2-2 朝食

 どこかで監視をしているのだろうが、主催者側は、すぐにあたしを牢獄に連れ去る気はないようだ。

 とりあえず、用心しながら街を歩く。

 道行く人たちはまったく普通の人間のようで、特に悪意は感じられない。

 季節が冬だったから、ちゃらちゃらした服装の男性も、きゃらきゃらした出で立ちの女性も見当たらない。

 もっとも殆どが通勤者だというのにファッションセンスが街に溢れる。

 老若男女ともに、数パーセントがそこを外れる。

 それでも街自体が醸し出す幸福そうなイメージは崩れない。

 すべて世はこともなしとは、こんな情景のことをいうのだろうか?

 加えて幸いなことに、この世界では、あたしは殺人犯ではないらしい。

 もっとも殺人犯であったところで、街行く人たちに、そうとは知れないだろう。

 それがあたしの顔の無さ。

 あたしを特徴づける匿名性。

 が、怪物たちには通用しない。

 彼と彼女らが、あたしを発見するのか、それともあたしが怪物たちを引き寄せるのか?

 あるいは、まったく無関係なのか?

 十年以上考えているが、結論が出ない。

 おそらく百年経っても同じだろう。

 そのときに、あたしが、まだ生きていたらの話だが……。

 そんなことを考えながら潮風の街をぶらつくと、あたしのお腹がグウと鳴る。

 生きているからお腹が空くのか、それともお腹が空くから生きていると感じるのか?

 あるいは食事を摂るから、生きていこうという気にさせられるのか?

 それともまったく反対なのか?

 そんな無用な問答を頭の中から閉め出し、すぐさま食事を摂ろうと決める。

 そうと決まれば、財布を持っているのかが気になるが、ジャケットの左ポケットに入っている。

 開くと、中に万国共通のエキストラゴールドのクレジットカードが数枚あり、ホログラムが誇らしさを、あたしに主張する。

 主催者側の寛大さに素直に感謝。

 動機はまるでわからない。

 動物園内で放し飼いにされたウリ坊主のような気もするが、そんなことを気に病まない。

 いずれ理由は、向こうから、あたしを訪れるに違いない。

 死ぬべきヒトの行いは、やがていつかは知れるもの。

 そういうこと。

 これまでずっとそうして、あたしは生きている。

 死ねない限り、この先もずっとそうだろう。

 あたしの人生消費形態だ。

 しかも、あたしは死ねないのだ。

 主催者側の派手な歓迎で時間を取られたが、湾岸倉庫街から街に繰り出しても、まだ午前七時前。

 適度にカラフルなコートを身に纏う通勤通学客が駅前を行き交う中、こちらは適度な違和感を漂わせつつ、客らに溶け込みながら食事場所を探す。

 せっかくなので鯨のさえずりか、皮か、せめてベーコンでもないかと探す。

 その昔、何かの雑誌記事で見かけた大通りに面する有名店を見つける。

 が、店は見つかったものの、こんな朝から営業しているわけはなく、仕方がないので雑居ビル二階の現金がなくても支払いができそうな古びた喫茶店に入り、モーニングセットを注文する。

