月の爆撃機

1章 月からの使者

1話 隕石獲り


 5月の始め、倉橋・仁美は正式に戦闘機乗りになった。だが、やることはこれまでと変わらない。訓練もこれまで通りだ。

 だが今日は、少し趣が違った。


「今日の訓練は中止だ。流星群が来る」


 隊長のクロイツェルが告げ、同時に隊員たちのあいだに緊張が走る。

 流星群。隕石が宇宙から降ってくる自然現象だ。たまに雲海まで落ちてくることもあるが、たいていはそれまでに燃え尽きてしまう。そのため、隕石を確保するには熱圏まで飛ばなければいけないし、確保には特殊な道具も必要である。


 それでも隕石を取るのは、微量ながらも隕石に金属が含有されているからだ。ときには金属だけではなく稀少元素も含まれているので、研究者にも需要は高い。飛鳥は空中に浮かんでおり、排泄物から死体まで98%のリサイクルが実行されているが、物資が消えていくのは必定であるし、消耗品である金属――特に戦闘機に使うものは常に補給が叫ばれている。それなら自分たちで取って来いというわけだ。


 隕石採取に赴くのは蒼竜と紅竜だ。この二つは改造性能が高く、他の機体では負担の大きい装備も着けることができる。機体の倍以上もある大気圏脱出用のブースター・ユニットも充分に装備可能だ。


『これって……本当に大丈夫なんでしょうか』

 不安を大いに見せた声で仁美が言った。既に身体は蒼竜の中。クロイツェルが答える。

『大丈夫だ。きちんと飛ぶ。これまで飛ばなかったことはないからな』


 だとしても今回もちゃんと飛ぶという保証はない。それよりも、普段の10倍近い速度で飛べるのかということが問題だ。戦闘機の内燃炉は完全核融合炉で出力は大丈夫。出力系やメインエンジンと連結されたブースター・ユニットも、実質は外部装甲みたいなものであり機体を覆うから衝撃も抑えられる――。理屈は分かるが不安は消せない。

 それでも自分が出るのは決まったことだ。仮象訓練で何度もやらされ手順は身についている。ここでやめることなんてできない。


 発射まで3分を切った。そういえば、あれからシェノラとは一度も会っていない。伊織先輩は頻繁に連絡を取っているみたいだけど、何をしているのかは教えてくれない。こういう時、暁先輩がいれば――あれからまだ一ヶ月も経っていないのだ。訓練時代にも何度か人が死ぬのは見てきた。でも、同じ空で死んだのは初めてだ。ショックではないと言ったら嘘になる。


 だが、そんなことを考えているうちに時間がやってきた。遥かなる宇宙へと行く機体はやや太陽の方向を向いている。自分に隊長、瓜生先輩、カネルヴァ先輩、露堂先輩の五人だ。


『発射!』


 合図と同時にブースターが火を噴いた。一機ずつ編隊を組んで機体は上昇する。初速からしてマッハ3を超え、120秒後にはマッハ25にまで到達している。


 地球の重力を振り切って五機は熱圏に到達し、電磁ネットを展開する。五機が円を描いて広げた網は直径が300m、燃え尽きる前の隕石を捕らえて大きく揺れる。一つ捕まえたら次は5㎞先だ。常に動き続けて効率的に拾わないと、充分な量を手に入れることは出来ない。


 無駄に速く動くと熱でユニットが破損してしまう。できる限り摩擦を生まないように直線の動きをしながら、時には網を伸ばしつつ、落下してくる石を網に乗せていく。取れない物は見逃すが、取れそうなら多少の無理をしつつも採取する。


 流星群でなくても隕石は常に地球に降り注いでいる。予想外の方向から飛んでくるのも反射的に取ってしまうので、想定外の力が網にかかると薄くなったり熱で破損しそうになったりしてしまう。仁美は何度かやってしまい、そのたびに冷や汗をかいていた。


 作業は6時間続いた。隕石が降る間隔が少し開いた瞬間に溜まった隕石を回収しては網を空にして隕石を拾っていく。それを十数回繰り返しようやく作業は終了する。哨戒は嵐剣が単機でやっていて、大変ではないのかと思うが、このところの訓練続きに不満があったみたいなので、それなりに満喫していそうだ。


 降下、その前に隊長から静止の指示があった。


『管制からの指示だ。月から輸送機が降りて来るので、それまで動くな、だと』


 彼にしては珍しくあからさまに苛立っている。この状態でいることの危険性を考えろ、と意思が伝わってくる。


『月から降りてくる? 珍しい』


 カネルヴァ先輩がはっきりと意思を伝えてきた。これも珍しいことだ。四人が同時に驚きの意思を見せる。

 だが彼はそれには何も反応を示さず、隊長が返答をした。


『ワンダーゲートの件だろうな。実際に降りてくるとなると、かなり厄介なことになりそうだ。もしかすると俺たちにも影響があるかもしれん』

『今みたいに、ですね』


 ためいきと共に露堂先輩が思った。

 でも、自分たちの行動に影響があるならエンタングルを倒せなくなるのでは――? 


