第22話 誰にも望まれない探偵の解決編

 そうして、俺とエイコは再び遊園地へとやって来た。正直な所、まったく気が向かなかったのだけれど、散々考えた挙句、伝える事を選択した。入園料を払い、遊園地の西側、ざくろの木が植わっている場所へ向かう。そこには先日と変わらず幽霊の子供が立っていた。その幽霊は俺の顔を見るや、露骨に溜め息を吐く。


「どうも。斯波重慈さん」


 俺は幽霊の名前を呼んだ。幽霊は意外そうな顔をするでもなく、だから何だと言わんばかりにフンと鼻を鳴らす。

 ざくろの木の前に立つ幽霊の子供。ざくろの木に詳しく、難しい言葉を知っていて、言葉遣いもぶっきらぼうな、凡そ子供らしからぬ子供。斯波重慈の死因は胃がんだ。そして、この子供の胸にはぽっかりと黒い穴が開いている。見た目を除いて考えれば、この幽霊の正体は斯波重慈以外に考えられなかった。

 では、どうして斯波重慈は子供の姿をしているのか? それは、斯波重慈が何を目的としてこの世に戻ってきたかを考えれば、自ずと分かる答えだった。事実、斯波重慈は俺が言った言葉の殆どを、沈黙と言う手段で認めている。

 斯波重慈がまだ小学校に通っていた頃、彼の家の隣の岩下家には、範子という同い年の女性がいた。

 斯波重慈と岩下範子は同じ小学校に通っていて、とても仲が良かった。範子の家にはざくろの木が植わっていて、二人は一緒になってその実を食べたりもした。しかし今から六十四年前、斯波重慈が十歳になった時、彼の家も、岩下の家も、公団住宅建設の為に立ち退きを要求された。それは好条件だったかも知れないし、あるいは厳しい追い込みがあったかも知れない。

 しかし、そんな事は幼い彼らには関係なかった。

 彼ら二人は大人の事情で引き裂かれる事になった。


「将来、ここを僕のものにするから、そしたらその時に帰っておいでよ」


 少年は少女に、そんな約束をしたのかも知れない。

 少女はきっと涙ながらに頷き、そして二人は離れ離れになったのだろう――と考えるのは、聊か感傷的過ぎるだろうか。

 

 それから数十年が経ち、少年は成長する。莫大な富を蓄え、遥かな高みに上り詰めた時、いつかの約束を思い出した。そうして遊園地の計画に便乗するように、強引な手段を伴って約束の地を取り戻した。岩下範子の帰る場所を作るために。


「でも、あなたは遊園地が完成した後も、岩下範子にそれを伝える事が出来ず、亡くなってしまったんです。そして、あの頃の約束を果たしたと範子さんに伝えるために、幽霊となって戻ってきた。あの約束をした、十歳の姿のままで」

 俺が調べた事をもとに多田川が考えた推理を告げると、斯波重慈は再びフンと鼻を鳴らした。

「だから何だ。わざわざ自分の考えが正答であるかを確認するために来たのか? だったらその通りだと認めてやるから、さっさと帰れ」

 胃がきりきりと痛む。やはり、伝えるべきでは無いかもしれない。でも、知ってしまった以上、俺はやらなければならない。

 これが俺の役割だ。

 多田川が二日間も時間を置いたのは、調べ物をする為だった。それはつまり、斯波重慈がどうすれば願いを果たせるかを知る為だったのだけれど、現実はそうそう良い方向には進まない。

「その、岩下範子さんですが――」

 俺が口を開くと、斯波重慈は途端に大声を張り上げた。

「うるさい! はやく消えろ!」

「範子さんは、今から十年前に亡くなっています」

 甲状腺ガンだったようだ。多田川にその事実を伝えられた時、俺もエイコも言葉を失った。幽霊となってやって来た斯波重慈の願いは、もう決して叶わないのだ。エイコはあまりにも残酷すぎるから伝えない方が良いと否定したが、俺は伝えない方が残酷では無いかと思った。知らなければ、斯波重慈はいつまでも待ち続けなければならない。それがどれほど孤独で辛い時間を過ごす事になるのか、想像するだに恐ろしい。

 事実を知った斯波重慈は、しばらく口を開いたまま呆然としていたが、

「だから、言わなくて良いと言ったんだ! 誰がそんな事を教えてくれと頼んだ!? 貴様、余計な事をしやがって!」

 斯波重慈は叫んだ。俺はただ黙ってそれを聞いていた。エイコは今にも泣き出しそうなほど、歯を食いしばって堪えている。


しばらく怒号が続いた後、斯波重慈は急に静かになった。長く大きな溜め息を吐いた後、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。


「……この遊園地が完成した後、捜しに行くチャンスは幾らでもあった。だが、捜しに行かなかった。いや……行けなかった。あの頃と比べて、もう……随分変わってしまったからな。あくどい事もやったし、あの時の地上げ屋と同じような事も沢山した。有体に言えば、合わせる顔が無かったって奴だ」

 斯波重慈は自嘲気味に笑う。

「まあ、どうせこんなオチじゃあないかとは思ってたんだ。あの人がこの遊園地の事を聞きつけて、この場所にやって来てくれるなんざ、虫が良すぎる。人生、そんなに都合良く行くはずも無い」

「すみません」俺は頭を下げた。俺は、この人が生きている間に、そして死んでからも尚努力してやって来た事を、一瞬にして不意にしてしまったのだ。

「……いや、いい」

 斯波重慈はぞんざいに手を振る。「いいんだ」

 そうして、後ろのざくろの木を見上げる。

「まだやる事がある。この木は、あの人の木だからな」

 そう言って、斯波重慈は一人で頷いた。

「伝えてくれた事、感謝する。ま、この遊園地は俺の遺作みたいなもんだから、また遊びに来てやってくれ。そうすりゃその分、この木も残る」

 斯波重慈は口の端を曲げて笑った。疲れている様な、それでいて、何かを決意している様な――とても、十歳には見えない笑い方だった。


 家に戻ってからも、俺とエイコはずっと黙っていた。どうするのが一番正しかったのか、その答えを必死に探したけれど、やはり見つからない。俺には分からない事が多すぎた。

 エイコはエイコで、何かずっと考え事をしているようだった。じっと部屋の隅に止まっているかと思うと、急に頭を振り、部屋をウロウロと飛び回り、再び悩み出す。斯波重慈の事で悩んでいるのか、それとも別の問題なのか、それも俺には分からなかった。


 すると、ノックの音と同時に可南子が入ってきた。

「ほれ、この間の」可南子はそう言いながら、小さなアルバムを寄越してきた。

「現像頼んだでしょ? 中身は見て無いから安心して」

 俺が撮った遊園地での写真だった。今はあまり眺める気になれなかったので、俺は受け取りながらも話題を変える。

「そう言えばお前、部活はどうしたんだ?」

「色々入ってみたんだけどどれもしっくりこなくてさー」

「さっさと腰を落ち着けろよ」

「今度は数学部に入ってみようかと思って」

「なんだそれ。お前数学得意なのか?」

「なんかパズル解いたりするだけで良いみたいだから。でも、明日顧問に呼び出されてるんだよね。入部のための個人面接とかなんとか」

「動機が不純だから仕方が無いな」

「ね、兄ちゃんの担任ってどんな人?」

「真山か? そうだな。分からず屋の堅物って所だ」

 俺の言葉を聞くと可南子は「やだなー」と言いながら階段を上って行った。

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