第14話 名探偵との対峙

 それからしばらくは、校門にテレビ局やら新聞社やらが押しかけてきて、登下校が大変だった。

 先日までは『大手企業シバ・コーポレーションの強引な手口』という見出しがワイドショーを独占していけれど、連日、テレビの中にはうちの高校が映し出され、校長や教頭が頭を下げる映像が引っ切り無しに流れた。田所は犯行を否定しているようだけれど、女子生徒に猥褻行為を強要していた事は間違いがないようで、そちらも追って起訴されるようだ。被害者の下柳もまた、恐喝や強盗、傷害といった犯罪が無数に浮かび上がり、こちらも波紋を呼んでいる。

 襲った側も襲われた側も悪人で、超高校生探偵多田川冬也だけが正義のヒーローとして特集番組なんかが組まれていた。おかげで、大勢の取材陣の輪にファンと思しき女性陣が加わり、校門前は混沌としていた。

 クラスの人間にも、クラス外の人間からも事件についてあれこれと尋ねられた。校長には明言しないようにと言われていたが、どこから洩れたのか、ワイドショーやニュースで詳しく説明がなされていたので、特別話すような事は無かった。ましてや、多田川の謎の力についてなんて、誰に言える筈もない。

 廊下で多田川とすれ違う時などは、どうしても目線を逸らしてしまう。やむなく浅井のクラスの前を通る時は早足になった。浅井には「最近お前暗くなったな」なんて言われたが、確かにその通りかもしれない。接点が殆ど無いとはいえ、もしかすると自分の顔見知りがおかしな力を使って人を操り、人を襲っているかも知れない。気にしないで生活出来るほど俺は乱暴には出来ていないようだ。

 しかし、ではどうやって真実を見極めれば良いのか、さっぱり思いつかない。まさか直接話し合った所で「おかしな力、あります」などと教えてくれる訳も無いだろう。

 けれど、このまま有耶無耶にしてしまって良いのか?

 これは俺が解決せねばならない問題なのか? などとあれこれ煩悶していた矢先、多田川の方から出向いてきた。


 連日続いた雨が上がり、久し振りに覗いた晴れ間で、うす曇りだった俺の心がほのかに温まろうかとしていたある朝、下駄箱で上履きに履き替えていると不意に肩を叩かれた。

 振り返って見ると、そこには多田川の姿があった。


「放課後、屋上に来てくれ」


 その誘いを断る理由が見つからない。

事件のせいもあって、演劇部はしばらく活動停止を命じられていた。コンクールまでもう時間が無い為、このままだと今回は見送らなければならないかもしれない。屋上へ向かう旨を了承すると、多田川はそれ以上何も語る事なく去っていった。

 エイコはしきりに「危ないですよ」「やめましょうよ」と連呼していたが、このままにしておいても仕方が無いと伝えると、今度は「私が付いてますから大丈夫ですよ」と言うのだった。

「お願いします」と返すとエイコは「大丈夫です」と何度も呟いていた。

 きっと不安なのだろう。かく言う俺も不安が無い訳ではなく、一応の護身用として 金属バットでも持って行こうかと思ったが、相手の神経を逆撫でしても仕方ない。仁科更紗がいてくれたら心強いかも、と思ったけれど、多田川がどんな力を持っているのか判然としない状況で、彼女を連れて行くのは危険だ。仁科更紗だって、その力をコントロール出来るわけでもないだろうし、忌むべきその力を頼られるのも快くは思わないかもしれない。

 あれこれと思考してみたが、結局、一人手ぶらで向かうことにした。ひょっとしたら、多田川も話がしたいだけなのかもしれないし。


 屋上のドアは、普段は鍵が掛かっているのだけれど、今日は開いていた。多田川が開けたのだろう。背の低い緑色のフェンスに囲われている屋上は見晴らしが良く、遠くのビル群の向こう、今にも沈もうとしている夕日が街を赤く染めている。いつも見慣れたグラウンドや体育館は、この高さから見下ろすとまるで違う建物のようだ。

