第20話 戦場への歩み

 『これはいったい──』保管室の扉に掛けられた鍵が破壊され、そこに並ぶはずの品々が荒らされている。それを見た瞬間、シュヴェールの脳裏に浮かんだのはあの人物の顔。シャルヴェールの仕業だ。保管しているはずのシュヴェールの象牙色の杖が、二つにへし折られ無造作に捨てられている。細かく繊細な装飾から高価な物であるのが見て取れる。そして、一まとめにされて杖と一緒に保管されているはずの呪札は一枚も見当たらない。


「す、すまない──しかし、何故だ、いったい誰が」


 ナーゼは苦渋の表情を浮かべながら、真っ二つにへし折られた杖を拾い上げ、深々と頭を下げながらシュヴェールに手渡す。


 「気にするな。そちのせいではない。それに──」

 

 『形ある物はいずれ壊れる』そう言って、シュヴェールは何食わぬ顔で折れた杖を棚の上に置き、滅茶悪茶に荒らされた保管室の中を歩いてゆっくりと見回す。『ほう、悪くない』そう呟くと、何かに気付いた様に部屋の隅へと向い、棚の上に置かれた古ぼけた手鏡を手に取った。そして『これはいい──』と小さく声を上げた。


 「杖と呪札の代わりにこれを貰っていくぞ」

 

 『構わないが、そんな物いったい──』ナーゼは奇妙な光景でも見る様な眼で、シュヴェールが懐に古ぼけた鏡を仕舞うのを見守る。魔女と言うのはもともとどこか少し変わったところがあるとは思ってはいたが、ダークエルフであるシュヴェールは周囲にとってその最たる者として見られる。しかし、そんな物で杖と呪札の事を水に流してもらえるなら安い物だ。ナーゼは『何でも好きな物を持って行ってくれ』と他の杖や武器も差し出す。そして、豪気に振る舞い杖と呪札の事をうやむやにして、保安所の前で待つ皆の元へ合流する。


 ナーゼが保管室から持ち出した武器や防具を皆に配っていると、薬師のメルゲンが真剣な表情で報告する。


 「ところで所長、街に広がる紅色の濃霧じゃが、あれはカルネギの紅息と呼ばれるものじゃ!」

 「む!? カルネギの紅息?」

 「うむ。あれを吸い込むと全身が痙攣し、やがて全身から血を流して気を失う。そのまま放置すればやがて死に至る」


 メルゲンの話しを聞いたリーテンが一瞬、体を強張らせる。きっとカルネギの紅息の中で倒れた家族の事を思い出したのだろう。オレは無意識にリーテンの肩に手を乗せる。それに追い打ちを掛けるかの様にシュヴェールが口を開く。


 「の恐ろしさはそれだけではない──」


 その場の全員の視線が一斉にシュヴェールに向くと、彼女はゆっくりと言葉を続ける。


 「あれは現世に姿を現わせば12時間で成体と化し、その後は24時間ごとに卵を産み子孫を増やし続ける。三日もあればベスティアを含む周辺国はによって無に帰すだろう」


 周囲は静寂に包まれる。あまりに強大すぎる存在を目の前に、自らの矮小さに絶望する。流石のミュルも黙ったままだ。シュヴェールの言葉を信じるとすれば、既に事は自分たちの手に負える様なものでは無い。恐らく一度、卵を産み始めればベスティアは終わりだ。オレたちはこのまま滅びるのを待つだけなのか。


 「そう悲観する事は無い」


 シュヴェールはどす黒い笑みを浮かべながら続ける。


 「その前にあれを消し去れば良い事だ──」


 そんな事が出来るのか。その場の皆が思っていたが口には出さなかった事だ。 だが、シュヴェールの言葉にはそれを期待させる自信の様なものが感じ取れる。今ほどこの邪悪さを感じさせる彼女の笑みを心強く思った事はない。


 「しかし、いったいどうやって──」


 思わずオレが問い掛けた言葉に皆が一斉にこちらを見た後に、視線は自然にシュヴェールへと戻る。その視線を確認するかの様にシュヴェールはゆっくりと口を開く。


 「保安所の保管室に置かれていた妾の杖は折られ、呪札も持ち去られていた──」


 その言葉にナーゼが面目無いと言った様子で俯く。


 「だが、その代わりにこんな物があった」


 一同はシュヴェールが懐から取り出した薄汚れた手鏡を見る。『それが何か?』訝しげな表情で手鏡を見つめる皆の顔にはそんな言葉が浮かぶ。一見、古ぼけたただの手鏡だ。シュヴェール以外に、その手鏡が何を意味しているのか理解できる者はいない。シュヴェールはそんな周囲の反応を感じとった様に、手に持った古ぼけた手鏡を無造作にオレに手渡した。


 「魔鏡じゃ」


 『まっ!?』その言葉の響きに驚いたオレは、手に持った手鏡を思わず落としそうになり冷や汗をかいた。何だその明らかにヤバい名前は。


 「あ、あのこれって──」

 「そちらカルネギを見た事はあるか?」


  シュヴェールはオレの言葉など耳に入らなかったかの様に話を続ける。その場の皆が一斉に首を横に振る。


 「カルネギの本体があの中にいる。それを倒せばお終いだ」

 「でも、どうやって──」


 事も無げに話すシュヴェールに、リーテンが必死な表情で訴え掛ける。少なからずシュヴェールの説明は、一般人のオレたちにはツッコミ処が満載なのは確かだ。オレは内心で『ナイスだ。リーテン!』と彼女を称賛する。


