第15話 Black & White

 「やはり来たか」


 暗闇の中に照らし出されたシュヴェールの浅黒い顔の向く先には、紅の面を付けた小柄な女性の姿があった。女性はゆっくりと鉄格子に近付き、外した面を無造作に床へと放った。


 「ああ。お前の命を貰いに来たぞ」


 まだ少女の面影が残るその青白い顔には、明らかな憎悪が浮かび上がり、その瞳には復讐の炎が燃え上がっている。


 「シャルヴェール、いかにそちの頼みとは言え、今はまだ妾の命をくれてやる事はできぬと言ったはずだ」

 「頼み? はははは──」


 シャルヴェールの整った顔が笑い声と共に狂気に歪む。


 「誰が頼んだ? 奪いに来たのさ!」 


 その言葉と共にシャルヴェールの右掌の上に、拳より遥かに大きな紅蓮の火球が浮かび上がる。


 「やめろ無駄だ、シャル──」


 言い終える前にシャルヴェールが掌をシュヴェールへと向ける。その刹那、燃え上がる紅蓮の火球が放たれ鉄格子に激しくぶつかると、火の粉が薄暗い拘留場の中をまるで花火の様に飛び散る。そして、辺りには焦げ臭い煙が漂う。視界がいくらか戻って来ると、グニャリと曲がった鉄格子と、壁の亀裂が目に入る。だが、シュヴェールは微動だにしない。体の周りをぼんやりとした光が覆い、彼女には傷ひとつ付いていない。


 「ふん。あの方の猿真似のごとき術で勝ち誇るな」

 「これは術などではない──」

 「黙れ。まあ、いい。今なら『異界の門』を潜って逃げ出す事も出来はしまい。せっかくこうして再会できたのだから、ゆっくり行こうじゃないか。


 シャルヴェールの浮かべる歪んだ笑みを、シュヴェールは静かに見つめる。


 「なあ、姉上。最後に一つ教えてはもらえぬか?」

 「!?」

 「兄上の亡骸はどこへやった? 素直に答えれば朽ちる前にひと思いに楽にしてやる」

 「亡骸など無い」

 「なっ!?」


 突如、シャルヴェールが青白い顔に闇を落とすと、聞き覚えの無い術を唱え始めた。すると、いつの間にかシュヴェールの背後の壁に張り付いていた札が怪しく輝き、そこから無数の赤黒い触手が伸びると、やがて植物の根の様に拘留場全体へと広がりながら、触れるものを徐々に腐食させて行く。


 「気付かなかったか? 最初の火球と共に放ったんだ」

 「アブロスの触手!? そちは禁忌を──」


 その触手はまるで生きているかのように蠢きながらシュヴェールへと近付く。


 「流石のお前も驚いた様だな。とっておきだが出し惜しみはしないぞ!」


 シャルヴェールは勝ち誇った様に歪んだ笑みを浮かべる。 アブロスの触手は一族に伝わる禁忌の一だ。魔界で百年に一度、溢れかえった有象無象を整理するために混沌の中から芽吹く悪の種とされ、かつて大戦の際に、偉大な祈祷師が敵国を滅ぼすため、己の寿命と引き換えにこの地へと持ちかえったものだ。アブロスの触手は三日三晩もの凄い勢いで、生物、植物、建築物、敵味方の見境も無く、全てを腐食させこの世から消し去る。そして、三日目の朝日を浴びると同時に、何も無くなった不毛の地でひっそりと自らも朽ち果てた。そのあまりの禍々しさに大戦後は、禁忌の術とされ封印される事となった。


 「もう一度、聞く。兄上の亡骸はどこだ?」

 「聞けシャルヴェール、兄上の亡骸など本当に無いのだ」

 「そうか。なら、この地の底でゆっくりと朽ちて無くなるがいい」

 「待て、シャル──」


 シュヴェールが言い終える前に、シャルヴェールは拘留場を出て地上への階段へと向かった。全てを朽ちさせるアブロスの触手を放った以上、どの道、あの場の混沌はしばらくは収まり様が無い。しかも、地上には既にオーゲルの放ったが渦巻いている。もはやここはお終いだ。すぐにでも街を出るのが賢明だ。


