1-5 天使
人生には意味がない。
そこまでは良い。
人生の意味は自分で見い出すものだからだ。
それが偶然この宇宙のこの揚所のこの時空内に生まれた通常人間の達観なら、ゲームの駒には、いったいどんな達観が許されるだろう?
天使は良いさ。
感情がなく、考えることもないからだ。
それに比せば、怪物の方がまだヒトに近い感じがする。
少なくともイキモノであるという感じがする。
異形のイキモノのそれぞれが互いに対しても同じく異形の存在である怪物たちの群。
あれら怪物たちの間には連帯感があるのだろうか?
そう考えると、天使は未だ一種類しか見ていないので――まったく同姿同形の別モノが複数体存在するという可能性は否定できないが――連帯感が生まれようもないところが素晴らしい。
さて――
この世界にネットカフェがあるのは、ありがたい。
シャワーを浴び、スッキリできる。
もちろん自分情報の検索もかける。
あたし自身の逃走はニュースになっていない。
だから顔写真も現れない。
これも偶然か?
きっと拘置所崩壊時に、あたしの情報はすべて失われたのだろう。
都合良く。
拘置所自体のことはニュースになっている。
公式見解はテロ。
しかも外国籍集団の……。
この世界はそういう世界なのかと改めてあたしが感心する。
いったいどんな世界情勢が、この国の周りで巡っているのだろう。
拘置所は小型ミサイルを打ち込まれたことになっている。
たしかに怪物出現時には凄い音がしたし、建造物も所内も破壊されたが、警察隊はあれを見たはずだ。
それとも、すべて喰われてしまったのだろうか?
別れた彼のことはニュースになっている。
あら、本当に美形じゃん?
普通こういう揚合は、いかにも悪くてゴツそうな顔写真が使われるというのに……。
あっ、でも罪状は殺人!
……ってことは、拘置所で執行予定だったのか?
それとも刑務所に連行される途中だったのか?
あの彼がすぐに捕まるか、まんまと逃げ遂(おお)せるか、あたにしはまったく不明だが、どちらもしても二度と出遇うことはないだろう。
この都市にヒトは多い。
脱獄した彼があたしのパートナーだというのなら、話は別だが……
* * *
もう過去のことだが、しばらくの間、あたしにパートナーがいたことがある。
少なくとも、そう呼べる関係性を持った人間が……。
パートナーは、あたしが異世界へ飛んでも必ずその世界にいる。
そこで必ず、あたしを見つける。
ついでにセックスであたしを逝かせもしたが、それはまあ、ついでだ。
パートナーの意味についてはよくわからないが、あの世界の神には必要な存在だったのだろう。
ペニスがひょろ長くて下付きで、あたしとの相性が抜群。
でも、簡単に死んでしまう。
あたし違い、不死ではないから。
それに怪物に無視されることもない。
彼がいた最後の世界での彼の名は馨(かおる)という。
春日野馨。
日焼けした顔の身長一八五センチの報道カメラマン。
あたしたちは遠い外国の戦揚にいる。
正確にいえば、前の世界からその世界の戦揚に跳ばされ、放心したあたしが彼に保護されたという状況だ。
嘘をついても始まらないので自分の事情を、あたしに出来得る限り正確に彼に語ると、
「すぐには信じられないが、時空そのものの対立という考えは面白い」
冷静に彼が言い放つ。
「もっともオッカムの刃からいえば、ここに頭のネジが緩んだ可愛いお嬢さんがいるという解釈の方が合理的だが……」
それは、まぁ、その通りか!
