第15話 少年が名探偵になるまで

 多田川が自分の力に気が付いたのは中学一年生の時らしい。


 その頃の多田川はサッカー部に所属していて、一年生ながらもレギュラーとして試合に出場するほど活発なスポーツ少年だったという。運動能力とは反対に成績は悪く、良く先生に呼び出されては怒られていたそうだ。今の多田川とは余りにもギャップがありすぎて、多田川が持っている不思議な力よりも信じられない話だった。 

 そんな順風満帆な学生生活を送っていたある日、事件が起こった。その当時、多田川には若代慶介(わかしろけいすけ)という親友がいて、共にサッカー部で頑張っていたそうだ。

 遅くまで部活をしていたある日、多田川と若代は近道をする為に公園を抜けて駅に向かった。すると、公園内から女性の叫び声が聞こえたという。多田川と若代は二人とも正義感に溢れる少年であり、体力にも自信があった。

 二人は、女性を助ける事が当然とばかりに、疾風のように公園の奥へと入っていくと、草むらの中で女性が数人の男に襲われている場面に出くわした。

 多田川と若代はその女性を助けるために草を掻き分け、男たちに体当たりをし、殴り、蹴り飛ばした。

 始めのうちは、不意を付いた勢いもあって何人かの戦意を喪失させる事が出来た。とはいえ、多勢に無勢。相手のほうが喧嘩慣れしていることもあって、多田川も若代も返り討ちにあってしまったそうだ。

 その不良たちのリーダー格の男はかなり冷酷な男で、若代に殴られた腹いせに、彼の足を木の枝で何度も刺したという。聞いていても目を背けたくなるような光景が、多田川の目の前で行われた。

 多田川は叫び、必死に抵抗しようとしたが、取り押さえられて動く事が出来なかった。弱気になった仲間の一人が「それ以上やったらヤバイよ」と言っていたが「俺の親父は力あるから、このくらい何でもないんだよ」とリーダー格の男は答えたという。

 その後も、男たちは多田川と若代に殴る蹴るの暴行を繰り返し、やがて去っていった。女性はいつの間にか隙を見て逃げ出していたようで、泣き崩れた多田川と、足に木の枝が刺さり大量に出血している若代が公園の草むらの中に残された。


 病院に運ばれた若代はかなり重態だったが、一命は取り留めたそうだ。腕を骨折して、体にも無数の打撲や傷を負った多田川だったが、警察には些細な事も漏らさず事細かに説明した。その当時から多田川は観察力に優れていたようで、あの混乱状態の中、そのリーダー格の男が何と呼ばれていたかをしっかりと覚えていた。

 そのリーダー格の男は石黒という名前で、警察署内でも有名な男だった。多田川は今すぐにでも石黒の逮捕を要求したが、警察の反応は非常に薄いものだった。

 それからしばらくして、多田川が若代の病室を訪ねると、病室の前で泣き伏せている若代の母親の姿があった。多田川が事情を聞くと、若代の足の怪我は予想以上に悪く、歩行は出来るだろうが、走るなどの運動は一切出来なくなるとの事だった。更に、不良の父親は本当にその土地の有力者であるらしく、立件するのも困難な状況らしい。

 その現実に多田川は怒り、そして絶望した。自分の馬鹿な正義感のせいで一生の怪我を負った若代。親が偉いという下らない理由で裁かれない石黒。その二つが多田川の心を押し潰した。


 その日から、多田川は部活に出なくなり、来る日も来る日も事件のあった公園を辺りを歩き回った。目的は一つ、石黒を見つけ出す事。警察に居場所を聞きに行ったが、個人情報の保護だとかいう理由のために教えることは出来ないとあしらわれた。

 しかし多田川は諦めず、とにかく歩き回った。


 そして、ついに多田川は石黒を見つける。あの日、暗闇の中で睨みつけた男の顔を多田川はしっかりと目に焼き付けていた。


 日も暮れてきた夜の公園。石黒は一人だった。何か腹の立つことでもあったのか、それとも何の意味もないのか、石黒は自動販売機を何度も蹴っていた。

 衝動を抑えられなくなった多田川は、通信販売で手に入れた警棒を握り締めると、石黒のもとへと走った。猛然と近寄り、警棒を思い切り振りかぶり、石黒の後頭部へ叩き降ろす。鈍い音がして、石黒は地面へと倒れた。更に多田川は、石黒の腹をサッカーボールのように思いっきり蹴り飛ばした。

 怒りと恐怖と興奮とが入り混じった多田川は「謝れ! 謝れッ!」と叫びながら石黒を叩き、蹴った。興奮が絶頂に達した瞬間、多田川の体から透明な塊が飛び出し、石黒に向かって飛んでいった。その塊に当たった石黒は、瞳をうつろに見開いたまま、悲鳴すら上げなくなった。