 全てが終わった。兄上の亡骸を奪還できなかった事と、シュヴェールの苦しむ顔をゆっくりと拝んでやれなかった事だけが心残りだが、これで復讐は果たした。しかし、何故かシャルヴェールの歪んだ笑みに僅かな悲しみが入り混じる。その時、背後にある拘留場の扉の小さな覗き窓から、薄暗い地下を一瞬で照らす強烈な黄金色の閃光が溢れ出る。


 まさか──。その輝きには覚えがある。かつての師であり、次期王となるはずであった者が纏った輝き。亡き兄、ルリムトのものだ。シャルヴェールは自らが放った禁忌の事も忘れ拘留場へ飛び込む。そこにいるのはルリムトと同じ強烈な黄金色の輝きを纏ったシュヴェールだった。そして、拘留場に満ち溢れるはずのアブロスの触手は姿を消していた。


 「お前、それは兄上の──」

 「……」

 「兄上に何をした!」


 激高するシャルヴェールの瞳が深紅に染まる。しかし、シュヴェールはそれを静かに見つめる。それは悲しいほどに静かな瞳だ。


 「その目で見るなぁー!」


 怒りにまかせて放つ先程までとは比べ物にならない巨大な火球が、次々とひしゃげた鉄格子の向こうのシュヴェールに襲い掛かる。激しく飛び散る火花と瓦礫で辺りは騒然となるが、もはや原型を留めていない拘留場の鉄格子から、黄金の輝きを纏うシュヴェールがゆっくりと歩み出る。


 「くっ! おのれ、これでも喰らえ!」


 シャルヴェールは二枚の札を放つと同時に部屋の外へと飛び出し、地上への階段を目指して駆け出す。札はそれぞれ拘留場の薄汚れた天井へと張り付くと同時に、赤黒く怪しい輝きを放ち、その刹那に連続して爆発を引き起こす。やがて何度目かの爆発で拘留場の天井が抜け落ち、轟音と共に土砂と瓦礫が同時に地下の拘留場へと崩れ落ちた。


 



 何度かの爆破の衝撃の後に、駆け付けたナーゼと共に闘うミュルの足元の床に突如、亀裂が走った。この建物はもうもたない。ミュルはナーゼに目配せすると即座に部屋を飛び出す。戦いに没頭していたスキアーズは事態が飲み込めず、一瞬その場で面喰ったままで立ちつくす。スキアーズに与えられた任務は『保安所の連中を一掃しろ』ただし、『地下室には手を出すな』だ。それ以外の情報は与えられていなかった。


 『くそ。姫様の仕業か──』せっかくの戦いに水を差されスキアーズは不快感を露わにするが、この事態はただ事では無い。と呼ぶ黒い魔物を使い窓を破壊し、そこから外へ脱出する。


 ミュルたちが外へ出て見ると、保安所の一角は既に崩れ落ちていた。いったい何があったのか。ミュルとナーゼに思い当たるのは建物の崩れた方角にある拘留場。そこに捕えられていたゲヘルトの魔女。拘留場で何かあったに違いない。そんな事を考えているうちに、立ち込める土煙の向こうから黒い魔物とスキアーズが姿を見せる。


 「よく逃げなかったな」

 「歳を取ると走るのが億劫でな」


 ナーゼの豪快な笑いにスキアーズは陰湿な笑みで答える。さて、どうしたものか。ミュルは状況を頭の中で整理する。街には紅色の霞が掛かり混乱が起き、保安委員たちは目の前の魔物の襲撃でほぼ壊滅状態だ。敵のエルフには他に二人の仲間がいるはずだが、今は姿を露わしていない。もしかすると先程の爆発もその仲間の仕業か。だとすれば、近くに仲間がいる可能性が高い。合流する前に打つか、それとも一旦引くのが得策か。