 数分後、学生バイトらしいウェイターがモーニング・トースト&コーヒー・セットを運び、平トレイをあたしの前に置くと、セットと一緒に向かいの席に腰掛ける。

「彼女、独り?」

 そう声をかけてくる。

 手持ち無沙汰なあたしの右掌にオレンジ色の包装紙に包まれた飴玉を握らせる。

 理由は知らない。

 その瞬間、あたしは顔を上げ、ウェイターの顔をチラ見し、それから飴玉をジャケットのポケットに入れ、一旦無視する。

「彼女、暇そうじゃない? どっか行かない?」

「訛りはないのね」

「ばってん、こん辺りん出身じゃなかがら」

「学生さん?」

「おなごしも、そーなんか? こん辺りでは、まるっきし見かけなか顔だばってん」

「別に無理しなくていいわよ。それに、どっちかっていうと、この世界で見かけない顔かもしれないしね」

「ふうん、面白いじゃん」

「横浜か?」

「残念ながら彩の国だったりしてね」

 彼の顔と身体つきが好みじゃなかったら、きっと話はしなかっただろう。

 見たところ身長が一八〇センチを超えていて、あたしよりも若そうに見える。

 しかもあっさり醤油顔で、そこそこ筋肉がありそうだ。

「学生なのに朝からバイト?」

「研究室の朝なんて十時まわってはじまるのが当たり前だよ」

「じゃ、四回生か? すぐ先の大学?」

「怜ちゃん、浮気してないで、こっちも頼むわ」

「はーい、今行きまぁす!」

 がじゃらんと鳴る古風なカウベルとともに入ってきた普通に綺麗な女子学生に呼ばれ、彼があたしのテーブルから去る。

 厭な予感はしなかったが、巻き込んでは可哀想だと思い、あたしは始まってもいない恋から身を引く決心をする。

 この前の体験がキツ過ぎる。

 さらにその前の体験たちも、あたしの中で蠢いている。

 結局、ものの数分で食事を終え、あたしがテーブルから立ち上がる。

 カウンターに向かうと、今度は女子学生のテーブルに張り付いた彼が慌てて飛んでき、

「雰囲気あるよね。彼女、名前は?」

「残念だけど、秘密にしとく。それに、もしもあんたが関係者だったら既に知ってるはずだしね」

 そう言い、カードを手渡すと、彼は戯画化されたキョンみたいな表情を浮かべ、きょとんとする。

 ついではじめて気づいたように、カードを読み取りリーダーに掛ける。

 通信ケーブルに不備があるのか、それとも装置のバッファが小さいのか、読み取り速度が遅くてジリジリする。

 その間、彼は飽くことなくあたしの顔を見つめている。

 瞳と眉が涼しげで、思わず魅入られてしまいそうだ。

「それでは、カードをお返しします」

 言われて気づく。

 あたしも彼の顔に見入っていたらしい。

 二人の間で甘い雰囲気が交差する。

 妄想の擬似恋愛が成立する。

 世界がたった二人だけのものに変わる。

 そのとき――

「ちゃちゃーっ、見ていられんけんね!」

 辺りを憚るような低い声がし、思わず彼がぎょっとする。

 自分の目の前にいるあたしを共犯者を見つめる眼差しで捕らえ、

「今のは?」

 と口だけ動かす。

 あたしは頭を左右に振り、

「なんも聞こえやないし、聞いてはおらん」

 そう口にし、カードを受け取り、財布に入れて喫茶店を去る。

 背後から突き刺さる、怒ったような女子学生の視線が痛い。

 がじゃらん がじゃらん がじゃらん……

 女子学生の視線を遮るようにカウベルを鳴らし、あたしはつい先ほど指摘されたカードリーダーの的を得た冷やかしに、ふっと顔を赧らめる。

 想いに駆られ、瞬間振り返るが、怜と呼ばれたウェイターの姿は見えない。

 彼の姿に覆い被さるようにして、嵌め込みガラスの扉の向こうに女子学生の背中が広がっている。


 家電製品をはじめ、電気で動いている各種機器とあたしは会話ができる。

 着火回路付きの単純なガスコンロとも会話できる。

 子供のおもちゃだって同様。

 大人のおもちゃだって同じ。

 その能力の説明はあたしにはできない。

 あたしが移動する世界との関わりと言えるだけだ。

 あたしの不死性と関係あるのかどうかもわからない。

 世界があたしを歪めているのか、あたしが世界を歪めているのか?

 アインシェタインの一般相対性理論の揚合、想定されるミンコフスキー空間を歪ませるのは質量だ。

 その質量のような何かの価をあたしが荷い、あたし自身には見えないエネルギー法則により、あたしが世界を転々としているのか、あるいは転々とさせられているのか?

 あたし自身にできる説明はそんなところ。

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