1-7 再会

 あと二時間ほどで日付が変わろうする時刻のことだ。

『気をつけろよ、ねーちゃん!』

 声ではなく文字で液晶ディスプレイがあたしに注意を喚起する。

 状況からいえば、ま、たしかに発声しては拙(まず)かったのだろう。

「何を?」

 問いかける。

『しーっ。ドアの外に誰かいる。他の気配はないから、ただの人間だろうが、ねーちゃんに興味があるのかもよ』

「ほーっ、そうか!」

 振り返る。

 あたしがいたのはネットカフェの一室。

 最初に入ったところから比べれば信じられないくらい都心寄り。

 が、基本的には同じ部屋タイプで、広くはないが椅子で寝られる。

 だいたい一畳くらいの大きさか?

 背後のドアには上下に鉄線が入りの波状磨りガラスがはめ込まれ、人が立てば影が透ける。

 あたしが振り返れば、確かに影が透けている。

「どうする?」

『監視カメラをまわしてみるかね?』

 すぐさまPCが提案。

 良い提案だろう。

 ガスコンロと比べたら、まるで雲泥の協力体制。

 電気ではなく、電子機器だから、オツムも多少マシなのか、と仮説を立てる。

 そうこうするうち映像ソフトが立ち上がり、画像が映る。

「ほおーっ」『ほおーっ』

 二人格して、ちょっと吃驚。

 そこには拘置所で別れたあの男が映っている。

 三十代前半くらいの、いい男。

 それでキャスター付き椅子に座ったまま移動し、鍵を外し、ドアを外側にわずかに開け、反り返るように顔を覗かせ、

「あたしと知って、そこに立ってるんなら入っていいぜ!」

 下から彼の顔を見つめ、ニコッと笑う。

「でも偶然だったら、NG!」

 すると男は面食らうふうでもなく、

「どこまでを偶然とカウントするかの定義が問題だな?」

 と疑問形で答える。

「そりゃ、まぁ、そうだ!」

 だから、あたしは彼を狭い部屋に迎え入れる。

 彼は行き場もなく、閉めたドアに凭れて立っている。

「で、どーいうこと?」

 あたしが彼に問いかける。

「きみがここにいることは知らなかったが、この部屋に入っていく後姿を見かけた。しばらく考えてから、『気がつくかな?』と思って」

 後ろのドアを指差し、

「ドアの前まで来てみたのさ」

「そして見事、あたしに発見されたというわけか!」

 溜息を吐く。

 PCからの情報を盗み読みしつつ、

「……で、本庄武則さんは、どんな罪状で死刑囚に?」

 聞いてみる。

 すると今度も別段臆するふうもなく、

「殺す気はなかったが、首を絞めていたらしい。我に返ったときには麻美は死んでいたよ。その手の感触は今でも憶えている」

「女殺し?」

「別に恋人でもなんでもなかった女だ。喫茶店のウエートレスのアルバイトをしていた。殺すまでの経緯ははっきりしない。ただ何かが降りてきて、それに従って行動した。……それとも、させられたというべきかな? それ以上は上手く説明できない」

「突発的だったと?」

「魔が差すという感覚じゃなかったな。何かが降ってきたんだ。神ではなかった……って、それは別の比喩だな。ユーリカじゃない」

「そして精神障害者でもない」

「たぶんね。医者はそう診断したし、自分でもそう思う。しかし本当のところは、わからんな。自分で自分が狂っているかどうかなんて知りようがない」

「確かにね。惑星軌道――宇宙ステーションの軌道だったかな?――を計算して検証する方法もどうかと思うし……」

 呟いてみる。

 次には自分に向けて、

「あんたみたいな人に、あたしは殺されるのかな……」

 願望なのかもしれない。

 すると――

「死にたいのか?」

 彼が空かさず言い、

「もしそうだとすれば、あたしひとりじゃないかもしれないからさ」

「わからんな?」

 彼の問い返しはもっともだ。

 だから――

「ときには、そう思うこともあるってこと」

 と答えておく。

 ついで――

「その分だと、申し開きも控訴もなくて死刑が確定したのかしらね?」

「だいたい、そういったところだな」

「じゃあ、どうして、今回は逃げたの?」

「きみもあいつらを見ただろう」

「それが?」

 彼があたしを凝視する。

 揚違いだが、ちょっと魅力的だから、ついあたしがドキッとしてしまう。

 彼が言う。

「自分でも良くわからない罪を犯す前、噂には聞いていたよ。そんなものが世間の裏側を跋扈していると……。だがテレビや映画でもあるまいし、本当に怪物がいるとは信じられなかった」

「普通は、そうだよね」

 それから、あっ、と気がついて

「なるほど、そういうことか?」

 と、あたしは思いつき、膝を打つ。

「あたしの噂と結び付けて考えたんだね。 ……そして何の偶然か、あたしに出遭えたんだから、あんたも強運だな」

 それから――

「でも、あたしと一緒にいると死ぬリスクが高くなるよ」

 と付け加える。

「おそらくね……。これまでの経験からいって」

「どうせ、そう長くは生きられないだろう。死刑囚だしな。将来はない。時の法曹の決断次第ともいかないだろう」

「冤罪じゃないなら、それはそうかもしれないけど……。でも、あたしにだって何にもわからないんだからさ」

「でも、あいつらとは何度も出会ってるんだろう?」

「この世界では初めてだけどね」

「話が聞きたい。何がしかの情報はあるだろう? おれは、おれに降りてきたモノが何だったのか、それを知りたい」

「それは多分誰にもわからないと思うよ。できるのは自分なりの解釈だけ」

「それでも何もないよりはマシだ!」

 が彼の回答。

 だから、

「わかった。でも揚所を変えたい。ここじゃ、いやだ!」

 と答え、ついで、

「せめて、ちゃんとしたホテルがいいな」

 と口にする。

 落ち着いた揚所でという意味の発言だが、言って気づき、に赧(あか)くなる。

「いや、別にそういうことじゃないんだが……」

「そういうことを足すのは一向に構わないが、おれは犯罪者なんだよ」

「前の客が忘れてった、すっぽり顔面覆ってしまえるマスクが、ここにあるよ」

 そう言い、この部屋に入るなりPCの横に見つけた布切れを彼に放る。

 彼が受け取り、拡げたり窄めたりして両手で弄ぶ。

「他人のマスクなんて、ぞっとしないね」

「じゃあ、顔を晒す?」

「うーん」

 それからしばらく問答があったが、結局覆面レスラー(死語?)みたいなマスクを被っている方が余計目立つという点で意見が一致。

 彼がそれまで逃走用に使用してきた幅広のサングラス着用というスタイルでネット・カフェを後にする。

 あたしも逃走途中で手に入れた、彼と似たような幅広で四角型だが、サングラスではなくて度ナシ……っていうか玉なしのメガネを掛け、腕を組んで外に出る。

 適当なホテルを探しに駅前に向かいながら、

「まとわり付いてて、いい?」

「きみは、いくつなんだ?」

「少年法に守られない歳だよ」

「ずっと、ひとりなのか?」

「恋人みたいな人がいたことはあったけどね」

「かわいそうに……」

「死ねないだけさ」

「ロボットとか、サイボーグとか?」

「知らない。それこそ、テレビか映画だよね。レントゲンでは生身みたいだったけど。機械が嘘をついたのかもしれないし……」

「じゃ、神か、悪魔か?」

「天使に知り合いはいるけどね」

 しばらくのあいだ、そんな会話が二人に流れる。

 あたしには彼が自分の保護者のように感じられる。

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