第18話 小前ヶ丘遊園地②
「いやー、なかなかどうして、激しい絶叫マシンだったね」
ローラーコースター乗り場の階段を下りながら可南子が満足そうに飛び跳ねている。
「可南子は三半規管がどうかしてるんじゃないの? 将来は宇宙飛行士にでもなると良いわ」とモトサヤ。仁科更紗はカメラを両手で抱えて待ち構えており、こちらも満足そうだ。
そして、手に持ったサボテンから一向にエイコが出てくる気配が無かった。小さな鉢をコンコンと指でつつくが、反応が無い。今度は軽く振ってみる。すると、魔法のランプのようにエイコがポコンと現れた。その顔は、ここにいる誰よりもゲッソリしていた。
「大丈夫か? まるで幽霊みたいな顔してるぞ」
「……心臓が、止まるかと思いました」
再び出発したコースターから聞こえる悲鳴を背に少し歩くと、華やかな装飾の施された屋根が見えた。近付くにつれ、メルヘンチックな音楽が聞こえてくる。屋根の下には沢山のコーヒーカップが並べられ、なぜかそれらが回転している。実にシュールな見た目の乗り物な筈なのだが、昔から今まで、沢山の遊園地に置いてあるから不思議なものだ。
可南子は短い列に並ぶと「よし、じゃあグーパーしよう」と腕を挙げた。
「これも乗るのか?」と言う俺の言葉には耳をくれず、可南子は「グーパー」とリズムを取った。このようなじゃんけん的リズムの前では、人は悲しいほど無力である。意思とは無関係にとりあえず手を出してしまう、パブロフの犬の如き悲しき習性がいつのまにか人間に備わっているのだ。しかも、じゃんけんの場合は「出さなきゃ負けよ」なんていう身勝手なフレーズもある。手を出したほうが勝ち。攻撃したもの勝ち。ある意味真理とは言え、恐ろしいルールだ。
手の上げ下げ、握り開きを数回繰り返し、俺と可南子、仁科更紗とモトサヤのペアに分かれる。サボテンの入ったバッグを指差すと、エイコは手を振って遠慮した。この乗り物がどういった種類のものか十分理解しているのだろう。
やがて順番が周り、係員の合図のもとフロアーに入る。可南子と俺は対面に座り、カップの中央に備えられている円盤状のハンドルを掴んだ。
「勝負ね」と可南子が不敵に笑う。
可南子よ。どう勝ち負けが決まるかは分からないが、今や俺とお前は運命共同体だという事を忘れてはいけない。このコーヒーカップと言う地球号の中において、俺の苦しみは、即ち、お前の苦しみでもあるのだ。自分を苦しめるな。
賑やかな音楽が鳴り、ゆっくりとフロアーが動き出した。それにあわせて、それぞれのカップが思い思いの回転を始める。可南子は陶芸家も驚くような物凄い手さばきでハンドルを切り、なぜか俺も必死でハンドルを回し、俺たちの乗ったコーヒーカップはそのまま浮かび上がっても力学的には問題無さそうなくらいの速度で回転した。回りの景色が溶け出し、右も左も無くなる。今ハンドルを止めようと力を入れたら、おそらく腕の骨が折れるだろう。朝食を食べていないにも関わらず、胃の辺りに不快感を感じ始めたので、俺はハンドルから手を離す。
「まだだ! まだ終わらんよー!」
可南子は決して手を緩めなかった。そうだ。我が妹は宇宙飛行士だったのを忘れていた。
そこから先は、良く覚えていない。こんな拷問方法があったら、どんなに口の堅いスパイだってサラリと身元を吐いてしまうのではないだろうか。
やがて時間が来て、ゆっくりとコーヒーカップは止まった。俺も可南子もフラフラになりながら外へ出る。
「アタシの勝ちだね」
可南子は目を回しながら悦に浸っている。なるほど、確かにお前の勝ちだ。深く深呼吸をし、平衡感覚を取り戻す。丁度良くベンチを見つけたので、そこに腰掛けた。
「大丈夫ですか?」と、仁科更紗が心配そうにこちらを窺っている。コーヒーカップで妹にこてんぱんにされた兄。何とも無様に映っている事だろう。
「ああ、平気。可南子は凄い」
「凄く楽しそうでしたよ、カナちゃん」
「あいつは何でも楽しそうだからな。そっちは大丈夫だった?」
「はい。サヤちゃんが手加減をしてくれたので」
「それは、良い。可南子に見習わせたいぐらいだ」
チラと可南子の方を見る。可南子はモトサヤの背中をバシバシと叩いては笑っていた。
可南子は、本当に良く笑うようになった。
母が他界してからしばらくの間、我が家は本当に暗かった。周りを大きな壁で囲われているかのように、家全体が翳っているようだった。祖母や柏木さんが家事などを手伝いに来てくれたおかげでどうにか生活出来ていたが、祖母を含めた家族全員の顔にはハッキリと影が落ちていた。誰一人、笑わなかった。
