3-5 事件

「わんつかアンタ、いって何んぼつもり(ちょっとアンタ、いったいどういうつもりなの)!」

 翌日の午後、ミヤザキベーカリーに怒鳴り込んできたのは、町外れにある兼業農家のお婆さんで、あたしに掛けられた嫌疑は子猫殺しだ。

「孫の可愛がら、ちゃぺっこ、殺めるのんて、がっぺ、何んぼかしてびょん(孫が可愛がっている子猫を殺めるなんて、頭がどうかしてるんじゃないの)?」

 一方的に怒る相手を簡単に宥める方法は、この世にはない。

 そこで、あたしは大人しくお婆さんの言い分に耳を澄ませる。

 それは、ここ日本の田舎町だからこそ出来る対応法。

 世界中のどこでも通用するというわけではない。

 某国だったら、数秒後には殺されてしまうだろう。

 だからあたしは当惑しつつも、この国の平和をありがたく感じる。

 が、今のあたしに、その平和を享受する余裕はない。

 お婆さんの話によると、それが起こったのは本日、早朝のことだったらしい。

 当然のように早起きの兼業農家のお婆さんは、鍬を取りに家の庭を物置に向かったところで、その光景を目撃したと訴える。

 殺された子猫の名前はアヤメ。

 お婆さんの家を棲家と決めた雉猫の四代目で雌猫だ。

 クラス分類すれば家猫だが、都会のようにマンションの一室に閉じ込るという飼われ方はされていない。

 つまり庭に放し飼いだ。

 そこに、あたしではない偽のあたしが現れる。

 偽のあたしは最初、お婆さんの家の敷地内には入らず、子猫の姿もなかったらしい。

 緊迫感も何処にもない。

 が、次に偽のあたしががお婆さんの視野に捉えられたときには庭の中央に立っていて、その手の中にはアヤメがすっぽり抱かれている。

 初めその様子がアヤメを慈しむように見えたので、お婆さんは警戒心を緩めたという。

 けれどもお婆さんが声をかけようと一歩近づいた矢先、偽のあたしはアヤメを右手の中に捕えたまま、その手を大空に向け、ずいと伸ばす。

 雲ひとつない紺碧の空下にアヤメを晒す。

 するとどこから呼ばれたのか一羽の真っ黒い大ガラスが現れ、偽のあたしの手許に寄り、すばやくアヤメに嘴の一撃をくれると、たちまち掻っ攫って空へ向こうへ飛んだという。

 掻っ攫う前の一撃で、すでにアヤメは相当衰弱していたようだ。

 ミャウミャウミャイと儚げに鳴くアヤメの声は目前に迫った自身の死を告げるようだったと、お婆さんは息巻き、同時に涙を流しながら、あたしに訴える。

 呆気に取られ、ただ呆然と飛び去って行く大ガラスの姿を追ううち、ハッとし、お婆さんは偽のあたしをギロリと睨む。

 それからまた空に視線を戻すと、大ガラスは視界内にあったが、アヤメの声はもう聞こえない。

 ミャアともマオとも聞こえない。

 ミャウともミャイとも聞こえない。

 それでお婆さんは再度偽のあたしを睨み付ける。

 怒りの矛先を偽のあたしに向ける。

 あたしそっくりの姿をした女の上に、すべての怒りを打ち撒ける。

 するとお婆さんの怒りと憤りに気づいたらしい謎の女が、お婆さんに向い、嫣然と笑う。

 口許を歪めて楽しげに……。

 謎の女の笑い放射に、お婆さんは腰が退け、ぞっとしてしまった、と口にする。

 身体が石のように固まってしまった、と正直に訴える。

 それからお婆さんが正気に戻ると女の姿が消えている。

 慌てて家の周りを探すが、どこにもいない。

 まるで掻き消すようにいなくなる。

 ついで孫が可愛がっていた子猫のアヤメにたった今起こった出来事をいったいどう伝えれば良いのか、お婆さんが途方に暮れる。

 するとお婆さんの胸中に女に対する強い憎しみが湧き上がる。

 アイツは誰だ?

