3-2 跳躍
いつもあたしに付き纏う異形の怪物たちが現れないのは嬉しいが、それと引き換えにあたしの能力も発動しない。
だから、あたしはこの店で真面目にパンの売り子をするしかない。
いくらあたしが不死身らしいからといって、お金がなくては飢え死にする。
日々の生活を暮らせない。
場所が場所なら身を売ることになるだろう。
あるいは乞食になるしか生き延びる手はないかもしれない。
が、幸い、ここは日本で、しかも平和な東北の田舎町。
だから親切な店長が、途方に暮れ、海を見つめ、無言で突っ立っていたあたしを拾い、店まで連れ帰るといった奇跡が起こる。
「最初に茗を見かけたときは自殺するんじゃないかと思ったよ」
今では平気でそんなことを口にする店長だが、あたしを初めてミヤザキベーカリーに連れてきたときには、まるで腫れ物を触るようだったことを憶えている。
「そりゃあね。茗の顔の暗さと言ったら、この町で見かけたことのないものだったからね」
あたしは店長にあたしの事情を話さない。
いずれあたしの能力が蘇り、それに伴い怪物があたしを襲いにこの町に現われるなら、あたし自ら話もしよう。
けれども、それまでは不幸な娘を演じていたい。
最初にこの町に跳ばされたとき、あたしはボロボロのメイド服を着、お社の中で目覚めたようだ。
それからまた眠り、起きた場所は林の中。
その間の記憶はないし、それに先立つ自分の記憶が正しいという自信もないし、保証もない。
あたしが憶えているのは、あたしの事実。
黒い天使=黒羽異日月(くろはねことなりのひつき)と闘ってから、いくつも巡った世界のこと。
その数多の世界で、あたしは好んでメイド服を着せられる。
もちろん、あたしの能力が会話を許した電気製品たちのアドバイスにより。
その方が木を森に隠すように安全だという、あたしには理解不能な彼と彼女たちの理由により……。
家電製品をはじめ、電気で動いている各種機器とあたしは会話をすることが出来る。
もっとも、その会話が他人にも聞き取れたという経験はない。
だから、それがあたしの妄想という可能性は否定できない。
否定はできないが、それがあたしにとって真実だという事実も覆せない。
着火回路付きの単純なガスコンロとも、ちゃんと電池さえ入っていれば、あたしと会話が可能なのだ。
ガスストーブの揚合もしかり。
子供のおもちゃだって同じ。
単なる湯のみ茶碗とは会話ができない。
それではオール電化の家ではどうなるかといえば、それは揚合によって違うとしか答えられない。
あたしと、そのときあたしがいる世界との関係が濃厚なら、そんな家とだって会話ができる。
逆に今回のように、まるで会話ができない世界もある。
もしかしたら会話は可能なのだが、あたしの、あるいは相手の方に何らかの事情があり、単に会話が封印されているだけかもしれないが……。
あたしが世界を歪ませている?
その逆に、世界の歪み自体が、あたしという存在をこの世界に呼ぶのだろうか?
アインシェタインの一般相対性理論では、想定されるミンコフスキー空間を歪ませるのは質量だ。
その質量のような何らかの価をあたしが荷い、あたし自身には見えず、聞こえぬエネルギー法則により、あたしは世界を転々としているのか、させられているのか、どうやらそういうことらしい。
話を戻すと、そうやって会話ができる電気製品の中に自動販売機がある。
多くは彼だが彼と彼女たちは、あたしの命令に逆らえない。
だからあたしが命じれば、文句は垂れるが腹を開く。
あたしに現金を与えるため。
もちろん口の悪い自販機からの現金収入だけでは大した額は望めない。
けれども現金を扱う電子機器は自販機ばかりではない。
銀行にも、郵便局にも、ATM(現金自動預払機)が据付けてある。
身なりさえある程度まともなら、自分の姿が監視カメラに映ろうと問題ない。
あたしの能力で機器トラブルが起こるからだ。
必ず……。
だから、逃走時間はいくらでも稼げる。
あたしを捕らえた証拠映像さえ、逃走中に抹消される。
ならば、逃げる必要はないだろう。
しかし本当のところを、あたしは知らない。
真実なんて糞食らえだ。
今だって何処かから、あたしは監視されているのかもしれないのだ。
あたし自身が気づけないだけで……。
それとも今回の世界では、あたしはあたしではないのだろうか?
死ねないあたし。
不死身のあたし。
巨漢のゲルマン人――ブレヒトの『三文オペラ』作曲者と同じ名前と自己紹介した――、クルト・ワイル爺さんの解釈では、あたしが不死なのは、自分が死ななかった世界に常に跳ばされるかららしい。
いわゆる多世界解釈。
それ以外の解釈では、命題が収束しないし、また首尾一貫した理論が得られないと宣言する。
もっともそう説明されたところで、あたしの不死が証明されるわけではない。
多世界が無数ではなく、ある程度グループ分けされていると追加説明されても同様だ。
幸いこの世界では、あたしは殺人犯ではないらしい。
それが何よりありがたい。
もっとも、あたしの匿名性は高いから、誰もあたしに関心を払わないことが通常だ。
今回は、それが怪物たちにも通用され……。
怪物たちがあたしを発見するのか、それともあたしが怪物たちを引き寄せるのか。
答をあたしは知らないが、今回に限り、あたしはあたしでないのかもしれない。
……ということは、あたしが不死ではないということ。
あのとき、船上基地内のスライドプロジェクターがスクリーンに大映しにした光景を思い出す。
さすがのあたしも『ゲッ!』と吐き気を催した、スライド投影されたあたしの死体。
白目を剥き、両腕が不自然な方向に捩れ、右胸に血の塊跡が見えたから、仮にまだ死んでいないとしても、数時間後には間違いなく命を失ったと思わせるスライド写真。
あたしの死体ポートレイト!
その後、あたしはあの現場から奇妙にも消失したという。
けれども、今回のあたしは消えないかもしれない。
受け入れるしか仕方のない一回性の死が、わたしをこの世界の土に還すと考えると、ぞっとする。
……と同時に、深い安堵が胸に浮かび上がって来るのは何故だろう?
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