4-1 漂着

 窓の外に目をやるとピソニアの樹が風にヒュウと鳴っている。

 くねるように絡まった細い枝と、それとは対照的に厚い葉と見た目は丈夫そうな幹とで組になり、天然の三重奏を奏でている。

 午後になってしばらく経つが、音らしい音はそれくらい。

 島には無数にいるはずの鳥の声さえ聞こえてこない。

 不思議な時空に足を踏み入れ、迷い、惑っているかのようだ。

 音はしないが水の流れは感じられる。

 退いては返すこの島の波打ち際での海水の動き。

 日本でいえば台風到来時は別だが、あまりにもゆっくり過ぎてヒトの耳に届かない。

 代わりに重低音の振動として身体全体を抱き締め、染める。

 でも耳に聞こえはしない。

 もしも聞こえたならばそれは幻聴。

 聞いた人間の脳の囀りと考えた方がいい。

 あるいは気狂いの予兆だろうと……。

 赤道に近いこの南の島であたしを拾ったのは、DP=デイヴィッド・プリングスではなく、島のバンガロー群宿泊客の一人=メアリ・ターナー。

 がっしりとした体躯の女性で、大きく盛り上がった二の腕の筋肉は女のあたしが見ても惚れ惚れするような青い目の美人。

 スキューバダイビングを愉しむため、メアリはこの島を訪れている。

 いつものように気を失い、島の波打ち際に倒れていたらしいあたしは、夜風を浴びに懐中電灯だけを携帯し、浜を散歩していたメアリに発見される。

 軽々と持ち上げられて、海洋研究所まで運ばれる。

 メアリが島唯一のホテル内に設置された病院――というより診療所か?――ではなくあたしを研究所に運んだのは、そちらの方が近かったからと、研究所内にも診療施設があったからだ。

 もっともその施設は人間向けではなく、島に生息する鳥や近海を舞うように泳ぐ珍しい種類のウミガメたちのものだったが……。

 もっとも研究員たちの怪我等の処置施設も兼ねている。

 メアリの心の中にあったもう一つの理由はデイヴィッド・プリングスに恋していたことだ。

 けれども結果的にメアリから彼を奪う形になったあたしがそんなことを言ったら罰が当たる。

 あのときメアリがいた――つまりあたしが倒れていた――島東岸の砂浜から海洋研究所までは徒歩で十分ほどの距離。

 走ればもっと近くなる。

 メアリは早足であたしを運び、研究所に到着するやいなや、

「デイヴィッド!」

 と一言叫んで緊急事態を彼に告げる。

 もっともメアリは――ありえない人の出現という事態を除けば――それほどの非常事態だと考えていない。

 ……というのは、気を失ったあたしが笑顔を浮かべていたからだ。

 初めてあたしがそれを聞いたとき、

「ふうん、珍しいこともあるもんだ」

 と他人事のように感心したが、それは余計なことだろう。

 メアリの非常事態宣言にデイヴィッド・プリングスと数人の仲間たちがすぐにその場に現れ、彼女の腕の中のあたしを見るや、

「ファンタスティック!」

 と溜息を漏らしたと後にDPから伝え聞いたが、たぶんあたしは嘘だと思う。

 ところでDPとは主に研究所内で使われる彼の呼び名。

 今ではあたしも使う。

 あのときあたしの足は確かに――あたしが着るには珍しい――マーメイドワンピースのスカート部分で隠されていたようだが、でもそれにしたって、あたしがマーメイドに見えるものか!

 百歩譲って日本の人魚娘だとしても、やがてそいつは町一つを滅ぼす災厄の元凶なんだぞ!

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