第17話 小前ヶ丘遊園地①

 日曜日。晴天である。こんな日は家に篭っているよりも、外に出たほうが気持ちが良い事はよく知っている。それが異性と一緒なら尚更だ。例え妹のお守りだとしても、である。


 前日に隣駅の雑貨屋へ行き、親指と人差し指で作った円ほどの、ミニチュアみたいなサボテンを買っておいた。今までの手のひらサイズの鉢植えでも鞄などに忍ばせておくことは出来るけれど、遊びに行く時くらいは手ぶらがいい。このくらい小さければ、シザーバッグに入れておくことも、胸ポケットに入れておくことも可能だ。

 サボテンは、あまり水をやらなくても枯れない所がいい。お前の助けなんていらないと言わんばかりに、四方にトゲを立てている姿が何とも格好良く、愛らしい。


 エイコはといえば、可南子が遊園地の話をした途端、新品の電球が点いたような明るい顔になった。そんなにはしゃいだら額の傷口から血が溢れ出さないかと心配になるが、問題は無いらしい。遊園地に行った事がないのかと聞いてみたら、覚えてないから分からないが、行ったとしても行ってないとしても関係なく楽しみだ、と返ってきた。ここまで喜んで貰えたら、さぞかし誘い甲斐もあるのだろう。見習わなくてはならない。


 サボテンを小さな巾着袋に入れながら、ふとした疑問が浮かんだので尋ねてみた。

「こういう植物の中に入った時って、外の景色は見えないのか?」

「そうですね……景色は分かりません。ただ、日の光は感じます。暗い水の中にいて、明るく暖かい日差しを水中から見上げているような感じです」

 サボテンは水分が多く含まれている植物らしい。ちょっと体験してみたいが、幽霊になるのはまだ早いだろう。


 駅前で仁科更紗、モトサヤと合流し、挨拶もそこそこに、遊園地へと向かう電車に乗った。仁科更紗は赤い髪を後ろに結わえ、少し大人びた風貌だ。モトサヤは相変わらず前髪が一直線になっている。おかしな髪型な筈なのだが、何となくお洒落に見えてしまうのが不思議である。

「お休みの所をお越し頂いて、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ、お招き頂きまして……」

 およそ、遊園地へ向かう高校生のやり取りとは思えない挨拶を仁科更紗と交わす。

「私、遊園地は初めてなんです」

「そうなんだ」

「だから、今日はとても楽しみで」

「なるほど」

 慣れない人との会話はどうも難しい。


 住宅街から少し離れた丘の上に小前ヶ丘遊園地はある。ちょうど十年前に完成した小さな遊園地だ。駅からバスに乗って約十分と、交通の便はそこそこ良い。遊園地が完成した年、俺が八歳、可南子が六歳の時に、両親と四人でここに来た事があった。当初は物凄い混雑で、なかなか遊具に乗れなかった事を思い出す。

 日曜の遊園地ともなれば、本来は混んでいて、遊具一つに対し何十分も待つのはごく普通だけれど、最近のマスコミによるバッシングのおかげか、小前ヶ丘遊園地は思ったよりも空いていた。「やっぱり今を選んで正解だったね」と、可南子たちは盛り上がっている。

「バッシングって、何かあったんですか?」遊園地の入り口ですでに興奮していたエイコが、可南子たちの会話を聞きつけて尋ねてきた。

「ここの遊園地を経営しているシバ・コーポレーションが、昔この辺りの土地を結構強引に買収したとかで、問題になってるんだよ。更には当時経営者だった人が二年前に亡くなってて、責任の所在がどうこう、大変らしい」と、俺はニュースやワイドショーで得た知識をそのまま披露した。ちょっとでも突っ込まれたら何も答えられないほど浅い知識だけれど、幸いにして、エイコはふんふんと頷くだけで特に質問は無いようだった。

「チケット四人分買ってくるから、そこで待ってろ」と可南子たちに言い、券売所へと向かう。柏木さんから貰ったお金を使ってしまおうと思った。生活費には使いたく無いけれど、交際費としてならそこまで気兼ねが無い。

 券買所で「一日フリーパスを四枚」と、学生証を見せる。

「申し訳ありません。学生証は人数分お願いできますか?」

「あ、そうですか」

 可南子たちを呼ぼうと振り返った瞬間、受付の女性が声を上げた。

「あ、ひょっとして制服が欲しかった先輩?」

 受付嬢の声質が急に緩いものに変わった。改めて受付の女性を見る。ショートカットに黒縁の眼鏡を掛けた女の子……誰だっけ?