 多田川は、まだ来ていない。俺はフェンスに近寄って、ぼんやりと景色を眺めた。毎日歩いてくる通学路は思ったよりも細く、視界に広がる街並みは想像以上に広大だった。こんな風景がビルの向こうもずっと続いているのだと思うと、自分と言う存在が小さく感じられる。まだ夕暮れ時だと言うのに、空には月が浮かんでいた。左側が半分欠けていて、全体的に少し左に傾いたような形の月。あれは、何と呼ぶのだったか。


 そんな風に上を見たり下を見たりしていると、背後で扉の閉まる音がした。夕日に照らされて、ゆっくりと歩いてきたのは、いつも通りの銀縁眼鏡を掛けた多田川だ。 多田川は一定の速度を保ったまま、屋上の中央へと歩み寄ってくる。俺は少し後ろに下がり、距離を取った。

 その反応を見て、多田川が眉を顰める。

「……どこまで気が付いている?」多田川が低く呟く。

 何も知らない、なんて誤魔化してみても、何の解決にもならないのだろう。

「お前があの時、なんだか変な力で田所を操ったって事くらいだ」

 まあ要するに、何も分かってないのだが。

 すると、多田川はきつく眉根を寄せ、俺を睨み付けた。

「やはり、お前にも何か力が――」

「俺は一般人だ。ただ、少し変なものが見えるだけだ」

 エイコに怒られるかと思ったが、彼女はじっと多田川を睨んでいて、それどころではないようだった。

「変なものというのは――隣に浮かんでいる幽霊の事か」

 多田川がエイコの辺り指差す。幽霊はビクンと体を震わせた。

「見えるのか? お前にも」

「少し、空間が歪んでいるように見える程度だ。姿形まで見える訳じゃない」

 どこか遠くでサイレンが鳴る音が聞こえる。救急車だろうか。グラウンドからは、バットがボールを跳ね返す金属音と、生徒たちの掛け声が聞こえる。しかし、どれもどこか遠い世界の出来事みたいだ。

「……田所を操って、下柳を襲わせたのか?」

 単刀直入に聞いた。すると、俺の発言がおかしかったのか、多田川は小さく笑い出した。

「なるほど。普通はそう解釈するのかもしれないな」

「違うのか?」

「そんな力があれば、苦労はしないだろうな」

「じゃあ、下柳を襲ったのは――」

「俺の手はこの通り、汚れていない。だが、人を殴れば痛みは感じる」

 多田川はそう言って手のひらを俺に向けた。その手は白く細く、まるで女性の手みたいだった。

「お前が直接手を下して、田所に罪を擦り付けたのか」

「ニュースを見ていないのか? 田所も下柳も、色々と罪が発覚しているだろう。襲われて当然だとは思わないか」

「それは……それでも、誰かが変わりに襲っても良いって話にはならない」

 多田川は首を振った。

「お前は、どうしてこんな奴がのうのうと生活をしてられるんだろう、と思った事は無いか? 一体、司法は何をやっているんだと」

「……」

「下柳は最低の男だ。あいつから暴行を受けた人の数は知れないし、一生残る傷を負った奴もいる。田所も同じだ。最低の屑だ。裁く為に必要な証拠? 必要ない。両方とも俺が用意する。全員捕まえてやる」

 淡々と言葉を紡ぐ多田川から、異様な圧力が発せられている。何も反論出来なくなるような、息苦しい重圧だった。

「俺はあまり頭が良くないからな。田所を犯人に仕立てる時は自分でも理屈になっていないと思ったよ。島井の力もどんなものか見極めたかったしな」

「だから……俺に疑いが向かうようにしたのか?」

「そう。追い込まれたら何かしらの力を発現するんじゃないかと思ってね。まあ、杞憂だったようだが」

 余裕の言動とは裏腹に、今の多田川は少しも笑っていない。むしろ、緊張しているようでもある。

「どうして、そんな話を俺に……?」

「……何でだろうな。こういう事を話せる人間が今までいなかったからな」

 そう言うと、多田川は俺から視線を反らした。何かを躊躇っているようでもある。

「……だが、見えるというだけでも充分厄介だ」

 そして再び、多田川が俺を見据える。

 同時に、透明の塊が多田川を包んだかと思うと、物凄いスピードでこちらに飛んで来た。避ける、などという動作を起こす暇も無く、その塊は俺の体にぶつかった。衝撃とともに、一瞬にして視界が真っ白に染まる。


 薄れていく意識の中で、エイコが俺の名前を呼んだ気がした。


       

