3-10 変換
現れた途端、赤羽異日月は、そのとき自分の近くを飛行していたマクドネル・ダグラスF‐15J/DJと三菱F‐2A/B数機を餌食にする。
両腕から発した、あたしの天使と同じ電撃で瞬く間に破壊する。
それらジェット戦闘機から赤羽異日月に向けて発射された熱誘導ミサイルが制御を失い、あたしたちのいる仮想の町に振ってくる。
ミサイルが落ち、爆発し、辺りが濛々たる火の海に変わる。
赤羽異日月が紅蓮の火炎中に光臨。
元はあたしの偽者であった女の処に近づいて行く。
まるで自分に意思があるかのように、山内塔子を己の体内に吸収する。
その光景をどこか安全な空の下で、ワイル爺さんたちは見ているのだろうか?
あたしの天使が制御できると――量産できると――爺さんたちが考えるなら、敵の天使は、あたしのそれ以上に美味しい餌じゃないか!
だが――
「わわわあああああああぁぁぁぁぁ…………」
女の悲鳴が夜の街で爆散する。
悲鳴の拡がりと連動するかのように三笠山の怪物が再び動きを開始。
まず手始めに、店長の頸を折り、弾かれた頭部をパクリと器用に口器で喰す。
あたしの天使は、既にあたしの位置に戻っている。
天使のエネルギーはまだ尽きない。
が、この先そう長く持ち堪えられるとも思えない。
……と、そのとき、怪物の触手があたしを狙う。
長く膨らみ、急速にあたしに接近。
あたしの頬を掠り、すぐ天使に破壊される。
あたしの頬から血と僅かの肉片が飛ぶが、それを気にしている余裕はない。
店長の即死を悲しんでいる余裕も、あたしにはない、
ついでカチリと音し、途端にあたしの身体がバラバラになる。
そこに、別の電磁気作用でやはりバラバラに分解された天使の要素が近寄ってくる。
二つの質の違う、二要素集合体が複雑に絡み合い、結合する。
この世界の領域の、いずことも知れぬ、仮想時空の裏そして表で……。
この世のものと、あの世のものとの婚姻だ!
その婚姻を外から見守るものたちが、もしいるならば、それはただ光の爆発と映っただろう。
これまで以上に大きな閃光と耳を聾する大轟音が辺りに響く。
宇宙は深く、天使は精薄。
当然その意識は、あたしに支配されることになる。
さて、今回はどう戦えば良い?
あたしが天使と融合する瞬間、時は止まり、わずかに逆行している。
あたしの脳髄は一つの考えに集中し、それが徐々に形を為し、固まってくる。
相手に悟られないことだけが肝要だ。
あたしがたった今思いついたそれと、まったく同じ攻撃を赤羽異日月も行えるからだ。
山内塔子という名のヒトを飲み込むことで、この世界とより強固に結び付き、この世界での活動能力を何百パーセントも増大させた赤の天使にも……。
あたしがそのアイデアを思いつけたのは、あたしが店長に拾われたからだ。
店長がパン屋という職業だった偶然が重なったからだ。
数学のカオス理論に『パイこね変換』がある。
日本では、そう呼ばれているが、英語ではbaker's transformationと表記されるので『パン屋さんの変換』の方が原典に忠実。
あたしがそんなことを知っているのは無論、何処かの世界で、イケメンの科学者から教えてもらったから。
さもなければ、生涯知るはずもない。
一枚のパン生地を倍に伸ばし、それを元の大きさに畳み込む。
その作業を何度も繰り返し、パン生地上のある点がどう動くかを問う変換だ。
だから正しく意味を汲むなら『パン生地折り変換』となるはずだが、一度根付いてしまった慣用句はそう簡単に修正されない。
パイこね変換理論自体は混沌に関するもの。
が、あたしは、それを突き抜けた先の形を見る。
けれども、まず怪物をターゲットに絞り、あたしは高速電撃と空間アローで素早く始末をつける。
アロー先端を時間に変え、怪物が自分で修復できる以上の複数時間を怪物の体中に送り込み、怪物を内側から爆破させる。
その攻撃法は成功し、怪物は、ケルヒャーァァァ! と断末魔の叫びを上げ、爆発四散。
残った幾つもの塊が、ズブズブと音を立て、燃えながら空間の中に消えてゆく。
残る相手は赤の天使だけ。
SATと自衛隊は、おそらくあたしたちに味方してくれるだろう。
が、ほとんど頼りにならない。
あたしが負ければ、世界が滅びる。
少なくとも、この世界の物理学に基礎を置き成立しているすべてのものが死滅する。
が、本当にそうなのか?