「あれ? もう忘れちゃった? ウチに買いに来たでしょ、セーラー服」

 その言葉で思い出した。ブティック森で会った子だ。たしか、二年生と言っていた気がする。

「ええと、島井……平太先輩」その女の子は俺が提示した生徒手帳を覗き込みながら確認する。「同じ高校なのにちっとも出会わなかったねー」

「ブティック森の人だよね」という俺の問いかけに、彼女はうんと頷く。

「アタシの名前は森つばき。漢字で書くと森椿。なんかすごいでしょ。お婆ちゃんが付けてくれたんだー」

 ブティック森のお婆さんと似た、あまり言葉に抑揚を付けない話し方だ。

「おお、女の子三人……先輩もやりますな」森は体を傾け、俺の後ろで話している可南子たちに眼をやった。「あ、あの真ん中の人、なんて言ったっけな。……さら……更科日記、みたいな」

「仁科更紗」

「それだー。先輩、女装趣味かと思いきや、正反対。軟派なお人だったんだね」

 女装趣味は硬派なのか? と突っ込みを入れるのも面倒くさい。これ以上彼女に関わっていると言われも無い風評をばら撒かれそうなので、先を急ぐ事にする。

「生徒手帳は必要?」

「あー、いいよ。信用します。それではごゆっくりー」

 一日フリーパスのチケットを買い、可南子たちに手渡した。ついでに森から手渡された園内の地図をそれぞれに配る。財布を取り出そうとする彼女らを手で制し、「奢りだ」と格好付けてみる。喜ぶかと思ったけれど、彼女たちは一様に「困ります」と不満を口にした。女性に奢るのは難しいものだ。

「臨時収入が入ったから」と言うと、どうやら可南子は察したようで「じゃあ代わりにご飯代を持とう」と提案してきた。可南子は、柏木さんの事をどう思っているのだろう。なかなか聞く機会が無いし、わざわざ話す事でも無い気もする。

 仁科更紗はそれでも渋っていたが、強引に話を打ち切り園内へ入った。

 この遊園地に最後に来たのは高校一年の時だ。その時も女性と一緒だったけれど、あまり良い記憶ではないので思い出さない事にする。その時と比べても、園内にそれほど変化はなさそうだ。

 近い乗り物に片端から乗ろうという大胆な作戦が可南子から提案され、俺以外の全員がそれに従った。どの乗り物にどの組み合わせで乗るかは、その都度グーパーをしてペアを決めるらしい。

 入り口を抜けると正面はちょっとした広場になっていて、掲示板にはこの遊園地の見取り図が大きく描かれていた。その見取り図の右に、犬と猫をミックスしたような灰色の不思議な動物の石像が『ようこそ小前ヶ丘遊園地へ!』という看板を抱えて立っていた。小前ヶ丘遊園地のマスコットキャラクターである『いわのりくん』、変な名前だ。可南子たちは「カワイイ!」と騒いでいるが、ちっともかわいいとは思えない。これが、男と女の視点の差なのだろうか。

「これ、可愛いと思う?」俺はエイコに尋ねた。

「え? 可愛いじゃないですか」

「どこが?」

「あんまり可愛くないところが、可愛いんですよ」

 やはり分からない。大体、マスコットなのに灰色一色とは、目立たなさ過ぎじゃないか。派手にしろというわけではないが、せめて一色、明るい色をどこかに――。

「兄ちゃん、写真撮って貰っていい?」

 可南子が強引にカメラを押し付けてきた。と、同時に他の二人もバッグから携帯電話やカメラを取り出す。観光名所などで良く見られる光景だ。一つ引き受けてしまうと次から次へとカメラが手渡され、「はい、チーズ」を何べんも繰り返さねばならなくなる。最後の方なんかは、もう撮れてようが撮れていまいが、こちらとしてはお構い無しだ。

 今回の場合は最大三台なので、丁寧に撮影できるぎりぎりの許容範囲。カメラを受け取ろうと手を差し出すと、モトサヤがカメラを引っ込めながら言った。

「どれか一つに撮って、あとで分ければいいね」

 この台詞も結構耳にするが、あとで分けて貰えた試しはあまりない。彼女たちの場合はどうかは分からないが。

 三人は変なマスコットを挟んで立ち、にこやかな笑顔を作った。

「ハイ、チーズ」

 どうにも写真を撮ったという気分にはならない音が鳴り、三人娘の笑顔がデジタルカメラの画面に浮かび上がる。出来栄えを見に可南子たちが近寄ってきた。すぐ取り直しが出来るのはデジタルカメラの利点ではあるが、写真屋に取りに行く楽しみを味わえないのは、どこか寂しいものだ。デジタルカメラを可南子に渡すついでに、シザーバッグからレンズ付きフィルムを取り出し、可南子に渡した。今ではもうほとんど使われる事の無い、使いきりカメラ――母が好きだったものだ。

「何?」

「撮ってくれ」

「え? 兄ちゃん一人で?」

「そう。趣味なんだよ」

「そんな趣味あったっけ?」

 可南子は首を傾げながらもこちらにカメラを向ける。俺は小さく手招きでエイコを呼び、口パクで「写真」と伝えた。エイコは戸惑いながらも、マスコットの反対側で笑顔を作った。


