第25話 すべてのはじまりとおわり
「島井、そんな風になっているところ悪いんだが、事件はまだ解決していない」
多田川がおずおずと声を掛けてきた。
何を言っているのか分からなかったが、とりあえずワイシャツの袖で顔を拭う。急に気恥ずかしさがこみ上げてくる。
「……どういう事だ」
「話して、平気か」
「気を遣うな、気持ち悪い」
「……実はな、俺はあの教室に、真山が来る前に忍び込んでいたんだが」
「そういえば、お前ずっと掃除用具入れの中に居たのか?」
「そうだ」多田川が頷く。
俺はその姿を想像した。狭いロッカーの中で息を潜め、じっとタイミングを待っている多田川。その横にはモップやらホウキが並んでいる。
「格好悪いな、それは」そう言いながら、俺は可南子を抱きかかえて、校舎裏の壁に背中を預けさせて座らせた。可南子はまだ目を覚まさない。
「格好の良さは必要ない。大事なのは結果だ――そんな事はどうでもいい。待っている間、真山は携帯電話で誰かに電話を掛けていた」
「それがどうかしたのか?」
「問題はその電話の内容だ。殆ど聞き取れなかったんだが、「もう駄目だ。俺はこれから」という言葉が聞こえた」
「もう駄目だ、俺はこれから……」
「そうだ。おそらく、耐えられそうも無いから妹さんを殺す、という意味だろう」
「そうだろうな」今思い返しても、恐ろしい事実だ。
「さて、では、その電話をしている相手は誰だろうか」
「誰って……」
真山が電話をした相手は、真山と母との出来事を知っている人物という事になる。
「まさか、共犯者が?」信じられなかった。二人がかりで母を?
「恐らくそうだろう。その電話だけじゃなく、君のお母さんの死因も引っかかっていた。男とはいえ、果たして女性を一人で建物の上まで運べるだろうか? 体育会系の男ならいざ知らず、若い頃とはいえあの真山が、一人で人の身体を持ち運べたとは思えない」
「しかし、一体誰が……何の得があるって言うんだ」
「損得云々は分からないが、誰へ掛けていたのかを確かめる術はある」
「どこに!?」
「さっき五階から地面に落ちたが、壊れていない事を祈ろう」
俺と多田川は、真山が落ちた地点へと走った。すでに警察が到着しており、辺りを捜査している所だった。パトランプがくるくると回っている。サイレンは鳴らさなかったようだ。警官の中には中津田の姿もあった。真山の体はすでに運ばれたようだ。
「中津田警部」
多田川が声を掛けると、中津田は振り返った。
「おお、多田川君。学校に残っていたのか。おや、いつぞやの君も」
俺は頭を下げた。
「何かありましたか」
「教師が窓から落ちたようでな……この学校はなにか呪いでも掛かっているのかもしれん」
「死亡しましたか?」多田川は冷静に聞いた。中津田は沈痛な面持ちで頷く。
真山は、死んだ。母を殺した相手とはいえ、その事実が俺の胸を抉る。
「自殺、ですか」
「まだ断定は出来ないな。遺書も見つからないようだし。ただ鑑識が言うには、落下地点や倒れた姿勢などを考えると、おそらくは自分の意思で飛んだであろう、との見解だ」
「遺留品のようなものはありませんでしたか?」
「事件と決まったわけじゃないぞ? まあ、見るくらい構わないが……」
そう言うと、中津田は部下を呼びつける。部下は透明のビニール袋を数点取り出し、多田川に見せた。
「この携帯電話、少し見せて貰っても良いでしょうか」
「ああ、構わないよ」
すると、多田川はポケットから白い手袋を取り出した。こんなもの、いつも持ち歩いているのだろうか。
多田川は袋から携帯電話を取り出した。見たところ、携帯電話は壊れていないようだ。多田川は携帯電話のリダイヤルのボタンを押し、画面を俺に見せた。
「どうかね、事件の手がかりはあったかい」
中津田がそう尋ねてきた。携帯電話の液晶画面にはしっかりと名前が表示されていた。
「もしもし」
