3-7 逮捕
「矢倉茗、おめーば、K町在住、松島幸恵殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕すら(矢倉茗、おまえを、K町在住、松島幸恵殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕する)」
あたしの感じた一時の幸せは、敦さんのお店『おかえり』に町の駐在さんが現れたことで終わりを迎える。
四十代半ばで筋肉質に見えるその駐在さんが僅かに遠慮がちに店の中に入った途端、店内が俄かにザワつき、集まった常連さんたちは一斉に驚くが、あたし独りが驚かない。
そうか、そんなふうに崩壊が始まるのか、と感じただけだ。
「そりゃ、なんが間違いだべ(そりゃ、何かの間違いだ)」
「んだ、んだ、権力の横暴じゃ(そうだ、そうだ、権力の横暴だ)」
「目撃者がいらんじゃし(目撃者がいるんですよ)」
「そしたらもん、当てサのらかい(そんなもん、当てになるかい)」
「茗ちゃん、本当にそうなの?」
「真央、なば、なんごどへる!(真央、おまえ、何を言ってるんだ!)」
それから、しばらく混乱が続き、
「とにかく、皆さん、落ち着いて、落ち着いて!」
最後に山内店長が大声を張り上げ、あたしを庇うように駐在さんと一緒に『おかえり』を出、町の駐在所に向かい、歩き始める。
行きとは雰囲気がまったく違ってしまった暗い夜道を三人早足に歩きながら、店長が、
「駐在さんだって、本当は信じてるわけではないんでしょう?」
屈強の男に問いかけるが、
「自分らは判断することができません」
駐在さんは訛りのない標準語で答えるばかり。
が、店長が告げた言葉も正しかったようで、あたしは未だ手錠で拘束されていない。
そんなあたしの傍らでは店長が質問を続けている。
「いったい何処から命令が下ったんです」
「それは申し上げられません」
「目撃者がいるなら、この町の人のはずだ。直接、捕まえてくれって駐在所で言われたんじゃないですか?」
「それにも、お答えできません」
「では質問の仕方を変えますが、松島幸恵さんって、確か、松島医院の姪っ子の?」
「ええ、そうです」
(じゃあ、もしかして子供なのか?)
暗い眼をして、あたしが思う。
「死体は確認されましたか?」
「そうでなくて、どうして、この人を逮捕に来ます」
「茗がそれをやったという証拠はないんでしょう?」
「だから目撃者がいたんですよ」
「死体が発見されたのは何処なんです?」
「Y山に向かう山道の途中でした」
「あそこに向かうには何本も道があるじゃないですか?」
「途中で滝に出る獣道です」
「中学生が独りでそんなところへ?」
「だから死体遺棄なのです」
「茗はこの町にやって来てまだ二週間しか経っていません。あんな道を知るわけないし、また一人で行けるはずもない」
「それは、これから捜査してはっきりさせる事柄です」
「茗は無実だから逃げはしないし、わたしが責任を持って預かるので、拘留だけは勘弁してくださいませんか?」
「山内さん、あなたも昔犯罪捜査に関わったことがある人間だ。それが無理なことくらい知っているはずでしょう!」
最後から暫く前までの会話が駐在所の前で交わされる。
とっくに駐在所には着いていたのだ。
更に言えば、『おかえり』からあたしたち三人を付けてきた常連客たちと、噂を聞いて集まってきた野次馬たちが駐在所を取り巻くように囲んでいる。
あたしはまるで町に建てられたの露天の半円劇場で主役を張った女優みたいな気がして来る。
だから、店長に言ったのだろうか?