 殺してしまったのか、と多田川は愕然とし、反応を求めて「おい、石黒」と声を掛ける。すると、石黒は「おい、いしぐろ」と小さな言葉で返した。

 この期に及んで冗談をする余裕があるのか、と多田川は憤りを感じたが、一度言葉を発しただけで、しばらく待っても石黒は何も喋らない。

 その後、多田川は石黒に幾つかの問い掛けを試みたが、言葉を復唱する以外は何の命令も従わず、ただただ自失した状態が続いていた。

 石黒の状態が普通でないことは、多田川にも分かった。一種の催眠状態なのかもしれない――そう判断した多田川は、呆然としている石黒を残し、夜の公園を後にした。石黒が暴行を受けた件は、その町の小さなニュースになった。しかし目撃者は無く、犯人は見つからなかった。


 その日から多田川は、自分に特殊な力が備わった事を知り、その能力を理解しようと努めた。同様の行為を幾度となく繰り返した。

 その後の多田川は、見る見るうちに荒れていったらしい。自分は特別な人間だと思い込んでいたし、実際に不思議な能力もあったおかげで、喧嘩に負けることはまず無かったようだ。次第に力の使い方を覚えた多田川は、自由にその力を駆使出来るようになり、気が付けば近隣で多田川の名前を知らない生徒はいなくなっていた。勿論、良い名声ではない。


 それから二年ほど経過したある日の事。噂を聞いた若代が、多田川の元を尋ねて来た。多田川は石黒の一件以来、病院に見舞いに行かなくなっていた。一生ものの怪我を負わせてしまった責任を感じていたからだ。

 不良の溜まり場にやってきた若代は、ぎこちない足取りではあったが、しっかりと自分の足で歩いていた。リハビリに二年もの月日が必要だったが、その甲斐もあって、ちゃんと歩けるようになっていたのだ。多田川は驚いた。何と言葉を掛けて良いか分からなかった。そんな多田川を見て若代はこう言った。


「ありがとう」


 石黒が襲われた事件は若代の耳にも入っていた。若代はおそらく、多田川が自分の復讐の為に石黒を襲ったと気付いていたのだろう。だからこそ、若代は必死に歩いてやって来たのだ。その言葉と、その姿を見て多田川は泣いた。泣きながら、若代に謝った。

 そして、多田川はキッパリと不良世界から抜け出し、受験勉強に専念した。二年間も不良を続けていた多田川の成績は芳しいものとは言えなかったが、中学一年生ながらもサッカー部のレギュラーの座を射止め、また執拗に石黒を捜し続けた並々ならぬ努力と執念によって、どうにか高校へと進学する事が出来たのだそうだ。

 高校入学後の多田川は、自分が何をするべきかを決めていた。若代には、自分の力は伏せたものの、石黒を襲ったというその事実を話していた。若代は自分の仇を取ってくれた事が非常に嬉しかったらしく、決して褒められた話ではないが、感謝しているとまで言ったそうだ。

 その言葉を聞いた時点で、多田川は自分のするべき事を決めた。石黒のように、権力や暴力を盾に悪事を働く人間を見つけ出し、相応の罰を与えること。それが多田川に与えられた能力だと確信していた。そして、多田川の優れた観察眼は目的の人物を見つけ出す事に大いに役立った。

 多田川は、自らの手で犯行に及ぶ事を躊躇わなかった。若代の人生を潰した自分が汚れないで生きていけるとは思っていなかったからだ。

 そんな多田川の行為は予想以上に上手くいき、数々の事件を解決していくうちに、超高校生探偵とまで呼ばれるようになった。その肩書きは、多田川が多くの犯罪現場に存在している事実を正当化させた。多田川は次々と犯行を行い、その罪を悪人に着せ、両者の罪を暴く事で、世の中の誰かに変わって復讐をした。


 多田川はそんな話を、俺が意識を取り戻す間、淡々とエイコに話した。話し終わった後の多田川はとてもスッキリした顔をしていたらしく、昔はスポーツ少年だったと言う事も頷けるような顔をしていたらしい。

「なんで……あいつはそんな話をしたんだろう」

「……多分、多田川さんは平太を手に掛けたく無かったんですよ。きっと、すごく葛藤していたんだと思います」

 エイコは俺を説得するかのように、優しく言う。

「罪悪感から話したって事か? あの多田川が?」俄かには信じられない。

「それに、ほら、話せる相手がいないのって、寂しい事ですから」

 ふと、今日子の顔が浮かぶ。あの今日子でさえ、話し相手がいない事を辛いと言っていた。孤独とは、それほどまでに人を弱くするものなのか。

「多田川さんは誰かに聞いて欲しかったんだと思います。自分の考えた事や、行った事を。正当性云々ではなく、何故自分がそうするのか、という本心を」

 例えば、同じように不思議な力を持っている仁科更紗には、幸運にも可南子やモトサヤがいた。俺にだって、幽霊ではあるがエイコや今日子がいる。

 しかし多田川にはいなかった。若代という友人にさえ、打ち明けられなかった。もし俺が多田川の立場だったら、同じような存在、普通ではない人間を見つけたなら、自分から秘密を打ち明けただろうか。その人間にも気味悪がられる事を覚悟してまで。