「あら、平太君。非通知だったから出るかどうしようか迷っちゃった。どうしたの?」
「お話があるんですけれど」
「珍しいわね。今日は夜に壮太さんと会う約束をしているから、そのあと一緒に行くわ」
「父と、会うんですか」
「そうよ。いけない?」
「いえ……あの、家ではちょっと」
「……そ。わかったわ。じゃあ、駅の近くに公園があるじゃない。そこで良い?」
「はい。じゃあ、噴水の辺りで待ってます」
「どうするつもりだ」
公園に向かう道中、多田川が尋ねてきた。学校の校舎裏で目を覚ました可南子は、自分の身に何があったのかを全く覚えておらず、頭を捻りながら自宅へと戻っていった。
「俺にも分からん」
「真山に脅されていたかも、と考えているのか?」
「分からん」
「それとも故意だったのか、と考えているのか?」
「多田川、お前帰っても良いぞ」俺は立ち止まり、多田川に言った。
「馬鹿を言うな。探偵は最後まで事件に付き合う義務がある」
「そうかい」俺は頷き、再び歩き出す。
「島井、会ってどうするつもりなんだ」
「安心しろ多田川」
「え?」
「俺は、冷静だ。手を出すつもりは無いし、何かあったらすぐ逃げる」
そう言うと、多田川は「そうか」と言い、それ以上は何も言わなかった。多田川は、俺がいつかの多田川のように激昂して人を襲ったり、あるいは若代のようにケガをしたりするかもしれないと思っているのだろう。しかし、多分それは無い。
噴水の前は、散歩をする人やデートをしているカップルの姿が見受けられたが、噴水が本日の業務を終了し、水を出し終えた頃には、次第に人もまばらになっていった。多田川は気を利かせたのか少し遠くのベンチに座っている。心配をしてくれているのか、それとも探偵としての興味本位なのか、あるいはその両方か。何にせよ、見かけによらず律儀な男だ。
俺は噴水を囲っているコンクリートに腰掛け、何と切り出せば良いかを考えながら時間を潰した。しかし、良い言葉が見つからず、結局柏木さんが現れた頃には何も考えてはいなかった。
柏木さんの顔は少し紅潮していた。酒に酔っているのだろう。夜気を浴びて気持ち良さそうだった。
「すいません、呼び出して」
「いいのよ」そう言うと柏木さんは俺の隣に座った。「あなたがここにいるって事は、可南子ちゃんは無事で、つまり真山は失敗したのかしら?」
柏木さんの方から本題に入ってきた。あまりにも簡単に。
「本当に役に立たないのねぇ、あの男」柏木さんは笑いながら、真山を罵った。「本当に、役立たず」
「柏木さんも、母を……」
殺したんですか? とは口に出来なかった。柏木さんも共犯者だと確信しているくせに、言葉が喉に詰まる。
「そうよ。これで最後だから教えてあげる」
「最後……?」
「そ。最後。壮太さんにフラれちゃったしね」
柏木さんが父に好意を抱いている事は薄々感じてはいたが、直接言われるとやはり驚いてしまう。
「本当は、平太や可南子ちゃんが高校を卒業するまでは……って思ってたんだけどね。真山の馬鹿が我慢出来なくなっちゃったから、言うなら今日しかないと思ったの。ほら、壮太さんって、可南子ちゃんに何かあったら、それ以外は考えられなくなりそうじゃない?」
すらすらと話す柏木さんの言葉は、まるでさっき食べた夕飯の内容を語るかのようだった。
「でもやっぱり駄目だったわ。もう七年も経ったのに、まだ忘れられないみたい。律儀で、バカな人」
父に対しての「バカ」は、真山のそれとはまったく違った意味に聞こえた。
「柏木さんは、父の事が好きだったので、母を、殺したんですか?」
すると柏木さんは目を丸くしてこちらを見た。そして、笑った。それは半ば、自棄になっているような笑い方だった。
「そうね、そうよ。私が殺したの。壮太さんが好きだったから」
「真山と一緒になって?」
「そう」と言って柏木さんは空を見上げた。釣られて俺も空を見た。公園の街灯が邪魔をしているが、暗い空には星が綺麗だった。
