだろう」

 DPが重ねて言うので、あたしが彼に振り返り、

「あの潜水艦、いつまであそこに居座るわけ?」

 一気呵成に問いかける。

「さあな、少なくとも向こう一週間は滞在する考えのようだ。もっとも予定は流動的らしい」

 比較的、落ち着いた声でDPが答える。

 が、声の中に、正体不明の不安と恐れが見え隠れしていることにあたしが気づく。

 わかる、見える、確信する。

 すると――

「とんでもない幸福への闖入者ね」

 不意に、メアリがあたしたち二人に指摘し、

「わたしも帰国を早めた方が良さそうだわ」

 独り首肯きながら、DPとあたしに言い残す。

 ついで自分のバンガローではなく、ホテルのある方角に向かって早足で去る。

 だから、あたしはメアリが国際電話を入れるのだろう、と推測する。

 おそらく、故郷の弁護士と相談するために……。

「DP、あなたは知ってたんでしょ、メアリの事情を?」

 去り行くメアリの後姿を見つめつつ、あたしがわずかに責める口調でDPに問うと、

「オレは歳の割に人生経験が豊富だからな。言われなくても気づいてたよ」

 DPが答える。

「それでも寝たのね」

「彼女は自分の夫だった男を、まだ愛していたからな。オレはただ、それを吹っ切る手伝いをしただけさ」

「いい気なものね、プレイボーイさん。だったら教えて欲しいんだけど、あたしの場合は何の手伝い?」

「うーん、そうだな、全人生かな?」

「ウゲッ!」

「おいおい、言わせたのはそっちだろ」

「……うん、でもまあいいわ。しばらくはあなたを信じてみる」

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