そんなある日、母の高校の同級生が数人、我が家にやってきた。柏木さんが「せめてお線香でも」と招いたらしい。父と母、そして柏木さんは同じ高校に通っていて、母と柏木さんは同級生、父はそれよりも二つ学年が上だったらしい。
父は仕事で家を空けていたが、俺も可南子もちゃんと正座をして彼らを迎えた。線香を立て終わると、彼らの一人がこう言った。
「いやぁー、なんか暗いねぇ」
ジョークのつもりか、あるいは、何の気なしに言ったのかもしれない。でも、俺はその言葉に腹が立ち、自分の部屋へ駆け上がると貯金箱をひっくり返した。釣られて付いて来た可南子が不思議そうな顔をしながら言った。
「お兄ちゃん、何か買うの?」
「ウチを明るくするんだ」
「じゃあ、可南子も買う」
そう言って、可南子も貯金箱を取り出し、二人で小銭を並べた。合計で千円くらいはあったと思う。俺と可南子はその小銭を一つの貯金箱にまとめて、電気屋へ走った。
俺が丸い蛍光灯の入った箱を、可南子は中身の少ない貯金箱を抱えて家へ戻り、すぐさま台所の蛍光灯を取り替える作業に入った。机をどかし、椅子を移動させ、背伸びをして蛍光灯を外す。可南子は買ったばかりの蛍光灯を箱から取り出し、俺に渡そうとしっかりと腕に抱えている。
そこで、気がついた。俺が外した蛍光灯と可南子が抱えている蛍光灯の大きさが違う事に。外した蛍光灯は、買った蛍光灯に比べてだいぶ小さかった。電気屋でどれを買えば良いかよく分からなかったので、俺と可南子は、とにかく手持ちのお金で買える一番大きくて高い蛍光灯を選んだ。大きければ、それだけ明るくなると思ったからだ。
可南子は今にも泣き出しそうな顔になり、俺は必死で新しい蛍光灯をはめようとした。結局上手く行かず、可南子と二人、日が落ちて暗くなった部屋で途方にくれていると、その様子を見ていたのか、柏木さんがピッタリの蛍光灯を買ってきて、手渡してくれた。新しい蛍光灯を取り付け、部屋の電気を点ける。部屋が長い間暗かったせいもあるのだろうが、その光はまぶしいぐらい白く、俺も可南子も、嬉しくなって大はしゃぎをした。
母の死は、俺にも可南子にも、それぞれ暗い影を落としているが、あの日以来、俺と可南子はクヨクヨするのを辞めた。二人して誓い合ったわけではないが、多分、お互いにそう思っていると思う。
「麦茶ですけれど、お飲みになります?」
隣に座っている仁科更紗が水筒をこちらに向けてくる。
「あ、ありがとう」
俺にキャップを手渡すと、仁科更紗はゆっくりと水筒を傾けた。トクトクと麦茶が注がれていく。七分程度入った麦茶を一気に飲み干し、一息つく。六月ももうすぐ終わり、夏本番だ。エイコはあっちを見たりこっちを覗いたりと、物珍しそうに遊園地をうろうろしていた。彼女なりに楽しんでいるようだ。
「おーい、さっさと次行くよー」と可南子が叫ぶ。俺と仁科更紗は腰を上げ、可南子の元へと向かった。
「次は、何に乗るんだ?」
「ふっふ、お隣のメリーゴーランドだよ」
コーヒーカップの隣には似たような屋根をしたメリーゴーランドが置いてある。細部が少しずつ違う馬たちがくるくると回っていて、その馬にまたがった女の子たちは、手を振り、満面の笑みを送る事で、連れて来てくれた親たちのビデオカメラのメモリーを消費させている。
「これは子供の乗るものだろ?」と言うと、可南子は不適に微笑んだ。
「おや、じゃあ君は大人になったとでも言うのかね。大人の定義とは何かね」
口の減らない妹だ。
「他の二人も乗るの? メリーゴーランド」
「正しくは、メリーゴーラウンド、です。女に生まれたからには、いつだってこのメリーゴーラウンド、英語で言うところのカルーセルには憧れを抱いているものなのです」と、モトサヤ。
「私は、何もかも初めてなので、出来れば色々と体験してみたいです」
仁科更紗は少し頬を染め、恥じらっている。
「ほら」と、可南子は自慢げに胸を張った。
「俺は遠慮しておくぞ」
「えー、見ものなのにな。白馬にまたがる男子高校生」
「流石に無理だ」
「まあいいや。じゃあ、カメラで美しい女三人をしっかりと撮っておいてね」
そう言って再びカメラを押し付け、女性陣は列へと向かっていった。
俺は父親たちの群集に混じり、回転木馬のステージにカメラを向けて、お姫様たちの登場を待つ。
可南子は元気そうに、モトサヤは恥ずかしそうに、仁科更紗は自然に笑顔を作った。彼女たちが何周か回ると、次第に同じ構図は空きてしまい、色々と工夫を凝らしてみたくなるのは人の性というものだ。カメラを斜めにしてみたり、わざと被写体を端にしてみたり、ファインダーを覗かずに撮ってみたり。
最終的に、周りにいる父親たちにもカメラを向け始めたところで、液晶画面にこちらに向かってくるエイコの姿が映った。遠くからエイコが声を上げる。
