3-4 不吉

 きな臭い臭いは最初人違いとして、あたしの許を訪れる。

「あい、茗ちゃ。こさいらんだ? なじょ(あれ、茗ちゃん。ここにいるんだ? どうして……)」

 そうあたしに問いかけたのは、齢八十歳を過ぎてなお矍鑠とした、駅前通りをしばらく下った漁港の近くに住む元漁師の漆原六郎爺さんだ。

 六郎爺さんはミヤザキベーカーリーの上得意で、好んで買って行くのはピロシキ。

 肉の柔らかさがちょうど良い加減だと、さすがに数が少なくなってきた歯を見せて笑う。

「六郎さん、言っていることがわからないわよ。勤務時間中なんだから、あたしがこの店にいるのは当たり前じゃない?」

「だば、町外れのお社どごで、さきた見だ(でも、町外れのお社のところで、さっき見たぞ)」

「そうお、ヘンねえ。あたしはずっとここにいたのに……」

 それまで六郎爺さんが認知症の気配を見せたことは一度もない。

 だから、あたしは何ソレと首を捻る。

 まさかとは思うが、しかしそれは突然やって来るとも聞いている。

 それで、あたしは少しだけ暗然とした気分に襲われる。

「んだか、わの勘違えだったか(そうか、わしの勘違いだったか)」

「ええ、たぶんそうね。誰か似た人がいたんじゃないの?」

「いや、茗ちゃサ似たおなご、こごき辺サ、いね(いや、茗ちゃんに似た女性はここら辺にはいないよ」

「でも服とかが似ていたら、わからないわよ」

「ま、んだびょん(まあ、そうかもしれないな)」

 そう言いながら六郎爺さんは好物のピロシキと家族に頼まれたらしいライ麦の食パンを買い、首を捻りながらミヤザキベーカリーを後にする。

 店の外に出て行く六郎爺さんと一緒に店の中であたしも首を捻る。

 人違いは、その一件で終わらない。

「こんちわ。……あっ、やっぱ、お店にいた。だから言ったろ、この時間に店以外のところにいるわきゃないって……」

 ぶつぶつと呟きながら店内に入ってきたのは地元の商業高校に通う高校生二人組。

 この中の一人は、あたしに恋心を抱いている。

 本人的には極秘のつもりだろうが、あたしからすればミエミエだ。

 ま、思春期の憧れみたいなものだとは思うが……。

「どうしたの? あんたたち学校サボっちゃダメじゃないの!」

「先生の子供が熱を出して授業が休講になったんだよ」

 すぐさま、あたしに惚れている方のニキビ面男子が言訳する。

「それにしたって自習くらいするもんじゃないの、普通は?」

「ま、堅いことは言わない、言わない」

 それから、あたしを指差し、連れの男子に確認する。

「な、茗さんはここにいただろ!」

 すると納得がいかない連れの男子が、あたしに向かって問いかける。

「茗さんにはお姉さんとか妹さんとかいますか?」

「えっ、いないけど……。それに、いたにしたって、ここにはいないわよ」

「そっくりだったんですよ」

「あたしに?」

「うん。脚が長くてスタイルが良くて……」

「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけど、残念ながら、それはあたしじゃないわ」

 けれども坊主頭の高校男子は納得しない。

 姿を見られた張本人のはずの、あたしが否定しているというのに……。

 だから、あたしは提案したのか?

 それとも徐々に不気味さを感じ始めていたのだろうか?

「だったら写真を撮っとけば良かったのに……。次はそうすればいいよ」

 あたしのその提案に対する高校男子の回答が生真面目だ。

「首から上を写したら肖像権の侵害になりますから……」

「承諾を得ずに写して公開したらね。……写真を写すときに断れば、すぐにあたしじゃないってわかるんじゃないの?」

「それじゃ写真の意味ないじゃん」

 そう応じたのはニキビ面の方だ。

「あんたたち、隠れて好きな子の写真を撮って、それでイヤラシイことでもしてんじゃないでしょうね?」

「あ、それはない、それはない」

「ホントだか、どうだか?」

「あっ、でもコイツ、茗さんの写真、持ってますよ」

「ふぁっ、こら、黙っとれ!」

「ふうん。で、それを見ながら一人でするわけ?」

「えっ、そんなこと、しないったら、誤解だよ。茗さんはきれいだけど、歳が違うから……」

 よくわからない理屈だが、オバサンってことか?

 そりゃあ、ま、すっごく若いあんたたちから見れば、あたしはオバサンでしょうよ。

 少しだけムッとしたが、すぐに馬鹿々々しくなり、こう応える。

「ま、いいわ。……で、あんたたち、パンは買うの、買わないの、どっちなの?」

 それで結局、ニキビ面が焼きカレーパンと味噌パンを、真面目な友人がメロンパンとレーズンパンを買い、六郎爺さんと同様、首を捻りながらミヤザキベーカリーを去って行く。

 その間、店長は店の奥で食事をしていたので事の顛末は伝わらない。

 あたしも殊更波風を立てようとは思わないので、二件の遣り取りを伝えない。

 その後は恙無く日が過ぎ、その日のあたしの目撃例は二件で打ち止め。

 不気味といえば不気味だが、怪物の気配はないし、あたしの能力も発動しない。

 だから、そのままうっちゃっておく。

 しかしその翌日に、あたしの目撃例が三件ある。

 事の重大性は不明なままだ。

 その翌日にも似たような事件が数件あり、遂にその翌日に町を震撼させる大事件が起こる。

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