第16話 探偵との後日談
膝の傷は予想以上に深かったらしく、登校中に何度も悲鳴を上げた。その度にエイコは謝ってきたが、痛みすら感じられなくなっていたかもしれないのだがら、この程度は何て事ない。破けたズボンは代わりに夏服を履けば良い。折を見てブティック森に行き、直してもらおう。勿論出来れば無料で。
むしろ助けてもらった俺はエイコに感謝をしなければならない立場なのだ。
「ありがとう」
あまり人に感謝の辞を述べる事に慣れていないが、とにかく言ってみる事にした。多田川もそのようにして救われたのだから。
「あ、なんですか?」
往々にして、人はこういう時に聞いていないものだ。そして、俺は気恥ずかしい台詞を二度言える程の勇気は持ち合わせていない。
「ありがとう」というたった五文字の言葉に、なぜこうも気恥ずかしさを感じてしまっているのだろう。奥山今日子は別れ際、あんなにも連呼していたのに。
そんな事を考えながら、代わり映えのしないグラウンドを眺めて午前中の授業を消化してからの昼休み。エイコはいつものように学校探索に出かけた。この学校に、そんなに毎日見て回れる箇所があるとは思えないのだが。最近のエイコはボーっと物思いに耽ていることが多く、いつにも増してやり取りが難しい。
エイコが殴られていたという事実は衝撃的だったが、しかしそれでもエイコが何を求めて幽霊となったのかは分からない。生前の彼女に何があったのか。それを知るために、エイコはずっと学校を彷徨っている。俺に出来る事があれば良いが、今のところ何も思い浮かばない。
久しぶりに食堂でも行こうかとクラスの連中を誘って席を立った矢先、浅井がやってきた。
「よう、島井」
「金なら貸さん」
「そんなんじゃねーよ! 今日は天気も良いから、屋上でメシ食わね?」
浅井が昼飯を一緒に食べようなんて言い出したのは、三年になってからは初めての事だ。いつも物凄い速さで食事を済ませ、残りの時間を全て睡眠に当てる事だけを生き甲斐としていた男なのに。
昨日の今日と言う事もあり、屋上という場所にはあまり魅力を感じないが、浅井の申し出の物珍しさに押されて、俺は仲間に侘びを入れ、浅井と共にパンを買って屋上へ向かった。
屋上に広がる空は雲一つ無い快晴だ。梅雨が明けたかどうかは分からないが、しばらく雨は降らないで良い。もうすぐ夏だ。また、祖母の家に旅行に行こうか――なんて思っていると、ふと疑問が過ぎった。
屋上への扉が開いているのは、昨日から開いていたからだろう。だが、鍵が掛かっていない事実を浅井が知っているのは変じゃないか? 屋上の扉がいつも閉まっている事は、三年も通っている生徒ならば誰もが知っている。たまたま浅井が開けてみようとした、なんて可能性も無いとは言い切れないが、それは余りにもタイミングが――と、背後で屋上の扉が閉まる音が聞こえた。やってきたのは学生鞄を携えている銀縁眼鏡の男。
どうして多田川が?
「昨日、冬也と仲良くなったんだってな」早速パンをほうばりながら浅井が言った。
「なんだそれは」どういう経緯で、そういう流れになるんだ。そしていつの間にか浅井は多田川を名前で呼んでいる。それもまた、どういう経緯でそうなったのだ。
「いや、今日の冬也、顔が妙に明るいと思ってさ。何かあったのかって聞いてみたら、昨日平太と結構話をしたらしいじゃん」
「ああ、まあ……な」正確には、話をしたのは俺ではないが。
「んでさ、折角だから、三人でメシ食おうと思って」
何が折角なのかが分からないが、思った以上に多田川と浅井は仲が良いようだ。最も、どうせ浅井の方が一人で勝手に喋っているのだろうが。
しかし……なんとも気まずい食事である。昨日この場所で襲われそうになった男と、襲おうとした男が、今日は共に食事をしている。
「大体、俺から言わせて貰えば、お前らはどっちも暗すぎるんだよな。平太はいっつも能面みたいな顔してるし、冬也はずっと眉毛寄せてるしよ。お前ら似たもの同士だな」
俺よりも多田川の方が能面顔だと思うのだが、グッと堪える。
「お前がただ明るすぎるだけだ」
「運動しろよ運動、体動かさないからジメジメしてるんだって」
浅井は勢い良くパンを食べ終えると、屋上が気持ち良いのか、辺りを駆け回り出した。あのくらい元気だったら、世界はもっと楽しいんだろうか。
屋上に吹く風は心地よく、のんびりとした時間が流れる。雲までもがのんびりとしている様だ。
「なあ、多田川」静かに食事をするのも悪くは無いが、折角なので気になっていた事を聞いてみる。「なんで幽霊だって分かったんだ?」
「何の事だ?」
「なんて言えば良いのかな。お前と話した、俺の中に入っていた――」
「ああ、エイコという人の事か」
「形まで見える訳じゃないとか言ってたけど、エイコが幽霊だって分かってたよな」
すると、多田川は鞄から一冊の雑誌を取り出した。それはゴシップ中心の週刊誌で、表紙には「シバ・コーポレーション、小前ヶ丘遊園地の土地も地上げ!?」と見出しが大きく書かれていた。
「遊園地がどうかしたか?」
多田川は俺の問いに首を振ると、雑誌をパラパラと捲り、あるページを開いてこちらに見せた。「なになに?」と浅井も近づいてくる。
