第11話 人喰い用務員

 エイコの在籍していた高校が俺と同じだと分かってからしばらく経ち、背中の痛みもようやく取れたある日の事。最近のエイコは休み時間になると校内をうろつきまわるようになった。自分の母校だと分かり、何か思い出す手がかりを探しているのかも知れない。しかし、授業の時間になるとしっかりと戻ってきて、先生の言葉に耳を傾けるのだから大したものだ。

 制服が変わったのが今から三年前、俺が丁度入学した年だから、生きていれば少なくとも四歳年上という事になる。二十一歳くらいということは、大学生だ。今のエイコからはちょっと想像がつかないけれど、良い大学に進学していた事だけは間違いないだろう。

 昼休み。三年生初の席替えで、真ん中ではあるが見事に窓側の席を引き当てた俺は、五月の暖かい日差しを背中に浴びながら、午後のまどろみを満喫していた。するとエイコが、まだ五時間目が始まる前だというのに教室に戻ってきた。

「平太、平太!」自分が年上だと分かったからか、エイコはやっと俺の名を呼び捨てで呼ぶようになった。「人喰い用務員が出るらしいんです!」それ以外は相変わらずだが。

 俺は机に伏せたまま、突拍子も無い事を言い出したエイコの顔を見つめた。

「それは、春だねぇ……」

「ちゃんと聞いて下さいよぉ」

 あまり適当にあしらって怒り出されても困るので、とりあえず俺は起き上がる。

「人喰いがどうしたの」

「さっき、一年生の女の子たちが話しているのを聞いちゃったんですけど……」エイコは怖い話でも始めるかのように声のトーンを落とした。「どうやらここの用務員さんは、人を襲っては食べてしまうそうなんです!」

「そんなアホな話がありますか。人の大事なシエスタを邪魔して……」

 俺はまた机に突っ伏した。窓から入ってくる日差しが頬に当たる。

「本当にそう言ってたんですよ」

「学園七不思議みたいな物だろ? 都市伝説と同じだよ」暖かさのせいか、喋りながら欠伸が出た。

「本当かもしれないじゃないですか。現に、私や今日子さんみたいな幽霊だって存在しているんですから。きっと、妖怪とか怪物が人間に化けているんです」

「本当だったとして、俺は化け物退治なんて出来ないぞ」

 なにせ、幽霊だって手に余るのだから。

「これは、エーコちゃんの目撃談なんですけどね……」

「君の事?」

「違いますよ。アルファベットのA子ちゃんです」

エイコの聞いたA子ちゃんの目撃談はこうだった。


 ――ある日、部活動で帰りが遅くなったA子ちゃんは、用務員室の側を通った。辺りはもう暗くなっている。早く帰らなきゃと足早で校内を駆けていくと、その用務員室に一人の女子生徒が入っていく姿を見かけた。

「こんな時間に、なにか用があるのかしら……」

 その日は、深くは考えなかったそうだ。

次の日も帰りが遅くなったA子ちゃん。するとまた、用務員室に入っていく女子生徒の姿。二日続けてはさすがにおかしいと思ったA子は、勇気を出して用務員室をノックした。

『コン、コン』

『ガチャッ』

 ドアが開く。中から、用務員のおじさんが出てきた。心なしか慌てた顔をしている。

「なにか、用事かい?」

「あの……さっきこの部屋に、女子生徒が入っていきませんでした?」

 すると、用務員のおじさんは答えた。

「いや……? ここにはだーれも入ってきてないよ」と。

 しかし、A子は部屋の中に学生鞄が落ちているのを見逃さなかった。怖くなったA子は、逃げるように学校を飛び出したという―――。


「ね、どうです。怖いでしょう? 用務員室に巣食う人食い用務員です」

「いや、怖いけど、いくらなんでもそれで食べちゃったってのはどうかと思うぞ」

「食べてはいないにしても、怪しいじゃないですか。女子生徒が入っていく姿を見たA子ちゃん。なぜ、用務員のおじさんは嘘をついたのか? その謎を解く鍵が、きっと用務員室にあるんですよ」