「平太! 平太!」
あまりに楽しすぎてはしゃぎ回っているのか思ったが、エイコはうって変わって真剣な表情になっていた。
「ちょっと、こっちに来て下さい」
一体、どうしたのだろう。丁度、可南子たちがメリーゴーラウンドから降りてきたのでカメラを返し、トイレに行ってくると伝え、先行するエイコに付いて行った。
メリーゴーラウンドとコーヒーカップの間を抜けると、遊園地の西側の端にあたる部分へとやって来た。この辺りは特に何の遊具があるという訳ではないようで、人もまばらだ。
「こんな所に、何かあるのか?」
ざっと辺りを見回す。地図を見ながら歩いている父親と娘の家族連れ、遊園地の清掃員、ジャンパーを着た迷子の男の子。その後ろには、白い柵に囲われて木が一本植わっている。木には、赤色の花が咲いていた。少し離れたベンチには、休憩中なのか、老人がゆったりと腰を下ろしている。特に違和感は無いように思えるけれど――と、そこで再び視線を戻した。何かが引っかかる。
最初は、迷子の子供に見えた。
遊園地に一人で佇んでいる子供なんて、順番待ちで無ければ迷子くらいなものだと思う。しかし、その男の子は誰かを捜すでもなく、ただ、その場にじっと立っていた。そしてよく目を凝らしてみると、その子供が普通の子供ではないことが、なぜか分かった。
夏なのに茶色のジャンパーを羽織り、長めの白いマフラーを巻き、大きな手袋をはめている。それだけでも十分おかしいのだけれど、その子供の小さな体から出ている淡い存在感が、俺や周りの人間とは一線を画している。エイコは俺と目が合うと、大きく頷いた。
ゆっくりと子供に近付く。小学校高学年くらいだろうか。健康的な黒い髪とは反対に、少し具合の悪そうな白い肌、力強い眉と切れ上がった細い目。アンバランスなそれらが、まだ発育しきれていない、これから青年へと変化していくその過渡期にいる事を表していた。そして、近付いて初めて分かったが、その子供の体は、何故か胸の中央辺りだけがポッカリと黒く染まっていた。
俺は子供が苦手だ。と言うよりも、嫌いだ。昔は自分もそうだったにも関わらず、彼ら彼女らの思考、欲求がサッパリ分からない。しかし、幽霊が相手となればそうも言ってられないだろう。彼らが頼れるのは、彼らが見え、彼らの言葉を理解出来る人間だけなのだから。
「よかったら、力になろうか?」
俺は男の子と目線を合わせる為に、中腰にしゃがんでそう伝えた。なるべく威圧感を与えないように、笑みを湛えて。ちゃんと笑顔が表現できていたかは定かではないが。
すると、その少年はチラとこちらを見て、こう言った。
「失せろ」
自分が何を言われたのか一瞬では理解出来ず、俺はその少年の口から出た言葉を反芻した。
――ウセロ。
つまり、お前なんかには微塵も用は無いという意味の言葉であり、侮蔑、軽蔑、人を蔑む敵意を含んだ言葉である。初対面の、しかも目上の人間に対して使う口調ではない。
少年はさらに、こちらも見もせずに言った。
「邪魔だ」
映画か漫画の影響なのだろうか。最近の子供は随分と言葉遣いが荒いもんだ。
俺は一呼吸置いて、言った。
「俺は、どういう訳だか、君や、ここにいる彼女みたいな幽霊が見えるんだ。もし何か出来る事があれば―――」
「お前の事など興味は無い。さっさと失せろと言ってるんだ」
俺はよく人に、やれ能面みたいだとか、顔が石膏で出来ている、などと言われる。
確かにそうなのかも知れないが、それはあくまでも表情の話であり、俺の内面、心の中はゆらゆらと動いているのだ。嫌な態度を取られれば、当然腹も立つ。
しかし、子供相手に怒り出すというのはやはり大人げがない。その辺の分別はちゃんとある。俺は表情を崩さぬように心がけ、スッっと立ち上がり、そのままその場を離れる事にした。つまり、もう無視だ。
「平太!」エイコが追いかけてくる。「怒ってるの?」
「俺たちの助けもいらないみたいだから、そっとしておくのが良いんじゃないか?」
「――でも」
「それに、可南子たちを待たせておく訳にもいかないし」
と、みるみるうちにエイコの顔は萎れていった。ここまで感情が分かり易いと、ありがたいような、そうでもないような、複雑な気分になる。
「じゃあ、エイコはあの子の所にいるか? 俺じゃどうも話し相手にもなれなそうだし、可南子たちと合流しないと変に思われるから。後でエイコから話を聞くよ。遊園地は楽しめなくなるけど、それで良いか?」
そう言うと、エイコは満面の笑みを浮かべ「はい」と頷いた。
分かり易いのは、まあ、良い事だ。
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