 スキアーズは二人を足元から舐め回す様に見ると、その瞳に狂気を宿しながらゆっくりと近付く。スキアーズの前を揺れる様に進む黒い魔物の爪が怪しく輝く。


 「ナーゼ来るぞ」

 「ああ。最近の若いヤツは年長者を敬うって事を知らねえ様だ」


 黒い魔物の漆黒の爪が振りかざされる直後に、グンッと伸びて襲い掛かるため間合いが読み辛い。ミュルとナーゼは慎重に攻撃のタイミングを計る。あの一撃をまともに喰らってはいけない。ナーゼは頭部を掠めただけで、意識を持って行かれそうになったのを思い出す。このまま長引けば不利だ。ミュルとナーゼは口には出さずとも同じ思いを抱いていた。それはお互いの目を見ただけで確認できた。


 「ナーゼ一気に行くぞ」

 「おう」


 その言葉と共にミュルが両手の武器を交互に放つ。紐によって操られる刃物はまるで生物のように曲がりくねって、次々とスキアーズに襲い掛かる。だが、スキアーズも魔物を操りそれを漆黒の爪で防ぐ。そこへナーゼが一気に切り込む。ミュルの攻撃を防ぐのに手一杯の魔物は、やっとの事でその一撃を受け止める。それと同時にナーゼが屈んだかと思うと、その陰からミュルの刃物が再び魔物に襲い掛かる。頭部を穿つ危機一髪のところで陰に溶け込んで消えた魔物だが、スキアーズの隣に再び姿を現した魔物の額の辺りからは緑色の血が滴る。


 「今のは危なかったぜ。だが、全て防いだ」


 そう言ってスキアーズは陰湿な笑みを浮かべる。『今度はこちらの番だ──』その言葉と同時に魔物がナーゼに襲い掛かる。振りかざした漆黒爪は空を切るが、すぐさまもう一方の爪が襲い掛かり、それをかわしても間髪入れずに次が来る。何とか剣で防ぐが力でそのまま押しこまれる。仰向けに倒れ込んだナーゼに漆黒の爪が振りかざされる。そこへ、ナーゼを援護する様にミュルが横から二つの武器を同時に放つ。瞬時にそれを察知した魔物はナーゼの上から身を引いてそれをかわした。ナーゼもその隙に立ち上がる。


 「大丈夫か?」

 「ああ。何とかな。だが、歳には勝てんな」

 「まったくだ」


 ミュルもナーゼも既に疲労が蓄積していた。ミュルは古傷のある足を引きずり始めていたし、ナーゼは明らかに肩で息をしていた。


 「ん? 何だ!?」


 ようやく遠くから聞こえる悲鳴や叫び声に気付いたスキアーズが紅色の霞が発生している方角に視線を送った。街の一角が微かに紅色に染まっているのが、その場からでも確認できた。


 「お前たちの仕業だろ!」

 「はぁ!?」


 ナーゼに言われてスキアーズは再び紅色に染まる方角に目をやる。その目には微かな動揺が浮かぶ。確かに恐らくは姫様の仕業だろう。だが、あれはいったい何だ。あの紅色の霞には何か禍々しいものを感じる。こんな計画は聞かされていない。『くそっ。何て割に合わない仕事だ。あの小娘め』スキアーズは内心で悪態をつく。こうなれば一刻も早く目の前の敵を片付けて、この辺で金目の物でも奪って逃走するしか。


 そんな事を考えるスキアーズの目の前を突然、何かが覆う。その刹那、両腿を襲う一瞬の刺激とその後に、じわじわと染みる熱と共に訪れる深い激痛。『ぐあっ』僅かに苦悶の表情を浮かべて、後ろに倒れ込んだスキアーズはすぐに、顔を覆った布がナーゼの上着で、腿を襲った痛みはミュルの放った刃物によるものだと気付く。


 この仕事は失敗だ。一流の祈祷傭兵であるスキアーズの判断は、瞬時に下された。身動きが取れないスキアーズは、腿を貫くミュルの武器の紐を魔物に引き千切らせ、魔物の肩に掴まって立ち上がると、自らを魔物に担がせた。そして、あっと言う間にそのままその場を立ち去った。


 ミュルとナーゼにはそれを追い掛ける体力は残されてはいなかった。今はただ、その場に座り込み、束の間の生を実感する。疲れ切ったお互いの顔を見つめると、何故だか自然に笑みがこぼれた。この時、二人はまだ、崩れ落ちた保安所の陰から忍び寄る存在に気付いてはいなかった。

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