第8話 陽のあたる者、あたらぬ者

「パンパカパンツをパンパカファック! パンパカパンツをパンパカファック!」

 コンビニからの帰り道を完全にアウトな題目を唱えながら歩いていた。

 人類の脳は様々に開発が可能であり、進化した人類はオムツ(パンパカパンツ)そのものに劣情を抱き、ついには人間ではなくオムツのみを犯して射精することも可能となる。この進化により小児性愛犯罪による被害者はゼロとなり、オムツの売れ行きは倍増、日本経済回復の一手となるのだ。

 それにしてもごう、業について考えざるを得ない。進化の果てはどこなのだ。我々はいったいどこから来てどこに行こうというのか。行くところまで行ってしまえばいい。我々は自由なのだ。精神を倫理の監獄から解放し、マジモンの監獄にブチ込まれようではないか。そうです、私が近所で評判の異常者ですこんにちはそしてさようなら。

 ん……あれは……?


「き、君、小学生? かわいいね……ぼ、僕の家でプリキュアの最新話見ない……?」

 僕のセリフではない。僕の家の前で、四月ちゃんが変質者に絡まれているのだ。

 間違いない。こいつはペドフィリア野郎だ……。ペドフィリアとは、小さな女の子に興奮する精神疾患患者のこと。こいつらは、しまいには「義務教育」という言葉にすら興奮するようになってしまう異常者なのだ!

 なんてことだ、許せねえ。生きることすら許されぬ、社会倫理に反した外道! おい、てめえ! おすすめのジュニアアイドルのDVD貸そうか?

 とりあえず、四月ちゃんを助けるか……そう思い足を踏み出そうとした、その瞬間だった。

 育ちの良さそうな少年が、突如としてペド野郎(僕のことではない)の前に立ちはだかったのだ。

「待ちたまえ」

 少年の凛とした声が響く。歳は中学生くらいだろうか。端正な顔立ち。品のある話し方。少年の所作のひとつひとつが美しく、やんごとなき家柄の人間であることは明らかであった。

「な、なんだよお前……」

「この少女が困っているじゃないか」

 臆するところは微塵もなく、相手の目を見据えてハッキリと彼は答えた。

 正しさの塊。陽の当たる道を歩む者。その眩しさに、変質者は気圧された。

「なんだよ、なんなんだよ……僕が何をしたって言うんだ……いつだって悪いのは、僕じゃなくてこの世界なのに……」

 変質者はブツブツと呟きながら、逃げるようにその場を去って行った。この変質者は、違う世界の僕なのかもしれない。どこかで枝分かれした僕の人生の、決して遠くはない別の可能性。仄暗い社会の底で蠢動する者同士、どこか共感できる部分があの変質者にはあった。少なくとも僕たちは、そこの美しい少年とは根をまったく別とする植物なのだった。

「……」

 四月ちゃんはビクビクとしている。

「大丈夫でしたか?」

 少年は先ほどまでの毅然とした態度を崩し、優しい声音で聞いた。

「ひっ」

 しかしそれでも、四月ちゃんはビクッとして後ろに一歩下がった。

「ああ、申し訳ない。その、恩を着せようというわけじゃないのですが、ただ……もしよかったら、名前を教えてくれないでしょうか?」

 場に沈黙が訪れた。少年は優しげな笑みを浮かべたまま返事を待っていて、四月ちゃんは恥ずかしそうに頬を紅潮させてモジモジとしている。

「えと……その……えと……」

 答えあぐねる四月ちゃん。

 なんだ、この雰囲気は……ラブか? ラブなのか?

 あまりに悲しくなった。その少年の行いはあまりに自然なことで、あまりに正しすぎたのだ。陽の当たる道を歩む人間が、美少女と恋愛をしている。それはあまりに正当な、彼らだけが持ち得る権利だった。僕たちのような日陰者が恋愛をすれば気持ち悪いが、彼らの恋愛は全肯定される。彼ら陽の当たる者たちの、存在そのものが完全なる善であるならば、僕たち日陰者は存在そのものが悪であった。これ以上このラブを見ていれば、眩しさに目が潰れてしまう……!


「こ、こここここんにちは!」

 耐えきれなくなった僕は思わず彼らの前に飛び出した。

 少年は僕のことを先ほどの男と同じような不審者だと判断したらしく、再び四月ちゃんを庇うように立ち塞がった。

「おにいちゃん!」

 四月ちゃんはこちらを見て嬉しそうに手を振った。少年は警戒を解き、礼儀正しくお辞儀した。

「あれ、あれあれあれ? これはひょっとして、お邪魔だったかな? ラブの最中だったのかな?」

 卑屈な笑顔を浮かべて、僕は言った。

「いや、そういうわけでは……」

 少年は困ったような表情を浮かべて否定した。おいおい、ネタは上がってんだぞ。

「いやーお恥ずかしながら僕は生まれてからこの歳まで、その、恋愛? っていうんですか? したことないんですけれどもね。いやーその若さでね、恋愛だなんて、すごいですねえ! どうぞ、 惨めな僕をダシに盛り上がっていただいて結構ですよ! あのおっさん、ろくに恋愛したことなくておかしいなって、ピロートークで盛り上がっていただいても!」

 早口でまくしたてるように言うと、目の前の二人は困惑しているようだった。

「でもね、これだけは言わせていただきますよ。少年、君のやっていることは、強姦と同じですよ。さっきの変質者が四月ちゃんにしようとしていたことと、同じことなんですよ! 無理やり四月ちゃんとチュッチュしようとしていた変質者を追い払って、結局は自分がチュッチュするために四月ちゃんに声をかける……お前、それはさっきの男たちがしようとしていた強姦とどう違うんだ? アプローチが違うだけで、目的は同じワンチャンじゃないか! お前は強姦魔だよ! しかしね、僕にはわかっていますよ。世に認められる強姦もあるのだと。そして世の女の子たちはこの手の強姦に弱いのだと。ゆえに、この世界には強姦のような恋愛が蔓延はびこっているのです。世の中の恋愛のほとんどは、強姦のようなものなのです!」

 声を荒らげて言うと、僕の目から涙がボロボロと零れていた。覚悟はしていた。いつか、四月ちゃんは僕を置いてどこかへ行く。夢も希望もありはしなかった。僕の住む部屋だけが行き止まりだ。

「ふむ……つまりあなたは、この子が先ほどの変質者に絡まれているのを知りながらも、助けに出ることもなくただ黙って見ていた、ということですか?」

 少年は眼を鋭くして僕に詰問した。

「グウッ!」

 嗚咽を漏らして、僕は家の中へと逃げた。

「あっ! お、おにいちゃん! あ、あの、通りすがりの方、た、助けていただいてありがとうございます! で、でもごめんなさい、私、名前とか無いんで!」

「えっ!?」

 少年は意外そうな声で叫び、その場に取り残された。

 四月ちゃんは僕の後を追ってきた。しかし彼女に合わせる顔は無かった。子供たち相手に自分勝手な感情でひどいことを言ってしまった。僕はドアを思い切り引っ張って開かないようにした。四月ちゃんはドンドンと戸を叩いた。

「あ、開けて! 開けて!」

 心の扉は開かない。

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