そこには『激写! 幽霊が学校に登校!?』という頭の悪そうな見出しが付いた心霊写真が載っていた。下駄箱の付近、プライバシーの為か黒い横線で目を伏せられている男子高校生二人の上に、二体の女性の幽霊が写っている。これは間違いなくエイコと今日子だ。
「あれ、これ俺じゃん!」浅井がはしゃぎ出した。「あ、俺がカメラ叩き落としたオッサンの写真じゃないか? これ」
そう言われれば、少し前にそんな事件があった。どうやらカメラは無事だったらしい。しかし、写真と言う媒体を使えば、幽霊といえどしっかりとフィルムに焼き付けられるとは、面白いものだ。エイコにも見せてやろう。自分の頭の怪我の具合を見たら、さぞや驚く事だろう。
「なあ、その雑誌貰っても良いか?」と聞くと、多田川は無言で差し出してくる。
「あとさ、この学校で女子高生が棒みたいなもので殴られた、なんて話を聞いたことないか?」
「何だそれは。そんな事件があったのか?」
多田川の眉根に力が入り、表情が険しくなる。
「いや、そういう訳じゃ無いんだけど……俺たちが入学する前とか」
「ちょっと待ってくれ」多田川は手帳を取り出してパラパラと捲る。
「……男子生徒に関する暴行事件は数あれど、女子生徒が棒状の凶器で殴打された、と言う事件は無い」
「その手帳、そんな事まで書いてあるのか?」
「この学校に関する事件ならば大抵は書き留めている。そんな事件があれば大事になっている筈だが……何か情報があるのか?」
「いや、何となく聞いてみただけだ。気にしないでくれ」
多田川が言うのだから、まず間違いは無いのだろう。となると、公にはならなかったか、それとも発生現場が違うのか……。どちらにせよ、手掛かりと言えるものでもない。
「そう言えば、ここの鍵ってどうしたんだ」
「ああ、それは――」
多田川はポケットから銀色の鍵を取り出した。用務員の村木さんが泣くから、もうやめておけよ、多田川。
「合鍵はあるから、返しておいてくれ」と俺に向かって鍵を投げる。
お前が返せよ。
その日の放課後。結局屋上の鍵を預かった俺は、村木さんに鍵を返す為に用務員室に向かおうと教室を出た。だが、廊下の先から緒方が血相を変えて飛んできて、無理やり体育館へと連行された為、結局返しに行くことは出来なかった。
「演劇部、今日から活動出来るって!」
もうコンクールまで残すところあと僅かとなったが、演劇部は無事に練習を再開した。元々、田所は余計な意見しか言わなかった訳だし、体育館のステージ上で事件が起こったとはいえ、部員は気を取り直し、また、忘れる為に、必死で稽古に励んだ。
珍しく、エイコは午後の授業中も部活中も姿を見せなかったが、部活が終わった頃にひょっこりと顔を出した。浮かない顔をしていたが、「どうした?」と質問しても、笑ってはぐらかされるだけだった。
家に帰ると可南子が「おかえり」と駆け寄るように台所から出てきた。
「遅かったね、部活?」
「そろそろ佳境だからな」
「そっか。じゃあ今週の日曜日って空いてる?」
「お前は兄の言葉をちゃんと聞いた方が良い」
「兄ちゃん、ジェットコースターとかは平気だったよね?」
「まあ、平気だけど」
「じゃあ遊園地行こう」
「二人でか?」
「まさか! 前の三人で」
つまり、仁科更紗と鈴本沙耶香の事だろう。
「遊園地って、おまえんちか?」
「そ、おまえんち」
我が家からそう離れていないところに、小前ヶ丘遊園地という色々な意味で有名な小さい遊園地がある。おまえがおか遊園地。略して、おまえんち。親しみやすい名前ではある。
「何で俺が付いて行かなきゃならないんだ? 遊園地に保護者同伴なんて聞いたことないぞ」
「兄ちゃんこそ何を言ってるの。ウチらは三人組なんだよ?」可南子は呆れた顔をしている。「二人乗りの乗り物があったら一人余っちゃうでしょ。ちゃんと考えてよ」
「もう一人友達を誘えば良いだろう」
「分かってないなぁ。仲良し三人組なの。それ以上でも、それ以下でもダメ」
俺が入ったら四人じゃないか、と言おうとしたが、不毛な議論を重ねそうなのでやめておく。
「兄ちゃん、男一人が嫌なら友達を二人連れ来てもいいけど、いないでしょ? トモダチ二人も」
「馬鹿を言え。遊園地に行く友達くらいいる。例えば――浅井とか」
「あぁ、ちょっとカワイイ顔してるよね、あの人。ウチのクラスでも人気」
「口の悪さを知らないからだな」
「あ、それ結構知れ渡ってるよ。それ込みでも良いって言う人が増えてるみたい」
「それはそれは。みんな御心が広い事で」
「他に当てはあるの?」
他に、遊園地なんぞに気軽に誘える人間は……緒方か。しかし、緒方と浅井は面識など無いだろうし、仲良くやれそうも無い。
良く考えれば、あの浅井とうまくやっていける人間なんて――いたな。しかし、いくら何でも遊園地には来ないだろう。そう言うのが好きな顔じゃない。俺も人の事が言えた義理では無いのは重々承知だが。浅井と多田川と一緒に遊園地なんて、考えただけでも溜息が出る。
「どう? 誰かいた?」
「いや、俺一人でいい」
「だと思った」
可南子は、読みきっていたとしたり顔をして見せた。腹が立つ妹だ。
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