4-3 DP
あたしが居住するこのバンガロー以外の多くのバンガローの天井では三枚羽の扇風機が、ゆるりゆるり、と空気を攪拌。
空気の動きは目にまで見え、密度の濃淡があたしにねっとりと降りかかる。
昼には静かでまどろむだけのこの島だが、夜は一気に煩くなる。
昨夜はマトンバードがいきり立つ。
日本名はハシボソミズナギドリ。
ミズナギドリ目ミズナギドリ科に分類される。
オーストラリアでは親鳥から巣穴に置き去りにされた時期のハシボソミズナギドリのヒナのことをマトンバードと呼ぶが、この島では成鳥した後も同じ名前で呼ばれている。
名の通り食用で、焼いた臭いがマトンに似ていることから名がついたようだ。
オーストラリア人の感性。
調理法には幾つかあるが、あたしが食べたのはヒナの塩漬け。
熱湯で何度も湯こぼしし、塩と脂を抜いたようだが、それでもあたしには辛過ぎて、脂が多い。
DPによれば、食用の他にも脂肪を製油してビタミンA剤にするということなので、ウナギと同じで目にはとても良さそうなのだが……。
ちなみにマトンバードは長距離飛行をする渡り鳥の一種として知られている。
累計距離にして約三万二千キロメートルを一年のうちに移動する。
形態は大きさを半分にしたアホウドリにそっくりで雌雄同色。
体色はほぼ全身黒褐色。
ミズナギドリと比べると同色の嘴が短く、それが和名の由来という。
巣穴の中で多量に餌を与えられたヒナは肥え太り、体格が自分らを上まわるようになると親鳥たちはヒナを置き去りにし、北半球への長い渡りに出立する。
巣穴に残され且つ人間に捕獲されなかったヒナたちは体と胃に十二分に蓄えた脂肪分で子供時代を生き延び、換羽した後、巣穴から飛び立ち、親鳥の後を追うという。
この島に生息するもう一つの代表的な鳥類は、チドリ目カモメ科に分類されるブラックノディ。
和名ヒメクロアジサシ。
その他にも多種の鳥類が生息する。
非繁殖期は外洋上で生活するカモメ科に属するシロアジサシやチドリ科のおそらくはムナグロ類、それにカワセミ科のナンヨウショウビンや日本のメジロとほぼ同形で模様も同じマリアナメジロが目に付き易い。
が、この島の主役はやはり海で、さらに体長が二メートルを超えるモノもいるウミガメたちだ。
あたしが多世界トラヴェラーとしてこの島に跳ばされたのが、丁度ウミガメ種の産卵時期と重なり、あたしもDPに誘われ、メアリや他の研究所仲間たちとウミガメの産卵を見学する。
夜遅く、まるで身を潜めるかのごとく島の砂浜まで泳ぎ着いたウミガメたちは、海の中では軽いが陸に上がれば耐え難く重い――中には三百キログラムを超える――体を半ば砂に埋もれさせながら這い上がり、数時間かけて草の生え揃う砂浜と陸地の境界線辺りまで辿り着くと、覚悟を決めたように産卵する。
朝日を待たずに海に還る。
数ヶ月に渡るその産卵期間中、数千匹ものウミガメたちが島を訪れる。
それで観光地も含め、この島の多くの場所が自然保護区域に指定されている。
それを司るのが自然科学研究所だ。
アメリカ人ドクターのDPが属する海洋研究所はその下部組織。
DPは主としてウミガメの生態を研究している。
仲間は三人の科学者たちで、その中にはこの島出身の若者もいる。
DPはウミガメに限らず多くの動植物にも詳しいが、物理学も得意という。
そんな彼がこの島に職を求めたのは、もちろん海に潜るのが好きだったからだ。
「趣味と実益を兼ねたのさ」
DPは愉しみの余韻が残るベッドの上であたしに語る。
「それにオレくらいの頭の出来ではノーベル物理学賞は取れないからな」
「そうなの?」
「ああ。でもウミガメたちの友だちにはなれるのさ」
「そんなことを言ったら、ノーベル物理学賞受賞者だってウミガメたちの友だちにはなれるわよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
それからDPはあたしの唇を塞ぎ、あたしの舌と口内を味わい始める。
あたしも自分の舌を思いっきり伸ばし、彼に絡める。
DPの口内を探検する。
あたしとこんな仲になる前DPは、メアリと何度も身体を重ねたようだ。
どちらも、それを口にしないが……。
だから、あたしも自分を騙す。
DPと過ごす一瞬を永遠と交換しても構わないと考える。
それは決して安い交換レートではないだろう。
少なくとも、これまでの人生で幸薄い、このあたしにとって……。
「ところでメイは、まだ感じるのか?」
唇を離すとDPが問う。
その目があたしを見つめている。
「うん。残念ながら、ずっと消えない」
彼の目を見ないであたしが答える。
思わず声まで掠れている。
もちろん、それは怪物のこと。
DPと初めて身体を合わせた夜明け、あたしの感情が毀れてしまう。
それで彼に口を滑らせる。
信じなくてもいいんだけれど、と前振りをし、狂ったように話し始める。
自分の身の上を語ってしまう。
DPは黙って訊くだけだ。
たった今自分が抱いた女が気狂いだと知り、おそらく途方に暮れた沈黙なのだろう。
思い出したようにあたしが感じる。
自分の身の上を語るうち、火照る身体の熱も醒め、冷静になったあたしが思う。
が――
「メイは大変な体験をして来たんだな」
口を開くとDPが言う。
あたしに向かって語りかける。
その口調は静かで優しく――もしかしたらやっぱりあたしのことを頭のイカレた娘だと考えていたのかもしれないが――あたしの心を強くぎゅっと抱きしめる。
掴んで離さないように抱きしめる。
それから腕を伸ばし、あたしの身体を抱きしめる。
何処にも行ってしまわないようにと、きつくギュッと抱きしめる。
DPの、スキューバダイビング好きの男の持つ広い海にも似た体臭が、あたしを柔らかく包み込む。
だからあたしも、このままこの人のモノになってしまいたいという強烈な衝動に襲われる。
でも――
「ダメ! あたしに近づくと必ず不幸になるの。最悪は死……」
「が、それはこれまでのことだろう。この先も同じとは限らないさ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど、でも、あたしには実績があるから……」
「そんな実績なんて糞食らえだね。オレは死なない。メイを守る。メイが死ぬまで生き抜いて、メイの死を看取ってやるよ」
「うそ!」
「うそじゃない、メイ! 愛してる……」
そんなDPの何気ない口調、強い言葉に、あたしのすべてが固まってしまう。
心が千切れ、惑い始める。
「無理よ!」
「それはオレが決める!」
「無駄よ、無駄!」
「いや、メイはオレが守る」
「あのさ、それってすごく嬉しいんだけど、でも……」
「オレじゃ不足か? 昔、愛した男たちの方がいいのか?」
「そんなことはないけど」
「じゃ、決まりだな!」
あたしは呆気に採られることしかできなくなる。
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