「ただの噂だと思うけどね……」また欠伸が出た。

 その日の放課後、緒方に「部活、遅れていくから」と伝えた俺とエイコは、一階の校舎の端に立っていた。ドアの右上に付いている汚れたプレートが、目の前の部屋が用務員室である事を示している。この学校に通い始めてもう三年目だが、用務員室には入った事が無いどころか、その存在すら知らなかった。しかし、用務員さん自体は何度か見かけた事がある。人の良さそうなお爺さんだった気がするが、それをエイコに話すと「犯人は得てして良い人そうなんです」と妙に納得をしている。どうしても、この噂を真実にしたいらしい。

「じゃ、部屋の中を覗いてきなよ」とエイコに言うと、エイコは泣きそうな顔でこちらを見た。

「一緒に見ましょうよ!」

 怖がりな幽霊だな。

「何をしている」

 急に声を掛けられ、俺は驚き、エイコが悲鳴上げた。振り返ると、少し離れた廊下の先に、銀縁眼鏡を掛けた男の姿があった。多田川冬也だ。

「……誰と話しをしている?」

 眼鏡の奥、横長の目が射抜くように俺を見つめる。エイコは固まったまま動かない。

「ああ、独り言だよ」

「……」

「芝居の練習だ。俺、演劇部だから。言ってなかったか?」

 俺の中では気が利いている類の嘘だと思う。多田川はその嘘を信じたのか、しばらく思案でもするかのように俺を見ると、何も言わずに廊下の向こうへと消えて行った。

「ビックリしましたね……」

 エイコはホッと胸を撫で下ろしている。俺は頷いた。

このまま用務員室の前でうだうだしていて、また多田川に不審がられるのも嫌なので、俺は用務員室のドアをノックする。

『コン、コン』

 エイコが息を飲む。怖がりの癖にこういう話に首を突っ込みたがるのはどういう心境なのだろうか。そういえば、可南子も怖がりだがホラー映画が大好きだった。良く一緒に見てくれとせがまれたものだ。

『ガチャッ』

 ドアが開く。中から、用務員であるお爺さんが出てきた。

「何か……用かな」

短く整った白髪で、くたびれた水色のつなぎを着ている。年齢は何歳ぐらいなのだろう。おそらく、七十歳くらいなのではないかと思う。顔に刻まれた皺が人生を物語っている気がした。しかし、厳格さよりも温厚な雰囲気を漂わせている、人当たりの良さそうなお爺さんだった。

「あ、ええと……」何と話したものか迷ったが、用務員のお爺さんに嘘をついても仕方が無い。「ちょっと、お話があるのですが」

 その言葉を聞いたお爺さんは、顔を綻ばせて俺を部屋の中へと案内した。エイコは少し戸惑った顔をしている。

 用務員室は四畳の居間にキッチンが付いた、小さな部屋だった。畳の真ん中にはコタツが置かれ、その向こうには蒲団が畳まれている。布団の隣には随分と型の古い小さなテレビが、これまた小さなテーブルの上に置かれていた。地上波デジタル放送時代に移行してしまったから、もはやこのテレビは無用の長物なのだろうけれど、置いてあるだけで良い雰囲気を出している気がするのは、聊か懐古趣味過ぎるだろうか。入り口から向かって正面にある窓からは、夕日に照らされたグラウンドが見える。遠くに、ボールを追いかけている野球部員の姿が見えた。

