2-6 死体
船室のドアを開け、中に入ると、巨大な爺さんがいる。
部屋の向こう側、世界地図が掛けられた壁の手前の机にひとりでデーンと構えている。
精神的な威圧感があり、物理的にも大きく、少なくとも百九十センチ以上あるな、と見積もる。
爺さんであるところまではさっきの携帯電話の声から予想していたが、外国人とまでは予想していない。
しかもメリケンさんではなくでゲルマンさんなので、ああ、吃驚!
「ようこそ、高橋茗さん。あるいは矢倉茗さんですか? それとも三添茗さん?」
「そのどれも正解だけどね、他にもあるよ。ただ、茗だけがいつも同じ。個人的にはエム・エイ・ワイのMAYだと思いたいんだけどさ」
「山査子ですか? 五月の花ですね」
巨漢の爺さんが、そう答える。
声も野太いんだよなぁ。
いったい、どんな婆さんとセックスしてるんだろう、とあたしは思う。
「わたしの名はワイルといいます。クルト・ワイル。ベルトルト・ブレヒトが台本に協力した『三文オペラ』の作曲者と同じ名前ですな」
そう言って椅子から立ち上がると、伸ばされた巨大な右手で握手を求められる。
一応受けたが、掌が押し潰されたよ。
痛ってぇな!
「……ということは、独逸人なわけね。メリケンさんでないのが不思議だわぁ」
ワイル爺さんが椅子に腰かけるので、あたしも近くにあった独り掛けソファに身を沈める。
「で、何が知りたいわけ? あたしは当事者らしいけど、本当に何にも知らないよ」
「レディ・メイ、おそらく、あなたのことはあなた自身よりもわたしたちの方が存じ上げているでしょう」
そう言い、ワイル爺さんが机の上のスイッチを弾く。
その瞬間、部屋の照明が落ち、入口から見て右側の壁にスクリーンが降りる。
正反対に設置されたプロジェクターから投影されたスライドが映る。
チカチカと明滅しながら画像が次々と入れ換わる。
赤ん坊がいて、幼児がいて、子供がいて、小学生がいて、中学生がいて、高校生がいる。
いろんなな場所、いろんな国、いろんな状況に同じ人物が映っている。
「ほおっ!」
スライドに投影された対象に、正直、あたしは驚嘆する。
それらすべてがあたしなのだ。
あたしの知らないあたしの両親だと思われる人物はおろか、このあたしの記憶が毀れているのか、まったく見知らぬ大勢の他人と歓談したり、戯れたりするあたしまでいる。
「どうですか、レディ・メイ。面白いでしょう?」
「そりゃ、まぁ、たしかに面白いけど……。ストーカーやパパラッチも真っ青だな。で、これ全部、本当にこのあたし?」
スクリーン上の自分を指差す。
「さあて、それが解釈の難しいところですかな?」
ワイル爺さんが勿体をつける。
「……というのは、わたしたちが入手した写真の中には、こんなものも混じっていたからです」
ついで、ある写真スライドがスクリーン上に大写しになる。
「ゲッ!」
さすがのあたしも吐き気を感じる。
そうか、こんなふうに終わるのか? と思いを馳せる。
スクリーンに大写しになっているのは、あたしの死体。
白目を剥き、両腕が不自然な方向に捩れ、右胸に孔か血の塊跡も見えるから、仮にそのとき死んでいないとしても、数時間後には間違いなく命を失ったと思わせる写真。
あたしの死体!
「レディ・メイ、ご感想はいかがでしょうか?」
「……ってさ、これが死体なら、あたしであるわけないじゃん。そんなの、爺さんにだってわかってんだろ? あたし、いまここにいるんだよ! これが死体なわけ?」
自分の右胸、心臓をあたしは指差す。
「いや、この写真が撮られたときには、この女性、高橋茗さんは、確かに死亡していたのです。恋人の戦場カメラマンと出かけていった海外のある地で、何か得体の知れないモノに襲われ……」
では、あのとき天使はあたしを救えなかったのか?
それとも、その記憶が間違いなのか?
ああ、混乱する。
わからない。
「写真は残りましたが、しかし遺体の方は消えてしまったのです」
ワイル爺さんが滔滔と続ける。
「あなたの事情を知らない現地人に戦場カメラマン共々あなたは遺体を発見され、日本ではありませんから、すぐにその地に埋葬されました。しかし、その国にも派遣されたわたしたちの仲間が駆けつけ、確認したときには、あなたの遺体はありませんでした」
「相方の方は?」
「カメラマンの遺体はありましたよ。消えたのは、レディ・メイ、あなただけです」
「なるほど、それで、この世界に帰って来たって歓迎されたわけね」
「この世界の様相の、比喩的にですが、あれが正しい解釈なのです。ご納得いただけましたか?」
「状況だけは飲み込めたよ」
「それが、まず第一歩ですな。やっとスタートラインに立てますなぁ」
沈黙。
「それで、爺さんたちの解釈とかは、あんの? この件に関する? ……って、ないわけないよな。あたしをここまで連れてきたんだから……」
そう言い、あたしが大きく溜息を吐く。
ワイル爺さんの答の想像も何となく、つく。
が、その前に……。
「悪い、眩暈がしてきた。何か喰わせて!」
あたしが言う。
すると――
「おお、それは申し訳ありませんでした」
あたしにそう答え、ワイル爺さんがインターホンに命じる。
「お嬢さんにお食事を……」
部屋に電灯が点され、二分ほど待たされ、キャスターに載った食事が到着/配膳。
料理長らしい中年の小父さんに給仕され……。
トレイのフタを開けると、カツオの刺身と高野豆腐とホウレンソウの辛し和えと納豆の味噌汁ときゅうりとナスの漬物と熱々のご飯と煎茶が現れる。
ついでに、今朝食べ損なったさえずりまで添えられている。
「さすがだね! よく調べてある」
久しぶりの好物オンパレード。
あたしはなんて安くつく女だろう。
「もしも、あたしが5Aのステーキとかトリュフとかキャビアとかが好きだったら、それでもワイルさん、サーブした?」
味噌汁を啜りながら聞いてみる。
「もちろんですが、そのときはご相伴させていただきますな?」
「じゃ、次があったらそうしよう」
そう言い、あたしは微笑み、先ほど中断させたワイル爺さんの話を促す。
「OK! 先いって、いいよ」
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