 『そのための魔鏡じゃろうが──』シュヴェールが煩わしそうに言いながら、邪悪そうな薄い笑みをリーテンに向ける。だが、周囲がその意味を理解していない事に気付くと、止む負えないと言った様子で再び話を続ける。


 「そちらは、そもそもカルネギが何なのかを理解しておらぬじゃろ?」

 「ん? 魔物じゃないのか?」


 一同はナーゼの問い掛けに同調する様に、頷きながらシュヴェールを見る。


 「よいか。あれは魔物ではなく、一種の呪いじゃ」

 「呪い!?」

 「左様。つまりはあれを斬撃で打ち滅ぼすには、ここにある寄せ集めの武器ではまず無理じゃ──」


 保管室から持ち出し皆に配った武器が役に立たないと言われ、ナーゼはガックリと肩を落とす。それを横目にしたシュヴェールがどす黒い笑みを浮かべながら話しを続ける。


 「じゃが、悲観する事は無い。相手が呪いなのならば解けばいい。そのためにこれが必要なのじゃ」


 シュヴェールはそう言ってオレの手から魔鏡を取り上げると、皆の前に差し出して見せた。ミュルとナーゼとメルゲンはその説明に『なるほど』とある程度の理解を示した様だが、さっぱり意味が解らない様子のリーテンが頭を傾げていると、不意にオレと視線が交差する。オレは慌てて大きく頷いて見せ、理解しているふりを装ったが、実のところは『呪い』と『魔鏡』に何の関係があるのかまったく理解できていなかった。




 そこからは具体的なカルネギ討伐へ向けての作戦会議が始まった。作戦は主にミュルとシュヴェールがが考えた。作戦に当たり討伐班と救護班の二班に分かれる。討伐班はミュルとシュヴェールとオレ、救護班はナーゼとメルゲンとリーテンだ。


 まずシュヴェールが全員に全員の身に浄化の祈祷術を施す。これによりしばらくは、カルネギの紅息の影響を最小限に抑える事ができる。そして、救護班は討伐班がカルネギの気を引いている隙に、倒れている者たちを荷車に乗せてカルネギの紅息の範囲の外へ運び出す。


 討伐班は、シュヴェールの張る結界の範囲内をオレを先頭に、シュヴェール、ミュルの順番でカルネギの紅息の中を進む。オレの仕事は大楯ラージシールドを構え、自らと後ろの二人の身を物理的な攻撃から守る事だ。そして、ミュルが魔鏡を使いカルネギの動きを封じる。


 『何故、一番弱いオレが先頭に!?』誰もその疑問には耳を貸さず、作戦は実行に移されていく。




 『汝、俗界にありて魔を映し出す者よ。その力を開放せよ』その言葉と共に、シュヴェールが手に持った古ぼけた手鏡が漆黒の輝きを放つ。


 「良いか、この鏡を見せれば一時的にヤツの動きを封じる事ができる。その後に妾が封印し浄化する」


 シュヴェールは魔鏡をミュルに手渡した。そして、道具屋の店先に並んだ小さな葛篭を手に取る。『これぐらいがちょうど良い』そう言って、その葛篭をオレに持つ様に指示する。その後にシュヴェールは、メルゲンの持って来た回復薬を祈祷術で高位回復薬に強化し、それを皆に一つずつ配った。


 オレはナーゼの持って来た革製の兜と胸当てを装備し、肩からシュヴェールに渡された葛篭をぶら下げ、本来なら片手で持つべき大楯ラージシールドを両手で担ぐ。ミュルは革製の胸当てを装備し、矢筒を背負い弓を持ち腰には短剣を下げ、懐には魔鏡を忍ばせる。


 メルゲンとリーテンは革のマントを纏うと、念のために懐に小さな短刀を忍ばせた。シュヴェールはナーゼの持って来た武器と防具には目もくれずに、一人で道具屋の奥へと進む。そして、しばらくするとオレが呼び出され、何やら重そうな壺を二つナーゼが待ち構える荷車に運ばせた。本来ならばこれは犯罪行為だが、非常事態のためナーゼもまったく気に留める様子は無い。


 ナーゼは頑丈な鎖で補強された革鎧と、角の付いたゴツイ兜を身に纏い、二本の大きな剣を腰に下げて、荷車に薬の入った箱と、メルゲンとリーテンを乗せる。


 「皆の者、準備は良いか? では──」


 シュヴェールがそう言い掛けると店の奥から姿を現わす者がいる。


 「私も一緒に行きます」

 「!?」 


 店先に姿を現したのはシュヴェールの高位回復薬で一命を取り止めたグルトンだった。まだ顔色は優れないが、少し前まで生死の境にいた者とは思えない回復力だ。一同は改めて高位回復薬の威力を再確認する。


 「お前、大丈夫なのか!?」

 「へへ。所長にばかり良い格好はさせませんよ──」


 グルトンはそう言って革の革製の兜と胸当てを装備し、鉄の槍を手に取りシュヴェールに歩み寄った。


 「すまない。お前を誤って拘留したにも関わらず、私は命を救ってもらった。もはやこの命を惜しむ訳にはいかない」

 「ふん。好きにするがいい──」


 シュヴェールは邪悪な笑みを浮かべたかと思うと、グルトンに浄化の祈祷術を施し、自分のぶんの高位回復薬を手渡した。そして、グルトンが荷車を後ろから押す様に身構えるのを確認すると、シュヴェールは皆を一瞥し、改めて声を掛ける。


 「では、行くぞ──」

 「おう!」



オレたちはカルネギの紅息を目指し歩き始めた。

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