「お茶を用意しよう。適当に座って下さいな」

 お爺さんはやかんに水を入れ、小さなコンロの上に置いて火を掛けた。俺は上履きを脱いで畳に上り、入り口に一番近い所に座った。

「ここに、生徒さんが尋ねてくるのは久しぶりだよ」お爺さんは湯飲みを用意しながら言った。

「そうなんですか」

「まあ、用務員の爺さんなんかに用はないだろうからねぇ」

 お爺さんは目じりに皺を寄せて笑った。卑屈になって自嘲した訳ではなく、それさえも楽しんでいるといった大らかな佇まいだった。

「お前さんは、何年生かな?」

「あ、すいません。三年の島井平太です」

「そうか、三年生か。今年は受験で大変だね」

「そうですね。テストばかりです」

「そうかそうか」

 このお爺さんがこの学校に何年勤めているかは分からないが、もう何百人という卒業生を見送ったのだろう。最近は用務員と親しく接しようという生徒の数も少ないのだと思う。時代が進み、学校も少しずつ変化をしていく中で、この部屋だけがいつまでも取り残されているようだった。

 やかんが音を鳴らすよりも前にお爺さんはコンロの火を落とすと、お湯を急須に入れ、湯飲みにお茶を注いでくれた。薄緑色をしたお茶は適温で、猫舌な俺でもすぐに飲む事が出来た。

「それで、話というのは何かな」

お爺さんは俺の向かいにどっかりと座った。

「あ、それがですね……」

何十年も学校を守り続けているであろうお爺さんに、「あなたが生徒を食べているという噂がありまして」と尋ねるのが、とても申し訳ないことのように思えてきた。しかし、こういう噂がある以上、しっかりと否定してもらった方が、お爺さんにとっても良い事なのかもしれない。

 それはつまり、この部屋に生徒が来るようになるかもしれないのだから。

「実はですね、用務員さんが――」

 俺は、エイコから聞いた噂話を伝えた。その話を聞いたお爺さんは神妙な顔つきになり、炬燵机に置かれた湯飲みをじっと眺めていた。

「なるほどねえ……そんなに噂になってしまっていたのか」

「タチの悪い話ですね」

 お爺さんは腕を組むと、考え事をするかのように目を閉じた。眉をひそめ、険しい顔をしている。しばらくして目を開けると、今度は俺の顔をじっと見つめた。

「どうかしたんですか?」

「変な噂になられても、それはそれで困るしなあ」

 そう言うとお爺さんはスッと立ち上がった。エイコがビクッと体を震わせる。お爺さんは窓のカーテンを勢いよく閉めると、ゆっくりとこちらを振り返った。

「矛盾しているけども」お爺さんは笑いながら、再び俺の正面に座った。「大っぴらに話す事でも無いからね」

 お爺さんの語った真相は、人喰いだの怪物だのと言ったファンタジーとは縁遠い話だった。

 ニ十年ほど前、まだお爺さんがおじさんと呼ばれていた頃の話だそうだ。その頃の用務員室は、生徒たちには相談室のような感じだったらしく、それなりに賑わいがあったという。

 ある日の放課後、一人の女子生徒が深刻そうな面持ちで用務員室に相談にやって来た。その女の子が語った内容というのは、担任の教師が自分に好意を抱いているらしく、言い寄られて困っているというものだった。もちろん用務員のおじさんは親身になって何度も相談に乗った。

 その子との相談中に他の女子生徒が尋ねてきて、「誰か部屋の中にいないか」と尋ねられた事は確かにあったそうだ。事が公になると学校としても問題だろうし、女子生徒の身に災難が降り掛かるかも知れないと考えたお爺さんは、「ここには誰も来ていない」と嘘を吐いたと言う。この話が二十年の歳月を掛けて、人から人へと伝わるうちに「人喰い用務員」という噂に変わってしまったようだ。

 結局大きな事件にはならずにその子は無事卒業する事が出来だ。用務員室に巣食うこのお爺さんは、人を喰っていたのではなく救っていた、という……そんなオチだった。

 話が終わった頃にはすでに陽が落ちていた。長居をしてしまった事を詫びると、お爺さんは遠慮せずにまた来なさいと言ってくれた。部活に顔を出すのも疲れたので、そのまま家に戻る事にする。帰り道、エイコはずっとお爺さんに詫びていた。

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