あたしが駒なら、この世界でのあたしの敗北は、この世界だけの死を意味しないだろうか?
宇宙に無数のあたしがいて、それぞれの世界で独自に一進一退の攻防を繰り拡げているのではないだろうか?
それがワイル爺さんの言った、『単に無数ではなく、世界がある程度グループ分けされている』という説明の意味ではないか?
天使と怪物が、それぞれ属す互いの時空もしくは物理法則同士の代理戦争の駒らしいあたしには、それ以上のことはわからない。
今、深く考えている暇もない。
そう思い身を引き締めた途端、赤羽異日月の拳が危うく頭蓋にヒットしそうになる。
何とか拳を避け、振り返ったとき、赤羽異日月の姿はなく、直後、真上から蹴りを喰らいそうになる。
が、それは見切る。
あたしが息がどんどん荒くなっていく。
よろけ、赤羽異日月の電撃をまともに肩に食い、大きくすっ飛ぶ。
ゼイゼイ、ハアハア……
ゼイハア、ゼイハア……
一秒ごとに息が苦しくなる。
胸が割れてしまいそうだ。
電撃を受けた肩の部分が一部透明になり、天使の身体から虹の七色が流れ出る。
それが赤の天使に吸われ、敵が一層強力になったように感じられる。
ヒトと一体化した天使ならば、戦闘相手の構成エネルギーも利用できるのだろうか?
もしそうならばと思い、今度は逆にこちらが仕掛けた空間万力と空間アローの二重攻撃で赤羽異日月の手首に孔を穿ち、そこから流れ出た逆虹の七色を、あたしが体内に取り込んでみる。
うっとりするような味はしない。
が、赤の天使が受けたダメージ分のエネルギーが、天使の体内に流れ込む。
けれども、あたしはえずいてしまう。
こんなヒットポイントを稼いでも埒が明かない。
隙を見、最良のタイミングで敵に攻撃を仕掛けなければ!
赤羽異日月が放った空間万力と無限の近接過去時間浸蝕――あたしが黒天使を倒した技だ――を応用したらしい空間の拘束着装着攻撃から間一髪で逃れ、あたしはそれと殆ど似たような拘束着で赤の天使を攻撃する。
初回で、拘束着を赤の天使に纏わせることに成功する。
赤の天使はすぐさまそれを脱ごうとするが、そのときにはもう拘束着の質が変わっている。
あたしによって、天使の能力を使い、変えられている。
あたしが作り出したのは全方向に等価な時空。
無限の混沌(カオス)の実現か?
元の四次元時空から紡ぎ出された等価時空。
完全なる無限対象性を持った時空。
そこでは時間と空間は分かたれず、共存する。
すなわち位置も方向も、もちろん時間もそこにはない。
その中にあっては自分の存在が把握できないし、偶然を頼らなくては、這いずり出ることも叶わない。
その『中』という概念さえ、等価時空には存在しない。
等価時空は宇宙が始まる前、時間と空間が分かたれる前の姿なのだ。
「ごめんなさい。今回は回収不可……」
あたしはそう呟き、天使の能力を駆使し、等価時空に方向を与え、それを互いに背反する二つの空間と二つの時間に進化(退化)させる。
後は放っておいても互いに方向を消し合い、元の時空に戻るだろう。
そのときそこに飲み込まれた赤の天使が、その赤の天使に飲み込まれた山内塔子がどうなるか、あたしには皆目見当がつかない。
けれども頭の端には一つの望みがあり、それが当たり、等価時空が完全に消滅変換すると同時にポーンとそれが吐き出される。
もはや人間の形をしていない山内塔子の残骸がポーンとこの世界に吐き戻される。
それは――おぞましいことだが――発酵を、次には専用の釜の中で焼かれるのを待つ、まっさらのパン生地のようにあたしには見える。
まったく人間の形をしていない人間の残骸。
けれども、そのときのあたしに感傷に浸っている時間はない。
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