第四章「変則」episode IV : Irregular / 4-0 予兆

 まどろみって、どうしてこんなにも気持ちがいいんだろう、とベッドの上でネコみたいな伸びをしながらあたしは思う。

 もう慣れてしまったはずの海風が潮の香りを伝えてきて、あたしは何もないことに感謝する。

 自然が息づくことに感謝する。

 鼻腔が擽られて嬉しく、愉しいことに感謝する。

 あたしが身体を横たえている大きく硬く丈なベッドは、おそらくあたしよりも年寄りだ。

 時代物の木製で丁寧というには粗過ぎる加工。

 でも、それが過ぎ去った幾十年の歳月の中で面白いように味になる。

 角が取れて丸くなる。

 人の温もりを呼吸する。

 表面のペンキは何度も塗り重ねられたのだろう。

 あちこちが不恰好に膨らんでいる。

 ペンキの雫が垂れた形そのままで固まり、白い盛り上がりになっている。

 盛り上がりには無数の小さな罅割れがあり、触ると時間を感じさせる。

 指にゴワゴワと感じさせる。

 だからあたしは、永遠ってこんなものかな、と想像する。

 一瞬の時の静止の中に身を委ねる。

 けれども心の奥底をじっと覗けば、そこは病室で――幸か不幸か手術は上手くいったようだが――まだ麻酔の覚めないあたしがベッドの中で眠っている。

 深く懇々と眠っている。

 真新しいが、どこか空疎なベッドの中に埋もれている。

 表情は安らか。

 が、いつまでそれが続くのか、視ているあたしには見当もつかない。

 あたしにもし、意識がないなら、そのまま永遠に眠っていればいいのに、と他人事のように考える。

 他人の目で冷ややかに自分の姿を見下ろしながら……。

 遠浅のエメラルド色の海の上や海岸沿いに数十も――島全体を考えれば百以上も――並び建つバンガローは飾り気がなく潔い。

 一つひとつがまるで同じ、一つひとつすべてが違う。

 あたしがいるのは、ただ広いだけの居住空間。

 何もないことが豪華なのだ。

 もちろん島のヘリポートやホテル、あるいは海洋研究所まで出向けば、ラジオも無線機も冷蔵庫もある。

 が、あたしに宛がわれたそこには何一つない。

 だから電気製品とも会話をしない。

 けれども、代わりのお楽しみが有り余る。

 一方、硬質のベッドの中のあたしは目の下の皮膚を小さく微かに痙攣させる。

 まるで麻酔が切れ始めたかのようにぷるぷると地震波のように皮膚を蠢かせ、ついで悪寒が全身を走り抜ける。

 が、それらは一瞬で終わる。

 遠くて近い洋上のボートの中からユラユラとあたしに向かって手を振っているのは科学者だ。

 島の海洋研究所に所属する、嬉しいことにイケメンの好青年。

 あたしの好みにピッタリだ。

 だから、神様も偶には粋な計らいを見せてくれる、と能天気にあたしは思う。

 が、それから一歩気退いて、この世の中に神様がいたとしての話だけどね、と顔を顰める。

 天使を遣い、世界を片一方陣営の物理法則だけが成り立つ時空間に置き変えてしまおうと目論む以外の神様が……。

 そのとき不意に、ベッドの中のあたしに繋がる生命維持装置が沈着冷静に喚き始める。

 アラームが真っ赤な音を立てる。

 病室が警報の絶叫に染まる。

 けれども、もう一つのあたしの身体は、昨日の夜の甘い記憶を反芻している。

 DPとの愉快なセックスを想いだし、内臓の奥をわずかだけれど湿らせている。

 医療スタッフは駆けつけない。

 窓がないので夜だか昼だかわからないが、病室及び病院内に人の気配がないことだけは確信できる。

 不思議とわかってしまうのだ。

 さらに痛みがあたしを襲う。

 有能な術者により、とてもきれいに縫合されたあたしの醜い傷口が何かを感じて引き攣ってくる。

 ゆうるりと糸を引き抜かれる鈍痛が、ジョリジョリジョリ、とあたしに走る。

 やがて、それらがひとつとなる。

 何故そう思うのか、あたしは知らない。

 が、それが事実であることが、あたしには不思議とわかる。

 確信がある。

 何処かで、以前覚えたような感覚があたしを二つに裂いていく。

 心と身体を二つに分ける。

 あたしが真っ二つに切り裂かれる。

 よもやそんなことが自分の身に降り掛かろうとは思えなかったし、また思いもしない。

 そう、それはまるであたしではないあたし自身の身に起きた遠い過去か未来の出来事に違いない!

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