3-9 正体

 異形の怪物があたしに向き直ると、それまでただ空中を旋回していただけの自衛隊専用ヘリコプターAH‐1コブラ二機が急速に怪物に接近し、頃合を見計らいつつ、発射速度毎分750発の20mmM197三砲身ガトリング砲攻撃を開始する。

 怪物は火器の威力に一時怯むが、すぐさま手器で空間の質を変質させ、硬度を高めて固まりし、コブラ向かって投げ付ける。

 が、さすがにコブラの方も心得たもので、怪物がその行動を見せ始めるや否や、たちまち距離を遠ざかる。

 すると、怪物はコブラを追う行動をあっさりと放棄し、再度関心をあたしに向ける。

 すると、またコブラがこちらに接近し、千日手が繰り返される。

 少なくとも、それから数回は……。

 しかし怪物もまったくの馬鹿ではないので、そのうちにコブラに関心を示さなくなる。

 すると怪物の心変わりを見計らったように、雷が落ちたような閃光で辺りが真っ白になり、轟音とともに空の一部を割り、あたしの天使が光臨する。

 身の丈三メートル強のあたしの天使。

 天使降臨の際に割れて辺りに砕け散る空の破片が地面を焼き、やがてズブズブと燃え尽き、崩れていく。

 天使は怪物とあたしとの間にすっくと降り立ち、気合を込めるかのように低く何事かを呟き、怪物に向け、まっすぐ伸ばした右腕の先端から電撃を放とうと身構える。

 いつもだったら、そうなったはずだ。

 けれども、この世界での展開は、あたしの予想を裏切り、進む。

 怪物を挟んであたしとちょうど反対側に、女の姿が現れたのだ。

 夜目で遠目だが、なるほど確かに女はあたし。

 もうひとりのあたしは、あたしの存在にはお構いなしで怪物に向かい、何事かを命じる。

 放った言葉が、あたしのいる方向に吹き込んだ風の流れに乗り、あたしの元まで辿り着く。

「怪物よ、お前の持つその無数の目は節穴か? おまえの狙いは、このわたしだろう」

 すると怪物は女の言葉を正しく理解したように、急にあたしから関心をなくし、偽の女の方へ向かっていく。

 怪物の採ったその行動に唖然としていたのは、幸か不幸か、あたしだけはなかったようだ。

 ただ、あたしを護るためだけに、この世に遣わされた、あたしの天使が女の許に跳んだからだ。

 まったく意味がわからない。

 女の行動の意味がわからない。

 あの女は。いったい何をしようとしているのか?

 たった今為された女の行動は怪物の魔手からあたしを救い出したようにも見える。

 けれども、そんなはずはない。

 あたしの勘が鋭く考えを否定する。

 それでは、女の行動が意味するものは?

 あたしは自分の脳裡に不意に浮かんだ考えに、思わず吐き気を催しそうになる。

 その間にも、あたしの天使は偽のあたしを護るため、三笠山の怪物との戦闘を繰り拡げる。

 天使が続けざまに怪物に電撃を食らわせる。

 その波状攻撃を怪物が複雑に交差させた椀器の盾で器用に防ぐ。

 ……と、さらに追い討ちをかけ、天使が電撃攻撃を繰り返す。

 さすがに堪えきれず、ついに怪物の椀器の一部が千切れ、弾かれる。

 宙に舞い、ブスブスと燃え、消えてゆく。

 けれども、すぐさま失われた椀器の位置からキョリキョリキョリと真新しい次の椀器が生えてくる。

 怪物の姿が元通りになる。

 椀器の生える速度が、まるで高速度撮影の映画のようだと、あたしは冷静に感じている。

 それで、あたしは気づいてしまう。

 怪物の、その部分は時間の流れが違うのだと……。

 少なくとも怪物は身体内の一部分が異なる時間に晒されても、ほとんどダメージを受けないのだと……。

 あたしが天使と一体になり使える能力にどんな制限があるのか、あたしは知らない。

 唯一あたしが知るのは、天使が時空を自由に操れる存在ということだけ。

 もっとも、その能力は怪物の方も持ってる。

 今まさに空間の質を変え、強く固めた硬質の万力で、怪物は天使の身体を締め上げている。

 もちろん精薄の天使はそんな攻撃をものともせず、空間万力を圧し返し、怪物に向かい、投げ返す。

 怪物の体内に骨があるのか、ないのか、知らないが、そのとき怪物の中で何か軋み、表情のない顔をまるで苦痛に耐え兼ねるように歪ませる。

 けれども次の瞬間、怪物が信じられないスピードで天使の後方にまわり込み、天使の首を締め上げる。

 そこに思い出したように自衛隊のコブラが近づき、怪物を集中攻撃。

 天使が再び自由の身になる。

 が、その消耗戦で天使の身体の純白が徐々に徐々に失われて行く。

 少しずつ僅かずつ、天使が劣勢になっていく。

 あたしの眼から見れば、手に取るようにそれがわかる。

 だから劣勢な天使が体勢を立て直すためには、あたしとの異空間婚姻が必要だ。

 けれども、今それができるのは、どうやらあたしではなく、あの女のようなのだ。

 あの女が天使と一体になったとき、そこに何が起きるのだろう?