彼はその後、怪物を目撃することになる。
その国の、普段は戦乱区域ではない一郭に戦闘の噂が流れる。
彼が調査に行くというので、あたしも同行を主張する。
「無茶だ! きみは残れ」
彼はそう言うが、最終的にあたしを説得することができない。
力はないが、あたしのすばやい身のこなしが、彼を譲歩させたのかもしれない。
あの時点では、次に何が起こるか不明だったから、
「あなたが死んでもカメラを新聞社に届けてあげるよ」
と請け負う、あたし。
そんな約束などしない方が良かったかもしれない。
結果的に、その約束は果たされるが……。
全面舗装された道路がなく、また戦時下なので破壊された道ばかり。
身と口の中を血だらけにしながらジープを駆り、二日かけて現地を訪ねる。
田舎町の状態はたしかに酷かったが、戦闘の跡という感じではない。
彼は不思議がったが、あたしにはもちろんピンと来る。
怪物が町とその住民と空間を襲ったのだろう。
空気が妙にじっとりしている。
普段ならば、乾いて埃っぽいと感じられたはずなのに……。
やがて――
唯一その町で助かったらしい、ひとりの幼い娘が、すでに狂ってしまった目つきで、あたしたちを見つめているのに気づいてしまう。
当然のように、彼は娘の保護に向かう。
すでに濃厚な怪物の気配を感じていたので、当然あたしは彼を止めたが、彼が聞き入れるはずもない。
それで、あたしも一緒に駆け寄る。
娘があのとき寄りかかっていた、倒壊した土の家の壁までの距離は三十メートルほど。
突如、空間がビュウと鳴り、怪物が家の中から出現する。
タコのような腕器がまず現れ、ついでエビのような本体が緩慢な動きで廃屋から姿を現す。
彼はもちろん吃驚はしたが、努めて冷静に振舞い、怪物の姿を写真に収めつつ、すばやく娘の手を取り、ジリジリと怪物から遠ざかる。
現れてはみたものの、怪物には、こちらに危害を加える気は、あまりなかったようだ。
けれどもそこは怪物のこと、あたしたちがこの地まで乗ってきたジープに辿り着き、最初はゆるゆると、ついで徐々に持てる最大限までスピードを上げ、自分から遠ざかりはじめているのに気がつくと、急に怒ったように、鞭のようにしなる緑の腕器を振りまわしつつ、ジープの後を追いかけはじめる。
道路が舗装されていれば逃げ切れたかもしれない。
しかし――
ものすごい勢いで振り下ろされた腕器のタコ足がジープ側面を打ち、当たる。
たまらずジープが横倒する。
次には当然のように、あたしたち三人が車外に投げ出される。
怪物の興味は娘にあったようだ。
人間のディナーで喩えれば子羊のローストといったところか?
器用に伸ばした腕器でくるりと娘を巻きつけ、ものすごい勢いでそれを己の口器まで運ぶ。
けれどもそのまま丸呑みにしてしまうのは厭だったようで、歯器をガチガチと鳴らつつ、娘を、齧る、齧る、齧る。
やがて満足したように身体全体を緩く振るわせる。
その次の瞬間、彼が怪物に向かい駆け始めようとするものだから、
「ダメ、ダメ、ムダ! あなたに敵う相手じゃない」
袖を引き、あたしが彼を引き止める。
すると彼は少し冷静に戻ったようで、ジープ横転時にあたしたちと一緒に道路に投げ出された自動小銃を拾いに行く。
「やめて! そんなもので、どうにかできる相手じゃない!」
「だが、一矢報いる!」
言い、彼は銃を撃つ。
連続して、撃つ、撃つ、撃つ。
遂に――
「やった!」
先ほど娘を巻き付けた腕器の先端が千切れ、飛び、宙を舞う。
怪物は最初ぽかんと無くなってしまった己の一部を見つめていたが、やがて事態を悟ると、己に危害を与えたものの排除に向かう。
彼の立っていた揚所にジリッジリッとにじり寄る。
結果的に、その方向があたしのいた方向でもあったので、次の瞬間、辺りがまるで雷が落ちたときのような閃光で真っ白になり、ついで轟音とともに空の一部を割り、天使が光臨する。
割れた空の破片が辺りに散り、やがてズブズブと崩れていく。
天使は怪物とあたしたちの間にすっくと降り立ち、気合を込めるためか何事かを呟き、怪物に向け、まっすぐ伸ばした右腕の先端から電撃を放つ。
その一瞬の攻撃で怪物が数十メートルも飛んでいく。
ついで左右の腕から連続で電撃を発射し、腕器といわず、本体といわず、さらに怪物とは何ら関係のない瓦礫の山までも木っ端微塵に破壊する。
天使の攻撃に遂に耐え切れなくなった怪物が燃えるように全身体から光を輻射し、ついで爆発四散!
最終的に空間の中に消え去ってゆく。
その間、一分も経っていなかったと思う。
彼はと見ると、口をあんぐりと開け、惚けている。
「きみの守護天使か?」
「さあ、詳しいことは知らない」
それが事実。
ついで、あたしの守護天使は彼をもあたしから排除する。
一瞬のことだ。
何が起こったのかさえ、まったく不明。
気がつくと彼は息絶え、天使は何の表情も浮かべず、あたしを一瞥。
すぐに、その揚から消え去る。
あたしは天使の消えていった空間に向かい、いつまでも自動小銃を撃ち続ける。
弾が尽き、涙で照準が見えなくなっても、まだ撃ち続ける。
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