第22話 黄泉より出でし者
「シュタルテン皇国魔法省第十席、ブッハ=オプキュリウスだ。この場の責任者と話がしたい」
漆黒の肌の大男は、稲妻を纏った漆黒の長剣をいつの間にか消し去ると、オレたちの元にゆっくりと歩み寄って自己紹介をする。それを見て少し離れた場所に待機していたタキシードを着た蛙もこちらに駆け寄って来た。
「儂はミュルと申します。この様な状況なので特に責任者と言うのはおりません。ただ、向こうにが保安所所長のナーゼと言う者がおります」
ミュルはそう言って後方で救助作業をしているナーゼたちを指さす。ブッハは後方で救助作業をしている一団を一瞥すると、ナーゼたちには大した興味も示さずに、すぐに視線をこちらへ戻し話を続ける。
「我々は、ここ数カ月でベスティアに現れた、召喚迷走者を探している」
『召喚迷走者?』オレは耳慣れないその言葉に思わずミュルに視線を送るが、ミュルも何の事か解っていないと言った視線を返して来た。すぐにオレとミュルはシュヴェールに視線を送が、彼女は少し考えた後に何故かオレを見つめ返した。そして、ブッハに視線を戻すとゆっくりと口を開く。
「その召喚迷走者がどうしたのじゃ?」
「──コイツがへまをしてな」
シュヴェールの問い掛けにブッハは一拍開けて、後ろに控えるタキシードを着た蛙を振り向きもせずに顎で指す。タキシードを着た蛙はオレたちの視線を感じて、気まずそうに咳払いをする。
「シュタルテン皇国魔法省第31席、フルーク=コーレンだ」
フルークのどこか必要以上に堂々と見せようとする様が滑稽に見える。オレとミュルは『召喚迷走者』や『へま』が何を差しているのかまったく理解できないでいたが、だうやらシュヴェールには話の内容が理解できている様だ。
「探し出してどうするのじゃ?」
「規定に従い、速やかに元の世界に送り返す」
『ほう──』シュヴェールは再びオレ見てどす黒い笑みを浮かべる。何なんだいったい。だが、気が付くとミュルまでがオレを見ている。その視線はいったい何を意味して──いや、今たしか『元の世界に送り返す』と言った。もしかして、オレの事を話しているのではないのか。
「も、もしかして──、召喚迷走者と言うのは別の世界から来た者の事ですか?」
突然、横から話しに割って入るオレをブッハが黄金色の瞳で見下ろす。何だろう、この見られただけで感じる威圧感は。不意に九州の嫁の実家に結婚のお願いに行った時に、初めてお義父さんを見た時の事を思い出す。
「そうだが。お前、もしかして何か知っているのか!?」
ブッハの後ろに控えるタキシード姿の蛙が乗り出して来て言った。何か知ってると言うか、それってやっぱりオレの事なんじゃないのかと思いながらも、そのまま答えて良いものか迷っていると、オレが答える前にシュヴェールが口を開く。
「この者がそちらが探しておる召喚迷走者じゃ」
「何と! それは本当か!?」
タキシード姿の蛙は近寄ってオレの両手を掴み『本当にお前がそうなのか?』と何度も聞きながら、顔を近づけてまじまじとオレを観察するその距離感に、ブッハとは別の威圧感を感じる。
「本当にお前がそうなんだな!?」
「はい。たぶん──」
「たぶんではいかんのだ!」
そんな事を言われても、もし他にもそういう人物がいるのであれば『本当か?』と問われても、オレには確認のしようが無い。
「フルーク、下らん話をしてないで、魔法座標確認をしろ」
「そ、そうでした。ただ今──」
フルークと呼ばれた蛙は、懐から懐中時計の様な物を取り出し魔法を唱える。そして、しばらくそれを注視した後に『間違いありません! ブッハ殿、この男が召喚迷走者です!』と興奮気味に声を上げる。
「もしかして、元の世界に帰れるんですか?」
「うむ。ただちに送喚の儀式を行うぞ」
『ドグンッ!』フルークが杖を構えたその時、街の奥から強い波動を感じた。その直後に空気がビリビリと音を立てて振動する。てっきりこれも元の世界に戻るための、下準備の様なものなのかと思っていたオレは、周囲の神妙な表情でそれが大きな勘違いだと言う事に気付く。
「まさか、あの波動は──」
「何事だ!? これはただの召喚では無いな?」
シュヴェールの呟きに反応するように、即座にフルークが問い掛ける。そして、気が付くと先程まで薄暗かった空には不気味な黒雲が立ち込め、辺りは一瞬にして深い闇に包まれる。
『姫様、大変です! 妙な奴らが現れました!』慌ててシャルヴェールの元に報告に駆け付けたオーゲルの目に跳び込んだのは、見た事も無いにおどろおどろしい大きな赤黒い扉だ。その前に立つ青白い肌をしたエルフの女性には見覚えがあった。今は亡きゲヘルトの王妃シュトレーヌその人だ。
『何故、王妃がここに──』オーゲルが発したはずの言葉は、突如、扉から跳び出し、シュトレーヌに絡みつく青白い触手に掻き消される。何かを必死に訴えようとしている様子のシュトレーヌは、そのまま扉の中に広がる別の世界へと引きずり込まれて行く。
