2-8 逃走

 その辺りで、あたしは何となく身の危険を感じてくる。

 口ではああ言いながら、ワイル爺さんが、今のままではあたしの天使が黒羽異日月に破壊されると信じているように思えたからだ。

 ……だとすれば、あたしの身体をもう一度徹底的に調べ尽くし、天使召還法を見つけ出そうとも考えるだろう。

 できるかどうかはともかく、あたしだって、同じ状況に置かれれば、そう判断するかもしれない。

 そんな、あたしの想いは携帯電話にしても同じだったようで、ディスプレイを見ると、

「はよ逃げた方の身んためばい」

 と言っている。

 すると――

「おやおや、お仲間からの助言ですかな?」

 ワイル爺さんが鋭く指摘し、

「そのプレゼントは気に入っていただけたようですな」

 と怖いことを言う。

 しかし――

「ねえしゃんん手に渡っち、ほっちんど端がら、いいつらん呪縛がらは逃れとるちゃ」

 ええーい、わかりにくい!

「大丈夫。奴らの手の内にあるように見せかけているだけだからさ。けれど、ねーちゃんの身体にも発信機が埋められているからね。ちょっと痛いけど、まずそれを取り外さないと……。OK!」

「お、OK!」

 すると携帯電話の策略が始まる。

 部屋が真っ暗になり、ついでいきなりドアが開き、ワイル爺さんの手先数名が飛び込んでくる。

 あたしを船外に逃がさないためだ。

 その刹那、今度は部屋の照明がいきなり閃光となり、目を射るように耀く。

 あたし以外の全員が、その光の変化に目をやられ、呻いて、怒鳴る。

「早く部屋を出て、右、それから左、そこを曲がって!」

 携帯電話の音声に導かれ、あたしが艇内を駆け巡る。

 無人の応接室に入り鍵を掛け、窓を開け、部屋にあった適当な椅子を海に放り投げる。

 じゃっばーん!

 これで少しは時間が稼げるか。

 ついで携帯電話に言われるまま、部屋に備え付けらしい卓の抽斗を開け、カッターナイフを見つける。

「怖いな!」

「右胸!」

「女の子なんだよ!」

「いいから早く!」

「だからぁ!」

 ずぶっ、おおお痛っ!

 携帯電話が画面に示した的確な位置関係図のおかげで、あたしの体内に埋め込まれた三ミリ角の薄いICタグは一発で見つかる。

 次にはそれを、

「おい、嘘だろ!」

 部屋の片隅からタイミング良く現れた船ネズミに、喫茶店のイメケン・ウェイターから貰った飴玉にくっつけ、食べさせる。

「今は誰もドアの外にいないから!」

 そうアドバイスする携帯電話の指示を受け、瞬間ドアを開き、船ネズミを通路に放つ。

 右胸から流れ出る血を卓上にあったティッシュペーパーで拭い、同じ卓の上から二番目の抽斗の中に仕舞われたガムテープを千切り、傷に宛がう。

「で、次はどうすんの?」

「その卓の上の天井部にデッキに抜けられる緊急避難口があるよ」

「だって、人がわんさかいるだろ!」

「大丈夫。現時点の船員の動きからすると、二十秒後にガラ空きになる」

「だって、それから……」

「全員がワイル爺さんのいる部屋に一旦集結したとき、ドアの電気錠が締まり、彼らを一時的に閉じ込める。同時に陸地の方で、電気自動車がねーちゃんを救い出すため、パーフェクト・タイミングでこちらに向かってる」

「じゃ、さっきのネズミもあんたが用意したの?」

「無駄口、叩くな! さっさと動け!」

 そう怒鳴られ、卓上に、さっきとは別の椅子を載せ、それに昇り、あたしが天井パネルをゆっくりとずらす。

 恐る恐る開き、

「重いよ!」

「文句を言わない!」

「しよーがねーなぁ!」

 よいしょっと力を込め、パネルを押す。

 ゴトンと音を立て、天井が開く。

 首を外に出すと確かに巡視艇のデッキには誰もいない。

 なのでデッキの上まで這い出し、埠頭を見ると、携帯電話が言っていた電気自動車が超高速で近づいてくる。

「ホラ、さっ、早く!」

「わかってるわよ!」

 あたしは、えいやっ! とタラップに飛び降り、ガタガタと音を立てながら、一気に埠頭まで走る。

 コンクリートの地面に下り立ち、そのちょい先で電気自動車と合流。

 ハアハアと息を荒(あら)らげながら、それに乗り込む。

「えーっ、無人運転なんて怖過ぎるわ!」

「ねえしゃんん運転ちゃりはじぇんじぇんましたい」

 電気自動車が答える。

「うるさいわね!」

 電気自動車が市内を抜け、何処かに向かう。

 少し安心したら、傷口が疼いて痛い。

 ああもう……。

「せっかくのいい女が台無しだ!」

 誰にともなく、あたしが呟く。

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