 あたしの偽者のあの女は天使をその内側から――腹の中から――破壊しようとするに違いない。

「驚いたな。深江浦文書に書かれた通りの展開だ」

 不意に聞こえてきたその声にぎょっとし、振り返ると、あたしの背後に山内壮太店長が立っている。

「日月の巫女が茗で、まさかそれが、この町で起きる出来事だとは思いも寄らなかったな」

「店長、どうしてここに?」

「何かに呼ばれた気がしてね。帰り道を、すぐに引き返してきたんだよ。だが、こんな事態が待っていようとは……」

「店長は何処まで、このことを知ってるの?」

「十五年前、最後に妻から聞かされたこと以外は何も知らない。もっとも、あのときは昔の人も不思議な物語を思いつくもんだと笑っただけだ。あれが本当に予言の書だったとは驚きだな。当時、深江浦文書は、わたしが勤めていた会社の屋上に建立された神社内に商売の神様として崇められていてね。その話を、わたしがもし妻に話さなかったら、妻はまだ生きて笑っていたかもしれない」

「人生に、もし、はないんです、店長」

「そうだな。……だが次に起こることがわかっていれば、それを利用することも出来るだろう」

 店長のその言葉に、あたしの胸が不安を覚える。

 それが確信に変わっていく。

「わたしがパン屋をやっていたのは、やはり無駄ではなかったようだ」

 店長が自嘲気味にそう言い残すと怪物に向かい、走って行く。

 どうしてか、あたしにはその行為を止めることが出来ない。

 身体が言うことを利かないのだ。

 折しもそのとき、あたしの偽者の女が、あたしの天使との融合を果たそうとする。

 そこに、店長の声が割って入る。

「天使よ。騙されるな。その女はおまえの巫女の偽者だ。時間と空間を自由に扱い、本来の姿形を変え、おまえの巫女に見せかけているのだ。さあ、おまえの力で女の時空を剥ぎ取ってみろ! そうすれば真実がわかるはずだ」

 あたしの天使に向かい、そう諭す店長に、怪物が恐れをなしているように見えたのは、あたしの目の錯覚か?

 それとも、そうではなかったか?

「怪物よ、おまえがこの世で唯一嫌いなイースト菌の臭いを身に纏ったわたしに免じ、少しだけおまえの時間をわたしに分けろ!」

 すると表情に変化はないが、怪物の動きが不意に止まる。

 その一瞬の隙を突き、天使が店長に言われた通り、女の時空を元に戻す。

 あたしにそっくりな女の顔の下から再び現れたその顔を、おそらく店長は知っていたに違いない。

 いつの間に集まってきたのか、カラスの大群が夜の空を覆っている。

「やはり塔子か。あのときのキミの死体は、やはりキミではなかったんたんだな」

 その問いに答え、女が言う。

「あなたを騙したことはお詫びします。しかし、何て事をしてくれたんです。天使の代わりが、たった今造れるかもしれなかったんですよ。あなたはそれをフイにしました。天使の量産が叶わなければ、ただ一度の敗北で、この世は消えてなくなるのです。あなたには、それがわかっているのですか!」

 夫婦の事情は知らないが、山内店長の妻を天使量産計画に引きずり込んだ相手の素性は察しがつく。

 どうやって獲たのか知らないが、人類の英知を超えた物理理論を駆使し、あたしの偽者役を任された謎の女=山内塔子は、実はこの世界の真の敵ではなかったわけだ。

 彼女を利用し、天使の秘密を探ろうと、さらに天使を増やそうと画策していたのは、ゲルマン人のワイル爺さんたち。

 が、そう考えたのは、この世界の人間ばかりではないようだ。

 この世界の真の敵も、虎視眈々と機会を窺っていたのだ。

 一陣の真赤な風が吹き、一位の真赤な天使が現れる。

 あたしの遥か上空の暗い空に一際大きな閃光が走り、広く空が割れ、赤の天使が光臨する。

 あたしの天使とまったく同じ顔と無表情を持つ、全身すべて真赤な天使――おそらく赤羽異日月(あかはねことなりのひつき)――が、あたしの目前に現れる。

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