第19話 小前ヶ丘遊園地③

 可南子らと合流し、年下の女子高生の奢りで昼食を食べ、再び遊園地を回る。まず最初に見付けたお化け屋敷には、可南子と仁科更紗が敬遠した為に入らなかった。俺だって、今更作り物のお化けを見たいとも思わない。本物のお化けは、なんと言うか、もっと普通だ。今の所いきなり襲い掛かってくる奴もいないし、見た目もさほど変わらない。


 そう言えば、あの子供の胸の辺りにあった黒いものは一体何だったのだろう。エイコや今日子さんの様子を考えると、おそらくあの子の死因に関係しているのだろう。病気か何かだろうか。この遊園地で、何をしたかったのだろう。もっとちゃんと話を聞いてあげるべきだったかも知れない。そんな事を思うと、遊園地を堪能する気にもなれず、どうにも上の空だった。


 最後の締めくくりに観覧車に乗る。四人乗りにもかかわらず、仁科更紗と二人きりで乗る事になった。可南子いわく「今日は一度も二人がペアになっていないから」だそうだ。

 茜差す観覧車は妙に静かで、観覧車を回す駆動音が金属に伝わり、しずしずと響く。外を眺める事で間を繋ぎ、時折指差しては、あれは何というビルだ、学校はあっちだ、などと言ってみる。

 やがて、観覧車が頂上を迎えた。

「今日は本当に楽しかったです」仁科更紗がしみじみと言った。

「そう。それは良かった」

「遊園地に誘われたのも久しぶりで……私、皆とこうして遊んだ経験が、あまりないものですから」

「そうなんだ」

 仁科更紗の境遇を考えれば、確かに難しかったのだろう。いつ誰に迷惑を掛けるとも限らないのだから。だからと言って、じっと引き篭もらねばならないなんて言うのもおかしい。可南子やモトサヤがこうして仁科更紗を引っ張り出すのは、多分、良い事なのだ。

「あの」と、向かいにいる仁科更紗が口を開いた。「最近、何かあったのですか?」

「え?」

「いえ、平太先輩の顔つきが、以前と変わられたようなので」

「あ、そう?」

 さっきからずっと、今日の一件を気にしているからかも知れない。

「ちょっと、大人っぽいです」

「そう……かな、まあ、色々あったからね」

 本当に、短期間で色々とあったものだ。俺は、窓の外を流れる緋色の雲を見つめた。夕日が沈もうとしているあちら側は、今日子さんの家辺りだ。羽衣ちゃんはぬいぐるみを大切にしているだろうか。今日子さんは、向こうでも元気だろうか。

 何がきっかけで、何故備わったのか分からない不思議な力を、どう扱えば良いのだろう。仁科更紗はその力に戸惑いつつも、こうして仲間たちと共に向き合おうとしている。多田川は、得た力を自分の描く正義の為に振るっている。それは決して正しい事ではない。エゴと呼ばれてもおかしくは無い。しかし、それで救われる人は、確かにいる。多田川の友人である若代慶介という人のように。

 俺のこの力は、誰が救えるのだろう。今日子さんは本当に救われたのだろうか。エイコの求めているものを、俺は見付けられるのだろうか。

「平太先輩」

「ん?」

 仁科更紗の顔が紅色に染まっている。勿論、俺の顔も、手も、観覧車の椅子も、床も、何もかも。夕日は遠い山の端に掛かろうとしている。

「あの……」仁科更紗の唇が小さくすぼみ、何かを言おうと動いている。

 俺は何故だか、唾を飲んだ。

 観覧車はもう四分の三を回りきり、さっきまでは小さかった景色が近づいてくる。

 ゴンゴンと駆動音が響く。

 だんだんと遊園地の喧騒が聞こえてくる。

「私と――」

 係員の姿が見えた。前のゴンドラから客が降りている。次は、このゴンドラだ。


「――お友達になって頂いても、宜しいでしょうか?」


「あ、ああ、もちろん、俺でよかったら」

 トモダチね。うん。全然大丈夫。

「ありがとうございます!」

 仁科更紗は恭しく頭を下げた。俺も習って、頭を下げた。

 観覧車は地上へ着く。

 ゴンドラのドアが開くと、互いに頭を下げている不思議な二人組み。まるで対局を終えた棋士だ。

 遊園地は夕暮れ時を迎え、ぽつぽつと照明が灯り出した。乗り終えた観覧車も鮮やかな光を放っている。しばらくその光景に見惚れ、それから出口へと向かう事になった。エイコと合流するために、俺は必死に考えた嘘を吐く。

「ちょっと、ここで働いている知り合いがいるから、挨拶してくる。先に帰っていてくれ」

 可南子たちに付いて来られないように、出口のゲートに差し掛かる直前で言った。

「今日はどうもありがとうございました」と仁科更紗。続いてモトサヤも頭を下げる。

「いえ、これからも可南子をよろしく」

「言われなくてもよろしくされるわよ。兄ちゃん夕飯は?」

「それまでには戻る」

「ほいほい。それじゃあ後でね」と、可南子は手を振ってゲートを出て行った。三人を見送った後、俺はメリーゴーラウンドがある方向へと走った。


 煌びやかな光が灯るメリーゴーラウンドやコーヒーカップの裏手は、遊園地とは思えないくらい寂しげだった。遊具という遊具が無いのだから当然だが、後ろから聞こえてくる賑やかな音楽が、いっそう取り残されている雰囲気に拍車をかける。 