「……警察に、行かれますか?」エイコが小さな声で尋ねてきた。

 俺はその言葉を聞いて初めて、自分には「警察に行く」という選択肢がある事に気が付いた。多田川の行為は、どう考えても良い行いではない。なにせ暴行を行っているのだ。更に人を冤罪に陥れている。襲われた人間は、多田川の言葉を借りるならば相応の悪事を行ったとは言え、その人間にも家族はいる。

 下柳の親は息子が襲われた事を知り、気が気ではなかっただろう。田所の家族は、周囲から白い眼で見られている事だろう。それを思うと、無性にやるせない気持ちになる。

 けれど、多田川の話に出てきた若代のような思いを抱えている人間もまた存在するわけであって――思考は堂々巡りになり、面倒くさくなった俺は、全てを神様に委ねる事にした。

 もしそのような存在がいて、多田川の行いが悪事だと判断されたならば、いずれ裁きも下るだろう。俺は人をどうこう出来るほど、自分が絶対であるという自信が持てない。

 ただ、一つだけどうしても許せない事がある。

 そう言うと、エイコは怯えた目でこちらを見た。

「……なんですか?」

「演劇部が活動できなくなった事だ。コンクールに向けて頑張ってきた皆に、あいつは詫びる必要がある」

「あ、その事でしたら、平気みたいですよ」

「え?」

「すでに校長先生には言ってあるそうです。すぐにでも活動を再開出来るのではないか、との事でした」

 何とも用意の良い事だ。明日から稽古を始められれば、コンクールに間に合うかもしれない。

「――それと、私、一つ思い出しました」

「お、本当?」

「平太の中に入って、重力だとか、膝の痛みだとか、そういったものを久しぶりに感じていたら、ふと」

 記憶喪失は何かの切欠で記憶を取り戻すことがあるらしい。エイコにとってのそれは、俺の肉体に入り、人間としての感覚を味わった瞬間だったのだろうか。

「それで、何を思い出したの?」

「それは……」

 自分に関する情報が増える事は喜ばしい筈なのだが、何故かエイコは顔に影を落としている。そして、おもむろに手を持ち上げ、自分の頭を指差した。


「私、誰かに殴られたんです」


 エイコを通り抜けた夜風が俺の体を煽る。太陽はとっくにビルの向こうに落ちてしまい、校舎の屋上は暗い海のようだ。遠くの街並みがぼんやりと光っていて、祖母の田舎で眺めた夜の海を思い出す。

 エイコはゆっくりと腕を下ろすと、力なく息を吐いた。

「殴られたって……その、頭の怪我の事?」

「はい。間違いないと思います」

「それは、誰に」

「そこまでは……ただ、棒のようなもので殴られた事だけは、はっきりと覚い出しました」

 まさか……想像の一つではあったけれど、本当に殴られていたなんて。

「そうすると……エイコは何かの事件に巻き込まれたって事になるのか」

「どうでしょう。あまり考えたくはないですけど」

「そりゃ、そうだよなあ」

「でも、この怪我が直接の死因では無いと思うんです。だって、頭を殴られたから、記憶を無くしている訳ですから」

 エイコは苦々しく笑っている。

「そうか。殴られた衝撃で死んじゃったら記憶を無くす暇が無いものな」

「はい」

 殴打による出血多量なのか、それとも、殴られて記憶を失った後、死に至る何かが起こったのか……ともあれ、エイコが殴られたという事実だけは確かなようだ。こんなにも明るく朗らかな女の子を殴りつける奴がいるなんて……到底信じられない。

「私、何か殴られるような悪い事でもしたんでしょうか……」

 エイコはますます肩を落とし、しょんぼりとしている。

「心当たりは、ある?」

「……分かりません」エイコは弱々しく首を振った。「うるさかった、とか?」

「そんな事で殴られてたら、今頃うちの妹の頭は包帯まみれだな」

「あんな可愛らしい妹さんを殴ろうとする人なんていませんよ!」

 エイコは両手を胸の前でグッと握り、強く否定する。

「その言葉、そっくりエイコに当てはまるから大丈夫。エイコが悪いんじゃなくて、殴ったやつが悪いんだ」

 そう言うとエイコは途端に目を丸くし、それから恥ずかしそうに俯いた。

「わ、わた、私は別に可愛らしくなんて……」

 いや、そこを主張しようとした訳では無いんだけど。

 わたわたと手を振るエイコを余所に、俺はよいしょと立ち上がる。

 膝が痛んだ。傷口が赤くなっている。

「とにかく、帰ろう。学校に閉じ込められちゃ敵わない」

「……そうですね。用務員さんの仕事にも差し支えますし」

 六月とは言え屋上は少し肌寒く、見上げた空に出ている月は美しかった。

 欠けた月。あれは、何と言う呼び方の月だっけ? 

 ――まあ、いい。月は月だ。

 目を覚ます前に感じた懐かしい感覚を思い出そうとしたが、擦り剥いた膝の痛みがそれを阻んだ。

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