『そんなことはないだろう、倉橋。ゴドウィンがなんとかするだろうしな……』

『そうなんですか?』

『ああ。あいつの曲がって絡まりきった性根は、蛇と狐を足したようなものだ』

『蛇? 狐? なんですか、それ』

『大昔の動物らしい。なんでもずる賢いとか狡猾だとかで、そういうふうに使われるんだ』

『はあ……』


 苦々しげに言う口調は、それでもどこか期待しているような不満が覗いている。


『あ――』


 正面を巨大な火の玉が通過して行った。月から飛鳥へと降りていく。探知できるのは金属の細い流線型の外殻。戦闘機とは似ても似つかない。内部はきっと無事なのだろうが、外から見ると焼失してしまいそうでひどく不安になる。それとも飛鳥のためには消えてしまった方がいいのだろうか。


 不穏なことを飛沫のように思考の端に浮かばせては消しながら、仁美は火の玉を目で追う。遥か下に下に落ちて、そののち火の玉が消えて元の姿をあらわにする。それでも飛鳥はまだ先のようだ。


 移動の許可が出たのはそれから十数分後だった。輸送機は兵装部とはまた別の格納庫に入ったらしい。それならばこちらも移動してよさそうなものなのに。


 上昇に比べてひどくゆっくりとした降下の中で、自然と月についての話が発生した。


『それにしても、本当に月に人がいるんですね』

 続けて露堂が口を開いた。

『あたしも知りたいな』

 二つの声に返事をするのは、珍しく隊長ではない。

『オレが答えよう』


 瓜生先輩がどこか楽しげに解説を始める。


『そもそも月とは地球の衛星だ。雲海が地表を覆う前、飛鳥が飛ぶよりも前、ずっとずっと前から宇宙は人類の憧れだった。その足掛かりとして一部の人類が月に住み始めたのさ』

 話が長くなりそうだ。過去話から始まると大抵長くなる、と仁美は思う。しかもそんなことまで知っているということはかなりのギークだろう。

(降りる前に終わるといいんだけど)


 早々に敬遠の気配を見せる仁美を置いて瓜生は語る。


『でも深宇宙の探索は無人機だけに終わった。ここらへんが曖昧なんだけど、その前に雲海で地上の文明が終わってしまったからさ。結局、人が移住できた星は、月と火星の二つだけ。いまでも交流があるのは月だけだし、それも上層部がわずかにやり取りを交わすだけのはずだったのさ。火星との交流は、断絶しているっていうのが公式だけど本当はどうか分からない。――これまではね』

 そこで含みを持たせるように一拍置いて、

『月は水と大気が存在していて、地中には金属が存在する。隕石採取なんてする必要はないね。もっとも落ちてくるそうだから拾ってはいるようだけど。でも飛鳥よりよっぽど物資は足りているらしくて、合成食料も培養動物も流通の半分以下らしい』

 そう説明されても、そもそも仁美は味はそんなに変わらないと思うので、わざわざ手間をかけて飼育する意味が分からない。調理すれば全部同じだろう。


『一番の違いは人種かな。飛鳥は地球上の色々な人を乗せて飛翔したけど、あそこにいるのは大昔にヨーロッパって呼ばれていた場所に住んでいた人ばかりで、名前も仮名しか使わないんそうだ。通称ユーリアン』

 そう言われても仁美は聞いたことがない。それは露堂先輩も同じようで、

『そのユーリアンってのは聞いたことがないよ。それに、どうして飛鳥に来るんだ』


 一瞬不満の意思が顔を出す。しかしすぐにひっこめられて、若干の嘲笑を含んだ声音で言った。

『これは月のことを知っている人が使う呼び方ですから知らないのも無理はないでしょう。で、なぜ月から来るのかだが、今日はワンダーゲート絡みだろうが大抵は技術狙いだ』

『技術?』

 同じ地球から出たのだからそれは同じ、ではないのか?

『技術は常に進化するし持っていけなかった技術や隠されていた技術も存在する。たとえば嵐剣だ。あれは現在の技術じゃあ再現できないし、解析もままならない。分解でもしようものなら二度と使えなくなる』

『それは飛鳥も同じじゃないの。究極的には、あたしたちの住処を欲しがっているんだろう』

『そ……そうだとは確信できていない。だが可能性としては大いにある』

 伝わってくる感情は焦り。話の〆にでも使おうとしていたのだろう。

『でも不思議だよね』

 しかし続きは露堂先輩。瓜生先輩が発言しようとした瞬間を狙った犯行だ。

『そういうことは教わらないし、地上のことだって何も知らない』


 それは誰もが疑問に思っていて、しかし何をすればいいのか何を探せばいいのか分からず、心の内に秘めていつの間にか忘れているものだろう。


『それは……分からないんだ。きっと資料はある。ゴドウィンがワンダーゲートのことを知っていたようにね。でも、オレたちが閲覧を許されているわけじゃないんだろう。何か不都合なことでも書いてあるに決まっている』

 吐き捨てるように瓜生が言った。

『そんなことをあまり話していると管理塔に目をつけられるかもしれないぞ。兵装部は独立しているとはいえ安全とは限らない』

 なんだか強引に話を逸らした。それでも月の話題に戻る気もないようで黙ってしまった。


 仕方がないので仁美は今聞いたことを考える。月から来るのは技術が狙いなのだろうか。それともワンダーゲートが絡んでいるのか。どちらにしても自分たちが関わってきそうで面倒くさそうなことになりそうだ。

 ところで、月から飛鳥に来られるなら飛鳥から月にも行けるのではないのか。このブースター・ユニットでも宇宙に出られるだけの推力は得られるそうだし、月まで航行するための装備や耐久性があれば――


『倉橋。そのあたりでやめておけ』

『あ……はい』


 考えが漏れていたようだ。隊長に言われて気づく。

 でも、月に行けば色々なことが分かるのでは。それにエンタングルはいないのだろうか? ――そう、エンタングルについて月はどう思っているのだろうか。


 疑問を胸に五機は飛鳥へと降りて行った。


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