2-7 組織

「そうですか、では……」

 ワイル爺さんが咳払い一つするでなく、言葉を紡ぐ。

「単刀直入にいえば、あなたが不死なのはあなたが死ななかった世界に常に跳んでいる、または跳ばされてるからだと、わたしたちは考えています」

「……というと、多世界解釈?」

「他の解釈ですと命題が収束せず、首尾一貫した理論とはならないのですよ。もっとも多世界と言いっても、それは単に無数ではなく、ある程度グループ分けされているようですが……」

「なるほど、それで?」

「その件に関しては、以上です。わたしたちには、その方法や原理はわかりません。わかれば、いくらでも利用価値があるのでしょうが……」

「軍事的にね」

「いいえ、平和利用として……」

 あたしが指摘すると、ワイル爺さんがすかさず答えを修正する。

「けれども重要なのは、この世界を守るために、それを有効利用できるということでしょう」

 すると、またしても部屋の電灯が落とされ、今度はビデオが映される。

「へえーっ、やるじゃん。撮影できたんだ!」

 そのとき上映されたのは、先ほどの怪物とSATとの戦闘映像。

「これは、ほとんどが人間を元にした技術です」

 言われてすぐ気づかなかったが、しばらくしてから胃が痛くなる。

「……ってことは、生きてる器官をレンズにしたのか、それも人間を?」

「詳しい技術は守秘義務があるので申せませんが、わたしたちは文明国で暮らす平和的な人間です。非人道的行為は行っていません」

「それが本当なら、ええと、名前は確か……ゴースト量子の制禦に成功したわけ?」

「ほうっ。そんな専門用語をご存知とは? さすが、レディ・メイ、侮れませんな。わたしたちの担当スタッフにきつく言っておきましょう」

「可哀想だから、首を切らないでね」

 とりあえずお願いしたが、高野豆腐を食べながらなので迫力がない。

「通称ゴースト量子、あるいは存在確率ゼロの南部‐ゴールドストーン縦波光子について特別にレクチャーいたしましょうか?」

「今回はパス。胃もたれしそうだ」

 そう答え、香りの良い煎茶を啜る。

 映像は天使と怪物のバトルに切り代わる。

「それにしてもわからないのは、どうしてあたしのことを知ってんのさ? それに怪物や天使のことを? おそらく、ワイルさんたちだって、見たのは初めてだよねぇ」

「レディ・メイ。あなたに関する文献が存在するのですよ、この世界には……」

 えっ、トンデモ?

「おそらく多世界トラヴェラーのあなたが偶々日本人だったので、それがこの地日本の、旧くは瓊杵山(にぎやま)と呼ばれた金比羅山で発見されたのだと思われます」

 えっ、そうなの?

「でもそれっておかしくない。怪物や天使が古代にいて、それが伝承されてるならわかんなくもないけど……。このあたしが記述されてんでしょ?」

「確かに、その通りですな。そういう意味では、この世は偽書に溢れています。もっともその理由は、別の歴史を信じたい者がいつの世でも後を立たないからでしょう。あるいは無能な政府がその悪政を大衆の目から逸らすため利用したりと様々ですが……。後者の例でもっとも有名なのは、ユダヤ陰謀説の元となる「シオンの議定書」ですな。作者は帝政ロシアの人間で、反ユダヤキャンペーンの一環として白系ロシア人兵士すべてにその書が配られたと伝えられています。前者の例としては、日本の場合、時下の空襲で焼けてしまい、原型が残されていない天津教の竹内文書(たけうちもんじょ)が有名でしょうか? もちろん竹内文書は、父親が執筆した原形の偽書に影響された竹内巨麿(きよまろ)による贋作ですが、神代文字(かみよもじ)で書かれているというところが面白いのです」

「……ってことは、あたしの伝承も神代文字で?」

「調べてみると全部で九十九文字に分類されましたよ。よって、それが本質的に表意文字ではなく表音文字だと考えられ、信憑性が増したのです。何故なら、言語学者が研究した古代日本語の音韻の変遷は以下のようなものだったからです」

 ワイル爺さんが言い、スクリーン上のスライドが、その説明図に入れ代わる。

「見ての通り、七世紀後半=「古事記」の時代、日本人は八十八音節を区別し、母音は八音ありました。八世紀=「日本書紀」「万葉集」の時代には八十七音節八母音。九世紀前半=「日本霊異記」の時代には七十音節。以降、ラ行音、濁音五頭に立ち六母音。十世紀前半=「古今集」「土佐日記」の時代は六十八音節五母音。十一世紀初頭=「源氏物語」の時代には六十七音節五母音となります」

 はぁ、それで?

