1-8 逢瀬

 不況のためかシティーホテルには空き部屋があり、あたしの奢りで簡単にスイートが取れる。

 自販機からの収入だけでは大変だが、現金を扱う電子機器は自販機ばかりではない。

 身なりさえある程度まともなら、機器の不具合が発覚するまで逃走時間はいくらでも稼げる。

 それに証拠映像も必ず消えてしまう。

 いつも、何らかのトラブルで……。

 落ち着いた雰囲気のオーク材で内張りされたエレベーター。

 それで指定の階まで昇り、ついで部屋まで赴き、中を覗いてから気が変わり、せっかくだからと最上階のラウンジ・バーに向かう。

 もうすぐ翌日という時刻だが、晴れていたので夜景は素晴らしい。

 入口を入ってすぐの展望ガラス外の眺めは、山の稜線が織り成す緩いジグザクの景観。

 ほとんど人がいないので、あたしたち二人はボーイに付き添われながらぐるりを巡り、新幹線が東京を目指す側の展望席に陣取ろうと決める。

 そこでしばらくの間、あたしはダイキリを味わい、彼はドライマティーニをピチャピチャと舐めながら、互いに寛げない違和感を表情に浮かばせないよう注意しながら、揚慣れしていない恋人たちのごとく振舞う。

 やがて――

「じゃ、話すわ」

 諦めたように溜息を吐き、あたしはこれまであたしが体験してきた、あたしにとって事実と認識された出来事と身の上を彼に語る。

 彼はあたしの言葉の意味が不明瞭なときにだけ口を差し挟んだが、それ以外は黙って上手に話を聞き続ける。

 しばらくして彼が賢い聞き手であることがわかり、何だかとても嬉しくなる。

 胸の中でブンブン飛び廻っていた羽虫の羽音が消えた気がする。

 ごく普通だったと思われる幼少期(推定)のことは簡単に、ここ数年の激動のことは簡潔だが、詳細に語る。

 そして――

「違うかもしれないな?」

 ひと通り話が終わったところでポツリと彼が口にする。

「おれの体験とは……」

 あたしが答える。

「ま、今のあたしの人格が見知らぬ誰かの憑依後の人格なら、似たところがあるかもしれないけどね」

「刷り込みか?」

「あたしがあたしだと思っているこのあたしが実はあたしじゃなくて、そうだな、夢が現実になって怪物と天使がこの世に出現したとき、あたしに入り込んだ何かなのかもしれない……ってこと」

 ……とすれば、あの霊安室で見た光景はあたしの記憶ではなく。

 ……とすれば、記憶は封印されていたのではなく。

 ……ということは彼の表現を借りれば、

「うーん、降ってきたと考えれば、同じかもね」

「わからんな?」

「依り代なんだよ、たとえばね。対象がヒトの依り代だから、正確には巫(かんなぎ)か、依巫(よりまし)のどっちかなんだけど、まぁ、そんなことはどうだっていい」

「でも、そういう感覚はないんだろ?」

「あなたの揚合は、どうなのさ?」

「何かが降ってきた感覚はあった。だが後付けかもしれない」

「抜けていったときは?」

「夢から覚めたようだった」

「ということは、何かが降ってきて依り代になって、あなた自身が薄れていったわけね。それが抜け出るまで、ずっと」

「らしいな? だが……」

 おや、といった感じで彼が少し腰を浮かす。

 頭を窓ガラスに近づけ、下方向を見下ろす。

 なので、あたしも付き合うと、

「パトカー、……のようだな!」

「……のようね」

 サイレンは鳴らしていないが、眼下にはパトカーがいて、ヘッドライトの強度が心なしかいつもより強いように感じられる。

 こちらの張り詰めた心理の投影だろうか?

 それとも……。

「まぁ、きみは大丈夫だろうが……」

 彼が言い、

「いやいや、死なないだけで、捕まらないわけではない」

 と、あたしが答える。

「たしかに拘置所にいたからな。……とすると別々の方がいいか?」

「あなたがそれをお望みなら」

 周囲を見まわすと、すでに客はあたしたち以外になく、ボーイとバーテンダーが複数人固まって何やら緊張した面持ちで、あたしたちをチラチラと覗き見ている。

 その中のリーダー格と思われる髭面の中年男が店内の電話機に何かを告げている。

「本当に、あたしたちが目当てかな?」

「さあ? だが、少なくとも、おれは狙われている気がする」

 ああ、残念だ!

「ありがとう。楽しかったよ。久しぶりに人と話せて……」

「本当に機械と話ができるのかい」

「さあ?」

 試しにテーブルでメニュー立ての役割をしていた電子時計に話しかるが返答はない。

「ただの頭のおかしな女の子なだけよ」

 口にした途端、泣いてしまう。

「じゃ、逃げ出すところまではご一緒しようか、お嬢さん!」

 席から立ち上がると手をつなぎ、会計カウンターまで二人で歩く。

 店員の雰囲気は心なしかぎこちなく感じられたが、咎められることなく、警報機が鳴ることなく、急に警官たちが踏み込んで来ることもなく、会計作業が支障なく終わる。

「ラウンジバーなんかに来ないで、あのまま部屋の中にいれば、こんなことにはならなかったかもね」

「それはどうだか?」

「あなたには悪かったわ」

「同意の上だから、責任を感じることはないさ」

 ニヤッと笑う。

 そうか、そういえば確かに惜しかったな!

 エレベーターが到着し、あたしたち二人がそれに乗る。

 一階を目指すが七階で止まり、あたしたちは緊張する。

 が、ドアが開くと外には誰もいない。

「それも面白そうだな!」

 と彼がそこで降りると即断。

 あたしには手で下に行けと促す。

「さようなら。機会があったらまた会おうぜ」

「お互い赤ん坊を連れたお父さんとお母さんになってるかもね」

 言って、あたしがドアを閉める。

 扉が閉まり、エレベーターがゆっくりと降下を始める。

 六階、五階、四階と通り過ぎ……。

 不意に全身が泡立つ。

 気配が感じられたのだ!

 それも急に、濃厚に……。

 一階に到着すると辺りは警官で一杯だ。

 いや、正確にいえば、警官の死体で溢れている。

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