『キシァァァーーー!!!!』扉の中から歓喜とも威嚇とも取れる奇声が響き、再び現れた別の青白い触手が傍らで茫然と立ち尽くすスキアーズとシャルヴェールに巻き付く。スキアーズは咄嗟に影の中から黒い魔物を出現させて漆黒の爪を振り回すが、巨大な触手の表皮を僅かに引っ掻いただけだ。まるで紙屑を放るかの様に軽々と投げ飛ばされたスキアーズは、もの凄い勢いで近くの木に激突してそのまま崩れ落ちた。いったい何が起こっているのだ。そう考えていたのはオーゲルだけではない。巨大な触手に巻かれ苦痛に顔をゆがめるシャルヴェールにも、目の前で起こっている事が理解できなかった。
シャルヴェールはシュヴェールの呪札を手に入れ、儀式により異界の門を召喚した。これらの知識は亡き兄アヴ二エルスの残した記述から得た知識だ。兄が母に一目会いたいと研究を重ねたその資料は膨大な量だったが、その中でも異界の門に関する資料の数は群を抜いていた。しかし、それを読み解く事は、突然この世を去った兄の真実を知るために避けて通れない道でもあった。その資料と一緒に出て来た日記でシャルヴェールは、シュヴェールの秘密を知る事になる。その日記の最後の行には、こう記されていた。
『シュヴェールに母に会わせて欲しいと頼んだが断られた。かくなる上は秘術を試し自ら母に会いに行くしかない──』
シャルヴェールは父に内緒で姉シュヴェールの追跡を始める。大金を払い行方を探し出したシュヴェールはノルイドにいる事が解った。目的は異界の門を開き亡き兄に会うために呪札を手に入れる事と、兄を死に至らしめ逃亡したシュヴェールの粛清。
呪札を手に入れたシャルヴェールは、人気の無い酒場からオーゲルにテーブルを運ばせ、間に合わせの祭壇を作り儀式の準備をする。手に入れた呪札の中に一枚だけ真っ黒な物がある。それこそシャルヴェールが求めていた、異界の門を呼び出すための特別な呪札だ。シャルヴェールがその真っ黒な呪札に念を込め、祭壇の前に焚かれた炎の中に放つと、呪札は闇色に燃え上がり周辺の空間が歪む。やがて、怪しげな煙の中から赤黒く仰々しい大きな扉が姿を現した。
「異界の門よ。死者の世界へ繋げ。そして、兄上をここへ!」
ゆっくりと開かれた扉の向こうに姿を現したのは、何故か兄アヴ二エルスではなく、母シュトレーヌだった。どういう事だ。腑に落ちない表情で立ち尽くすシャルヴェールの前に現れた、青白く悲しみに暮れる様な表情を浮かべたシュトレーヌが突然、悲鳴の様な声を上げる。
「シャルヴェール!? 何故あなたがここに!」
「母上!? 兄上はどこですか?」
「シャルヴェール、すぐにこの扉を閉じて封印するのです。もうこの扉を開けてはなりません!」
「しかし──」
『その声はシャルヴェールか──』その時、聞き覚えのある声が扉の奥から聞こえて来た。忘れるはずも無い。その声は兄アヴ二エルスのものだ。
『あ、兄上!?』しかし、シャルヴェールの顔に浮かび掛けた笑みはすぐに消え去る。そこに姿を現したのはシャルヴェールの知る、生前のアヴ二エルスの面影を微かに残した、しかし、アヴ二エルスとはまったく別の巨大な化物だった。
「シャルヴェール! 早く逃げるのです!」
必死に伝えようとするシュトレーヌを、扉から跳び出して来た巨大な青白い触手が一瞬で扉の中へ引きずり込んで行く。そして、すぐさま扉から二本の触手が跳び出しシャルヴェールとスキアーズに絡みついた。スキアーズはそのまま投げ飛ばされて崩れ落ち、シャルヴェールに触手を巻き付けて軽々と持ち上げると、化物は大量の白色の煙と共にゆっくりと扉の中から、こちらの世界へと巨大な体を押し出して来る。
扉を破壊して空間の歪だけとなった死者の世界から這い出して来た、その生物を一言で形容するならば、角の生えた巨大な蛸の化物だ。ただし、青白い体のそこかしこに様々な生物が同化しており、霊体であるシュトレーヌも既に半分は触手に取り込まれようとしている。巨大な二つの目の間には腰辺りまでヌメヌメとした本体と同化し、恍惚とした表情を浮かべるアヴ二エルスの姿があった。
『キシァァーーー!!』蛸の化物は歓喜の雄たけびを上げ、シュトレーヌとシャルヴェールを触手を巻き付けて抱えたまま、ゆっくりと通りへと街の表通りへと移動する。
一部始終を建物の陰に身を潜めながら眺めていたオーゲルは、恐ろしさのあまりその場にへたり込み失禁した。怖い。おぞましい。目を逸らしたい。それなのに何故か見ずにはいられない。『誰か──』叫び、助けを呼びたいが言葉にならない。
真の恐怖を前に、既にオーゲルの精神は崩壊寸前だった。
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