「国学者の本居宣長は神代文字の存在を「文字なかりし世はまた、さて事足りて、思ひの外なる物にぞありけむ。さればもし上つ世の人に、この説を聞かせたらむには、却りて笑いぬべきなり」と述べ、「其も非説なりかし」と退けています。けれども、その弟子、平田篤胤は室町期の忌部正道(いんべのまさみち)の著作とされる「神代巻口訣(じんだいのまきくけつ)」中の「神代文字は象体なり。応神天皇の御字、異域の書始めて来朝。推古天皇の朝に至りて、聖徳太子、漢字もて日本字に付す」という記述から「神代文字は象体なり」を取り上げ。、通常の解釈では「神代の時代には文字はなくて絵でことをあらわした」となるところを「神代」と「文字」の言葉を区切らずに「神代文字は象形文字だった」と解釈し、自著「神名日文伝(かんなひふみでん)」の「疑字篇」で「神代五十音」「出雲国石窟神代文字」「宗源道極秘神名」などの神代文字を取り上げ紹介していますが、これらはみな平安中期以降に成立したと考えられる伊呂波歌や五十音と同じく四十七字または五十字から構成されています」

「だから数はちょっと多いけど、あたしに関して見つかった表音文字が神名文字だっていうわけね。旧いものなら、音節も多かろうと……」

「まぁ、そこまで断言はしませんが、しかし記述された出来事が本日、現実となってしまっては、神代文字と呼ぶかどうかはともかく、深江浦(ふかえうら)(註:長崎の古名のひとつ)文書が予言の書であったことは否定できないでしょう」

 スクリーン上には丸や三角や四角やミミズがのたくったような文字列が映されている。

 あたしの頭が痛くなる。

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

 だから、そんな言葉しか思い浮かばない。

「で、メシ食わせて、ただで帰すわけないよなぁ。ワイルさんは何がお望み?」

「これまでの対応から、レディ・メイ、あなたが本当に、この時空間バトルについて何もご存じでないことはわかりました、また別段、通常人と身体に変わりがないこともです」

 えーっ! いったい、どんなスキャンをしてたのさ!

「よって、わたしたちはあなたに協力を要請したい。具体的に申せば、天使――深江浦文書に記された表音から解釈すれば『白羽異日月(しらはねことなりのひつき)』――とあなたとの連動関係が知りたいのです。そうすれば、近い将来、わたしたちは天使を自由に、この世に呼べるようになるでしょうし、いずれは、その力を強化することも……。あるいは複製を作り上げることも可能となるかもしれません。もしそうできるならば、結果として、この世界の防衛力が飛躍的に増大します」

 ワイル爺さんの気宇壮大なビジョンを聞き、あたしは口をあんぐりと開けるしかない。

 その間に、壁のスクリーンが先の神代文字の現代語訳に切り換わる。

「……って、爺さんは天使を複製したいわけ? 本当に、そんなことができると思ってんの?」

「正直言って、わたしが生きている時間内には、おそらく無理でしょうな。しかし行動を起こさなければ、何事も始まりません」

「そりゃあ、まぁ、そうだろうけど、天使を増やすって、いったいどういう?」

「レディ・メイ。あなたはご存じないかもしれませんが、深江浦文書によれば、あなたの――すなわちわたしたちの側の――天使に代わりはありません。ただの一位(註;天使を数える単位)しか存在しないのです。だからもし、あなたの天使が怪物に敗れれば――先ほどお見せしたような多少の技術は扱えたにしても――わたしたちにはもはやこの世の武器しか頼れるものがなくなってしまうのです」

「そのフカエウラ……」

 えーっと、スクリーンで確認。

「深江浦文書って全文発掘されてるの?」

「いや、おそらく途中部分だけです」

「じゃ、そんなことわからないじゃない! だいたい、あたしはこの世界で一回死んでるんだろ! その時点で終わりだったはずじゃないか! それとも、そのことまで書いてあるわけ……」

 すると、ワイル爺さんの顔色が曇る。

「だから、ホラ、そんなことわかんないんだろ!」

「いえ、レディ・メイ、わたしたちは、いや、わたしは、あなたが昨日忽然とこの地に、それも深江浦文書が発見された場所に程近い金比羅神社境内で発見され、そして死んだように眠っているあなたの姿を仲間とともに拝見したとき、『ああ、この世界は滅亡の危機から救われるのだ!』と確信したのです。神はまだわたしたちをお見捨てになっていないのだ、と。けれどもわたしたちには、あなたが本物のあなたであるかどうかがわかりません。医療機器で調べても、あなたはごく普通の人間の反応しか返しません。ゴースト量子に対する反応も、一般人より、わずかに高いように見受けられるものの、統計的には誤差範囲内です。だからわたしたちは……いや、わたしは、あなたに賭けることにしたのです。レディ・メイ、あなたは冗談と思われたかもしれませんが、あなたがお目覚めになったあの部屋やあの壮大な書き割りは深江浦文書に記述された内容の忠実な再現なのです。現存する深江浦文書には、レディ・メイ、あなたの亙り、あなたの目覚め、そしてあなたの天使の最初の闘いが記述されています。そして先ほど、それが現実に起こり……」

 そのとき、ポケットで携帯電話がブルブルと震える。

 取り出してみると、

「爺しゃんんいっちいるこつはほんなこつたい」

 文字列がディスプレイされている。

 ありがと!

「で、その先は?」

「黒羽異日月(くろはねことなりのひつき)が降臨すると記述されています。あなたの天使を破壊するために……」

「その先は?」

「その先は失われています」

「なるほど。それじゃぁ、不安なわけだ!」

 あたしは死ぬのかなぁ、この地で……。

「それって、いつのこと?」

「残念ながら、そのことについても不明です。しかしながら、そう遠い将来のことではないと思われますな。なにしろ黒羽異日月は雪とともに降り臨むと深江浦文書には記述されているのですから……」

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