 さっきと同じ場所に男の子は立っていた。少し距離を取った所にエイコの姿もある。エイコは俺の姿を確認すると、すぐに近付いてきた。

「何か聞けた?」と尋ねると、エイコは一つため息を吐き、首を振る。

「全然ダメです。色々質問したんですけど、殆ど何も話してくれませんでした」

「やっぱり、誰かの協力なんて欲しくないんじゃないかな」

「でも、ああして幽霊になって出てきたって言う事は、何かやりたい事がある筈で……私、力になってあげたいんです」

「どうして――」

 どうしてそこまで、と口に出そうとして、やめた。エイコは自分が幽霊として出てきた理由を探している。他の幽霊が求めているものが、ひょっとすると彼女自身を知るための参考になるかもしれない。

 エイコに関する情報が少しずつ分かってきたとはいえ、それでも殆ど手掛かりが無い状態なのだ。

「まあ、まだ閉園までは時間があるからな」

 俺は男の子に近付いた。後ろからエイコが付いて来る。

 彼は、最初に見つけた時のまま、体勢を変えずにじっと前を見つめて立っている。一体何を待っているのだろう。

 男の子はこちらに気が付くと、あからさまに眉を寄せた。

「しつこいぞ」と、男の子が声をぶつける。俺はその言葉を受け流し、彼の隣でしゃがみ、同じ方向を見た。

 建物の向こうに観覧車の上半分が見える。観覧車はゆっくりと回っていて、小さなゴンドラが左側から現れ、右側の建物の裏へと沈んでいく。それは、時間の流れを表しているようでもあり、人間の有様を表しているようでもあった。生まれ、育ち、やがて消える。

 俺は観覧車から目を反らした。そして今度は背後を見る。俺や男の子の後ろには、膝上程の高さの白い柵が張られていて、三メートルはある一本の木が植わっている。そこには、南国を思い浮かべるような鮮やかな赤色の花が咲いていた。

「柘榴ですね」と、エイコが言った。

「ざくろ? あの、食べられるやつ?」

「そうですね。秋くらいになれば、実がなるんじゃないでしょうか」

「それは花ざくろだ。実はならない」

 男の子が急に声を発した。突然の会話参加に俺もエイコも驚いたが、彼の気分を害さないよう、なるべく平然と振舞った。

「実はならないのか。どうせなら実のなるやつにしてくれれば良いのにな」

「甘酸っぱくて美味しいんですよね」とエイコが言うと、男の子は口の端を歪ませた。笑っているのか、苛立っているのか、どうにも分かりにくい表情だ。

「ざくろの実は、見た目が良くない。遊園地に置くには適していないんだそうだ」

 確かに、ざくろの実は時期が来ると大きく裂け、赤紫色の果実が見える。感性は人それぞれだろうが、見ていて気持ちの良い果物とは言えないかもしれない。

「なんでこんな遊園地の端に一本だけ植えてあるんだろう」

「柵に囲まれて、ちょっと意味ありげですよね」

「君は、知ってる?」

 俺は彼に話を振ってみた。モトサヤ同様、持っている知識を披露する事が好きなのではないかと判断したからだ。

「お前らの無聊を慰めるつもりもない。遊園地に用が無いのならさっさと帰れ」

 駄目だった。


「ぶりょうってどういう意味だ?」

 男の子はそれ以上口を開こうとしなかったので、俺とエイコは諦めて家路へ向かった。駅から家までの帰りしな、彼について気が付いた事を話し合い、彼が口にした言葉の意味をエイコに尋ねた。

「ちょっと……分からないです」

「子供にしてはずいぶんと物を知っている風だったな、あの子」

「立派ですよね」

「ああいう頭でっかちで生意気な子供は、俺は嫌いだ」

 そう言うと、エイコはクスクスと笑い、そして真顔に戻った。

「あの子、誰を待っているんでしょうか」

「まあ、普通に考えれば、親じゃないかな」

「ご両親と、はぐれちゃったという事ですか?」

「そうなのかもな」

 遊園地の端っこで男の子が一人佇んでいる。迷子としか思えない。死んでも尚、幽霊として遊園地で待ち続けている……となると、遊園地では出会う事が出来ず、親とはぐれたまま命を落としてしまったという事か。

 誘拐、という単語が思い浮かんだ。それなら一応の説明は付く。遊園地で誘拐された子供。もともと返すつもりがなかったか、あるいは犯人と家族の交渉が失敗に終ったか――とにかく、子供は殺されてしまう。訳も分からず死んでしまった子供は、幽霊となって、遊園地で両親を待ち続けている……一応、筋は通っているか? 嫌な話だし、根拠も何もなかったのでエイコに伝えるのはやめておく。

 不思議なもので、そうかもしれないと思い込んだら、それ以外の考えは浮かんでこなかった。

 これが事実でなければ良い、と心底思う。

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