「真山がナエの後をつけているのを、私は見てたのよ。電車の中で気が付いたんだけどね。私も、真山と同じ理由でナエと同じ電車に乗っていたの」
母はあの日、二人の人物に殺意を抱かれていたのだ。母の笑った顔を思い浮かべたが、浮かんだ顔はどことなく悲しそうだった。
「真山がナエを殴った時に、私は気が動転して、思わず飛び出しちゃったのよ。私も同じ事をする気だったのに……馬鹿よね。そして考えたわ。もし真山が逮捕されたら、きっと私が現場にいた事も言うでしょう? 私こそ言い訳出来ないわ。同窓会のメンバーには、これから実家に戻る、何分発の夜行列車に乗るなんてアリバイ造りまでして来ちゃったから。……それで結局、事故に見せ掛ける事にしたの。それが私の為だと思ったから。真山はただ感謝していたけどね」
遠くでサイレンの音がした。また、どこかで何か起こったのだろう。それほど栄えている街ではないのに、いつだって事故や事件は起こってしまう。何故なのだろうか。
「後は、壮太さんに近付くついでに、あなたたちを監視してたってわけ」
「俺たちを?」
「最初の間は別にそんな事思ってなかったんだけど……平太も可南子ちゃんも、私たちと同じ高校に入るって言い出したじゃない。あれには驚いたわよ」
だから、俺たちの高校入学には反対したし、最近良く家に来るようになったのか。俺と可南子がどこまで気が付いているのか、気になったのだろう。そして、真山は本当に感づかれたと思い、暴走した。
「これで、私の話はおしまい」
柏木さんは立ち上がってこちらを振り向いた。
「恨んでる? 当然ね。恨まれても仕方がないし、殺されたとしても私は恨まないわよ」
柏木さんは小さく笑った。俺は、答える事が出来ない。あまりにも色々な事が起き過ぎて、突きつけられ過ぎて、感情の回路がごちゃごちゃになってしまっている。
柏木さんは、俺の髪の毛を触ると、頬に軽く口付けをした。
「じゃあね。多分、もう二度と会う事も無いと思うわ」
そう言うと柏木さんは、一度もこちらを振り向かずに公園を出て行った。その足取りはフラフラとしていて、今にも崩れ落ちそうだった。
俺はただ、その姿をずっと見つめていた。
しばらくして、多田川が側に寄ってきた。
眉をしかめ、口を真一文字に閉じている。
「いいのか? 俺が、何とかしてもいい」
「……」
「本来は、殺人として捜査されるべき事件だったんだ。当時どんな検証がなされていたかは分からないが……彼女たちにとって都合の良いように事が進んでしまった。だが、彼女の証言があれば――」
「いいんだ。もう、二度と会う事もないだろうから」
「…………好きだったのか?」
「さ、行こう。もう夜だ」
俺は立ち上がって、柏木さんとは反対方向に歩き出した。多田川は、一度公園の入り口見つめて、それから俺の横に並んだ。
「そういや多田川、母さんが最後消えるとき頭下げてたけど、声が聞こえたのか?」
「いや……ただ、なんとなく、礼を言われた気がした」
「そうか……」俺はまた夜空を見上げた。「母は偉大だね」
ふと、流れ星が流れた気がした。どこかの誰かが「流れていく光の殆どが人工衛星なんだ」と得意げに言っていた。今、空を流れたものがどちらなのか、今の俺には分からない。でも、分からなくても良い。その事実は、大した問題じゃない。
今は良い、と思っていても、例えば明日になって、俺の気持ちが変わってしまうかもしれない。許せないと憤り、自分の行動に後悔するかも知れない。今後、自分がどう思うかさえ、自分には分からない。
でも、今、これで良かったんだと思っている自分がいる。これだけは誰にも否定しようの無い、唯一確かな事だった。
だから、俺は、振り返らない事にする。
今、そう決めた。
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