 あのロクでなしは……。

 人間の皮を被った鬼はいったい誰だ?

 そこからお婆さんがあたしの許へ行き着くまでは一直線。

 これまで町にいなかった女。

 若い女。

 その女を誰か知らないか?

 スラリと細身で、ホレ、テレビで前サ見だメイド服ば着ちょるオナゴ。

 町の噂でお婆さんはミヤザキベーカリーに居ついた不思議な娘のことを聞いている。

 けれどもその二人が、お婆さんの中ですぐ繋がらない。

 謎の女とパン屋の娘が繋がらない。

 けれども、あたしのことを知っている第三者の話を介し、それが一つに繋がってゆく。

 空恐ろしい謎の女とパン屋の娘が結びつく。

 それで居ても立ってもいられなくなり、証拠はないが、一目見ればはっきりするだろうと、お婆さんはミヤザキベーカリーに飛び込んだのだ。

 そして今ここに居るというのが、これまでの経緯。

 怒りを露わにあたしに喰ってかかるお婆さんの話を聞き、あたしは心臓が冷たくなる。

 身体が芯まで冷えていく。

 あろうことか、自分がその犯人ではないかと疑ってしまう。

 真犯人かもしれないと考えてしまう。

 そんなことは、あるわけがない、あるわけがないと知りつつも、己の穢れた生涯を振り返り、ぞっとしながら疑ってしまう。

 脚がガクガク、心臓がバクバクとし、その場に崩折れそうになってしまう。

 と、そのとき――

「すまないけど、吉沢さんのところのお婆さん」

 山内店長があたしとお婆さんの間に割って入る。

「この娘は、そんなことをする娘ではないよ」

「したばって、わは見だんじゃ。わのまなぐ、節穴だばね(だけど、わたしは見たんだよ。わたしの目は節穴じゃない)」

「お婆さんが見た内容は全然否定しませんよ。けれどこの娘は、そんなことをする娘ではない」

 そう言い、店長は、お婆さんにこんな言葉を投げかける。

「ホラ、もう一回、よく見てくれませんか? この娘とお婆さんが見たおっこね(恐ろしい)娘とを良く見比べて……」

 誠実な人柄の山内店長に促され、お婆さんの怒りが一旦退く。

 ついでお婆さんの両目があたしに向き、鋭い視線があたしの上に注がれる。

 顔に全身に注がれる。

 その視線の余りの痛さに、あたしの心が怯んでしまう。

 無垢で純朴だが力強いお婆さんの視線の威力に、あたしは過去のすべての罪が暴かれそうで怯んでしまう。

 だが――

「悪りごどばした。ぶじょほうしたっす(悪いことをした。済みません)」

 あたしの目を見て、お婆さんが頭を垂れる。

「顔は確かサ同じじゃ。それサ違いはね。したばって、なば、つがる。他人じゃ(顔は確かに同じだ。それに違いはない。だけどアンタは違う。別人だ)」

 お婆さんのその言葉に、あたしは胸が詰まってしまう。

 思わずまた、あのときのように泣きそうなる。

「ありがとう、吉沢さんのお婆さん」

 すかさず店長がそう言い、その場の雰囲気が僅かに戻る。

 が、問題は解決していない。

「困った、どすべ(どうしよう)、どすべ……」

 呟きながら、吉沢さんのお婆さんがミヤザキベーカリーを去って行く。

 入れ替わりに、おやつの時間帯のお客さんが大勢店にやって来る。

 溜まった緊張が買い物客たちが醸し出す雰囲気の中で解れていく。

 だけど、あたしの緊張は解れない。

 何故かといえば、そのとき遂にあたしは怪物の臭いを嗅ぎ、己の能力が発動されたことを感じたからだ。

 その臭いも、またあたしの能力発動感覚も、まだとてもとても小さいものだったけれど、多くの修羅場を掻いくぐってきたこのあたしが、それを見逃すことはありえない。

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