「店長、ご心配かけて済みません。あたしだったら大丈夫ですから……」
すると、いきなり店長が怒鳴る。
「何が大丈夫なものか! 二週間前、茗は生きる気力のない顔をして、海を見ながら突っ立っていたんだぞ。精神だって不安定だった。環境が狂えば、またすぐに同じところに戻ってしまう。……それに、それにわたしはもう理不尽な人の死を経験したくない!」
けれども、それに応えるあたしの返事はとても冷たい。
「さようなら、店長。これまで色々とありがとうございました」
山内店長のあたしを気遣う言葉にそのまま黙って首肯いたら、あたしは訊きたくもない店長の過去を知ってしまうことになりそうだ。
だから冷たく言い放ち、あたしは駐在さんに向き直る。
「とにかくあたしを留置場に拘留して、現時点での面倒を無くしましょう」
すると――
「わかった。あなたの希望を聞き入れよう」
町の駐在さんが表情のない声であたしに告げ、ついで駐在所を囲った野次馬たちに大声で、
「ホレ、けね人ば、家(え)サ帰(けえ)った、帰った……(ホラ、関係ない人は、家に帰った、帰った……)」
そんなふうに野次馬たちを追い返してから山内店長に、
「悪いようにはしませんから……」
と小声で告げ、店長の鼻先を掠めるように駐在所のガラス扉をビシャリと閉める。
それからあたしを促し、ガラスの出入口を持つ駐在所の外からは見えない奥の部屋に連行する。
「ふうん、駐在さんなのに、お独り住まいなんですね?」
余りに殺風景な部屋の内装に、あたしは思ったままを口にする。
ここF町の駐在さん――山口修巡査と名乗る――は、どうやらあたしを留置所内に拘留する気はないようだ。
部屋の隅に座れと命じる。
「もっとも、ゴツイ男と一つ屋根の下じゃ怖いというなら、留置所の方に案内するがね。困ったことに、最近は警察官の情けない事件が多いからな」
最後の言葉は自嘲気味に、あたしの耳の周りを舞っている。
「店長とは昔からの知り合いなんですか?」
「いや。だが余所者の情報は、いつまでも途切れることがなんだ」
山口巡査がそう説明したので、あたしはその点に関し、それ以上深入りしないことに決める。
その代わり、薄々感じていたことを問いかける。
「ねえ、山口巡査。そのときのあたしは、どんな格好をしていたんですか? Y山に向かう滝に出会う獣道で……」
「何故それを知りたい?」
「だって偽者のあたしを目撃したのって、あなたなんでしょう、違いますか?」
あたしの問いかけに、山口巡査が普段は陽気な町の駐在さんの顔を一瞬失う。
が、すぐにそれを被り直し、あたしに答える。
「すると、あれは本当におまえじゃないんだな?」
「山口巡査は、どう思われますか?」
「自分にはさっぱりわからんよ。人間離れしたすばしっこい動きで完全に圧倒された。顔は、矢倉茗、違わずおまえの顔だった。身体つきだって、自分の見る限り、おまえとまったく同じだ」
「あたしは多分その時間帯にミヤザキベーカリーにいたということしか証明できません。いったい、いつのことだったんです?」
「一昨日の深夜」
「そうですか、それじゃ、不在証明は出来ませんね。階下に店長がいたにしても、あたしは部屋で独りでしたから……。殺されたお嬢さんのご家族の方は捜索願を?」
「昨日の昼に受理している」
「それで探しに出かけたんですね。……でも場所の特定は? 子供が行けるようなところじゃないんでしょう」
「それを言ったら、山内さんが指摘したように、普通の女が一人で行ける処でもない」
「だとすると他に答はありませんね。町のもっと近くのどこかで女を発見し、そのまま子供を連れて逃げる姿を追跡したと……」
「その通りだ。矢倉茗、やっぱり、お前が犯人なんだろう?」
「もしそうだとしたら、そんなあたしと一緒にいて、駐在さんは怖くないんですか? 想像ですけど、きっと惨い殺し方をしたんでしょう、あたしの偽者は? 違いますか?」
「一見普通に見える女の何処にあんな力が……」
「それは、たぶんその女が怪物だからです。残念ながら、このあたしは人類の仲間ですけど……」
「あの女について、お前は何を知っている? 隠さずに喋ってくれ」
「あたしがあたしにそっくりだという謎の女について知っているのは、おそらく彼女がこの世界におけるあたしの刺客だろうということだけです。それと遠からず、この町に怪物が現れるかもしれないということだけ。遥か黄泉の世界からあたしを追う、異形の怪物が……」
「異形の怪物だって、ふん、馬鹿々々しい。そんなものは、この世にいないよ」
「では、この世界では九州のとある港町でSAT(日本警察の特殊部隊)が大量に殺されたり、あるいは関東地方のある県でシティーホテルがいきなり崩落するといった事件は起きていないんですね?」
あたしが口にしたその言葉に、山口巡査がビクッと身体を震わせる。
化け物を見るような目付きで、あたしのことをじっと見る。
「すると、お前があの女なのか? レディ・メイという暗号で呼ばれている女……」
「あたしのことを知っているんですね」
「いや、直接には知らん」
「では、山口巡査の知り合いに、あたしを知っている人がいたわけですね」
誰だろう?