 広場のすぐ左手に、白い鉄骨で組まれたジェットコースターが聳え立っている。遊園地が出来上がった当初はそれなりに話題になったものだ。高速で上下するコースターからは、毎回同じ人が乗っているのではないかと思える程同タイミングで悲鳴が聞こえてくる。母の事があって以来高いところはどうも苦手だけれど、ジェットコースターや観覧車などの遊具だと特に恐怖を感じないのが不思議だ。イメージの問題なのだろうか。

「私は、遠慮しておきます」

 ジェットコースター乗り場の入り口で仁科更紗は苦笑いを浮かべた。

「どうして?」と俺が聞くと、「危ないので」と返事。

 そうか。仁科更紗は驚くと周りの物を壊してしまう力があるのだ。ジェットコースターに乗っている間に発動してしまったら、大事故になりかねない。と言うか、そもそも遊園地自体が向いてない気がするのだが、勿論そんな事を言うつもりはない。

「じゃあ、俺も見学していよう」

「何? 兄ちゃん。ひょっとして怖いの?」

「馬鹿おっしゃい。この程度は何でもない」

「俄かには信じがたいわね」

 可南子がいやらしい笑みを浮かべる。

「兄に向かって随分不遜な態度だな。ジェットコースター如き、俺ならば一切の叫び声を出さずに乗れる」

「言ったね? 出したら罰だからね」

「行ってらして下さい。私、写真撮りますから」

 仁科更紗に後押しされ、俺と可南子とモトサヤは列の最後尾に並んだ。

 何だ、結局三人組になっているじゃないか。


 ジェットコースターとは商標名らしく、本来ならばローラーコースターと呼ぶのが正しい、と、十五分間並んでいる間にモトサヤが熱弁してくれた。他にも、ホッチキスやセロテープ、宅急便も商標名であるから、気をつけた方が良いとの事だ。一体何に注意をすれば良いのか分からないが、モトサヤという女性はそういった雑学が好きなのだという事は理解できた。

 そうやって時間を潰し、いよいよ順番が回ってくる。三人は向かい合い、片手を振り上げ、そして下ろす。握られたこぶしが二つ。開かれたこぶしが二つ。なぜ四つの手が? 怪奇現象かと目を見張ると、エイコが輪に加わり、パーを出していた。

 はしゃいでいるのだ。

 俺とモトサヤがペアで、可南子は一人。エイコは楽しそうにシザーバッグの中のサボテンへと入っていった。

「何かごめんなさいね。私みたいなのが相手で」とモトサヤ。

「いやいや」と俺。気の利いた言葉など一つも出ない。

 ローラーコースターに乗り込む。俺の前に可南子が一人で座った。俺はこっそりと、シザーバッグからサボテンを取り出し、手に隠し持った。こうする事で、中にいるエイコも風を切って進む感覚が伝わるかもしれない。

 ガコンガコンと古めかしい音を立てながら、コースターはゆっくりと坂を登っていく。


「いいですか、ローラーコースターなんてものは、次にどちらへ曲がるかさえ分かっていればさほど怖くは無いんです。幸いにして私たちはコースターの前側に座ってます。これからコースターがどういう動きをするのか、しっかりと把握すればなんて事はありません。それと、バイクに乗っている時のように曲がる方向に体を傾ける。私はバイクに乗った事が無いから細かくは分かりませんけど、これも有効な手だそうです。また、背中をシートにピッタリとくっつける事。そうすれば体が固定されて、振り回されるような感覚が軽減されます。顎を引いておくのも大事ですね。あとこれは生理学の話ですけど、緊張下に置かれた場合、女性よりも男性のほうがストレスを感じやすいそうです。つまり平太先輩がローラーコースターを怖いと感じるのも無理がない事なんですよ。だから大丈夫です良かったですね」


 モトサヤは物凄い早口でローラーコースターに関する話をまくし立てた。どう見ても、その早口は恐怖心から沸き起こっているように見えたが、そこには触れないようにする。

 やがてコースターは鉄骨の山の頂上へと辿り着く。あれだけ饒舌だったモトサヤは急に静かになった。遊園地周辺の景色が視界一杯に広がり、そして、傾いていく。と、同時にコースターは急降下を始め、右へ、左へ、上へ、下へと俺たちを振り落とすように動き回る。時折、前の方から「いえええぇぇい!」と陽気な叫び声が聞こえてくる。可南子だろう。あいつはもうちょっと慎ましさを覚えたほうが良い――などと言う兄的思考は、コースターの一回転と同時にどこかへ飛んで行った。

 想像よりも長い時間暴れまわったコースターが、ようやく出発地点へと帰還した。安全バーが上がり、やっとこさ開放される。ふと隣を見ると、モトサヤがグッタリと項垂れていた。

「大丈夫?」と声を掛けると、モトサヤは苦笑いを浮かべた。

「あまり、役に立たない知識でした」

 なかなか立てなさそうだったので手を差し伸べると「あ、お気遣い無く」とモトサヤは慌てて立ち上がった。少しふらついていた。

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