 母が俺の名前を呼んでいる。見渡す限り真っ白な世界の先に母が立っている。

 俺は母に駆け寄ろうとするが、手足が鎖で縛られていて進めない。母は俺の姿に気が付いていないのか、ずっと俺の名前を呼びながら逆の方向へと歩いていく。

 俺は必死に声を上げる。でも、どんなに叫んでみても、声は音にならない。

 手足の鎖を解こうとすると、自分の体がやけに小さい事に気が付く。小学生くらいだ。驚いている間にも、母の姿はどんどんと小さくなり、やがて見えなくなる。

 いつも見る夢だ。

 何故いつもこんな夢を見るのか、その理由は自分でも良く分かっていた。


 母が事故に遭う前の日に、俺は母と喧嘩をした。理由は、母が掃除中に俺のお気に入りのオモチャを落として、少し傷を付けたという、本当に些細な事だった。

 そんな些細な事で、俺はその日も母と口を利かなかった。

 母はその日、母校で同窓会があるとかで、夕方に家を出た。出かけ際に「行って来るね」と俺に声を掛けた。俺は返事をしなかった。そして……母はそのまま戻らなかった。同窓会からの帰り道、母は工事中のビルの上から転落したという。

 母は高い所が好きで、俺や可南子をデパートの屋上や、住民以外は入ってはいけないであろうマンションの最上階に連れて行ってくれた。「高い場所で受ける風は気持ち良い」と言っていた気がする。

 きっとその日も、酔い覚ましに風に当たりたくなったのだろう。母ならばやりそうなことだ。そして――足を滑らせた。鉄のパイプなどが積まれた工事現場の上に母は落下し、そのまま息を引き取ったそうだ。

 転落事故を聞いた俺は、目の前が真っ白になった。八歳だった可南子は大声で泣き喚いたが、俺は泣かなかった。泣けなかった、と言った方が正しいかもしれない。母がこの世からいなくなった事が全く信じられなかった。けれど、母はいなくなってしまった。

 父はその日も出張だとかで家を空けていた。当時はそれほど親しい交流も無かった柏木さんが俺と可南子を病院へ連れて行ってくれたが、母の体には白い布が掛けられていて、何度呼び掛けても返事は来なかった。俺が、母に最後に言った言葉は何だっただろう。なぜ、行ってらっしゃいと声を掛けなかったのだろう。そんな思いが頭の中をぐるぐると回り、涙なんて流れなかった。

 そう言えば、俺が幽霊を見るようになったのは、それぐらいからだっただろうか。何が切欠なのかは、自分でも分からない。


 けれど今は、いつも見る夢とは少し違って、何故だかとても懐かしい感覚を感じていた。顔にピシャと水滴が当たる。また雨か、と思い目を開けると、そこには母の顔があった。驚いて跳ね起きると、それは母ではなく、泣きじゃくったエイコの顔だった。

 日が沈み、薄暗くなった学校の屋上で俺は横になっていた。

「あれ……エイコ」

「良かった。無事だった」

「俺、なんで……?」

 自分がどうなったのかを思い出す。確か、多田川が透明の塊を飛ばして、俺はそれに当たって、目の前が真っ白になって――、

「多田川は!?」

 見回すと、屋上に多田川の姿は無い。どこに行ったのだろうか。起き上がろうとすると足が痛んだ。いつの間にか、制服の右ひざが破けている。

「多田川さんは、ちょっと前に帰りました」

「帰った? あいつ、俺に何もしなかったのか」

 意識を失う前に見た多田川の顔を思い出す。いつも能面みたいな冷淡な顔が歪んでいた。何を考えていたのかはまるで分からないけれど、何もせずに立ち去るとは思えなかった。

「……実はですね」

 混乱している俺を落ち着かせるように、エイコがゆっくりと口を開く。


 立ったまま動かなくなった俺に多田川は悠々と近付いてきた。多田川の計画では、どこかに監禁し、何かしらの罪を擦り付けるか、あるいは――それ以上の事も考えていたらしい。