まさか黒田隊長や山崎隊員あるいは小川隊員だったりするのだろうか?
あるいはワイル爺さんの一味?
そう考えると、ちょっと怖い。
それで、あたしは聞いてみる。
「まさか山口巡査の知り合いって大柄なドイツ人じゃないでしょうね?」
けれども、あたしのその言葉に山口巡査の反応はない。
だから、あたしはホッと胸を撫で下ろす。
しかし、その次に山口巡査が言い放った言葉に青くなる。
「黒羽異日月(くろはねことなりのひつき)とはいったい何だ?」
「どうして、そんなことを知ってるの!」
あたしの言葉遣いがぞんざいになる。
次には、それが定着する。
「自分の妻だった女が研究していた」
「神代文字の研究を?」
「深江浦文書という長崎県の金比羅神社境内で発見された不思議な古文書に記されていたと妻は言ったよ」
「それで?」
「それ以上は知らん。自分がそれを聞かされて数日後、妻が消息を絶ったからな」
「まさか、攫われたの?」
「それについては今もって皆目見当がついていない。知っているなら、矢倉茗、お前に教えてもらいたいくらいだ」
「教えてあげたいのは山々だけど、あたしだって残念ながら殆ど知らない。それに、あたしの知るところでは、解明された古文書の予言はすでに実現してしまっているし、それ以外は失われているはずよ」
「失われている?」
「あたしに深江浦文書のことを話したドイツ人の爺さんが言うには、そう。少なくともその点に関しては、あたしは爺さんが嘘を言っているようには思えなかったけど……」
「そうか、それで妻は第一とか、第二とか言っていたのか?」
「それって、もしかして深江浦文書に続きがあるってこと? いえ、続きっていうより、残された現存品が……」
「それは自分にはわからんよ。だが、どうやらその深江浦文書――第二の方――が、山内壮太が以前勤めていたNF商事に祭られた古文書のようだな。矢倉茗、お前の話を聞いて、自分にはそう思えてきた。やっと話が繋がったようだ」
「えっ、待ってよ。あたしには何のことだか……」
「この町でお前を拾った山内壮太の妻も深江浦文書と関わりがあったということだよ。もっとも彼女の方は、失踪ではなく、NF商事から深江浦文書が盗まれた事件に関わり、死を迎えたわけだが……」
「殺されたってこと?」
「直接の死因は事故死だ。だが、真相は闇の中」
「そんな……」
「なあ、矢倉茗。自分はお前におれが知っていることを正直に話した。だから今度はお前が自分のことを正直に話す番だとは思わないか?」
沈黙が降りる。
「それはいいけど、最初にひとつだけ忠告をしておくわ。もしもあなたが自分の命が少しでも惜しいなら、これ以上、あたしに関わらないこと。正直、その理由はあたしにだって説明できないけれど、でもたぶん、あたしに関われば関わるほど、あなたの死亡確率が高くなる。それだけは断言できる。だからしばらく考えて……。それでも答えが同じだったら、あたしの方も観念する」
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