 今更だが、そんな恐ろしい事を考えるような奴に呼び出されて、ホイホイと屋上に上がっていった自分もどうかしている。

 多田川が近付いて来たその時、俺の体は動いた。なぜ動いたかと言うと、俺の体の中にエイコが入ったからだ。「幽霊は、意思を持っていない生き物の中には入れる」と言っていた今日子の言葉を思い出す。俺は多田川によって意識を飛ばされて中身が無い状態だったのだから、意識の塊であるらしい霊体のエイコが侵入して体を動かす事は可能だったのだろう。

 とにかく、俺は動いた。多田川はさぞかし驚いた事だろう。意識が無い筈の俺が動き出したのだから。

 しかしエイコは上手く俺の体を動かす事が出来ず、ヨロヨロとふら付いてしまったらしい。幽霊になってからは重力や体の重みなどを感じなくなったそうだから、それは相当大変な作業だったのだろう。

 多田川は多田川で、不測の事態が目の前で起こっているものだから、流石の超高校生探偵も動揺を隠し切れなかったらしく、すぐには対処出来なかったようだ。もう一度多田川が例の透明の塊を飛ばしていたら、今度こそ一巻の終わりだったのだろうが、幸いそうはならなかった。

「動けるのか……?」という多田川の問いにエイコは「てめーの技など効かねえ」と返したそうだ。

 エイコ曰く、少しでもハッタリを効かせる為に必死で考えた強い男の言葉遣いらしいのだが……これは俺が言った事になるんだろうから恥ずかしい。

 更に奇跡は続く。そんなハッタリが十二分に功を奏し、たじろいでいる多田川の元へエイコ扮する俺は走り寄った。必殺パンチを食らわせるつもりだったというから恐ろしいものだ。必ず殺す程のパンチを繰り出せるほど、俺の体は鍛えられていない。

 しかし、そんな必殺パンチを繰り出す以前に、エイコは上手に俺の体が操縦出来ず、足はもつれ、そのまま多田川に体当たりをする恰好になった。体当たりをされた多田川はよろめき、コンクリートにしたたか頭を打ちつけた。エイコは膝を擦り剥いた。

 痛みを感じたのは本当に久し振りだったらしいので、エイコは思わず「痛いっ」と高い声で叫んだと言う。多田川も目を丸くしていたそうだ。それはそうだろう。先ほど多田川の超能力的な力に対して「てめーの技は効かねえ」なんてヒーロー染みた台詞を吐いた男が、たかが膝を擦り剥いたぐらいで女の子のような悲鳴を上げているのだ。キャラクター崩壊にも程がある。

 エイコはあまりに膝が痛かったために、その場でハラリと涙を流した。確かに、この話を聞きながらも俺の膝はジンジンと痛んでいる。膝に目をやると、破けた制服の内側からは赤い血が滲んでいた。コンクリートで転ぶと細かな凹凸が肉を抉り、とても痛い。エイコが泣いてしまったのも、無理は無いかも知れない。

 さて、この事態により逆に多田川は冷静さを取り戻したようで、こちらを怪しむ目つきに変わったという。常識的に考えれば、男子高校生が多少膝を擦り剥いた程度の事で涙は流さない。先ほどまで辺りを浮遊していたであろう「空間の歪み」が無くなっている事から、多田川は俺の中身が別人格なのではないかと推理した。

「君は、島井じゃないな」

 ものの見事にばれてしまったエイコは気の利いた嘘も吐けず、「あ、はい」とあっさりと自分が何者であるかをばらしてしまったようだ。もっとも、エイコ自身、自分が何者であるかは分かっていないのだが。

 それを聞いた多田川は、続いてエイコの意識も吹き飛ばすのかと思いきや、初めはクスクスと肩を揺らし、やがて大声で笑い出した。体育館での推理ショーの時もそうだったが、どうやら多田川は予想外のおかしな出来事に対峙した時に、堪え切れず笑い出してしまう男らしい。思ったよりも、感情が豊かなようだ。

 多田川はエイコにこれ以上攻撃の意思は無い事を告げると「少し話をしないか」と提案してきたと言う。エイコは「はい、いいですよ」と答えたそうだ。女言葉でさぞや気持ちが悪かっただろうが、多田川は一切気にしていなかったらしい。

 多田川はフェンスに背中を預けて座ると、自分の身の上を語った。どうしてこんな力が目覚めたか。その力を知ってどうしようと思ったか。今までにどんな事があったか、などを。

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